これは私の昔の思い出話。













あの頃わたしは寄宿舎に入っていて、冬と夏の長期休み以外は実家には帰省しなかった。あの方に初めて会ったのは寄宿舎に入って二度目の冬の休暇だった。灰色の空の下に侘しく佇む東部の田舎駅に、雨が降りそうなその天気を心配してご丁寧に傘を持って現れたことを覚えている。家にあった傘を適当に持っていたのだろうと思えた。父は家のことには無頓着で、週に三回、私が手配した家政婦さんが掃除をしに来ることさえ失念してしまうくらいだった。だから何処に何が仕舞ってあるのか、父に分かる筈も無い。自分の研究に不可欠なものだけ、それだけが父の世界に必要なもので、それ以外のものは所在が分からなくとも無くなっていようとも、どうでもよかった。それが、実の娘でも。


私の父は錬金術師だった。

それも名は中央では知らない者がいないと言われるほど腕の立つ術師だったという。これは、父の研究室兼自宅に通っていたあの人が教えてくれたことだった。それほど有名ならば、なぜ父はこんな東部の片田舎に越してしまったのだろうか。それは私にも分からないし、実際のところどうでも良いことだった。
今となっては、その理由を聞いておけば良かったと少し後悔している。墓石の前で幾ら問い掛けても返事は来ないのだから、やはり生前に聞いておくべき事柄のひとつだった。
それだけではなく、本当に、私はもっと父と話をするべきだったのだ。私は実の父親を思い出すときに、いつも他の誰かの話を織り交ぜて思い出さなければならない。
自分の父親像が他人の話から形成されるなんて、普通の家庭で育った人から見れば滑稽だろうと思う。事実、滑稽だったのだ、私と父は。掛け間違えてしまった釦のように。

私の父は魔法使いだった。

幼い頃の私はかなり本気でそれを信じていた。錬金術というものがよく分かっていなかったので(けれど、大人になった今でもよく分かっていない)、てのひらの中で起こるその不思議な現象は私には魔法だった。
何かのついでに私はそれをあの人に話したのだろうか。
午後のお茶の時間にダイニングにやってきたあの人はその話を聞いて、そうかそうかとしたり顔で頷いていた。真冬にしては温かみを感じる陽射しで満たされた室内で、沸かした湯でカップをわざわざ温めるという丁寧な作法でお茶を煎れる。こうしたほうが美味しくお茶が飲めるでしょうと、あの人はやっぱりしたり顔に笑顔をくっつけてそう言った。言ってから、これは妻の受け売りなんですけどねと、何故だか少し困ったような顔になっていた。よく表情の変わる人だった。少し意地の悪い言い方をすれば、いつも分かり易い顔をする人だった。

父親像といえば私には何を考えているのか全く見抜けない、気難しい顔をしている父のことしか知らなかったし、世の中の数多と存在する他人の父親がどんなものであるのかなんて、興味も無いことだったので想像したこともなかった。

今、あの人の笑顔を思い出してみると、それは私の妹にとても良く似ていることが分かる。
ということは、私は、やっぱり私の父に似ているのだろうか。あまり嬉しく無い事実だけれど、嫌悪感は無い。父の笑った顔は記憶に無いけれど、私の笑った顔とよく似ているよと誰かが言ってくれるのだとしたら、それはとても、とても幸福なことだと思えるから。

後悔していることは、もうひとつある。写真を撮っておかなかったことだ。
もし、あの人の写真が手元にあったならば、私はもっとたくさんのことを妹に話してやれるのに。冬と夏の休暇にだけしか会えなかった。そのたった二回の季節の中で、二回しかなかった出会いの中で、私が語れる話はごく僅かしかない。
私は父のことを魔法使いだと思っていた。
その話をあの人はとても気に入ったようだった。気に入った素振りだったので、そうだと思っただけだが、表情から何でも明け透けに見抜けてしまえる人だったので、この憶測はかなりの確率で当たっていると確信している。ああ、後悔していることがもうひとつ。何故気に入ったのか、その理由も聞きそびれてしまった。墓前に問い掛けても返事など永遠に聞けないのだから、やっぱり尋ねておくべきだった。幼いときの私の記憶はいつも後悔で満たされている。
お父さんが魔法使いか。ということは、君のお父さんのお仕事を手伝っている私は、さながら魔法使いの弟子といったところだね。
素敵なことだと笑っていたけれど、父とあの人がやっていたことは物語に出てくるような素敵な魔法でも何でもなく、でも敢えて物語のように言うのであれば、悪魔の所業だったと言える。・・・いいえ、悪魔を作っていた。


