2010・4・20 活動報告ならびに会計報告
南インドの友人ファイヤーズさん、ムレリさん日本招待の募金カンパに
協力下さったみなさま、そしてMTKを支えてくださったみなさまへ
みなさん、ご協力本当にありがとうございました。おかげさまで、40人の方々から目標額をこえる605,000円のカンパが寄せられました。感謝を申し上げます。
3月19日の夜に来日した二人は、春は名のみの風の寒さ時には雪)のなかでしたが、元気いっぱい日本の各地を飛び回り、たくさんの人たちと交流を重ね、多くのツアー参加者と対面し、30日のお昼の飛行機で南インドへ戻って行かれました。今頃はまた、ゴダワリ河周辺のアディワシー(先住民族)の村々を歩き回っていることと思います。
以下にお二人の日本での滞在記(活動報告)と会計報告を送らせていただき、カンパへのお礼とさせていただきます。また、私たちMTK(インド森の民の暮らしとつながる会)は、これをもちまして11年間の活動の幕を閉じることになりました。長い間ありがとうございました。(なお、今回のカンパは1999年〜2008年のGBAG地域へのツアー参加者にのみ呼びかけさせていただいたものです。)
活動報告
3月19日(金)
夜7時半、二人は機中での長時間禁煙と日本の寒さに顔をしかめながら、マレーシ航空で成田に到着。出迎えは高橋(和枝)さんと楠原。その夜は横浜の楠原宅に投宿。ムスリムのファイヤーズさんは白いご飯と持参のインドピクルスとスパイスだけの食事。
3月20日(土)
季節はずれの寒さと強風で外出は防寒具を買うだけで精一杯。楠原宅で長旅の静養。ムレリさんは牛肉以外はOKだが、ファイヤーズさんの食事には頭を悩ます。
3月21日(日)
晴れた一日。活動開始。早朝、レセプションを兼ねたカレーパーティ会場の川崎市溝ノ口の高津市民館料理室に向かう。二人が指導する南インドのカリーとバングラデッシュ・チッタゴン丘陵の先住民族ソナラム・チャクマ夫妻の作るジュマ料理の饗宴。幼児・中学生もあわせて47人が参加。午後花束贈呈の後、ファイヤーズさん、ムレリさん、ソナラムさんのスピーチ。長江さんのスピリチュアルなスピーチと歌もあった。亀山さんが通訳。全体の準備・調整は近所に住む池田さん、沢田さん、西村さん、ワンボさんたちが担う。二次会を近くの飲み屋で開く。ムレリさんは日本酒、ファイヤーズさんはキリン一番絞り。その日の宿は宮前区宮崎台の池田さん宅。
3月22日(月)
早朝、新横浜から新幹線で広島へ。同行は池田さん、ワンボさん、高橋さん。広島は東京より寒く凍える。原爆ドームの前で被爆二世(胎内被爆)の方の話を聞く。平和記念資料館で二人は息を飲む。以前訪問したことのある池田さんたちは展示物の衝撃が意図的にやわらげられていることに気づく。平和公園内の川添のカフェで休憩。夜はインド料理店で食事。宿泊は広島駅ちかくのホテル。
3月23日(火)
大阪へ。終日冷たい雨。部落解放・人権研究所の栗本さん(彼女もインドッアー参加者)の案内で「浪速人権文化センター」へ。同センターは橋下知事らの意向で本日閉鎖の予定だった。そこで映像などを見ながら太田恭治さんから部落問題についての話を英語で聞く。インドのカーストとの違いについての話も聞く。東京から松浦さん、京都から綱島さんも参加。昼食は被差別部落の人たちがよく食べたという「油かす」をいただく。ムスリムとヒンドゥーの二人は持参のピクルスに白米のご飯。
午後は釜ヶ崎に住む水野阿修羅さん(DVする男性のケア)の案内で愛燐地区を歩く。住民の高齢化が目立つ。NGOの活動やシェルターなどを見学。遊郭がひしめく飛田新地で衝撃的な光景に出会い一同絶句。二人は日本の別の一面にショックを受ける。夜、阿修羅さんを囲み懇親会。その日の宿は松浦さんが取ってくれた京都の古民家風旅館。
3月24日(水)
京都も冷たい雨が降り続く。高校時代にツアーに参加しゴダワリ河で遭難しかけた黒河内さんの案内で金閣寺、竜安寺、東寺をみて横浜へ。楠原宅に投宿。
3月25日(木)
小雨。午後から阿部(中澤)さんの働く大森の「こども交流センター」を訪問し子どもたちと交流。都市のコミュニティ崩壊によって投げ出される子どもらの居場所の再建から、コミュニティ全体の再建を試みようとする地域の人たちの実践に触れる。夜は阿部さんの連れ合いの一将さんの飲み屋「とり一(いち)」で絶品の焼き鳥と美酒に酔う。大井町駅前のホテルに投宿。楠原が同宿。インドの文化にはみられないホテル内の共同浴場まで行ったものの、二人はホウホウのテイで逃げ帰る。
