Akira's History

よくもまあ、こんなデタラメ人生を送ってきたモンやで。
斜め読み推奨。



1970s

神戸市の西の端、垂水にて誕生。
生まれてきた時は、髪の毛がほとんど生えていなかったそうだ。
とにかく1ヶ所にじっとしているのがキライで、赤ん坊用のサークルから脱走を繰り返す不良乳児だった。
このへんは今でも全然変わっていない。


物心ついた頃には「鉄オタ」の兆候をすでに見せはじめ、
バアちゃんにせがんでは電車の見える場所に連れていってもらっていた。
近くにある「五色塚古墳」というのに登ると、眼下には電車、海、そして淡路島がキレイに見える。
今は明石海峡大橋が出来てかなり変わったが、それでも大好きな眺めだ。
古墳なので当然吹きさらし。冬は相当寒いのだが、飽きもせず行き交う電車に熱中していた。
バアちゃんは「たいがいにせえ」って毎回思うとったんやろなあ。
当時の主力車両が2004年を最後に引退したのは寂しい限りである。


わしの両親はともにピアノ弾きだが、わしに音楽の英才教育をしようとはしなかった。
「音楽屋なんか儲からん」というのを実感しとったんかな・・(真相は不明)
ピアノのレッスンなんか受けたこともないし、そもそも女の習い事やと思っとった。
それでも、ホンマは音楽が大好きだったのは言うまでもない。
いや、音楽というよりは「音を出す行為」かも。
ピアノの鍵盤をデタラメに叩いて喜んだり、バアちゃんの三味線でギターのマネをしたりしていたが、
何といっても父ちゃんの新兵器「エレクトーン」が一番オモロかった。
だって、いろんな音が出るもん。リズムなんて、止めるまで勝手にポコポコ鳴っとるし。
ペダル鍵盤から鳴り響くベース音にシビレた。この頃から低音に惹かれる傾向があったらしい。


ちなみに、初恋は幼稚園の「まつよし先生」だった。
一度、まつよし先生のスカートの中にもぐり込んで、めちゃくちゃ怒られたことがある。
もうオバサンになってもうたんやろうな・・・


小学生になると、今まで「アキラくん」と呼ばれていたのが「亀山くん」と呼ばれるようになる。
別にそれそのものは構わんのやけど、苗字でからかわれるのはタマランかった。
「おいコラ、スッポン」
「なんでカメのくせにカケッコ速いねん、おかしいんちゃうか」
クラスには田中も佐藤も鈴木もいたが、そいつらがホンマにうらやましかった。


ウチから学校までの通学路をそのまま路線にして、1日1往復の電車ごっこが最大の楽しみだった。
始発駅はもちろん「亀山」駅。途中の駅は、よその家の表札が駅名の看板になる。
つまり、山田さんの家の前はそのまま山田駅になるわけだ。
で、駅に到着すると大声で「やまだ〜、やまだ〜」とやるのだが、
それを毎日繰り返していると、とうとう山田のオバハンが中から出てきて、めちゃくちゃ怒られた。



1980s

この頃は西宮市に住んでいた
阪急電車が大好きな小学生時代を過ごした。
学校で遠足なんかに行くと、頼みもせんのに乗っている電車について解説したがるヤツがいるが、
まさしくそのパターンだった。
まわりにウザがられていたのは言うまでもないが、本人はまったくお構いナシ。
当時の車両編成、ダイヤ、線路配線は今でも記憶している。


中学生になったあたりから、自分の中で「音楽」というものを明確に意識するようになる。
学校に「吹奏楽部」というものがあったのだが、(どこにでもあるか)
部員の半数が男。これはわしにとって喜ぶべき事実だった。
音楽っちゅうんは女のするモンやと思い込んでたが、やっと堂々と熱中できる日が来たワケだ。
管楽器には興味を持たず、パーカッションへ直行。バスドラの深く低い響きの虜になる。


