「生き直しの学校」と「大池中学校PTAおやじバンド」

大阪市立大池中学校PTAおやじバンド代表
大池中学校教員 古川 正博

「生き直しの学校」との出会い

前任校に勤めていた2002年春先のこと。早めに仕事を切り上げた仕事帰りの電車の中で、私はたまたまイヤホーンでラジオを聞いていた。番組ではゲスト出演者が、タイ・バンコクのスラムの様子と、そこでの生活や教育の改善に取り組んでいるプラティープさんの活動や子どもたちの「生き直しの学校」について熱心に話をしていた。特に「生き直しの学校」は、貧困、犯罪、暴力、麻薬、虐待、レイプなど困難な条件のもとで生きるスラムの子どもたちと正面から向き合い、その立ち直りと生き直しを求めて、すでに30年近くも取り組まれているという。心引かれるものがあった。

自らもスラムで生まれ育ったプラコーン(現ミンポン)さん・プラティープさん姉妹が14歳のころに、学校に行けない子どもたちの識字教室として家の軒先で始めた「1日1バーツ学校」から始まったものだという。大阪市内の中学校で、被差別部落や在日コリアンの子どもたち、障がいを持つ子どもたちをはじめ、暮らしに課題を抱えて道に迷っている子ども、「非行」をくり返してしまう子どもと向き合い、30年近くも教員として働いてきた私にとって、とても印象的な内容だった。ゲストは20年近くにわたって「生き直しの学校」を学生を連れて訪ねるスタディ&ワークツァーを行っているという。このゲストが荒巻裕・近畿大学文芸学部教授(現副学長)だった。早速私はラジオ局に問い合わせ荒巻 先生に連絡を取ってこのスタディ&ワークツァーへの参加を申し込み、仲間の教員と一緒に初めて参加したのは2002年8月のことだった。

その後も夏休みを利用して可能な限りこのスタディ&ワークツァーに加わり、これまでに6回、「生き直しの学校」を訪問。財団の活動の財政的な自立をめざして取り組まれているアブラヤシ植林活動支援に参加して、子どもたちと一緒に田植えを行ったり、バナナ、ランブータンやマンゴスチンなどを植えてきた。今では油ヤシも大きく育ち、植えた果物もたわわに実を付けてきた。

「大池中学校PTAおやじバンド」のこと

2003年4月、私は生野区大池中学校に転勤することになった。これまで勤めてきた2つの中学校はいずれも同和地区を校区に持ち、そこで部落差別のさまざまな実態と現実に直面してきた。暴力と「非行」、シンナーなどと「荒れて」いる時期もあった。また部落の親たちが「差別のない社会を作りたい」と願って取り組んでいる部落解放運動と出会い、差別からくる貧困やきびしい労働のために学校に行くことができなかった親たちが抱く教育への思い・願いを知ることになった。差別と貧困から来る「不登校」を、「親が悪い」「本人にやる気がない」などととらえて放置してきたそれまでの教育に対し、差別に気付き「今日もあの子が机にいない」と部落に通いはじめ、「差別の現実から深く学び、未来を保障する教育を創造しよう」のスローガンを掲げて同和教育に取り組み始めた先輩教員たちに教えられ叱られながら、子どもたちと向き合ってきた。

3校目の大池中学校は、同和地区を校区に持たない学校だった。区民の4人に1人が在日コリアンという生野区にある大池中学校にも多くの在日コリアンの子どもたちが在籍し、日本国籍を持っていても韓国・朝鮮にルーツを持つという生徒を合わせると、全校生徒の8割近くにものぼる。その背景には戦争と植民地支配という日韓の現代史、在日コリアンにとっての差別と貧困の歴史があり、日本人社会と在日コリアン・コミュニティとの間にはまだ大きな壁があった。大池中学校もかつて大きく「荒れた」時代があったという。今子どもたちは、学習にクラブ活動に頑張り、校区のコリアタウンを中心とした「多文化共生」の取り組みも少しずつ進展してきている。

この大池中に転勤して来て2年目の春、04年度PTA会長選出をめぐって、在日コリアンの父が「誰もなり手がいないのなら」と立候補すると、一部の人々が「前例がない」として受け入れないという事態が起こった。結局前任の日本人会長が留任、立候補した在日コリアンの父は副会長と決着したのは2学期も半ば、10月中頃のことだった。このことが一部の日本人保護者と在日コリアン保護者の間にわだかまりを残すことになる。そこで次の年には、PTA実行委員の日本人と在日コリアンの親父たちが会議や夜間巡視の後などに酒を酌み交わすことをくり返すうちに、「日本人と在日コリアンの子どもたちが一緒に学び活動しているのだから、保護者も一緒に頑張ろうや」「頑張っている子どもたちを、俺たち親父が何か応援できないだろうか」と盛り上がっていった。そして「バンドでもやるか?」と私が冗談で提案したことから、わだかまりの当事者だった04年度PTAの日本人会長、在日コリアンの副会長も含めて日本人のおやじと在日コリアンのおやじ、校長、教頭、生徒指導主事(私)の計8名で誕生したのが「大池中学校PTAおやじバンド」。04年10月のことだった。現在は3名のおやじが新たに加わり11名で構成している。