3月26日(金)
今日も冷たい雨。上野から特急「スパーひたち」で水戸へ。迎えに出てくれた秋山(紅葉)さんの車で、まず栃木県那珂川町の山間にたたずむ「人と自然を考える交流館ロサ・ムンディ」という不思議な里空間へ。美味しい自然食をいただきながら館の経営者の一人山田英津子さんの話を英語で聞く。まさに栃木の「里」から世界を見つめているような人だった。DV被害女性のシェルターにもかかわっている人。ファイヤーズさんは「日本にもDVがあるのか」と驚く。次に秋山さんの職場である茨城県大子町の、これまた豊か自然に囲まれた「アミーゴ荘」へ。ここは心に障害をもつ人々がスタッフと一緒にたくさんの牛や鶏を飼育しながら、「地域から支えられる存在」から「地域を支える存在」に生まれ変わるところだという。その小さな子コミュニティで住民たちから二人は暖かい歓迎を受ける。
秋山さんは近くの名瀑「袋田の滝」にまで連れて行ってくれた。氷雨は雪に変わる。生まれてはじめての雪と二人ははしゃぐ。帰京し院友会館に投宿。宮崎から来た藍沢さんが楠原に代わって同宿。
3月27日(土)
21日以来の晴天。明るい日差し。今回の最大行事「アジアの先住民族は、いま」が新装なった国学院大の常磐松ホールで午後2時から始る。ツアービデオ「先住民族からの学び」(Atulさん製作)上映後、ファイヤーズさん、ムレリさんは「ポラヴァラム・ダムとインド先住民族」についてパワーポイントを使って講演(通訳は楠原と亀山さん)。
AP州テランガナ地方の「AP州からの分離独立運動が反ダム闘争の重要なファクターになろうとしている。この運動に全力で取り組みたい」というファイヤーズさんの見解に、会場のインド人から「反ダム運動に重要なことはわかるが、今、様々な州で起こっている分離独立運動はインドの将来、子どもらの未来を暗くはしないか」という反論。ファイヤーズはAP州に組み込まれたことによってテランガナ地方(ポラヴァラム・ダムに沈む村々が最も多い地域)が、豊かなAP州海岸都市・農村地帯にいかに抑圧・支配されてきたかを語った。
次いで、関東在住のアイヌ・北原きよ子さん(元関東ウタリ会会長)から祖先の樺太アイヌと北海道アイヌの違い、アイヌ文化振興法成立後のアイヌ運動の動向が語られた。ご自分で作られた樺太アイヌの民族衣装でトンコリを三曲演奏してくださった。
最後に、在日ジュマ民族のソナラムさんが最近の故郷チッタゴン丘陵の緊迫した状況(バングラデッシュ軍とベンガル人入植者による先住民族ジュマへの相次ぐ弾圧)と、派遣切にあい半年間も無職状態がつづく日本での暮らしの大変さについて語ってくれた。最近ようやく仕事が見つかったという。ベンガル語の通訳は山本ゆみさん。入場者は50人をこえ、充実した内容の深い国際的な会議になって、一同ホッとする。
夜、隣の大学のカフェでの懇親会も25人近い参加者があり、そのまわりを子どもらが飛び回り、にぎやかな会になった。ムレリさん、呉さん、ナンシーさん、岩手の就職先に飛び立つ直前の箱崎さん、鮎川さん、竹村さん、また学生に戻った若松さん、インド人のピーターさんとその連れ合いの大島(純)さん、国学院の菅井先生、里見先生、池田さん、高橋さんがスピーチ。鮎川さんの三本締めでお開きとなった。その夜、呉さん、ナンシーさん、池田さん、亀山さん、鮎川さん、鈴木(光子)さん、藍沢さんといった古くからのMTKのメンバーが渋谷のネパール料理店で二人を囲み会食。今後のMTKとGBAGの関係のありようについて歓談しあった。院友会館に投宿。呉さん、ナンシーさん、藍沢さんが同宿。宿でも遅くまで財政支援について語り合う。
3月28日(日)
晴、されど寒い日。朝9時、江花さん、丸山さんの運転するレンタカー二台でダム問題で揺れる群馬県の八ツ場に向かう。案内役は「だいもん印刷」の荻沼勇市さん。ダム本体の工事はまだ始っていなかったが、代替地、橋梁、道路、移動する駅舎等の工事は山を崩してどんどん進行していた。このあたりは、ポラヴァラム・ダムの進行具合によく似ている。谷あいの両側の山を崩して造成中の代替地(移住先)、ダム本体の建設予定地、政府の広報館「八ツ場館」、ダム反対の牛乳屋さん…などを荻沼さんの案内で見て回る。途中雪になる。夜はムササビのやってくる老舗の「山木館」(この宿も移るという)に泊まる。家族風呂で二人は初めて日本の温泉につかる。
