お客様の文芸コーナー

 池の平小屋には「池の平ノート」という寄せ書き帳があります。そのなかには、俳句、詩、短歌、などが思いを込めて書かれています。それらのものや、送り届けられたものなどをこの欄では紹介したいと思います。

 *2010年仲間4人と宿泊され、その折オカリナの演奏会をお願いした富山在住の藤森芳憲氏が即興で詠んだ俳句が、墨痕鮮やかに認められ、昨年夏(2011年)友人の能登さんの背で池の平小屋に届けられました。掲載します。

   八ッ峰に雲去来して時忘る 翠雲

 
                         

 先日(2011年秋)、大阪のお客様の邑上様から俳誌『うぐいす』685号(平成23、3,5発行)が贈られてきました。邑上様の散文、俳句が掲載されいましたので転載します。尚、邑上様の俳号は邑上ぢへゑです。

      シリーズ自句自解 「その時一句」
          天心へ神のきざはし鰯雲   邑上ぢへゑ

 山好きの父から押し付けられた登山の趣味。七三歳になった今も楽しんでいる。私の山行きはピークハンターと呼ばれる百名山を登り歩くのではなく、気に入った山に足しげくかようほうである。
 一番のお気に入りは北アルプス剱岳の北にある池の平小屋である。北アルプス、否日本の山々でここほど山の楽しみを秘めた山はない。
 アルペンルートの室堂でバスを降り、一泊二日の行程を歩く。その遠さと、一般ルートから外れたここを訪れる人はすくなく、静かな山の雰囲気が味わえる。新緑と残雪も山の醍醐味だが、特に山全体が燃え立つ秋。櫖、ななかまど、だけ樺の紅葉は、まさに桃源郷である。
 来る日も来る日もそのチンネと呼ばれる峨々たる岩峰に当る朝日から、陽が没しゆく夕焼けの彩を、また岩峰にかかる雲の動きを眺める、飽きない山暮らしだ。そんな山のもう一つの楽しみはその岩峰を眺めつつ入る露天風呂だ。素っ裸で山々の自然溢れる中に至福の刻を過す。そんな山には平野部より一足先に秋を兆す雲が現われる。高層部にできる薄いまだらな雲は、いろいろな形のアニメの映像を思わせる様に変化自在。そのうちに鱗状に形を変え、鰯雲となる。その色も夕刻とともに西の空から夕焼けの色に変る神秘の時間となる。
 この世とは思えない空一面のスクリーンは人の手には描きえない、まさに神の絵筆を感じる。見あげる宙・・・。筆舌に尽しえないと思った一瞬ふっと・・・神のきざはしだと直感した。
 地の神が天の彼方へ帰る一瞬を感じ、そして揚掲の句を賜った             
                                                      
 前掲「うぐいす」を仔細に拝見したら、主催者の池田琴線女選に、邑上様の句が五句掲載されていた。紹介します。
   立ちならぶ山みな親し初御空 
   古宿の蓬菜飾り客迎ふ 
   梵鐘や惑ひは闇へ去年今年 
   太書きの賀状に賜ふ勇気かな          
   息災を語る筆跡年賀状


 さらに、鈴木龍生選のなかに一句ありました。
    山に逝く友は野菊に抱かれしや
 作者に対し、ですぎた事ですが、この句に管理人が添え書きをさせていただきました。

 この句は、邑上さんの知人で、昨年(2010)9月28日、ネパールヒマラヤのダウラギリ(8167m)Ⅰ峰を登攀中雪崩で行方不明となっています山本季生(としお)さん(36歳)を詠んだものです。邑上さんは山本さんに登山の案内役を頼んだこともありますし、池の平小屋で数日過したあとは、必ず阿曽原温泉小屋に宿泊していました。阿曽原温泉小屋では、小屋の佐々木泉オーナーやスタッフの中山さん(通称大仏さん)、山本さんと歓談し親交を深めていたということでした。

 山本さんは池の平小屋から宇奈月温泉との中間にある阿曽原温泉小屋のスタッフでしたが、池の平小屋にも宿泊されたこともあり、管理人も阿曽原で3度ばかりお会いし、おなじ愛知県在住ということで親しくさせていただいていました。愛知県岡崎市出身の山本さんは、高校では山岳部に属していたようで、その後、春日井山岳会に所属し活動していました。”富士山測候所を活用する会”事務局のH/Pをみますと、山本さんは「2007年度、富士山頂設営の最初から山頂班員として、旧富士山測候所の開所準備、管理運営などに活躍された・・・」と、ありました。山本さんの人となりは、阿曽原小屋朝日小屋のH/Pから伺い知ることが出来ると思います。
 秋、池の平小屋から阿曽原へ下山しますと、きまって仙人ダムの辺りには野菊が清楚な花をつけ見るものを楽しませ、また疲れを癒してくれるのですが、邑上さまの発句の奈辺は如何だったのでしょうか。       

                          

