第一章:進化論の本質
-ダーウィンから木村資生/ドーキンスまで-

[1.1] “古典”ダーウィニズムの問題点
1. 観測事実と自然選択説
2. 化石記録(ミッシングリンクとカンブリア爆発)
3. 偽造図に基づくヘッケルの反復説
[1.2] ネオ・ダーウィニズム(進化の総合説)の問題点
1. 同語反復としての自然選択
2. 分子進化の中立説
3. 分子時計
4. ドーキンスの“利己的な遺伝子”説
5. “偶然”が複雑な器官や“理論”を構築するか?
6. 知的存在によるデザインの証拠
7. 進化の説明が陥る“ベラの大ポカ”
8. 想像力に期待する進化論
9. 進化の総合説の実状
 
この章では、ダーウィン以来1930年代ころまでの“古典”ダーウィニズムと、それ以降のネオダーウィニズム(進化の総合説)の問題点を明らかにします。

[1.1] “古典”ダーウィニズムの問題点

ダーウィンは、神が目的を持って様々な生物の種を造られたという伝統的な見解に異を唱え、目的を持たない自然の偶然のプロセスで多様な種が生み出されたという説を「種の起源」で発表しました(1859年)。彼は、ガラパゴス諸島などで観察した動植物が環境に適応して変化していることからヒントを得て、偶然に生物に起きる小さな変異(variation)が多くの世代を経て積み重ねられて大きな変化を生じ、多彩な生物の種が生まれたと主張しました。

そしてマルサスの人口論における生存競争の概念を取り入れて、より適応した性質を持つように変異した生物が生存と繁殖に有利なために、世代を重ねるに従って自然に増え広がって新たな種を生じる、と説明しました。これがダーウィンの“自然選択”(自然淘汰)説です。ちなみに、「種の起源」の最終版(第6版)の正式タイトルは、「自然選択―すなわち生存競争に適した品種の保存―にもとづく種の起源について」(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life)です[1]。

1. 観測事実と自然選択説

しかし、ダーウィンは、“自然”選択の実例を示すことができませんでした。そこで、かわりに育種家による“人工的”選択によって変異が世代ごとに積み重ねられ変種が生み出されることを示しました。育種家は、野生種から選び出した生物の子孫を選択して交配し続けることによって、犬やバラなどの品種改良を驚くばかり巧みに行います。

ところが、
★ 育種家が専門的知識にもとづいて計画的に選択して行う品種改良は、目的も計画もない偶然のプロセスによる自然選択とは根本的に異なります。自然選択が“自然”に起きることを示す目的で“人工”的な品種改良を持ち出すこと自体が矛盾しています。

動物の育種、例えばイヌの場合、イヌという種の内部でしか品種を改良することができず、種の限界を超えることはできません。つまり、小さな変異を生じた個体を人工的に選択して交配させても種を超えることができないので、小さな変異(今日「小進化」と呼びます)が累積して積み重ねて大きな変化(今日「大進化」と呼びます)が起こるというダーウィンの主張を育種で説明することはできません。

さらに、品種改良された生物を自然に放置すると、改良されたタイプの個体は、わずかの世代を経て“自然選択されて”消滅し、生き残った子孫は野生の種にもどります。つまり、

★ 実際の“自然”選択は、“人工”的に作り出された種内の小進化を元にもどします。

それゆえ、
★ 自然選択は、新たなものを作り出すよりむしろ変化が起きないように保存的な働きをしているので、むしろ進化を反証しています。

2. 化石記録(ミッシングリンクとカンブリア爆発)

小進化を積み重ねて大進化が起きたというダーウィンの仮説は化石記録からも支持されませんでした。なぜなら、
★ 偶然に生じた小進化が少しずつ累積されて大進化が起こったのであれば、中間の種の化石が発掘されるはずですが、いまだに一つも発見されていません。これを「ミッシングリンク(失われた環)」と呼びます。

以前は中間種の化石とみなされた始祖鳥も、それが産出する地層より下の古い年代の地層から、始祖鳥よりも現代の鳥に近い化石が発見されています[2]。さらに形態の特徴から現在では、
★ 始祖鳥は中間種ではなく、絶滅した鳥の一種「古鳥類」に分類されています[3]。

ダーウィンは、種の起源のなかでミッシングリンクについて、「かつて存在した中間変種の数は実に膨大であるに違いない。では何ゆえ、あらゆる地質累積やあらゆる地層はこのような中間的連結環で満たされていないであろうか。地質学は、確かにこのような精密に段階づけられた生物の連鎖を現していない。そしてこれはおそらく、この理論に対して主張されるもっとも明白で深刻な反論である。」と書いています[4]。ところで、
★ これまでに20万種以上、1億個以上もの化石が発掘されているのに、中間種の化石はひとつも発見されていません

