更新13.3/25 up10.9/19

| 原文(『増鏡』(中)全訳注.p138) かくて今年も暮れぬ。又の弥生(やよひ)の一日(ついたち)、月花門院(げつくわもんゐん)にはかにかくれさせ給ひぬ。法皇も女院も限りなく思ひ聞えさせ給ひつるに、いとあさまし。さるはまことにやあらん、また人たがへにや、とかく聞ゆる御ことどもぞ、いと口惜(くちを)しき。四辻(よつつじ)の彦仁の中将、忍びて参り給ひけるを、基顕(もとあき)の中将、かの御まねをして、また参り加はりける程に、あさましき御事さへありて、それゆゑ隠れさせ給へるなど、ささめく人も侍りけり。なほさまではあらじとぞ思ひ給ふれど、いかがありけん。 |
| 井上宗雄氏の現代語訳 |
私の立場からの補足 |
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こうして年も暮れた。翌文永六年(1269)三月一日月花門院が急になくなられた。父後嵯峨法皇も母大宮院も、限りなくかわいがられていたのに、ほんとうに情けない。 それ(以下のこと)は事実であろうか、また人違いであろうか、(なくなったことについて世間で)あれこれとうわさ申していることなどはまことに残念である。すなわち、四辻の彦仁中将がこっそりお通いになっていたのを、基顕の中将がまねをして、そのうえに通われていたうちに、あきれるような御事まであって、そのためにお亡くなりになったのだ、などとひそひそ申す人もおります。やはりそんなにひどいことはあるまい、とは思いますが、どうだったのでしょうか。 |
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| 補論 「なほさまではあらじとぞ思ひ給ふれど、いかがありけん」(やはりそんなにひどいことはあるまい、とは思いますが、どうだったのでしょうか)というのは語り手の老尼の感想である。 井上氏の解説によると、底本には、「(あさましき御事さへ)ありて」の右傍らに「御ちおろし」(堕胎)とあって、月花門院は堕胎の失敗で亡くなったのだと分かる。この種のことは、普通は記録に残されず、実際、他の史料には全然出ていないのだが、なぜか『増鏡』には登場するのである。 それにしても、「(なくなったことについて世間で)あれこれとうわさ申していることなどはまことに残念」「ひそひそ申す人もおります」「やはりそんなにひどいことはあるまい、とは思いますが、どうだったのでしょうか」などともっともらしい言い方をしていながら、結局は自分が世間に皇族の不名誉な噂をどんどん広めているのであって、作者の性格の悪さが良く出ている部分である。 ※『増鏡』作者の後嵯峨院皇女に対する視線についてはこちら。 |