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| 原文(『講談社学術文庫.とはずがたり(上)全訳注』.p163) 醍醐の勝倶胝(しようくてい)院の真願房は、ゆかりある人なれば、まかりて法文(ほふもん)をも聞きてなど思ひて侍(はべ)れば、煙(けぶり)をだにもとて、柴(しば)折りくべたる冬の住まひ、懸樋(かけひ)の水のおとづれも、とだえがちなるに、年暮るるいとなみも、あらぬさまなる急ぎにて過ぎゆくに、二十日あまりの月の出(い)づるころ、いと忍びて御幸あり。網代車(あじろぐるま)のうちやつれ給へるものから、御車のしりに善勝寺ぞ参りたる。「伏見の御所(ごしよ)の御ほどなるが、ただいましも思(おぼ)し召し出づることありて」と聞くも、いつあらはれてとおぼゆるに、今宵はことさらこまやかに語らひ給ひつつ、明けゆく鐘にもよほされて、立ち出でさせおはします。 有明は西にのこり、東(ひんがし)の山の端(は)にぞ横雲わたるに、むら消えたる雪のうへに、また散りかかる花の白雪も、折知りがほなるに、無文(むもん)の御直衣(なほし)に、同じ色の御指貫(さしぬき)の御姿も、わが鈍(に)ぶめる色にかよひて、あはれにかなしく見奉るに、暁の行ひに出づる尼どもの、何としも思ひわかぬが、あやしげなる衣(ころも)に真袈裟(まげさ)などやうのもの、けしきばかりひき掛けて、「晨朝(じんでう)さがり侍りぬ。誰(たれ)がし房(ばう)は何阿弥陀仏(あみだぶつ)」など呼びありくも、うらやましくみゐたるに、北面(ほくめん)の下臈(げらふ)どもも、みな鈍(に)ぶめる狩衣にて御車さし寄するをみつけて、今しも、ことありがほに逃げかくるる尼どももあるべし。 「またよ」とて出(い)で給ひぬる御名残は、袖(そで)の涙にのこり、うちかはし給へる御移り香は、わが衣手にしみかへる心地して、行ひの音をつくづくと聞きゐたれば、「輪王(りんわう)位高けれど、つひには三途(さんづ)に従ひぬ」といふ文(もん)を唱ふるさへ耳につき、回向(えかう)して果つるさへ名残をしくて、明けぬれば文(ふみ)あり。「けさの有明の名残は、わがまだ知らぬ心地して」などあれば、御返しには、 君だにもならはざりける有明の面影のこる袖をみせばや |
| 次田香澄氏の現代語訳 |
私の立場からの補足 | |
| 醍醐寺、勝倶胝院の真願房は、縁故のある人なので、訪ねて法文(ほうもん)をも習おう、などと思って行って籠った。寂しさに煙をなりと絶やすまいとて、柴を折りくべている冬の山里の住居は、懸樋(かけひ)の水の音さえとだえ勝ちで、歳の暮の用意も、ここでは世間と違った準備がなされてゆく。二十日過ぎの月が出るころ、たいそうお忍びで院の御幸があった。網代車(あじろぐるま)で自立たないようにやつしてはいらっしゃるが、お車の後には善勝寺大納言がお供している。 |
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| 「伏見の離宮に御滞在だったのが、急にあなたをお思い出しになることがあって」と聞くにつけても、(私のここにいることが)いつ知られてしまってかと思うが、今宵(こよい)はことさら愛情深くお語らいになって、明けゆく鐘に促されて起き出てお帰りになろうとする。 | ||
| 有明の月は西に残り、東の山の端(は)には横雲がたなびいている折から、むら消えに残っている雪の上に、また花びらのように粉雪が散り掛かるのも、今の風情を知っているかのようである。無地の御直衣(のうし)に同じ色の御指貫(さいぬき)を召した御姿も、私の着物の薄墨色に似通っているのを、しみじみと悲しくお見上げする。 |
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| 折から暁の勤行(ごんぎょう)に出る尼たちが、御幸(ごこう)があったとも知らないで、そまつな衣に真袈裟(まげさ)風の物をちょっとだけ引き掛けて、「暁の勤行を終って下りました。だれそれ房(ぼう)の何阿弥陀仏さん、番ですよ」などと呼び歩くのも、私はうらやましい気持で見ていると、北面の下級武士どもが同じくみな薄墨色の狩衣(かりぎぬ)で院の御車を寄せるのを見つけて、今はじめて御幸を知って驚いたという様子で、逃げ隠れする尼たちもあるようだった。 |
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「では、またな」といってお帰りになったその御名残は、袖(そで)の涙に残り、私の上にうちかわされていた御袖の御移り香は、私の袖に深くしみ込んだ心地がして、勤行の声をしみじみと聞き入っていると、「輪王(りんおう)位高けれど、ついには三途(さんず)に従いぬ」という経文(もん)を唱えるのも耳につき、回向(えこう)文を唱えてお勤めが終るのまで名残惜しい。夜が明けると手紙が届いた。「今朝の有明けの別れの名残は、わたしのまだ経験しない心地がして」などとあるので、
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