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『とはずがたり』巻1.雪の曙来訪、尼たちに贈物





原文(『講談社学術文庫.とはずがたり(上)全訳注』.p168)


 年の残りも、いま三日ばかりやと思ふ夕つかた、常よりもものがなしくて、あるじの前にゐたれば、「かくほどのどかなること、またはいつかは」などいひて、心ばかりはつれづれをも慰めんなど思ひたるけしきにて、物語して、年よりたる尼たち呼びあつめて、過ぎにし方の物語などするに、前なる槽(ふね)に入る懸樋(かけひ)の水も、凍りとぢつつものがなしきに、むかひの山に薪(たきぎ)こる斧(をの)の音の聞ゆるも、昔物語の心地してあはれなるに、暮れはてぬれば、御(み)あかしの光どももめむめむに見ゆ。

 初夜おこなひ、「今宵(こよひ)はとくこそ」などいふほどに、そばなる妻戸を忍びてうちたたく人あり。「あやし、誰そ」といふに、おはしたるなりけり。「あなわびし。これにては、かかるしどけなき振舞も、目も耳も恥しく覚ゆるうへ、かかるおもひのほどなれば、心清くてこそ仏の行ひもしるきに、御幸などいふはさる方にいかがはせん。すさみごとに、心きたなくさへはいかがぞや。帰り給ひね」など、けしからぬほどにいふ。

 折ふし雪いみじく降りて、風さへはげしく、吹雪とかやいふべきけしきなれば、「あなたへがたや。せめては内へ入れ給ヘ。この雪やめてこそ」などいひしろふ。あるじの尼御前(ごぜん)たち聞きけるにや、「いかなるけしからず、情なさぞ。誰(たれ)にてもおはしますべき御志にてこそ、ふりはへたづね給ふらめ。山おろしの風の寒きに何ごとぞ」とて、妻戸はづし火などおこしたるに、かこちてやがて入(い)り給ひぬ。

 雪はかこちがほに、峰も軒端も一つに積りつつ、夜もすがら吹き荒るる音もすさまじとて、明けゆけども起きも上がられず、なれ顔なるも、なべてそら恐ろしけれども、何とすべき方なくて案じゐたるに、日高くなるほどに、さまざまのことども用意して、祗候(しこう)のもの二人ばかり来たり。

 あなむつかしと見るほどに、あるじの尼たちのとり散らすべき物など、わかちやる。「年の暮の風の寒けさも忘れぬべく」などいふほどに、「念仏の尼たちの袈裟・衣、仏の手向(たむけ)になど思ひ寄らるるに、いよいよ山がつの垣ほも光出(い)できて」など、めんめんに言ひあひたるこそ、聖衆(しやうじゆ)の来迎(らいがう)よりほかは、君の御(み)ゆきに過ぎたるやあるべきに、いとかすかに見送り奉りたるばかりにて、ゆゆし、めでたしなどいふ人もなかりき。「いふにや及ぶ、かかることやは」ともいふべきことは、ただ今のにぎははしさに誰(たれ)も誰もめでまどふさま、世のならひもむつかし。

 春待つべき装束(しやうぞく)、花やかならねど縹(はなだ)にやあまた重なりたるに、白き三つ小袖とり添へなどせられたるも、よろづ聞く人やあらんとわびしきに、今日は日ぐらし九献(くこん)にて暮れぬ。

 明くればさのみもとて帰られしに、「たち出(い)でてだに見送り給へかし」とそそのかされて、起き出でたるに、ほのぼのとあくる空に、峰の白雪光り合ひて、すさまじげにみゆるに、色なき狩衣(かりぎぬ)着たるもの二三人みえて、帰り給ひぬる名残も、また忍びがたき心地するこそ、我ながらうたて覚え侍りしか。

 つごもりには、あながちに乳母(めのと)ども、「かかる折ふし、山深き住まひもいまいまし」などいひて、迎へに来たれば、心のほかに都へ帰りて、年も立ちぬ。

 よろづ世の中もはえなき年なれば、元旦・元三(ぐわんざん)の雲の上もあいなく、私の袖の涙もあらたまり、やる方(かた)もなき年なり。春の初めにはいつしか参りつる神の社も、今年はかなはぬことなれば、門(もん)の外(と)まで参りて、祈誓申しつる志より、むば王の面影は、別(べち)に記し侍ればこれにはもらしぬ。



次田香澄氏の現代語訳

私の立場からの補足

 年の残りもあと一二日ばかりかと思う夕方、いつよりも物悲しい気分で庵主(あんしゅ)の尼(真願房)の前に座っていると、「こんなにゆっくりなされることは、またいつあるでしょうか」などいって、気持だけは私のつれづれを慰めようと思っている様子で相手をして、年寄った尼たちを呼び集め、過ぎた昔の話などをしてくれる。庭前にある水槽(すいそう)に入る懸樋(かけひ)の水も、すっかり凍ってしまって物悲しいうえに、向いの山に薪を伐る斧の音が聞えるのも、昔の物語のなかにいるような心地がして、しみじみと哀れである。暮れ果てると、お燈明の光もあちこちに見られる。







