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頓阿と『井蛙抄』






頓阿(とんあ.1289〜1372.84歳)

 鎌倉末・南北朝時代の歌人。俗名は二階堂貞宗。本名は泰尋。遁世して頓阿と称する。父は下総守二階堂光貞。二十四歳のときに比叡山で出家し、のち二条為世から古今伝授を受ける。京都では双林寺など各地の寺院に住んだが、また難波・那智・高野山・善光寺・関東などの地方へもしばしば旅行し、さかん歌を詠んだ。浄弁・慶運・吉田兼好らと並んで、当時は和歌四天王と称された。応安五・文中元年(1372)三月十三日、八十四歳で寂す。墓は京都東山の双林寺にある。著作に『井蛙抄』六巻、『草庵和歌集』十巻など多数がある。

(『鎌倉・室町人名事典』槇道雄氏)





頓阿(とんあ.とんな)

〔南北朝期歌人〕
 二階堂。俗名は二階堂貞宗。出家して頓阿と号す。正応二(1289)〜応安五(文中元.1372)年三月一三日、八四歳。藤原師実の子孫とする説と二階堂光貞の子息とする両説あるが、後者が有力。二階堂家は源頼朝の臣二階堂行政の子孫。

【経歴】
 若年に比叡山に籠居し、天台仏教を学び、後に高野山にも移行。二○代の後半に金蓮寺の浄阿門に入り時衆となる。現存の最初期の和歌は、二三、四歳頃の応長百首。正和年間から文保にかけて歌壇活動は顕著になり、為世・為藤らと交誼を重ねる。正和四年(1315)の花十首寄書に参加、続千載集にも初入集、続現葉集などの私撰集にも採歌され、しだいに公武僧の歌壇に頭角をあらわす。能誉(彼の死後慶運)・浄弁・兼好らと共に為世門の和歌四天王と称される(了俊歌学書)。ついで建武二年の内裏千首に出詠、また尊氏・直義の信頼も厚く高野山金剛三昧院奉納和歌(康永三.1344)の作者となる。新千載集(延文四.1359)の撰進に際しては為定を援助し、続く新拾遺集のときは、貞治三年(1364)に撰者為明が撰集半ばで没した後を受け継いで完成させるなど、二条派の重鎮的存在となった。為定の死去にあって、一時、和歌創作の気力の衰えたこともあったが、再起し、生涯にわたり詠作し続けた。西行を敬慕し東山双林寺に草庵をかまえたこともあるが、晩年は仁和寺境内に蔡花園(さいけえん)という風流をきわめた庵室に住し、悠々たる生活を送った。

【業績】
 歌集には草庵集(正続あわせて一五巻)があり、約二○○○首を収載。ほかに新千載集の撰歌資料のために編んだ頓河法師詠や太神宮百首・聖護院宮五十首・句題百首があり、三首の百首歌も現存する。続千載集から新続古今集までに四四首入集。また、全六巻からなる歌学書『井蛙抄』、二条良基の質問に答えた歌論書『愚問賢注』(貞治二)もある。紀行『高野日記』。伝頓阿の古典注釈書には『古今集抄』(叡山文庫)『自讃歌抄』(九州大学本)および百人一首関係が現存する。公武僧に信任があり、二条歌風の地下階層への浸透に尽力したことは高く評価されよう。

【歌風】
 若くして二条為世に師事したこともあって歌体は二条派風を継ぐ。古今集などの伝統的な風体を理想とし、心と詞の調和を重視し、平明で素直な階調の和歌を詠じた。良基の近来風体抄には「頓阿はかゝり幽玄にすがたなだらかに、ことごとしくなくて、しかも歌ごとに一かどめづらしく当座の感も有し」と評しているが、確かに、一見類型的な発想のなかにも、なにかひとつ珍しい味をそえている。「月宿る沢田の面に臥す鴨の氷より立つ明けがたのそら」(続草庵集)の秀歌によって「沢田の頓阿」と称された。

【影響】
 草庵集は室町、江戸時代を通じ、二条派、堂上派歌人の和歌創作の聖典として賞翫され、大きな影響を与えた。江戸期には、香川宣阿、本居宣長らの手になる草庵集注釈書が多数刊行された。また彼の弟子は常光院と称して一門をなし、室町期歌壇で活躍した。

【参考文献】
『頓阿・慶運』石田吉貞(昭18三省堂)・『中世歌壇史の研究 南北朝期』井上宗雄(昭40明治書院)

(『和歌大辞典』稲田利徳氏)






井蛙抄(せいあせう)

〔南北朝期歌学書〕
 頓阿の作。成立は歌学大系5の解題では、為秀が参議となった延文五(正平一五.1360)年一二月以降、新拾遺集成立の貞治三(正平一九.1364)年以前と推定するが、部分によっては延文五年以前に筆記されていたとおぼしきものもある。諸本は原型の推定が困難なほどに種々の形態のものが多く存する。歌学大系5・続群書類従四六三に収載。室町中期頃までは主として頓阿門流にのみ伝えられ、一般には広く流布しなかったようである。

 全六巻構成で、巻一「風体事」では諸々の歌論書や秀歌を引用し、心ある歌、心を主とした歌を庶幾し、巻二には本歌取に関し八雲御抄以下の歌論書を引き、本歌の取り様を丁寧に説明、巻三は禁制詞に関する見識、巻四は同名々所で例歌を列挙して名所を解説、巻五は類似歌で、同じてにをはの多い歌や五文字句の悪しき例歌をあげる。最後の巻六は雑談編で、約百か条の歌人や歌壇の逸話などが興味深く記されている(ただし諸本によって条数は種々)。この巻六と重なる内容をもち、独立したものに「水蛙眼目」と称される伝本も存するが、井蛙抄との成立関係は今後の検討を必要とする。

 総じて井蛙抄は懇切丁寧な和歌作法書で、また、資料も厳密に吟味して引用している。特に巻六の歌人の逸話は、当時の歌壇の様相を知るうえで貴重なもの。室町〜江戸時代を通じ、広い読者を獲得した歌論書である。

【参考文献】 「井蛙抄と水蛙眼目覚書」久曾神昇(書誌学昭14・9)『中世歌壇史の研究 南北朝期』井上宗雄(昭40明治書院)

(『和歌大辞典』稲田利徳氏)




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