翌朝は一面の雪。山の中腹を削りとって造成された代替居住地に移され一箇所につめ込まれた墓石の群れ、お地蔵さんの姿に心を痛める。二人は八ッ場ダムの移住者に支払われるR&R(生活再建補償)の額を聞いて、涙金のようなインドのポラヴァラム・ダムの住民補償の非人間的な扱いについて語っていた。墓地の補償について、「日本は死んだ人への補償もするのか」と驚く。この旅の同行者は、高橋さん、丸山さん、松浦さん、秋山(千草)さん、神本さん、江花さん、渡部さん、佐藤(友里)さん(日帰り)、西村さん、荻沼さん、楠原。
3月29日(月)
ようやく快晴、だが寒い。帰路、新宿で松浦さん、高橋さんの案内で、「ヨドバシカメラ」で若干買い物をして、院友会館へ。サヨナラパラーには、増田さん、松浦さん、丸山さん、西村さん、池田さん、ワンボさん、高橋さん、岡部さん、映朗さん、山田(恵)さん、中村(有希)さん、若松さん、秋山(千草)さん、鈴木光子さんの14人の若者がたちが駆けつける。西村(さつき)さんの本格的ベリーダンスで盛り上がる。ファイヤーズさん、ムレリさんも踊りだす。池田さんGBAGのブログ開設の重要性を二人に語る。院友会館「さくら」の間には、夜更けまで歌や踊りがつづいた。高橋さんが同宿。
3月30日(火)
晴、今日も風は冷たい。半分ほど咲いた桜もふるえている。江花さんの運転する車で楠原が成田国際空港まで送る。車中、旅の感想やこれからのGBAG−MTKの関係のあり方などについて、ポツリポツリと語り合う。今回の招待旅行と交流の成功を確かめ合う。だが、二人にとっては、今後のMTKや日本からの財政的支援の約束を得られなかったことへの失望は隠せないようだったが、これは双方の大きな課題として残された。
(本稿はMTKの4/17拡大運営委員会の話し合いの後、楠原がまとめた)
MTKの今後について
その後の4月17日(土)、MTKは拡大運営委員会を開いて、1999年以来、現地のGBAG(ゴダワリ河下流域アクション・グループ)に対して、10年間継続するという約束で財政支援と交流(スタディツアー)を続けてきたMTKは、約束は守ることができたものの、その後の継続が諸般の事情で困難になってきた今、二人の代表招待の成功を最後に、11年間の活動に幕を閉じることを決めた。この決定については、昨年4月以来双方でメールや手紙で、昨年9月には現地で話し合いを続けてきたものである。
今後の関係は、新しいグループの新しい人たちの意志と力にゆだねられることとなった。また、当面個人としてGBAGとかかわり続けようとする人たちも現れている。
MTKの4・17拡大運営委員会会議の参加者は、池田悦子・秋山紅葉・楠原彰・高橋和枝・鈴木光子・増田裕子・西村さつき・神本麻里絵・若松勇輔の9人だった。今後の双方の関係については宮崎からの藍沢紗百合のメールによる提案をうけて話し合った。
今回の招待募金カンパの会計報告は次のとおりです。
次の40人の方々から605,000円のカンパが寄せられました。心より感謝申し上げます。若干支出超過となりましたが、これはMTKメンバー有志のカンパで補いましたのでご安心ください。(*郵送させていただいた一人ひとりの寄付者への報告書には全員の氏名を掲載しました。)
ファイヤーズさん・ムレリさん日本滞在中の会計報告
収入
カンパ 605,000円 40人
その他 12,848円 カレーパーティ収入
合計 617,848円
支出
航空券(2人) 180,000円 マレーシア航空
交通費 134,890円 国内移動
レンタカー(2台) 19,864円 八ッ場ダムへ(参加者4.5万円負担)
高速・ガソリン代 22,928円 (八ッ場・成田往復)
宿泊費 107,132円 広島・京都・群馬・東京・院友会館
寄付 100,000円 二人へのカンパ
雑費 117,794円 食費・国際電話等
合計 682、608円
*64,760円の支出超過
さよなら MTK―それぞれの思い
秋山紅葉
結局、彼らに会うと自分の問題に向き合うことになる。今回の旅で、私の選んだ仕事を見てもらうためには、今ここで何ができているのか、何が問題で何処へ向かうのかなど、自分を見つめ直す作業が必要だった。
そしていざ、彼らと再会し、私はなんて“途中の生き方”をしているのだろうと感じた。きっと今も彼らは命をかけて活動しているんだろうと思ったら、なんだか悔しくなってくる。
いつか彼らに、心の病やそれに伴う社会的問題について、彼らがアディワシーの問題を訴えるのと同じくらい魂をかけて訴え、取り組んでいられるようになりたい。彼らが受け止めてくれた弱い部分も強い部分も全てひっくるめた私のままで。ありがとう、ファイヤーズ、ムレリ!