ところが、そこは軍隊式教育の現場。年功序列の世界。
1つか2つしか歳の違わん「先輩」と称するヤツらの、そりゃもう横柄なこと!
しかも顧問教師が偏屈ジジイで、やたら説教ばっかりしたがる。
当然、わしは練習にも顔を出さなくなり、自然消滅的にサイナラ〜だ。
オトナになった今でも、あのような音楽のやり方は到底理解できない。


その頃よく聴いていた音楽といえば「アルフィー」だ。
テレビのベストテンとかを見ていたら、聖子ちゃんや田原俊彦なんかにまじって出てたモンやから、
めちゃくちゃインパクトがあった。かなり心酔してたな。
それと、当時はいわゆる「ニューミュージック」全盛期。松任谷由実とEPOが好きだった。
ユーミンの「ノーサイド」というアルバムで聴けるド派手なベース。
あれがわしの「チョッパーベース」との出会いだ。
そのベースプレイの主こそ、あのルイス・ジョンソンだったという事を、かなり後になって知る。


ところで、ウチにはボロボロのクラシックギターがあった。
これまでも漠然と興味はあったのだが、せっかくやから挑戦したろうやんけと思い、
本屋でコードブックを買うてきてポロンポロンやってみた。
「お、なんか気持ちええ音やぞ。」
しかし、ありがちな話ではあるがFのコードが押さえられずに一旦挫折。
そりゃクラシックギターやもんなあ・・ツライわ。
5弦、6弦あたりを使って、低い音を出してベースごっこをして遊んでいた。


阪神が優勝した年、はじめてベースっちゅう楽器を手にした。
父ちゃんに頼み込んで買うてもろた、ヤマハの白いベース。
そりゃ父ちゃんも音楽屋やから、わしがベースやりたいと言えば反対はせんかったやろうけど、
これが後に諸悪の根源になるとは、その時点では想像もしとらんかったやろうな。
でも、ホンマはギターを本格的にやりたかった。
ほなギターにしとけば良かったやないか!と思うのだが、何故か「自分の楽器はベース」という思い込みがあった。
これは今でも不思議だ。華やかなギターに憧れる自分がいるにもかかわらず、
中学生のわしは何の迷いもなく、フロントラインではない「裏方」のベースを選択したのだから。
無意識のうちに低音楽器の魅力にドップリ漬かっていたという事か。
もちろん、この時点では「アンサンブルでのベースの大切さ」など知るはずもない。



中学2年の終わり、イギリスに移住。
父ちゃんがイギリスで仕事を始めよって、コドモのわしは強制連行されたワケである。
けど、友達と離れる寂しさや英語がワカランという不安などよりも、
神戸の中学生のシンボルでもある「ハゲ」(丸刈りのこと)から解放される喜びに沸いた。
イギリスの公立中学校、しかも相当アホな学校に放り込まれ、半年ほどはワケわからんまま過ごしたが、
その分すぐに英語を覚えた。かなり強力なロンドン訛りではあるが。


高校に進んですぐの頃だったか、街の楽器屋で衝撃的な出会いをする。ルイス・ジョンソンのビデオだ。
音もさることながら、全身でベースを弾く姿に圧倒されてしまった。完全ノックアウト状態だ。
そのグルーブの強烈なこと!地味やと思っていたベースっちゅう楽器の概念を根本からひっくり返された。
「よっしゃ、わしも絶対こんなベース弾きになったる!」と決意。
もっとも、ギターも平行して弾いていたけど。(その頃にはFも押さえられるようになっていた)


高校時代は、これまたどういうわけかアメリカンロックに傾倒。
Van Halen, Guns n' Roses, Bon Joviあたりの全盛期だったことも大いに関係あるだろうが、
イギリスの暗い空で聞くアメリカンロックは、底抜けに明るく聞こえた。
もちろん聴くだけではなくて、ギター(ベースではない)も弾きまくった。ソロはどうでもよくて、リズムギターばっかり。
やっぱりグルーブを出すことに気持ち良さを感じていたらしい。
友達にソロを弾かせて、その後ろでリズムギターを弾いて悦に入っていた。


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