FLY Fishing 自己紹介

トーマス・ブレークモア記念社団 養沢毛鉤専用釣場
photo:トーマス・ブレークモア記念社団 養沢毛鉤専用釣場



フライフィッシングの発祥は、アウトドアが盛んなイギリスであった。
イギリスの場合、アウトドアスポーツのトラディショナルファッションでは、大概ネクタイをして居る。
これは自然に対して礼儀をもつためとされているが、そういう精神自体は好きである。
歴史が降り、イギリスからアメリカに渡ったフライフィッシングはより合理化され、キャスティング技術も体系化されて行った。

フライフィッシングの特徴としては、重さの無い毛ばりを飛ばすためにラインの重さを利用するところ。
この辺りの発想は日本のテンカラに思想が似ていて面白い。

そして日本にフライフィッシングがもたらされたのだが、その場所は日光の湯川と言われている。
今でも中禅寺湖周辺は避暑地、保養地、別荘地とされているが、多くの外交官・大使館員らがここに保養施設を持ち、そこに持ち込んだ釣り、それが日本のフライフィッシングの始まりとされている。



さて、筆者がはじめたのは昭和60年。1985年 7月の、芦ノ湖・湖尻/桃源台がデビューの地。

フライよりも先に、毛針釣り(テンカラ)に興味を持った、そのきっかけが「釣りキチ・三平」で、その1年後くらいに、「THE・Fishing」と言う番組でフライと言う毛針で釣っている姿をTVで見た。
この時が実際の映像を見た最初の時であり、一番最初にフライフィッシングと言うものに興味を持ったきっかけである。
そこに写っていた釣り氏こそ、Tetu・西山こと、「故・西山徹」氏である。
佐渡の源流で岩魚を釣っているその番組は今でも残してあるが、劣化してきているのでデジタルに変換して保存しないとと思っている。
ナレーションは大平徹さんで、佐々木功さんがゲストであった。

フライフィッシングの場合、投げるにも錘を使ったりする事は無く、ラインの重さで投げると言う特殊な方法ゆえ、全てが専用の道具で、他の釣りとは全く互換性が無い。
つまり、途中でこの釣りに挫折してもフライの道具は他の釣りに転用が出来ないのだが・・・、小遣いを貯めて、安いながらもコータックのセットを買うのに躊躇しなかったのは、それだけ興味を持たせたのだろう。
今でこそキャスティングスクールなんて近くにあるが、当時は本とビデオと、キャスター西山徹氏が先生であった。フライの番組を撮り漏れしないように録画しまくって勉強していたのを懐かしく思い出す。

高校生になって、バイト代とかでタイイイングツール(フライを巻く道具)を買ったり、毎年4月に芦ノ湖へ通ったり(7年間続きました)、社会人になって毎週のように釣りに行ったり、一頃は随分と熱中した物である・・・。
社会人数年後からは鮎釣りの方が毎週行くようになり、回数はかなり減ってしまった。
理由としては単純で、釣期の重複と言う理由だけ。
鮎は6月から始まり、場合によっては10月までと、9月末に渓流が禁漁となるよりも長く釣りが出来る。
冬は11月頃からテレマークスキーを始めるが、5月の残雪期以後、残雪が多い年には6月はじめまで滑れるので、フライをやれているのは初夏と晩秋の端境期と、常設釣り場くらいにしかやれないのが現状。
そんなものだから釣り暦だけは長くても未だに上手くなっていないが、それでも面白さは色あせず、ずっと続いているのである。


そして、長野に移住した翌年。2016年4月。
フライフィッシングを始めるきっかけになったテンカラを、ついに開始しました。



山女魚写真
photo:山女魚

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