西村さつき
ファイヤーズさんとムレリさんにインドで出会ってから10年後、まさか日本で二人に会えるとは思っていませんでした。私がインドで衝撃を受けたように、彼らにとって日本での旅が衝撃的であればと願います。このような出会いの場を作ってくれたMTKの皆さんに心から感謝します。そしてお疲れ様でした。
若松勇輔
日常に埋没し、水平暴力へと向かおうとする僕を、いつも励まし、他者・世界へと導いてくれたのは、森の民やMTKの人たちでした。これからもよろしくお願いします。
竹内かおり
MTKの終幕のお知らせ、しっかりと受け止めさせていただきます。…ほんの数年でもみなさんと、そしてGBAGの人々とかかわることができたのは、本当に幸せでした。あの時間と空間がなければ、現在の私のたち位置はかなり違ったものになっていたでしょう。いつの日か、またAP州のゴダワリ河へ行くチャンスがることを心に願い、そしてMTKの皆さんともまたお目にかかれることを願いつつ、私のMTKへのメッセージとしたいと思います。
神本麻里絵
「ここで一度、区切りをつけたい。」部屋に響く声。しんとなった。
頷く者、寂しげな目をした者、事の成り行きを見届ける者の中、古参のメンバー達は、目を伏せた。遠くインドへの思いを馳せているのだろう。10年、いや11年。長かった。男の手には皺が刻まれ、女の手には新たな命が抱かれていた。仕事が増え、時間が減り、責任が生じ、生活があった。11年。歳月は変化をもたらす。
いつの間にか大学の一室に、極彩色のインドの風が吹いていた。あの日、初めてインドのGBAGとアディワシーに出会ったあの日が、誰にでもあった。だからここにいる。それぞれのインド。聖域だった。
よく覚えている。優しい風。力強い大地。緑とサリー色が映える、大きなゴダワリ河。子供達がプレゼントしてくれた、オレンジの花の首飾り。2年目、私もそんなインドと出会い、地に足をつけて生きることを学んだ。あのとき現実から逃げるようにして行ったインドは、今も私の人生を導いている気がする。
終わりは始まり、始まりは終わりという。11年の幕が閉じられても、既に何かが始まっている。これは第一歩なのだ。私はその瞬間に立ち会うことが出来て、本当に良かったと思う。最後に、MTKの皆さん、インド・GBAG、全ての方々に、感謝と礼を申し上げます。ありがとうございました。
藍沢紗百合
MTKを通じて得られたかけがえのない出会いや経験は私の元気の源泉となっています。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
池田悦子みなさんのご協力により、来日イベントとしては内容の濃いプログラムを実施することができました。ご協力頂いた全ての方に深く感謝いたします。前身の活動も含めると、13年余に渡る活動に幕を下ろすことになりましたが、MTKの活動を通し、みなさんと共有できたものは、とても大きかったです。ありがとうございました。
楠原彰
旗揚げもせず、いつのまにか始まり、そして静かに幕を閉じたMTKの11年間でした。のべ150人近い人たちがゴダワリ河流域のアディワシー(インド先住民族・森の民)の暮らしと向き合う旅に参加されました。そして今、それぞれの方々が、日本や世界各地のそれぞれの現場で、あのアディワシーの身ごなしやゴダワリ河の水の感触やGBAGの人たちの眼差し…などを思い起こしながら、自分と自分たちの人生を歩き始めております。
ファイヤーズさん(くまさん)とムレリさん(マリオ)は、それをしっかりと見届けてインドへ戻りました。マーゴット・マーゴット、ポラヴァラム・マーゴット!(ポラヴァラム・ダムなんて、いらないんだ!)…アディワシーと一緒に叫ぶかれらの声が聞こえます。母なる大河・ゴダワリ河の流域や森で、また、会いましょう。
ダンニャーワダム
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