国際哲学オリンピック(IPO)


 私は、国際哲学オリンピック(The International Philosophy Olympiad = IPO)というイベントの日本委員を務めています。
 といっても、聞き慣れないと感じる方も多いでしょう。2009年9月24日の読売新聞ではこれに関する記事を「論点」欄に書かせていただき、全国メディアで世に問う機会を得ることにはなりましたが、まだまだ世間一般に認知されるのはこれからのようです。
 けれども、この催しは、日本の哲学、そして教育のありようを考えるうえで、とても大きな意義を持っている、と私は信じています。
 そこで、IPOのことをもっと知っていただくために、こちらのホームページでも取り上げていきたいと思います
 高校生による「数学オリンピック」「情報オリンピック」などはよく知られていますよね。このあたりの「オリンピック」では、最近では日本勢の活躍も目立ちます。その「哲学版」というところです。世界の高校生による、哲学的思索、論述のコンクールなのです。
 1993年、冷戦終焉後間もない東欧ブルガリアに始まり、2010年、ギリシアで開かれた大会で、18回目を迎えました。

 こちらは2009年の開催地のフィンランド・ヘルシンキと、その郊外の様子です。

  

 こちらは2010年のギリシア・アテネ。

  

 実は日本も参加して10年になります。私は2006年、イタリアのコゼンツァ市で開かれた第14回大会のときから、日本委員を務めています。
 日本からの参加者もじょじょに増えており、2007年には日本人初の入賞者が誕生、また2009年にも代表の一人が入賞一歩前の好成績を残すなど、最近ではなかなかの健闘ぶりを見せています。
 「哲学」というと何か難しい学問、普通の人たちには縁遠い深遠な思想のように思う人が多いかもしれません。
 でも本当は、「なぜ私は私であるのか」「本当に確かなものはどこにあるのか」「人と人とが理解しあえるとはどういうことなのか」など、誰にも関わるような人生と世界の根本的な問題を、自分の頭で問い、考え抜く思考の営みだというのが、いってみれば哲学の「本体」というものです。
 そういう問いを特に徹底して考え抜いたのが、プラトンやデカルトなど、「哲学者」と言われる人たちなのです。だから、人が自分で考えてみようと思ったとき、手引きになってくれるのです。
 けれども、
「哲学すること」そのものは哲学者たちだけのものではなく、誰にも開かれているものであって、誰にとっても「自分の問題」にほかなりません
 日本の高校生でも、誰だって一度や二度、そういった問いを抱いたことはあるでしょう。けれども日本の学校では「哲学」が取り上げられることはまだまだまれですから、そんな問いを深め、考え抜いていくという機会はなかなかないというのも、実情だと思います。
 IPOは、そんな根本的な問いを追求してみたいという若者たちのために、一つの場を提供できると思います。
 実際、IPOに参加するという機会を得てみると、特に哲学に対する予備知識が深いわけでもないのに、驚くほど独自で、深い思索を見せてくれる高校生も少なくないものです。
 それだけに、「
なぜ自分が存在するのか」「人間とはいったいどういうものなのか」といった問いに少しでも関心を寄せたことがあるティーンエイジャーの人たちには、こういう場があることをぜひ知ってほしい、と思っています。
 そしてまた、学校での哲学教育に関心を寄せる方々もまた、です。
 最近では、東京都杉並区の「特区」で哲学教育の実践に関わっておられる方々や、高校の「倫理」科目の教育に取り組んでおられる先生方とも接点を求めて、このIPOの普及に取り組んでいるところです。
 2010年10月に開かれた日本倫理学会では、ワークショップ「初等・中等教育 に対する倫理学の貢献可能性」にて、IPOのことを報告しました。
 今後こちらのページでは、このIPOに触れたさまざまな話題も、取り上げていきたいと思います。
 
 IPOに触れた新聞記事はこちらから
 IPO今年度の日本国内予選の要項はこちらにNEW!
 IPO前年度の日本国内予選の全体講評はこちらに 

IPOに関して興味を持たれた方は、

ayashi*za2.so-net.ne.jp

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