これに関して、「化石を残せないほど急激に進化が起きたために生じた」というようなアドホック(その場限り)な説明しかなされていません。従って、
★ 小さな変異が積み重ねられて進化が起こったというダーウィンの仮説は、当初より観測事実(ミッシングリンク)から疑問視されており、今日に至っています。

さらに、ダーウィンが種の起源で、「共通の先祖」から「小さなステップ」を積み重ねて様々な生物の種が登場したと唱えた仮説は、
★ 彼の時代に最古の地質年代とされていたカンブリア紀の地層から多くの完成した大型の動物の化石が突然あらわれており、それらの先祖であるはずの単純な動物の化石が全く見出されていなかったことからも疑問視されていました。

これは「カンブリア爆発」の謎とよばれています。これについて、ダーウィンは、種の起源の中で、「動物界の主要な部門の幾つかに属する種が、化石を含むことが知られた岩の最下部に突然現れる・・・この問題は現在説明不可能なまま残されなければならない。そしてここに抱かれている見解に反対する正統な論拠として実際に主張されるかも知れない。」と書きました[5]。 
★ これまでに、カンブリア爆発に対していろいろな提案がなされていますが、満足いくものがなく、謎は深まるばかりです[6]。

3. 偽造図に基づくヘッケルの反復説

ダーウィンが進化の証拠として主張し、今でも教科書に記載されている、「ヘッケルの反復説」が“偽造”された図に基づいていたことが今日明らかにされています[7]。

「共通の先祖」が存在した証拠を挙げることができなかったダーウィンは、大きく異なる種に属する動物でも、その胚が形成された初期の段階では非常に良く似ているので、これは共通の先祖から分かれてきたことを示す、と「種の起源」で主張しました[8]。そして、ダーウィンは、当時の発生学の最高権威であったカール・フォン・ベーアが
★ ダーウィンの進化仮説を、証拠がないと否定しているにもかかわらず、ベーアの研究内容を、自説の根拠としました(フォン・ベーアは生涯この歪曲に関してダーウィンを非難し続けました)。 

当時、生物学者であり哲学者でもあったエルンスト・ヘッケルは、色々な綱に属する脊椎動物(哺乳類、鳥類、魚類、爬虫類)の胚が発生した最初の段階では良く似ているが、成長とともに分化していく図を描いて、「個体発生は系統発生をくりかえす」という言葉でよく知られている「反復説」を唱えました。ところが、
★ ヘッケルの描いた胚の図は、自説に合うように描いた偽物でした。

すなわち、各種の動物の胚は最初の段階では似ていないので、ヘッケルは、@ 発生の中間段階の図を用い、A 中間段階でたまたま互いに似ている八つの種を選び、B 別の種の動物の胚を偽って同じ種の胚としたものもあり、B 実際より似るように絵を改ざんしていました。たとえば、「三枚のまったく同じ図に、それぞれ、イヌ、カメ、ニワトリという見出しをつけて公表した。・・・『魚段階にあるテナガザルの胚』を示すのに、まったく種類の異なるサルの胚を使い、しかも手や足やへそといった魚にはない器官を、彼の説に不都合にならないように切り落としてしまった。」という具合です[9]。このような偽造された図に基づく反復説を、ダーウィンは自説を支持する最も強力な証拠と考えていました。

ヘッケルが絵を偽造したことは、彼自身が1908年に新聞紙上で認めていますが、なんら悪びれずに、その理由を次のように述べました。
「とりもなおさず、現時点での観察資料が不完全かつ不十分であることが原因なのである。資料が不足しているために、進化の各段階をつなぐ段になると無理を承知で溝は仮説で埋め、失われた環は比較に基づく総合判断によって復元しなければならないのである。」

さらに彼は、「それでもなお私の罪が問われるのなら、最高と言われている教科書や学術雑誌に載っている図版の大多数も同様に「偽物」の責めを受けるべきである。なぜならそれらはみな必ずしも正確ではなく、大なり小なり手が加えられており、模式化され構成し直されているからである。信頼され尊敬されもしている生物学者を数多く含む何百人もの人たちが、わたしと同じ被告席にならぶことになるのだ。」と開き直りました[9]。

このように、ヘッケルは、胚の図を偽造したことを“学問の権威の傘”を借りて弁解しました。
 ヘッケルにとって進化論は証明すべき“事実”であったから、いかなる手段を使うことも許されると考えたのです。

ヘッケルの偽造は、20世紀の初めには発生学者の間で知られるようになり、1920年代になると反復説は事実に反するものとして発生学の分野では斥けられました。そして1959年に発生学者マイケル・リチャ−ドソンら[10]は、
★ 実際の胚の写真と比較することによって、ヘッケルの絵が偽造されたものであることを明確に示しました。しかし、その後もヘッケルの偽物の胚の図は、教科書に載せられ続けてきました。

