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| 原文 仁治三年九月十二日佐渡院かくれさせ給ひぬ。世の中うつりかはりしきざみ、もしやなど思(おぼ)されしも空しくて、いよいよ隔たり果てぬる世を、心細く思し嘆きけるつもりにや、さしもとりたてたる御悩みなどはなくてうせさせ給ふに、折あはれなる御事どもなり。四十六にぞならせ給ひける。 |
| 井上宗雄氏による現代語訳 |
私の立場からの補足 |
| 仁治三年(1242)九月十二日佐渡院(順徳院)がおなくなりになった。御代の変わった折に、もしかしたら(帰京できるのではないか)と思われた頼みもむなしく、いよいよ世間から遠ざかってしまったわが境遇を、心細く思い嘆かれたその結果であろうか、そんなにとりたてていうほどの御病気などはなくておなくなりになったので、折も折あわれ深い御事ではある。四十六歳におなりであった。
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なお、順徳院の子孫の存在は後嵯峨院にとって「潜在的な脅威を一貫して与えつづけていたと考えられる」(菊地大樹氏「宗尊親王の王孫と大覚寺統の諸段階」)。 |