悪魔を作っていた魔法使い

その魔法使いの弟子。

これは、私の父の物語。

そして、あなたのお父さんの物語。


残酷な物語を聞かせるけれど、どうか最後まで聞いて下さい。












『魔法使いの弟子』












どこから話したらいいのか分からないから、思い出せる限り初めから、話していこうと思います。

私がユーリ・ロックベルというお医者様と出会ったのは、通っていた学校の長い休暇で帰省した冬でした。その前の夏の休暇のときは帰らなかったので(理由は忘れてしまったのだけれど、他にも帰省しない子はいたので何となく居残ってしまったのだと思う)、ユーリ先生が実は春の終わりから父の研究施設兼自宅に半ば住み込みのように居着いていたことは、この時はじめて知ったことだったの。
ユーリ先生の他にもう一人、父の研究施設に出入りしている人がいました。ユーリ先生はその人のことを「ゴッズ博士」と呼んでいたので、私も同じように呼んでいたけれど、ゴッズ博士の本名が一体何であるのか、一体どういう人物なのか、当時の私は全く知らなかったの。

あなたの本棚にある機械鎧の分厚い本の著者が、あの「ゴッズ博士」と知ったときは驚いたわ。確かに機械鎧についてとてもお詳しい人だったけれど、あなたの持っていた自伝書の中にあるような――「昔堅気の職人気質で、仕事が遅かったり、雑だったりすると容赦無く弟子たちを殴り飛ばし怒鳴りつけ、完成度の低い機械鎧はその場で叩き折るような頑固一徹ジジイ」――とは似ても似つかぬ御仁で、いつも朗らかでニコニコと優しく笑っている好々爺という雰囲気だったから、私の記憶と一致しなくて混乱したものよ。

ユーリ先生は、真冬のあの日、私を迎えに東部の田舎駅(当時は無人駅)に傘を持ってやってきたの。リザ・ホークアイさんですか。片手に私の写真(生前の母と一緒に撮ったものだから、かなり古い。よくもそんな昔の写真で私と分かったと思ったわ)、もう片手に傘を二本持ってそう尋ねてきたのをよく覚えているわ。
私はとても無愛想な態度を取ってしまったと記憶しているの。でも、いきなり見知らぬ男性から声を掛けられて、しかも相手は私の名前を知ってるだなんて、申し訳ないけれどとても気味が悪かったのよ。許してね。うろたえる私に先生はにっこりと笑って、ああ良かった、途中で入れ違っていたらどうしようかと思ってました。さぁ雨が降らないうちに帰りましょう、と言って、私のひとつしかない荷物――ボストンバッグをひょいと掴んで、それからこう言ってくれたのよ。

「お帰りなさい、リザさん」

それは何年振りかに聞く懐かしい言葉だったわ。誰かにおかえりを言われるなんて、本当に、本当に久しぶりのことだったから、また私はきっと、無愛想な顔をしたのでしょうね。

後から分かったことだけれど、どうやら写真を用意したのはゴッズ博士だったそうなの。
父が娘が帰省すると、何かのついでに話したのかもしれない。これはゴッズ博士から聞いた話だけれど、それを聞いたとき、ユーリ先生はとても驚いたそうよ。それもそのはず。父は娘がいるだなんて、それまで一言も話したことがなかったのですもの。
別に隠しておきたかったのではなくて、聞かれなかったから答えなかったのだと思うの。父のことを弁解するつもりはないけど、あの人は昔からそういう人だったから。聞かれないから答えない、話さない。人と接するのが苦手な人だった。化学についてはよく知っているようだったけれど、他人とコミュニケーションをとるには何をどうすればいいのか、皆目分からないという唐変木だったのよ。
じゃあ迎えに行かなくちゃと、ユーリ先生はまず真っ先に言ったそうよ。そして案の定父がその必要はありませんと答えたのに、何でですかと言い返したそうなの。ユーリ先生は私の父より一回り以上も年下だったのにも拘らず、言いたいことはいつもきっぱりと述べる人だったわ。その真っ直ぐさは、あなたととても似ているわね。
雨が降りそうですよとか、荷物もきっと多いでしょうとか、何だかんだ言って、結局ユーリ先生が迎えに行くことになったそうなの。じゃあ私が行きますと家を飛び出しかけて、ゴッズ博士から、ロックベル君、君は娘さんの顔を知っているのかねと呼び戻されて、あっと立ち止まってしまうくらい慌てていらしたそうよ。あなたの記憶の中のユーリ先生も、そんな慌てん坊さんなのかしら。