20世紀の終わりごろ、創造論者たちがこの問題を追及しました。これに対して、著名な進化論学者(古生物学、進化生物学)のスティーヴン・ジェイ・グールドは、ニューヨーク・タイムズ紙上で、ヘッケルが胚の図を偽造していたことを自分が知っていたことを認めました。そして彼は、ヘッケルの不正を暴露した創造論者たちが、ことさらにスキャンダルを作り出していると非難しました[11]。
このように、
★ グールドをはじめとする進化論者が“進化の証拠”が偽りであろうが問題にしないのは、彼らが、進化は事実であるという前提から出発しているから、進化を証明する必要を感じてないことを示しています。 

今日アメリカのほとんどの教科書から、ヘッケルの胚の図は姿を消しました。しかし、現在でも、日本の検定済み高校教科書「生物II」の2009年版の10種類のすべてに、ヘッケルの図を変形したものが「進化の証拠」の章に掲げられていました。いくつかの教科書では、ヒトの胚には、魚類の胚の鰓(えら)穴に似た「ひだ」(くぼみ)をもつことを指摘して進化の証拠としています[12]。しかし、発生学者達は、ヒトの胚の「ひだ」と魚類の鰓穴とは全く別物であり、両者を結びつけるのは幻想であると指摘しています[13]。それゆえ、
★ 日本の高校教科書は、実質的にヘッケルと同じやり方で事実を歪曲して進化の証拠としているのです。

ここで、
★ 仮に、ヘッケルの図が本物であったとしても、それは進化論の証拠にはなりません。なぜなら、動物の胚は、あらかじめ遺伝子に書き込まれている情報とデザインに従って“必然的に”発展するからです。創造論者やインテリジェント・デザイン(ID)論者は、「“仮想的本物”のヘッケルの図」を見ても、胚がそのように成長するように創造(デザイン)されていると考えるでしょう。

さらに、
★ 「個体発生が系統発生を繰り返すから、共通の祖先が存在する」というヘッケルの反復説自体が、循環論法(証明すべき結論を前提に含んだ証明法)の過ちに陥っています。なぜなら、「系統発生」は、証明すべき「共通の祖先が存在すること」を前提としているからです。

ただし、結論が前提に秘かに隠されているので、循環論法であることが分かりにくいために、反復説は進化論の証拠だ、という印象を与えています

以上から、
★ ダーウィン(および現代の教科書)が、たとい本物であったとしても証拠にならない「ヘッケルの胚の偽造図(の変型版)」を進化の重要な証拠としていることは、進化論が“決定的な証拠”を提示できないことを示しています

[1.2] ネオ・ダーウィニズム(進化の総合説)の問題点

ダーウィンは、“変異”と“自然選択”のメカニズムを説明できませんでしたが、20世紀になると、メンデルの“遺伝学”に登場する“突然変異”が進化の源泉とされるようになりました。こうして発達した進化論を“ネオ・ダーウィニズム”とよびます。

その後、ネオ・ダーウィニズムは、タンパク質やDNAなどの生体分子の構造や機能に基づく分子生物学、および集団遺伝学や生物地理学などの知見を総合して、「進化の総合説」と呼ばれるようになりました。しかし、ネオ・ダーウィニズムと進化の総合説を区別しない場合が多いようですから、ここでもそうします。

進化の総合説では、DNAが複製されるときに偶然に遺伝子の塩基配列(遺伝情報の記録)に生じるミスコピーが突然変異の実体とされています。この突然変異に、目的や方向性のない自然選択が働くことによって変異が積み重ねられて生物が進化したと説明します。従って、進化の総合説の主流では、生物に内在する力によって進化すると考える「定向進化説」や、生態系で種が住み分けるように進化すると考える「今西進化論」を斥けます。

偶然に支配される“突然変異と自然選択”を根幹にすえた進化の総合説に潜んでいる問題点を明らかにしましょう。

1. 同語反復としての自然選択

ダーウィンは生存競争に有利な性質を突然変異によって得た個体が長く生き延びるので多くの子孫を残す適者として“自然選択”されると考えました。しかし、自然界で闘争による生存競争(弱肉強食)はほとんど機能していないことが明らかにされました。そこで、自然選択とは、生存のための闘争とは関係なく、ただ、繁殖率が高くなるように 変異した子孫が自然選択されて増えることと定義されるようになりました。
しかし、このように、
★ 自然選択によって多くの子孫を残すのに適しているものを「自然選択される適者」と定義することは、ある事柄を別の言葉で表現しただけの“同語反復”(トートロジー)であると非難されました。同語反復は、誰も反論できない「絶対に正しい真理」でありますが、何も説明していない無意味な言明です。

ところが、1959年に「種の起源」出版100周年記念行事として開かれた国際会議で、C. H. ワディントン(発生学者、遺伝学者、科学史家)は、自然選択が同語反復であることの意義を次のように述べました[14]。

