更新10.5/18


 『あさき夢みし』解説
(『60年代に始まった名作のアーカイブ.ATG映画を読む』所収.フィルムアート社)





あさき夢見し 1974 中世プロ+ATG1974年作品

製作.東条あきら/監督.実相寺昭雄/脚本.大岡信/握影.中堀正夫/音楽.広瀬量平/美術.池谷仙克/録音.杉崎喬/音響効果.小森護雄/照明.牛場賢二/編集.浦岡敬一/スチル.上野堯/宣伝美術.村上芳正/助監督.佐藤静雄

四条.ジャネット八田/御所.花ノ本寿/霧の暁.寺田農/阿闍梨.岸田森/大宮院.丹阿弥谷津子/目井.原知佐子/前斎宮.三条泰子/近衛大殿.東野孝彦/庶民の男.篠田三郎/庶民の娘.小川順子/善勝寺大納言.小松方正/為家.古今亭志ん朝/万里小路.天田俊明/遊女.殿岡ハツエ/客.観世栄夫/富豪.渡辺文雄/妻.堀井永子

120分/カラー・シネスコ/1974年10月封切




解説

簡素で象徴的で暗闇や、ぼかした部分の圧倒的に多いユニークな映像をつくり出すことによって、末期王朝の人々の心の闇のなかを幻想的なまでに美しい絵画的な世界に写しとることに成功。


(佐藤忠男)
 これは、ある種の高貴な頽廃美と暗い絶望的なエロチシズムを極めた実相寺昭雄の傑作である。時は十三世紀後半。蒙古の襲来とそれにつづく天災や疫病、群盗の横行、そして関東武者の台頭などの大きな時代の流れの中で、完全に実力を失い、もはやこの世は終わりだという末世観にとらえられながら、ただ古来磨きあげてきた雅びな趣味性だけを生の証(あかし)として、遊戯的というにはあまりに切ない、もうそれしかないみたいな色ごとに終始していた京の都の宮廷内部の物語なのである。



実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)1937年東京に生まれる。映画監督。

佐藤忠男氏は、この部分が歴史的真実だと思って書かれているのであろうが、当時の貴族は「もはやこの世は終わりだという末世観にとらえられ」ていた訳ではない。ここに根本的な認識の誤りが存在しているが、これは多くの国文学者の認識が反映しているだけであり、佐藤忠男氏は歴史家ではないのだから仕方ない。
 それにしても「もうそれしかないみたいな色ごと」という表現は面白い。もはや日本語は終わりだという末世観にとらえられてしまいそうなほどの見事なレトリックである。
 原作は実在の宮廷女房、中院源雅忠女の自伝『とはずがたり』で、これを詩人の大岡信が脚色した。宮廷ものとはいっても低予算映画であるから、豪華なセットなどは組んでいない。しかし美術の池谷仙克と撮影の中堀正夫、照明の牛場賢二たちは、簡素で象徴的で暗闇やぼかした部分の圧倒的に多いユニークな映像をつくり出すことによって、末期王朝の人々の心の闇のなかを幻想的なまでに優雅な哀しみをたたえた、美しい絵画的な世界に写しとることに見事に成功していると思う。日本音楽と西洋音楽を融合することに卓抜な才能を見せる広瀬量平の音楽も、これに大きく貢献している。

 ヒロインの四条は、上皇をはじめ大納言や高僧などに寵愛されながら、しかし無常観にとらえられ、西行法師のような生き方にあやかって出家し、ついには尼絵師となって遊行の旅に出る。色即是空の域に達したその孤独の甘美さよ。 『とはずがたり』では二条、『増鏡』では三条、『あさき夢みし』では四条と、だんだん格落ちになってしまって、気の毒な話である。
佐藤忠男氏は、仏教と言えば何と言っても「無常観」だと思われているらしい。「色即是空の域に達したその孤独の甘美さよ」という表現からも、氏がたいへん仏教に造詣が深い様子が伺われ、微笑ましい。



ストーリー(堀口慎)