何故、ユーリ先生とゴッズ博士が私の父の元に来たのか。
それを話す前に、少し錬金術について語らなければならないわ。残念なことに私は錬金術師でも、父からそれについて学ぶことも無かったから、詳しいことは何一つ分からなくて、昔の曖昧な記憶と推測で語る部分もあるから全てが正しいと言えないのだけれど、それでも知ってる限りのことを正直にあなたに話します。

錬金術という化学(科学)技術が確立されて間もない頃、化学の世界は有機物を解明することに躍起になっていて、「物質とはか何か」を確立させるための実験が当時の有機化学者(のちの錬金術師)たちのあいだで慌ただしく検証されていました。
錬金術師のことを有機化学者と呼ぶのはそれに由来しているそうよ。
いうなれば、化学の新しい時代の幕開け。私は錬金術師ではないので、そのあたりの過程はよく知らないのだけれど、そうね、エドワード君から聞いたことはないかしら。

――元素の周期表。

身のまわりのものを分解してたくさんの有機物を調べあげ、さまざまな元素を重たい順に並べた「元素の法則」。
私も知らなかったことなのだけれど、出来たばかりの周期表は埋まっていない箇所も多く、しかし有機化学者――のちに錬金術師と呼ばれる術師の先駆者の化学者からは既に空欄の元素は預言されており、後続の錬金術師たちによって周期表は確固たる法則へと成り立っていったわ。
錬金術は台所から生まれたと言われているのは、料理の過程――すなわち「食べ物を焼く」という調理過程から、どこの台所にでもあるようなものを燃焼させて、物質が何から成り立っているのかを調べたからだそうよ。燃焼が着目されたのは、有機物は燃焼させると何種類かの気体となって消えてしまうことが分かっていたから(ある化学者が料理の最中に閃いたとも言われているらしい)、この気体をまるごと集めて種類ごとに振り分けて重さを測れば、有機物が含む元素の割合が求められると考えたそうなの。
何を燃やしたのかは分からないけれど(失敗したミートパイの証拠隠滅を計ったのかもしれないわね。化学者が料理上手だなんていうのは全くの迷信に決まってるもの)、とにかく「燃焼」という工程が有機化学にとってはとても重要な実験だったというわけ。と、ここまで書けば私が何を言いたいのかわかるでしょう?

そう、私の父は炎の錬金術師だったわ。

昔、まだ錬金術が化学(科学)技術として駆け出しの頃、物質を燃してその気体を集めるというのはとても難しいことだったそうよ。とある有名な有機化学者が有機物の中に含まれる炭素、水素、酸素、窒素を正確に調べる装置を発明してのち、あらゆる有機物に含まれるその四つの元素の比率が正しく解明されるに到ったの。
そうして有機物を調べていくうちに、有機物を構成するのに最も重要な役割を果たしているのが「炭素」であることを突き止めることが出来た。あなたの仕事にも、この「炭素」が不可欠な材料でしょう?最近機械鎧の外装にも使われている新素材、「炭素繊維」といったかしら。鋼より硬くて、けれど鋼より軽い材質。それも錬金術によって新しく作り出された材料なのよ。
昔の有機化学者たちの根気良い実験と検証によって、世界が炭素と水素と酸素と窒素という僅かな原子から成り立っていることを突き止めたのち、錬金術師たちの次の目標は、これらの原子がどのように結び付いているかを解明することだった。
有機物はごく一部の元素から作られているにもかかわらず、無機物よりも種類が多い。その鍵を握るのが炭素の原子。
この「炭素」が生み出すさまざまな物質を調べるのが、有機化学の――錬金術の最終形態。
何故って、それが分かれば新しい材料が作り出せるから。新素材を作ることは錬金術師にとって最後の目標のようなものなのよ。先にも書いたけれど、理解・分解・再構築・・・、錬金術のこの法則は新しい「何か」を生みだすための法則なのだから。

父は燃焼の工程を研究する錬金術者だった。
中央でもその名を知らない者はいないというほど有名だという話は、ユーリ先生から聞かされたのよ。私は父がそれほどの有名人であるとは全くの初耳だったから、俄かには信じ難かったわ。今でも信じていないくらいよ。父は、確かに偉大な錬金術師だったかもしれないけれど、誰かから尊敬されるような人物には見えなかったから。こんなことを書くとあなたに怒られそうだけれど、当時の私は父をそれほど好いていなかったの。だから、夏の休暇のときは帰らなかった。