「ダーウィンの大きな功績は、もちろん、自然選択と突然変異によって進化を説明できると提唱したことにある。自然選択は、当初、実験や観測によって確認しなければならない仮説のようにみなされたが、注意深く検討してみるとトートロジー(もっともらしく聞こえるが実のない言明)であることが分かる。個体群の中で最も適応したもの(最も多くの子孫を残すものとして定義される)が最も多くの子孫を残す、と述べているのだから。このことは、決してダーウィンの業績を格下げするものではない。この事実(hp注:自然選択がトートロジーであること)が明白に述べられたことによってはじめて、生物学者がこの原理(hp注:ダーウィン理論)が強力な説明の武器であることを認識できたのである。」

つまり、ワディントンは、
★ なんでも望みのままに説明でき、いかなる批判にも対抗できるトートロジーとして自然選択を定義したダーウィンの業績を称えているのです。

2. 分子進化の中立説

進化論は、「分子進化の中立説」によって抜本的な進歩を遂げました。その結果、自然選択の痕跡(ダーウィン進化論の証拠)がDNAに存在しないことが明らかにされました。この困難な事態に対処するために「同語反復としての自然選択」が温存されたことをここで説明します。

進化論の研究は、それまで生物の形質(形態や機能の特徴)に基づいて行われていましたが、20世紀中ごろに分子生物学が登場してからは、分子レベルの研究が主体になりました。そして、DNAが複製されるときに偶然に遺伝子の塩基配列(遺伝情報の記録)に生じるミスコピーが突然変異の実体であることが分かり、突然変異による遺伝を分子レベルで解明する「分子遺伝学」が発達しました。 

その結果、1960年代ごろには木村資生(もとお)らによって、DNAの塩基配列に起きる突然変異のほとんどは、自然選択に対して有利でも不利でもない、すなわち「中立」であることが明らかにされました。つまり、DNA上には自然選択が働かない「中立的な」突然変異しか観測されず、
分子レベルで進化の痕跡が見出されなかったのです。

しかし木村は、このように自然選択とは無関係にDNA分子が変化してきたことを「分子進化」と呼びました。そして、自然選択が働かない「中立的」な突然変異は、「遺伝的浮動」と呼ばれる偶然のプロセスによって、世代を重ねるうちに個体群に広がって固定され(群れの全個体がその突然変異を持つようになり)*、それが累積してDNA分子が進化したと唱えました[15]。これを「分子進化の中立説」または「中立進化説」と呼びます。

*偶然に支配されるギャンブルを数人で行う場合に例えると、ギャンブラーが「突然変異」に、一人のギャンブラーの所持金が「その突然変異をもつ個体の数」に相当します。そして、個々のギャンブラーの所持金額が勝負のたびに揺れ動くことが「遺伝的浮動」を表し、あるギャンブラー(突然変異)が、幸運にも勝ち続けて、他のギャンブラーの所持金をすべて巻き上げることが、その「突然変異が固定される」ことに例えられます。
 
分子進化の中立説は、“DNA分子の進化”を確率論で説明しているだけです。そればかりか、突然変異を自然選択することによって形質が進化してきた証拠がDNA分子上にないことを示しています。この窮地から進化論を救うために木村は、DNAに起きる突然変異の数はあまりにも多いので、その中のごくわずかの突然変異には自然選択が働くものがあり、それが累積されて形質が進化する。ただし、生存や繁殖に有利な突然変異は、短時間に既存の野生型遺伝子に取って代わるのでDNA上に痕跡を残さない、と主張しました[16]。

つまり、突然変異が、DNA上に観測されれば「DNA分子の中立進化」をもたらした、観測されなければ「形質の進化」をもたらした、というわけです。このように、分子レベルで証拠があろうがなかろうが思いのままに進化が(DNAおよび形質に)起きたと説明できる論法を木村は提示したのです。

しかし、「思いのままに説明できる」ことは検証不能であることを意味します。創造論にもインテリジェント・デザイン論にも反対の立場をとるコリン・パターソン(ロンドン自然史博物館古生物学部門)は、上記のような中立進化説に関する議論について次のように論じています[17]。「その・・・理論はもはや検証可能でなくなってしまう。・・・自然淘汰によって説明できない場合・・・は、遺伝的浮動をもちだせば、事が済むからである。 逆に、遺伝的浮動と当初考えられていたものが結局は自然淘汰の産物とわかる事例が続出したところで、中立説は困らない。中立説は、遺伝的浮動ですべての進化を説明できるとは主張していないからである。」