 昨年末(2011年12月末)、お客様の邑上さんから、一冊の立派な句集が届けられました。
 常連のお客様、邑上さんのお母様、邑上キヨノさん(94歳)の俳句や随想を編んだ『ふるさと』です。 キヨノさんは句歴50有余年でまだご健在とのことです。『ふるさと』には膨大な俳句や随想が編まれていますが、此れも縁(えにし)と管理人の勝手な思いで、心うたれました句や随想をこの欄に転載させて頂きました。邑上さん申し訳ありません。
                  ふるさと          
 <俳句>。 第13回月村賞受賞作    「霧の追憶」    邑上 キヨノ
 一位の実ふふむ力の湧きてきし
                      繚乱と黄葉紅葉の風の舞う
 秋風の余韻背山の稜々に
                      尾根を巻く一条の径雁渡し
 山脈を離れかりがね列正す
                      隠沼の挽歌こぼるる雁の声
 丸木橋しとどの霧に身を細め
                      遭難の碑文せつせつ霧宿す
 蔓竜胆たまゆらの日をむらさきに
                      いわし雲吊橋百歩ゆれ弾む
 吊橋の奈落を自在赤とんぼ
                      葛あらし露天の湯気をかきたてる
 霧粗く軋むリフトに盲しいたり
                      わが遅歩の霧を距てて夫の声
 白馬岳鎮めて霧の動かざる
                      秋惜しむケルン一会の影重ね
 秋の声ケルンへ山霊しずまりぬ
                      むらさきに極まり遠嶺鷹渡る
 山毛欅黄落昏れんと闇が遠巻きに
                      山小屋の銀河の明りの臥処かな

(昭和59年10月、俳誌「うぐいす」368号所収)

<随想>    続 筆散歩  「徳本峠」   邑上 キヨノ

   銀河の尾掴みて眠る山の宿
 年経れば昔話ばかり。この度は銀河のもとで眠った山小屋の思い出を辿ってみよう。私の夫との旅はリュック姿に山靴。ボストンバックを提げてなどの旅は一度も味わっていない。雑念をすべて忘れ、ひたすら歩く山の径は最高。夫は山男と呼んでよい程の山好きだったので、お供をするのは遠ち近ちの山、数えきれぬほど。とは云え晩年近くは堂々の山岳登山ではなく、ハイキング程度だったが、山径の思い出は尽きない。今年も近づいてきた秋の山径を辿ってみよう。

 上高地と云えば七割方の人が「あヽ行った行った」と仰言る。わが思い出はその上高地を経ての道程。大正池で有名な上高地、澄み切った流れの梓川。その大正池は、大正初年焼岳の大噴火の折、泥流によって梓川が堰き止められ出来た池とのことで大正池と名付けたようだ。池には今なお白骨化した立木が生々しく池に佇立している。大自然の破壊力は恐ろしいが、思わぬ美しい景をも生みだす。

 大ていの方は上高地にバスで直行される様だが私共は一つ手前で下車。その大正池の沼のような池畔をざくざく歩いて上高地に着いた。上高地銀座と云われるほどシーズンにはその梓川に掛かる河童橋附近は老若の観光客で賑わう。殆どの方はこの辺りで宿泊、又は尚先にある田代明神池の方へとコースは決まっているようだ。

 で、私共はここでコースをつと右へ逸れて細い山径に入った。今迄の喧騒とは一変して人ッ気のない岨径。散策風な気分は吹っとんで、苦しい登り径。喘ぎあえぎ折々写真休憩などで息をつぐ。が夫は少し急いでいるようだ。もっとゆっくり登り度いが峠の山小屋がひょっとして無人かも。若し無人だったら陽のある中にこの坂を上高地まで引き返さねばならぬ。野営の用意ののない軽装の二人だ。

 上高地の標高が1500米。目的の峠は2140米の高さ。岨径はかなりの急坂で下山の人にも会わず。峠の小屋が無人かどうか聞くすべも無い。やっと案じつヽ辿りついた小屋は、吹けば飛ぶような、ちっぽけで粗末な構え。倖いにも山娘が出迎えて呉れ大きな安堵。ここが徳本峠小屋。今夜の我が御ン宿なのだ。日昏れて三人の同宿者が到着。五人の宿泊。一汁一菜の夕食。天井は低く背ナを屈めて起居。文字通りの煎餅布団。が倖いにも私の寝床は一番の窓側。

 二千米の山上は全く無音。そして晴れ渡った夜空の蒼いこと。その深海の様な澄んだ空に撒き散らされた大小無数の星のきらめき。大きな星は蒲公英の花のよう、曳く光は孔雀の羽根さながらの玉虫色。何カラットもの宝石めいた星が妖しく光を放って魂が宇宙へ吸いこまれそう。目を凝らして見ればそれ等の星座を透かして銀河の流れが、ゆったりとカーブを曳いて私の窓に迫っている。手をのべれば届きそう。低い天井、煎餅布団、昼の疲れもすべて忘れて私は寝もやらず、この豪華な山小屋のくれた夜空の神秘をひとり満喫した。

 説明になるが、昭和八年釜トンネルが開通する迄は松本電鉄の新島々駅からこの峠を越さねば
上高地に入れなかった由。墜道が開通してこの峠越えは全く忘れられたコースとなった。夫には若かり日の登山の思い出の径。彼の胸中の感懐は知る由もなく。私はこの山小屋の呉れた星空の眺めを、今も宝石のように胸に抱きつづけている。
(平成13年9月、俳誌「うぐいす」571号所収)