父の研究対象は酸素だった。
燃焼という化学現象に酸素は不可欠な物質だったから、どの原子がどのように結び付くと燃焼が起き、何が残るのかをいつも丹念に調べていたわ。ダイヤモンドを燃焼させて、二酸化炭素を取り出したりしてた。それが一体何になるのか、私にはサッパリ分からなかったのだけれど。父がそんなふうに研究に没頭する毎日だったから、私は寄宿舎に入れられたの。手続きをしてくれたのはグラマン中尉、お爺様よ。娘がどこの学校に、どこの土地に行くのかさえ、父にとってはどうでもいいことだったの。でも私は自分が可哀想な子供だとは思っていないわ。むしろ家での日々は寂しかったから、同じ年頃の子供が集まる寄宿舎生活は楽しかったものよ。悪い遊びも、生涯の友人も、ここで手に入れた。
私の面倒を見なくて済むようになった父は、より一層研究に打ち込んだわ。そして、炭素の秘密のひとつを解き明かした。炭素は他の物質ととても結びつき易い、ということを。
たとえば、ロウソクの分子は炭素が鎖のような状態に繋がっていて、炭素の数がある一定数値になるとても燃えやすいロウを形成する。さらに繋がる炭素原子の数が増えると、徐々に燃え難くなっていく。
・・・もう分かったかしら。燃え難い炭素――「炭素繊維」。
炭素は有機物の骨格になっていて、それの繋がりで新しい素材を作ることが出来る。
世界の成り立ちのひとつを、父は実証してみせたの。

もともと鉄は加える元素によって自由自在にその特性を変えることが出来る。硬さや粘り強さ、磁性などが調節出来るというそれこそが、鉄が金属の中でずば抜けて広く利用されている点よ。

鋼は炭素元素を含んで強化している。「鉄」職人のゴッズ博士と、炭素元素の秘密を解き明かした父が作った新しい素材。けれどこの新しい素材の誕生が、悪魔を作るきっかけになってしまった。

炭素繊維は硬質だったため、成形するのがとても困難な材質だった。
鋼より硬くて軽くても、成形が難しいのであれば材料としては使い勝手が悪いということで普及し難い。これに助け舟を出したのが、機械鎧職人のゴッズ博士よ。博士は炭素繊維を傾斜加工する技術を作り上げた。
ゴッズ博士は炭素繊維を機械鎧の新しい材質として使用したかったの。あなたも知っての通り、当時の機械鎧は様々な合金で作られており、とても重たかった。その重たい腕を動かすためのトルクは大きく、当然稼働率は劣悪だった。鈍い機械鎧に俊敏性をもたらすための仕組み――アクチュエーターを設計したのが、ゴッズ博士とあなたのお父さん、ユーリ・ロックベル先生よ。
やがて父たちの研究に着目する人物が現れた。
そう、中央の錬金術研究機関。そのひとつ、第五研究所。
ゴッズ博士の機械鎧の技術と、父の作る新しい素材・炭素繊維を融合させて、新しい兵器が作れないか、軍部はそこに着目した。そして新しい武器を人間に装備させるためには、人間工学――すなわち外科医の知識も必要だった。
その役目を担ったのがあなたのお父さま、ユーリ・ロックベル先生よ。
ユーリ先生が選ばれた理由は、ご実家が機械鎧整備士だったというのも多聞に含まれていると思っているわ。機械鎧を作るのに、単純に外科医としての見識を述べられても新たな「鎧」は作れないでしょう。外科医としての知識を持ちながら、新たな機械鎧を作る上での妙案が欲しかった。だから軍は先生を招集したのよ。
私がこの事情を知っているのは、父の書斎から出てきた、私宛の手紙に書かれてあったからなの。


――石鹸(ドデカン酸ナトリウム)、お砂糖(スクロース)、紙(セルロース)、調理油(リノール酸)

私たちが日々目にするもの、手にするもの、世界の全てを錬金術は次々と明らかにしていった。
そしてそれと同時に、禁忌と呼ばれる領域にまで手を延ばすようになってしまった。はじめから破綻していたわけじゃないのね。彼らはただ、探究したかっただけ。
ただ、知りたかっただけ。