またダーウィン主義者達は、「中立進化説では、幸運な突然変異が生き残る、つまり「運者生存」になり、ダーウィンが唱えた「適者生存」という進化のメカニズムを否定している。」と非難しました。これに対して木村は次のように弁明しました[18]。自然選択は生存と繁殖に与える差を通して働くのであるから、その差を通して評価しなければならない。二つの分子の違いが外見上の機能の違いと対応しているだけでは、自然選択が起こった証拠にはならない。自然選択であることは、生存率と繁殖率の観測結果にもとづいて始めて決めることができるのである。すなわち木村は、自然選択をダーウィン式に同語反復によって定義しなおすことによって、(たとい分子レベルで観測されなくても)突然変異が自然選択されて進化が起きる、と主張したのです。

こうして木村は、中立的(自然選択が働きDNAに痕跡を残す)であろうが、その反対(自然選択が働かず、痕跡を残さない)であろうが、
すべての突然変異に自然選択が働いている、と形式的に言うことができる論法を、“誰もが否定できない同語反復”によって提示しました。

木村のこの業績をダーウィン以来の最高の業績として称える者もいます。
 
以上から、中立進化説を取り入れた進化の総合説では、
★ 同語反復に基づく論証不能な議論をしているので、自然選択が進化の原動力であること、および小さな変異を積み重ねて大進化が起きるプロセスを、何一つ説明していません。

分子進化の中立説は、遺伝子の中立的な突然変異によって起こる遺伝病(例:鎌状赤血球貧血症)など、「種を超えない範囲で起こる遺伝現象」に対しては、遺伝的浮動によって厳密に取り扱うことができます。また、種の内部で起こる適応的な小進化にも有効です。たとえば、南極海に生息するコオリウオが寒い海でも血液の凍結を防ぐ「耐凍結タンパク質」を獲得したプロセスを遺伝子の塩基配列レベルで解明するなどの研究が行われています[19]。

以上から、
★ 分子進化の中立説は、生物が環境に適応して形質を変え、すなわち小進化を行うことによって生き延びるように創造(デサイン)されていることを指し示しているだけで、大進化については何も示していません。

3. 分子時計

分子進化の中立説と密接に関連して「分子時計」が生み出されました。進化論者のなかには、分子時計を進化論の決定的な証拠とみなす人もあるようですが、果たしてそうでしょうか。

1970年頃に分子生物学者が、いろいろな動物のタンパク質のミノ酸配置で起きている変異の数がほぼ一定の速度で蓄積されていることを見出しました。そこで、二種類の動物のアミノ酸配置の違いの数を時計代わりに用いて、両者が分岐した年代を算定するのが分子時計です。実際には、変異が蓄積していく速度の絶対値を、すでに化石記録で推定されている分岐の年代を用いて較正し、他の分岐年代を算出するのに用います。

その後、アミノ酸配置を定めているDNAの塩基配列の突然変異の数を時計代わりに用いて分岐年代を算定するようになりました。木村資生は、分子時計が成り立つことを中立説を支持する証拠として援用しました。

しかし、現在では、分子時計の前提(突然変異が一定速度で蓄積する)は、限られた条件の下(特定の生物種、遺伝子座位、生体分子)で近似的にしか成り立たないことが明らかにされています*。また、理論的にも成立しないことが示されています[20]。
* 時間的に一定の割合で起きる偶然のプロセスはポアソン分布に従いますが、突然変異はこれに従いません。

それゆえ、分子進化遺伝学の専門書に「分子時計は、・・・かなりずさんなものであるが、・・・進化時間の大雑把な推定をするのに有用である。」と書かれています[21]。つまり、
★ 分子時計は、その前提(変異の蓄積速度=一定)が大雑把に成り立ち、さらに、化石記録とつじつまが合うように変異の蓄積速度を較正できるような限られた条件下で大まかに分岐年代を算定できるだけです。

その証拠に、異なる生体分子の分子時計を用いると全く違った結果が得られます 。たとえば、多数のタンパク質の解析結果から、ウサギが霊長類に分類されたり、ウシとウマの中間にクジラが入ったりします。その結果、
★ 分子時計からは奇怪な「進化の系統樹」が生み出されるので、「分子時計が進化を証明する」と言うことはできません[22]。

さらに、分子時計は、化石記録の年代を利用して突然変異が蓄積する速度の絶対値を較正しているので、分子時計は、化石データに依存しています。したがって、
★ 化石記録における年代の信憑性が疑われる([2]3. 参照)ので、分子時計で決められた年代の信頼性も疑われます。
      
「分子進化の中立説」およびそれに立脚した「分子時計」は、DNAやタンパク質を解析する分子レベルの最先端技術と、難解で権威ありげな数式と数値の羅列で人々を圧倒して、進化論を証明しているような印象を与えています。
しかし、
★ 分子時計は、自然選択が働かない中立突然変異に関わる現象ですから、新たな器官を作るなどの大進化の証拠は提供していません。
★ 分子時計は、進化論の柱である「共通の祖先が存在すること」を前提にしているので、「分子時計が進化を証明している」と言えば循環論法の誤り(証明すべき結論を前提に含む)に陥ります。