以来、老人会などの花見、敬老会、区役所行事、コリアタウン共生祭りなど地元の行事を中心に演奏活動を行い、大阪市内のPTA関係や人権教育関係の組織・機関などでのライブ&トークも行うようになった。さらに全国人権・同和教育研究大会(愛媛県松山市)をはじめ奈良県、兵庫県、京都府、三重県、岐阜県などからも依頼があるようになり、結成4年間で計80回に及ぶライブ&トークを行ってきた。

この間おやじ達はさまざまな議論を行い、これまでの人生のこと、仕事の悩みや家族のこと、子育ての悩みなどもたくさん話し合った。また在日コリアンのおやじは思いを語り、日本人の側からは在日への質問や疑問、意見もぶつけ合ってきた。さらに被差別部落の文化行事での演奏のあと、部落に嫁いだ女性が直面した結婚差別の生々しい経験を聞き、部落差別への認識を深めるという学習機会も持てた。そして06年4月、バンドメンバーのおやじの一人が、在日コリアンとして初めてPTA会長に選出され、メンバーみんなで喜び合った。

こうした活動の中で私は、おやじたちにタイの「生き直しの学校」のことをいろいろと話し、写真や資料も紹介してきた。みんな関心を持って聞いてくれ、「俺たちも『生き直しの学校』を訪ねてみたいなあ」という声も生まれている。

2010年は、日本による韓国併合から100周年にあたる年。日韓の真の和解と連帯をめざして、さらに人口が減少し労働力を外国人に頼らざるを得なくなる少子高齢社会で、多くの外国人労働者の渡日が予想されることから、そこで生じるであろう摩擦に対して、「生野区では日本人と在日コリアンがこうやって解決してきた」というモデルケースを作っていくことを願って、2010年の活動への夢を語り合ってきた。

ミンポン先生と「大池中PTAおやじバンド」の出会い

09年8月、私は2年ぶりに「生き直しの学校」を訪問した。子どもたちもスタッフも、私のことを覚えていてくれていて大歓迎を受けた。何よりもうれしかったのは、かつて植え続けたアブラヤシが大きな実をつけていたこと。これが「生き直しの学校」の自主運営の基盤となるのだ。私たちはスタッフと一緒に油ヤシの実を採取し、20年以上も酷使してガタガタになったトラックに積んで採油工場に運んだ。一つが20〜30Kgはあろうかと思えるアブラヤシの実を畑から道路まで手で運び、古い小さなトラックに積み込む作業は、大変な重労働である。こうしたことから、荒巻先生と「帰国したらダンプカー形式のトラックを贈るためのキャンペーンを行おう」という計画を立てたのだった。もちろん帰国後、バンドのおやじたちにこの話をして協力を依頼した。

そのトラック・キャンペーンの第一弾として、「『生き直しの学校』を支援する会」の仲間と旅費などを出し合い、ミンポン先生を日本に招待することになった。09年10月末、ミンポン先生とプラティープ財団国際部の中川紀子さんが来日。私たち「大池中学校PTAおやじバンド」が出演した大阪府のイベント「アクティブ・シニア」(大阪府庁別館)でのライブにミンポン先生らを招いて演奏を聴いてもらい、そこでバンドのおやじ達は初めてミンポン先生と対面した。終了後は、おやじたちが練習の後で集う学校近くのお好み焼き屋にミンポン先生を招き、バンドメンバーや「支援する会」の仲間と懇親会を行った。そして、バンドの活動で交通費や食事代などとしていただいたお金を積み立てていたものを、わずかではあるが「生き直しの学校」の支援とトラック購入のために、ミンポン先生に手渡した。ミンポン先生はたいへん喜んでくれた。私たちもほんとうにうれしかった。「俺たちおやじも、国境を越えて誰かのために役に立てる」

そんな喜びを感じたひとときとなった。

なおミンポン先生はその夜、バンドメンバーの家に一泊し、翌日はコリアタウンを視察して回った。ミンポン先生は、在日コリアンの歴史を一生懸命聞き入っていた。また次の日は、あらかじめ希望されていた日雇い労働者の街「釜が崎」と「被差別部落」を訪ねて視察するというのも、ミンポン先生らしい問題意識だった。

バンドのおやじ達が、このキャンペーンのことを生野区で友人・知人に伝えたことから、大池中学校の生徒、保護者、祖父母や区PTA協議会の元会長などからの寄付があったりと、小さな力ではあるが、「生き直しの学校」のことが少しずつ人々に広がっていることを実感している。市内で人権教育に取り組む教師たちの寄付も出てきた。

いつか「大池中PTAおやじバンド」で「生き直しの学校」を訪ねたい

いつか『生き直しの学校』を訪ねてみたい」。バンドのおやじ達のこんな思いは、ますます高まってきた。でも現実には、深刻な不況のもとでそれぞれの就く仕事はきびしい現状が続いている。メンバーの一人は長年勤めていた会社が昨年倒産し、苦しい状況が続いている。どのおやじにとっても人ごとではない、似たり寄ったりの状況だ。それでも今夏8月末のスタディ&ワークツァー終盤の土日を利用して「生き直しの学校」を訪ねてみようという夢を抱いている。できることなら、多くの人々の小さな支援の積み重ねであるトラックと楽器を携えて…。「行けないかもわからんが、期限が切れていたパスポートを、とりあえず韓国領事館に行って作ってきた」。こんなおやじ達の思いが実現することを願いながら、トラック・キャンペーンの進展に向けて取り組んでいる。