世界が何で作られているのかを。

けれど、その子供のような無邪気な探究心を、利用されてしまった。愚かで哀れな錬金術師たち。彼らが――、いいえ、私の父が炭素原子について解明するのがもう少し遅かったら、いっそ何も分からないままだったら、ユーリ先生は今も生きていたんじゃないかと思うときがあるわ。
炭素原子については、いずれ後続の錬金術師が解明してみせたでしょう。世界の秘密を知った術師たちが、新しい素材を作ることに躍起になったことでしょう。
でもそれが、あともう少しだけ遅かったら、あなたの運命は今とは違っていたはずね。錬金術があなたの運命を変えてしまった。

これは私の憶測だけれど、ユーリ先生はその当時まだ成形技術が確立されていなかった炭素繊維を使い、それを起動させる装置を装備した新しい機械鎧を作ることに成功していたのではないかしら。それは誰かの手、もしくは足になり、この世のどこかに機械鎧として存在している。
軍がユーリ・ロックベル医師の遺体をあなたに返さず、空の棺桶を寄越したのもそれと関係している。
確かに先生は戦地へ行ったのかもしれない。けれど、そこで命を落としたのでは無いと私は考えているの。
軍部は先生から、先生が作った機械鎧の在り処を聞き出したかった。でも先生は決して口を割らなかった。軍部が先生の作った(かもしれない)「機械鎧」は、軍部に取っては抹消したい物証でもある。あれがこの世に残っている限り、どんなに過去の証拠を消しても、それが全てを証明してしまうからよ。


父が亡くなったあと、書斎の整理をしているときにその手紙は出てきたの。
私宛の手紙。
出せなかった手紙。
途中まで書いて、書き損じた便箋も抽斗の奥から何枚も出てきた。その手紙のひとつに書かれてあった内容が、ユーリ先生には一人娘がいるというものだったわ。
助けてあげなさいと言うそれが、病床に伏せた父が最後に書いた文章だったわ。おかしな話でしょう?実の娘を長いあいだ放っておきながら、出せなかった手紙には、あなたの居場所が書かれてあった。
ユーリ先生は、ご自分が軍部に招集される前に、娘のあなたを戸籍から抜いていたのね。預けた孤児院の代表戸籍の中にあなたを隠した。それは戦地へ行く先生自身の身に何かあったときに、孤児院があなたを擁護してくれるようにという配慮も勿論あったのでしょうけれど、恐らくは軍部があなたを見付けられないようにしたかったからだと思うわ。
先生は、軍部が何をしようとしているのか知っていたのね。
その恐ろしい、悪魔の所業に反旗を翻すことに覚悟は決めていたけれど、娘のあなたを巻き込むことは避けなくてはならなかった。
あなたの本当の戸籍からあなたの存在が消されているのは、それはユーリ先生の愛情の証しだと私は思っているわ。謄本の薄っぺらい紙一枚では語ることの出来ない、本物の愛情よ。
残念ながら私は、抽斗の隅に忘れられたかのように出てきた大量の便箋からは、そこに綴られた父の文字からは、それと同じような愛情を感じ取ることは出来なかったのだけれど。



幸いなことに軍はあなたを探さなかった。そんなことをしている余裕も財力ももう軍には残っていなかったのね。
長引いた内戦のツケは兵を疲弊させただけだった。反戦争運動があちこちで勃発して、その同時まだ力の弱かった法制局(当時は法務統括)が民意を継いで、軍が斃れた。軍部の上層部は戦犯として裁かれ、事実上軍部は崩壊、権威という翼を捥がれてただの獣になってしまった。
けれど、軍部は最後の後始末は忘れなかった。彼らがこれまでに行ったであろう錬金術の研究成果のそのほとんどを抹消してしまった。
軍部は過去の忌まわしい記憶を徹底して排除したがっているけれど、どういうことか拭い切れない噂がある。――賢者の石の噂。
火の無いところに煙た立たないというけれど、本当にその通りね。軍部は最強の兵器としての機械鎧と、賢者の石を使って新しい軍事兵器を作ろうとしてそれに失敗した。
賢者の石と、鋼よりも鋼鉄の炭素繊維を使った新しい武器。それらを組み合わせて何を作り、何を成そうとしているのか。ボスは、過去にこの国の軍部が何か恐ろしいことを企んでいて、その証拠を抹消したと見ているけれど、その全貌は全くと言っていいほど分かっていないわ。分からないけれど、賢者の石がそれに密接に関わっていることだけははっきりしている。
賢者の石を辿っていけば、私の父やゴッズ博士やユーリ先生の研究についても、何もかもが白日の下に晒される道に繋がっていることは確かなようね。

