個展「普段着の神々」を終えて


 平成20年7月28日午前11時。銀座4丁目交差点すぐ側の大黒屋前に、息子の友達二人待つ。今日は、彼らの友達の親父の贅沢な時間の演出の手伝い。勿論飯付きバイト料が狙いだが、それでも、現れた友達の親父におべんちゃらを言い、赤帽の軽トラックが来ると体育会系の身体に似合わないほど優しく、慎重に狭いエレベーターに荷物を運び込む。荷物はこれから陽の目を見る木彫り達--------------。
 平成14年暮、心筋梗塞の養生でいつもより長逗留していた富士にある小さな別荘で、暇に飽かせて小指ほどの小枝に彫った小さな顔。面白くて彫り進めるうちに、いつしか100を超え、平成18年11月には日本歯科大学創立100周年記念美術展に恐る恐る出展。そこで全日本歯科美術連盟のDAAJ展へ出したらどうかと誘われ、平成19年7月王子の北トピアで開催された第26回DAAJ展に出展。その頃になると悪友達の「個展でもやれば〜」にそそのかされ、女房と個展巡りと合わせて会場探しに奔走。とりあえず最初は来ていただくのに、分かりやすい場所を第1に考え、大枚をはたいて大黒屋を選ぶ。それからは個展に向けての作品作りに時間を費やす。なかなかこれはと言う作品ができず、時間ばかりが過ぎる。
 年が変わり平成20年。大物を作るため木組みをする。私の作品の殆どは富士に落ちている倒木や枯枝だが、これだと大きさに限界があるため、大物は寄木をする。この大物はOp.144となり5月17日完成。(Op.とは主に音楽で用いられる作品番号の事で、私の作品はこの通し番号と製作年月日で表示し、特にタイトルは付けない。私の作品は、私自身の思うことを見せるのではなく、観る者が作品からそれぞれに思いを馳せれば良いと思っているからである)自分なりに良い出来だったので、池袋の東京芸術劇場で開催された第27回DAAJ展に出展。この頃、そろそろ案内状を作るべく、広告代理店をやっているいとこ夫婦に頼んでいたところ、彼らの知人のプロ写真家(「ふるさとの肖像」という写真集を出している作家)が女房の選んだ木彫をえらく気に入り、是非撮らせて欲しいとの事で、1枚の案内状の写真の為に、彼は自分のスタジオで2時間半のボランティア。お陰で素晴らしい案内状、ポスターに恵まれる事になった。
 個展前1ヶ月。段ボールで個展会場の模型を作り、それをもとに作品の選定作業に入る。(選定は家族やら、悪友やらが集まり、ワイワイがやがや。私の意見は殆ど却下)ギャラリーは約27坪、壁面約13坪、壁面長38m、ゆっくり見てもらうには壁面に27体、床置で3体、合計30体と決めた。それでも2つ3つ多かったかな〜と、今頃反省。(小さいものは40体弱を羅漢達として一カ所に展示)
 さて、30体の選定が終わってからが大変。なんせ大きさがバラバラの上、額がないから、しまりがない。そこで小さいものはキャンパスに載せ、中位のものは、木製のパネルに、特別なものは、アクリルやら、コンパネやら何やらに、そして大きいものはそのまま展示する事にし、目を基準に高さを合わせるが、この作業の地味で根気のいること..。作品の調整やら、雑具(芳名帳やら、麦茶用のポットやら)をいろいろ買いそろえ、何とか搬入数日前を迎える。あとやる事は、この個展を裏でしっかりプロデュースしてくれた同業者で自らギャラリーを持つ小島氏の一言の具体化。「単なるお披露目の個展だったらやらん方がいい。続けてやる気なら、きちんと値段をつけた個展でなければ来る人にかえって失礼だ」という一言でした。こんな素人作品に値札?かえって失礼!きっと馬鹿にされる等々。思い悩みましたが、えっいままよ、てことで無茶を顧みず勝手に値段を付け、沢山コピー。恐ろしいやら、恥ずかしいやら。
 以上がこの個展までの顛末で、大黒屋前の軽トラックから降ろされた木彫達は--------------。
 午前11時から始まった搬入と飾り付け。一時も休まず私と息子の友達は力仕事、展示に関しては女房にお任せ。「奥さん美大でも出ているの?」と、後で聞かれたほどお上手。最後にライティングを小島氏に直され、終わったのは午後7時過ぎ。女房と有楽町のガード下で酎ハイともつ焼きでお疲れさん。このあと毎日、終了後のガード下やらニュー東京での飲み会の楽しかった事。
 会期中のことは実はよく覚えておりません。山崎区長、高橋教育長が来られたときはさすがにビックリしましたが、いつ来られて、どんな話をしたのか会期中、日記でもつけておけば良かったと今悔やんでおります。
 通りすがりの人、いつまでもいた見ず知らずの人、見た人に面白い個展やってるよと言われてきた人、プロの作家、蒐集家等、そしてそれらの人たちとの熱い会話の1週間が、頭の中で今でも渦巻いています。
 会期は7月の29日から8月の3日の6日間。実は8月3日は、私の60回目の誕生日。これは偶然でしたが、50代の最後を個展という素晴らしい時の流れの中で過ごす事ができ、最終日が新たな代に入るという、何とも恵まれた1週間を過ごす事ができました。
 会期中は立っているのもやっとなくらい疲れましたが、癖になりそうな、凄い快感で、9月には富士の別荘の庭で青空個展をやったくらいです。現在評判の良かった小さな羅漢達を毎日少しづつ彫り出しています。(Googleで「普段着の神々」を検索して下さい。個展以降の木彫をブログでアップしています)500体になったら、羅漢の個展をやりたいと思っています。
 最後に、家族、友人、来会された全ての方々、来会できなかったけど励まして下さった方々に感謝を込めて、またの機会の「普段着の神々」に期待していただくと同時に、個展をやるに際して入り口に掲げた挨拶文で終わります。ありがとうございました。
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      普段着の神々

  父が53で逝き、その53という同い年に、大病を患い、川を渡りかけました。
  父に呼ばれたものと思いました。
  どうにか娑婆に戻って、ある日木っ端から顔を彫り出しました。
  錆びたノミを研ぎ、子供達の彫刻刀で、血だらけになりながら小枝から大きな木々へ。
  以来朽ちたそれらは私を彫れと上目を使い、神の形で夢にも出ます。
  今分かりました。やり残しのある私は、川の手前で父に戻されたのです。
   やり残しは神々を彫り出すこと

    神々は父で母で、妻や子で、先祖で未来
       山々で、生あるもので、川や風や時の流れ、光と影
         恋し、泪し、笑い、酔い、人に喜ぶ
             どこにでもある風景
                 どこにでもいる神々.....