4. ドーキンスの“利己的な遺伝子”説

徹底した唯物論者であり無神論であるリチャード・ドーキンスが唱えた「利己的遺伝子説」が人々に強い影響力を与えています。ここでは、その問題点を明らかにします。

進化生物学者のジョージ・C・ウィリアムスらは、自然選択が種や群れに働くと考える“群選択説”を批判して、遺伝子そのものに自然選択が働くと考える“遺伝子選択説”を唱えました[23]。その後、動物行動学者であるーキンスが、この説を一般向けに「利己的な遺伝子」[24]という奇抜な題名の本を書いて広めたので、遺伝子選択説は「利己的遺伝子説」とも呼ばれます。ドーキンスは、自然選択が、遺伝子が生き残るように作用することを比喩的に “利己的”と表現したのです。

無神論を喧伝する彼は、「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」などの過激な表現をして人々に衝撃を与えました。そして、「神は妄想である―宗教との決別」、「悪魔に仕える牧師」などというショッキングな題名の本を出版して、進化論に基づいて宗教を攻撃しました。

しかし、ドーキンスの利己的な遺伝子説には大きな問題があることが進化学者によって指摘されています。なぜなら、
★ 生物の遺伝は、遺伝子だけで決められるのではなく、細胞内の多くの物質とDNAの間の相互作用に支配されていることが明らかにされているからです*。
 *たとえば、エンドウ豆のしわを発現させる遺伝子が、ショウジョウバエでは剛毛を発現させていること[25]、ヒトとショウジョウバエで、同じ遺伝子が胚の発生を制御していること[26]、などからも分かります。
それゆえ、
★ すべてをDNA上の遺伝子に帰す還元主義的なドーキンスの遺伝子選択説では進化のメカニズムを説明できないのです

さらに、ドーキンスの説は、元祖のウィリアムスからも批判されました。
★ ウィリアムスは、その後、自説を一部撤回し、「生命には情報と呼ばれる、まぎれもなく非物質的な構成要素が含まれている」ことに気づいたので、ドーキンスがこれを考慮していないことに反対したのです。

情報をCDという物体に保存することを考えても、情報が物体と異なる実体であることは自明です。CD(DNA)は情報をのせる“媒体”でしかありません。CD(DNA)だけでは何の役にも立ちません。情報と、それを処理するコンピュータ(細胞)の機能があって初めてCD(DNA)が媒体としての役割を果たすことができます。それゆえ、ウィリアムスは、
★ 「ドーキンスは、情報を記録する媒体に過ぎないDNAを生命活動を担う実体と見誤り、DNAが自分自身と同じ実体を複製すると誤解している。」と批判しました[27]。

5. “偶然”が複雑な器官や“理論”を構築するか?

ダーウィンは、「種の起源」で次のように述べています。「もし多くの連続的な微小変容によって形成される可能性のない何らかの複雑な器官の存在すると証明されれば、私の理論は全く完全に破壊されてしまうであろう。」[28]

科学ジャーナリストのF. ヒッチングは、ネオ・ダーウィニズムに反対する著書「キリンの首」で次のように論じました[29]。眼のような多くの要素からなる複雑な器官が、小さな変化が累積されて生み出されたはずがない。互いに単独では機能し得ない水晶体と網膜が同時に進化しなければならないが、そんなことが偶然の積み重ねで起きるはずがない。両者が別々に作られる過程で、未完成で見ることができない眼に何の生存上の価値があろうか。

これに対して、リチャード・ドーキンスは、「眼が全くないよりは、水晶体が無くても、網膜でおぼろげにでも見ることのできる方が、生存に有利である」と反論しました[30]。
 
二人の議論では、眼の部品として水晶体と網膜だけを扱っていますが、ドーキンスはさらに、視細胞(光を電気信号に変えるデバイス)および神経節細胞(情報を前処理して脳に送るコンピュータ)をも含めた極めて複雑な眼の構造を示して論じています。しかしこれらのパーツがそろっても、神経節細胞と脳で行われる情報処理機能が欠けています。眼というシステム的な器官のハードウエアの末端部品がそろっても、視覚認識を行うためのソフトウエアや、その根底にあるパターン認識理論がなければ、「おぼろげにでも見る」 画像認識システムになりません。

郵便番号を読み取るような簡単な画像認識システムでさえ、かつて日本で、巨額の資金を投じ5年の国家プロジェクトを含め、10年近くの歳月をかけて開発されました。その最大の課題は、パターン認識理論の構築にありました[31]。しかも生物が行っている画像処理の理論は、人間がコンピュータのために考え出した理論のレベルをはるかに超えています。

★ そのような高度の理論が、DNAに偶然起こる突然変異(その実体はミスコピー)に自然選択が働いて構築されることは不可能です。いかに簡単な理論でも、思考することができる知的存在者しかそれを作り出すことができません。これは、重力の法則やエネルギー保存則と同じように、人類の経験(観測事実)から還元された法則です[32]。