天文学や占星術と化学が同じだった頃、錬金術は「理解」の段階だった。
有機物を分解して元素を重たい順番に並べた周期表を確立させた頃の錬金術は「分解」の時代。
そして、新しいものを作ろうとする今の時代の錬金術はまさに「再構築」の時代を迎えている。でもそれは、神の設計図を解き明かそうとするものに等しい。彼らが進むべき道を誤れば、また新しい悪魔が生まれてしまうでしょう。


あなたも知っての通り、賢者の石は人間を完全にすると言われているけれど。
もし、神の力を手に入れたとしたら、果たして人はそれを何に使うのかしらね。





休暇が終わって学校に戻るとき、ユーリ先生は私を駅まで送ってくれたわ。私は何を話していいのか分からなくて、先生の話を黙って聞いていた。ほとんどがあなたの話だったけれど、私は少しも嫌じゃなかった。
道おりふと先生は、私に尋ねたの。リザさん、お父さんのことは好きですか?私は何と答えていいのか分からなくて、だから正直に答えたわ。「わかりません」
好きか嫌いか、愛情があるのか無いのか、そんな感情の判断が下せるような材料を、私は私の心の中に持っていなかった。変な親子だと思ったでしょうに、先生はそんな顔をせずにこう言ったの。分からないのなら、これから先は分かり合えることばかりが増えていきますよ。毎日楽しくなりますね。父と暮らしてきて、今まで一度だって楽しいと思ったことは無かったのに、ユーリ先生がそう言った途端に、私はそうなるかもしれないと思えてしまったことを覚えているわ。
・・・そうなってくれればいいと。

ユーリ先生は魔法使いの弟子なんかじゃなくて、魔法使いそのものだった。
私も先生に質問したの。先生は自分のお子さんのことをどう思いますか。先にも書いたとおり、先生はとても分かり易い表情を浮かべてしまう人だったから、私は答えを聞く前にそれを知ってしまったわ。
もちろ、大好きですよと笑った先生の顔が、私の中にあるユーリ・ロックベル先生の最後の記憶です。
そのあと先生は内乱の激しい戦地の野戦病院に行ったとか、でもどの野戦病院にもユーリ先生の滞在した記録は無いとか、実は第五研究所に招集されたのだとか、あなたも知ってのとおり先生の足跡はどれも疑わしいものばかりよ。
あなたが私たちの仕事に関わりたいと言ってきたとき、私は始めは反対したけれど、ここであなたを加えなければ、あなたは一人でユーリ先生の行方を探してしまうだろうとも確信していたわ。それだけは避けなければいけないと思ったの。手紙にも書いたように、先生は軍の機密に深く関わった。それが原因であなたの元に遺体が返ってこなかった。その恐ろしい秘密に、あなたを一人で立ち向かわせるわけにはいかなかった。
私たちに言った言葉を覚えている?同じものを背負わせて。あなたはそう言って私を見た。ランファンを見た。メイを見た。

その時に私は、私たちは思ったの。
あなたがそれを望んだのと同じように、私たちもこれから先あなたが手に入れるであろう「秘密」のその重科を、同じ重さを背負わせて欲しいと。




私はマスタング大佐の地方視察に同行しなければならないから、帰るのは来週になるわ。週末を挟んで私が留守になるのは初めてね。
メイの帰宅が遅くなり過ぎないように釘をさしておいて頂戴。
きっと土曜日にまたアルフォンス君と出掛けるつもりよ。何というか、メイ自身の身の危険についてはあまり心配はしていないのだけれど、アルフォンス君は勘の良い子だから油断は禁物。私たちの正体について、何も気付かれないよう注意を払わなければいけないから。

ボスのところに、フーさんからランファン宛ての手紙が届いていたわ。出勤前に取りに行って、そのまま軍部の受付けに預けておくから、時間の空いたときに取りに寄ってね。
そうそう、手紙といえば、お爺様があなたたちから届いたバースデーカードに大変感激していたわ。(私から贈った熊の木彫り人形については特に感想は無かったのにね)
今度四人揃ってお爺様に会いに行きましょう。休暇を貰えるよう、大佐に申請してみます。

それじゃあ、行ってきます。
最後まで読んでくれてありがとう。


ウィンリィへ。

リザより。


<追伸>
駅でユーリ先生と別れるときに、先生が私に言った言葉を思い出したわ。もちろん大好きですよと笑った先生の顔。そのあとに、先生はこう言ったの。




「リザさん、あなたのお父さんと同じです。」










Since/2010.June
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