 十三世紀なかぱ、アジア大陸ではジンギスカンの孫フビライがモンゴル大帝国を築き、日本に朝貢を求めてきた。幕府はモンゴルヘの回答を拒否することに決定。やがて文永十一年(1274)、ついで弘安四年(1281)の再度にわたってモンゴルの大軍は九州沿岸に来襲する。

フビライが「モンゴル大帝国」を築いたというのも変な話である。チンギスハンが築いたモンゴル帝国がいくつかに分かれ、フビライは「元」を築いた人である。
 そのころ都は後嵯峨法皇院政の時代である。法皇の皇子、後深草天皇はすでに帝位を弟の亀山天皇にゆずり、富小路殿に仙洞御所をいとなんでいた。父法皇はかくしゃくとして院政に実権をふるい、弟皇子は帝位にある。後深草院は二十代半ばにして雲の上の世捨て人に等しかった。まつりごとには疎いものの琵琶や今様の名人であったこの院には、寵愛するひとりの女房がいた。

2度にわたる蒙古来襲のころ、後嵯峨法皇が「かくしゃくとして院政に実権をふる」うことは不可能だった。何故なら後嵯峨法皇は文永の役の2年前、1272年2月17日に崩御されていたからである。史実としては、後嵯峨院の後を受けて亀山天皇が親政を執り、ついで1274年正月、亀山天皇は8歳の皇太子(後宇多天皇)に譲位して院政をおこなった。2度にわたる蒙古来襲は亀山院政下で起こったことなのである。

『とはずがたり』では「霧の暁」ではなく「雪の曙」である。大岡信氏がどうしてこんな趣味の悪い名前に変更したのか謎である。
 その名は四条。四条はある貴族の家に生まれたが、四歳のときから後深草院のもとで育てられ、十代半ばになったとき院の愛人として仙洞御所に迎え入れられたのだった。院が四条の母によって男女の道の手ほどきを受けたという宿命のために。そんな四条には愛人がいた。霧の暁こと西園寺大納言実兼。まつりごとに明るく時勢を見る目に長け、鎌倉幕府とも親しい間柄の貴公子である。

 その頃、四条は娘を出産する。院の子ではなく霧の暁の子である。後々の煩累を恐れた霧の暁の手により、赤子はどこへともなく連れ去られる。悲嘆にくれる四条のもとに追い討ちをかけるように、先に院との間にもうけた皇子早逝の報が伝えられる。御所の寵愛を受けつつも愛人との逢瀬に身を焦がしているおのれ自身の姿が罪のかたまりに思える四条。文箱より「西行修行記」を取り出し、じっと見入る。四条は幼い頃より、西行絵巻を好んで眺め、父の死後、西行法師のように世を捨てて生きたいとずっと願っていたのだった。

 ある日、四条は後深草院の異腹の弟、真言密教の高徳の僧、阿闍梨に引き合わされる。虚飾に満ちた宮廷人とは異なる一途な情熱を秘めた阿闍梨の風貌に、密かに心惹かれる四条だった。一方、後深草院はかねてより頭を悩ませていた四条の後見役を近衛大殿とした。もちろん、近衛大殿が四条に思いを寄せていることを承知の上で。絶望的な思いで老人と添い寝する四条。

 阿闍梨もまた、兄である後深草院の取り計らいにより、四条との思いをとげる。彼は四条がはじめて会った真実の恋に狂う男であった。四条は阿闍梨との宿世の縁を感じる。四条は阿闍梨の子を出産する。しかし、御所からの使いの者が赤子をいずこかへ連れ去ってしまう。霧の暁の子のときと全く同じであった。四条は三たび、子との縁の薄さに打ちのめされる。

 蒙古再度の襲来。都には流行病が蔓延。阿闍梨もあっけなく死んでしまった。四条の小袖を身につけて。四条は、宮廷社会の美しいもてあそびものとしての、自らのはかない存在を自覚せざるを得なかった。後深草院、霧の暁、近衛大殿、阿闍梨‥‥。四条の脳裏に四人の男たちとの思い出が駆け巡る。真に私を愛してくれた男は、はたしていたのだろうか。人生に対するむなしさぱかりが募る。