6. 知的存在によるデザインの証拠

生物が持っている驚くべき複雑で精緻な構造や機能は、我々を感動させ、偉大な知的存在によってデザインされたに違いないと言うインスピレーションを与えます。しかしドーキンスは、突然変異が自然選択されることによって、「デザインされているかのように見えるもの」ができると「盲目の時計職人―自然淘汰は偶然か?」という著書の中で主張しています[33]。この問題点を明らかにしましょう。

ドーキンスは、18世紀に自然神学(理性でキリスト教の真理性を証明しようとする神学)の著名な指導者ウィリアム・ペイリーが次のように説いたことを引用しています。時計のように、目的を果たすために精巧な機構を備えた時計を見れば、誰でも時計職人によって作られたものだと分かる。そのように、高度の適合性を備えた複雑な生物には、創造者が生物をデザインされた明白な証拠が認められる。ドーキスはこれに反対して、「生物はデザインされたように見えるだけで、自然淘汰(自然選択)によってそのように作られた。」と主張しました。

ドーキンスは、自然淘汰は「盲目で、意識をもたない自動的過程であり、何の目的も持っていない・・・将来計画もなければ、視野も、見通しも、展望も何もない」のでこれを「盲目の時計職人」とよびました[33]。そして、生物の複雑な器官が、大きな変化が自然選択されて一世代で作られる“一段階淘汰”は有り得ないが、一つ一つ小さな変化、すなわちDNAの遺伝子に起きる突然変異を選択して、長い世代をかけて累積する“遺伝子の累積選択”によって可能になると唱えました[34]。

ドーキンスは、この「盲目の時計職人」による「遺伝子の累積選択」のプロセスを、サルに無作為にタイプライターを打たせて意味ある文章を作るというメタファー(隠喩)で説明しました。(メタファーとは、「人生はドラマだ」のように、物事のある側面を他の事柄で具体的なイメージを与える比喩です。)そして、一字打つたびに目的とした字であれば採用し違う字であれば捨てるという、自然選択に相当する操作を行うことによって、「たっぷり時間がありさえすれば、・・・シェイクスピアの全作品を余さず書くことができる。」と主張しました[35]。また木村資生も同じ“自然選択式サルのタイプ打ち”メタファーによって自然選択が「偶然を変じて秩序を作り出す」と唱えています[36].

しかし、ドーキンスのモデルで進化が起きるためには、一つの突然変異を選択するステップでは、目的を達成するために将来のステップで選択する突然変異をあらかじめ考慮して選択しなければなりません。これは「自然選択には目的も将来計画もない」という前提に反します。そうではなく、
目的も計画もない自然選択から、あたかも目的と目的を持って作られたような秩序が、どのようなメカニズムで作り出されるのか、という肝心なポイントをドーキンスは示していません。それゆえ
★「サルのタイプ打ち」のメタファーは、多数の事象が同時に起こるのを待つよりは、目的とする事象を一つずつ選んで累積していった方がはるかに早く済む、というごく当たり前のことを示しているだけで、進化について何も説明していません。

7. 進化の説明が陥る“ベラの大ポカ”

サルが目的とする字を選ぶ(自然選択の)メカニズムを、ドーキンスは、コンピュータ・シミレーションのメタファー(隠喩)で説明しています[37]。すなわち彼は、自然選択を模した規則を取り込んだ(といってもDNA上での塩基配列の選択とは無関係な)“樹木を描くためのコンピュータプログラム”*を用いて、昆虫や人面に似たパターが描けるという別のメタファーを提示しています。つまり、直接関係のないプログラムを用いて、進化が起こるかもしれないという印象を与えています

*実際には数万の遺伝子があるのにたった「九つの遺伝子」しか扱っていません。しかも「コンピューター・モデルにはこうした特定の条件(hp注:突然変異を起こすための条件)に応じる方法はいくらでもある。その一つを私は選んで・・・プログラムを書いた」と記しています。つまり、恣意的なプログラムを用いています。

しかし、ドーキンスは、人間がデザインしたコンピュータとプログラムを持ち出していますから、むしろ、これは知的デザインが存在することを示しています。つまり、“進化の証拠”が“知的デザインの証拠”になっています。これはいわゆる“ベラの大ポカ”の変型版に属します。

“ベラの大ポカ”(Berra’s blunder)とは、進化論を守ろうとして生物学者ティム・ベラが、気づかないうちに創造論(デザイン論)を支持する結果になった失敗を指します[38]。ベラは、スポーツカーが年代ごとにモデルチェンジしていったのと類似した一連の変化が化石記録に認められるあることを示して、これこそ生物が系統的に進化した確固たる証拠であると主張しました。しかし、スポーツカーの系統的な変化は、人間が知性によってデザインしたものです。それゆえ、化石記録のなかに見られる系統的な変化も知的存在によってデザインされたと解釈できることを、ベラはうっかり証明してしまったのです。