 四条は幼い頃からの希望どおり、侍女目井とともに出家する。時代は真言、天台の貴族的仏教から、念仏を唱えるだけで極楽往生できると説く民衆仏教、踊り念仏へと大きく転換していた。かねてより踊り念仏の遊行流浪に惹かれていた四条は、目井とともに諸国遊行の旅に出る。みごとな腕前の絵や書、または連歌などを道中の資としつつ、子供たちに字を教えながら、四条の放浪は続いていく。

この「目井」というのは、原作には全く出てこない名前。大岡信氏が創作した変な名前である。

原作には一遍や踊り念仏のことなど、ただの一箇所も出てこない。
 尼となって旅してゆくにつれて、都での生活の呪縛が次第に解けてゆく実感が四条を素朴な幸福感で包んでいく。真実の愛の荒々しい爆発を抑え、風雅の、あるいはまた政治の世界に没頭している男たちから身をふりほどいて、四条は厳島、熊野、その他日本各地を歩き回った。

 鎌倉では、武士階級の圧倒的なパワーの前に滅びゆく貴族階級の末路を見すえる思いであった。目井は鎌倉で、とある行商を生業とする男と所帯を持った。ごく自然に自分と同じ階級の男であると感じ取り。時代は大きく変わろうとしていた。

原作では無教養な武士に貴族社会の洗練された趣味の良さをひけらかしていい気になったりしていて、「滅びゆく貴族階級の末路を見すえる思い」など全然感じていない。
 王朝の幻影が崩れ去った後の武士が支配する新しい社会の中で、四条は一人の尼絵師として闊達に生きてゆく。今や彼女は身も心も自由になった一人の女、宮廷の愛玩物ではない一個の自由な人間である。

 十数年後、春、桜の吹りしきる霧の暁の邸。中年の尼僧がひとり静かな表情で門前に立つ。出迎える霧の暁。二人の間に言葉にならない思いが渦巻く。四条はその昔、ある女人が生んだまますぐに霧の暁に連れ去られた女児は、今、歌人として名高い妃かと尋ねる。その答えをついに明かさない霧の暁。妃は健やかに幸福にお過ごしですとのみ告げる。四条、自分の描いたさる上人の絵詞伝をその妃にさしあげてくれるよう霧の暁に頼む。満ち足りた表情で去ってゆく四条。後には、ただ桜吹雪が降りしきるだけ‥‥。



感想
 『あさき夢みし』はあくまで創作であるので、あまり文句をつける訳にもいかないが、それにしても、原作を知っている者にはちょっと耐え難い陰気さである。

 『とはずがたり』には、粥杖事件、女楽事件など展開がスピーディで面白い部分がたくさんあるのに、大岡信氏は陰気な部分だけを選び抜き、その上、農民の徴発だとか一遍の踊り念仏だとか、原作にない陰気な話をてんこ盛りにするものだから、できあがったものは、原作とは似ても似つかない「重厚な」作品になるのである。

 そして、ATG映画を見て自分が文化人だと思っているようなレベルの人たちは、原作など決して読もうとしないので、中世のイメージはこの程度の映画で決まってしまい、どんどんどんどん陰気なものになるのである。『あさき夢見し』は、日本の映像文化の将来を思い、暗澹たる気分に浸るためには絶好の素晴らしい芸術作品である。

 ちなみに、実相寺昭雄監督は、『あさき夢みし』のような愚にもつかない芸術作品を撮っていただけではなく、円谷英二監督の薫陶を受けて、ウルトラマンシリーズ全39本のうちの6本を監督した人でもある。氏が「簡素で象徴的で暗闇や、ぼかした部分の圧倒的に多いユニークな映像をつくり出すことによって、末期王朝の人々の心の闇のなかを幻想的なまでに美しい絵画的な世界に写しとることに成功」した背景には、円谷英二監督の映像理念の影響と、円谷プロスタッフの優れた特撮技術の恩恵があるのである。実相寺昭雄監督の『ウルトラマンのできるまで』『ウルトラマンに夢見た男たち』『ウルトラマンの東京』(いずれも筑摩書房.ちくまプリマーブックス)は、テレビで育った世代にとっては、涙なくして読めない傑作である。




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