同じように、ダーウィンからドーキンスにいたる進化論者が進化を証明するために用いたメタファー(育種、サルのタイプ打ち、コンピュータ・シミュレーション)では、あらかじめ存在しているプログラムが系統的な変化を作り出しています。それゆえ、
 これらはすべて、自然界に知的デザインが存在することを示しているだけで、「偶然からあたかもデザインされたように見えるものが作られる」というドーキンスらの仮説を証明するものではありません。

8. 想像力に期待する進化論

木村資生[36]もドーキンス[39]も、「ダーウィン主義が『偶然』についての理論である」と誤解されていると指摘しています。 そして、十分長い時間をかけて自然選択を行えば、偶然の突然変異から秩序が生まれ、進化が起きることを理解することが重要である、と唱えています。しかし、木村もドーキンスも、長い時間をかければ自然選択が大進化を起こせるようになる理由を説明していません。また、彼らの主張を証明する実例を示していません。従って、ダーウィン主義の根本原理である「時間さえかければ自然選択が大進化を起こす能力を持っている」ことを信じるのは困難です。

ところがドーキンスは、ダーウィン主義が受け入れがたい理由を、「我々は、数秒、数分、数年、もしくはせいぜい数十年で完結する過程を認識するようにできている。しかし、ダーウィン主義は数万年から幾千万年もかかって完成する・・・理論であるから」と述べています。そして彼は、「慣れ親しんだタイムスケールの虜からのがれるためには想像力が必要である」と唱えています。また、木村は、自然淘汰が「偶然を変じて秩序を作り出す、いわば奇跡を実現させるような力のあること」を強調し、「自然淘汰のもつ創造的な力」を理解するのが困難であるのは、「我々の持つ想像力の限界」によると言っています。 

つまりドーキンスも木村も
★ 経験(観測事実)に基づく証拠がなく、筋道を立てて説明する理論も存在しないために信じるのが困難であると考えられる自然選択説を、“想像”をたくましくして受け入れなければならない、と言っているのです。

9. 進化の総合説の実状

ドーキンスらが唱えた遺伝子選択説では、突然変異が連続的に起きて累積することによって進化するので、化石記録のミッシングリンクを説明できません。この問題を解決するためにグールドらによって提案されたのが「断絶平衡説(分断平衡説)」です。彼らによれば、生物の種は進化が起きる期間に急激に変化し、その前後ではゆっくりしか変化しない平衡状態が続きます。進化が起きる期間があまりに短いので、化石を残すひまがないので、進化の中間段階の種の化石が見いだされないというわけです。

ただし「進化が急激に起きる」といってもそれは数千万年を単位とする地質学的な時間スケールの話で、数万年程度の“短い”時間内で起こる変化(進化)を“急激”と言っているにすぎません。その“短い”期間内では、小さな変化(突然変異)が積み重ねられて進化が起きることには変わりないのです。

しかし、断絶平衡説の内部でも、平衡状態と激変期が存在する原因を環境の(劇的)変動に求めたり、進化した形質の影響に帰するなど諸説紛々としています。さらに、小進化(平衡状態期)と大進化(激変期)では別のメカニズムが働くという説も唱えられています。

断絶平衡説では、種に自然選択が働くことが前提とされていますが、それに関する具体的な説明がないので、根強く反対されています。しかし、ミッシングリンクを説明するためには断続平衡説に頼らざるを得ません。そこで、進化の総合説では、遺伝子選択説(利己的な遺伝子説)に断絶平衡説などを組み合わせて、
★ 自然選択の具体的な機構には触れないで、自然選択の効果を「繁殖率」、「環境による選択圧」などのパラメーター(助変数)で表し、これを用いてコンピューターで、進化をシミレーション(模擬)しているのが実状です。

参考文献

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[25] 上掲[17],75頁.
[26] 上掲[6], 116頁
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[30] リチャードドーキンス: 「盲目の時計職人」,監訳 日高敏隆; 早川書房 (2004年),140-151頁.
[31] 電器のデジタル博物館: 「パターン認識に関する研究」,http://dbjet.nii.ac.jp/pub/cgi-bin/detail_pro.php?id=932
[32] ヴェルナー・ギット: 「初めに情報ありき」,翻訳 加藤憲一郎; いのちのことば社(2008年),279-290頁.
[33] 上掲[30], 22-27頁.
[34] 上掲[30],10,94-95頁.
[35] 上掲[30],87-95頁.
[36] 上掲[16],154-157頁.
[37] 上掲[30],95-133頁.
[38] 上掲[6], 108-111頁.
[39] 上掲[30],11-12,502-503頁.

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