「昔物語の心地して」(昔の物語のなかにいるような心地がして)というのは、作者が好んで用いる表現である。意味深長な感じがする。
 初夜のお勤めをして、「今夜は早く寝ましょう」などと言っているうち、そばの開き戸をひそかにたたく人がある。「変ですね。だれでしょう」というと、(雪の曙が)おいでになったのだった。「まあ困ります。ここではこんなふしだらな振舞いを、見られても聞かれても恥ずかしいうえに、父の喪でこうしたまじめな気持で籠っている間ですから、精進を保ってこそ、仏道の修行もしるしがあるというものですのに、院の御幸などは、それはそれとして致し方ありますまいが、仇(あだ)ごとに心汚ない行いさえあっては、どんなものでしょう。お帰りください」など相手に失礼なくらいに言う。



原文では主語がないが、後の記述で「雪の曙」と分かる。「雪の曙」が国文学会の定説に従って西園寺実兼(1249〜1322.74歳)だとすれば、この場面の時点(1272年)で24歳、正二位権大納言、3年前に祖父実氏から家督と関東申次の地位を承継している。実兼の置かれた政治的状況についてはこちら(本郷和人氏『中世朝廷訴訟の研究』)。
 折から雪はひどく降って、風まで激しく、吹雪のようになってきたので、彼は、「ああつらい。せめては内へ入れてください。帰るにしてもこの雪がやむまでは……」と言い争う。庵主(あんしゅ)の尼御前たちが聞いたのか、「なんというひどい、情けないことを。どなたでもお出でになるだけのお志があってこそ、わざわざお訪ねになるのでしょう。山おろしの風が寒いのに、なんということですか」と言って妻戸をはずし、火などおこしたので、彼は恨み言を言いながらそのままお入りになった。

 雪は恨みがましく峰も軒端も白一色に包んで積もってゆき、夜通し吹き荒れる音も物すごいとて、彼は夜が明けていっても起き上がることもなさらず、馴れ顔に寝ているのもすべてそら恐ろしいが、どうしようもなく思案していると、日が高くなるころ、彼の従者が二人ばかり、いろいろの物を用意してやってきた。

自分は「ふしだらな振舞いを、見られても聞かれても恥ずかしいうえに、父の喪でこうしたまじめな気持で籠っている」のに対し、雪の曙が強引に押しかけてきて、天候も「雪はひどく降って、風まで激しく、吹雪のようになって」、おまけに「庵主の尼御前たち」が「『なんというひどい、情けないことを。どなたでもお出でになるだけのお志があってこそ、わざわざお訪ねになるのでしょう。山おろしの風が寒いのに、なんということですか』と言って妻戸をはずし」たので、仕方なく雪の曙を入れたのだ、という弁解である。「ふしだらな振舞い」の原因は自分以外の人や客観的状況にあって、自分は常に清廉潔白なのだという訳である。
 

 ああ、具合の悪いことだと見ているうちに、(彼は)庵主の尼たちが皆に分配する物などをさまざま分けてやっている。「年の暮の風の冷たさもこれで忘れていただけるでしょう」などいうので、

「念仏の尼たちの着る袈裟や衣や、仏様への手向けにと考えますと、いよいよ私ども山がつの住まいも、おかげ様で照り輝くようでございます」などと、めいめいに言い合っている。ほんとうに聖衆来迎(しょうじゅらいごう)のほかには、君の御幸(ごこう)より過ぎた光栄はあるまいに、先日院の御幸のときには、ほんのこっそりお見送り申しあげただけで、「すばらしい、御りっぱな」など言う人もなかった。「とんでもない、こんな事があつてよかろうか」と非難されるはずの今度の事件については(なにもいわないで)、目の前の品々の豊かさに、だれもだれも手放しで喜んでほめちぎっている様をみると、世の習いもほんとうにむずかしいことだ。

「ふしだらな振舞いを、見られても聞かれても恥ずかし」いと思い、「(雪の曙が)馴れ顔に寝ているのもすべてそら恐ろしいが、どうしようもなく思案して」おり、「目の前の品々の豊かさに、だれもだれも手放しで喜んでほめちぎっている様をみると、世の習いもほんとうにむずかしいことだ」と慨嘆するような人間が、その後どのような行動をとるかというと、「終日酒盛りで暮れてしま」うのである。無茶苦茶である。
 私へは正月を迎えるための装束が、華美な色あいではないが、薄い藍色であったか幾枚も重なったのに、白い三枚重ねの小袖をとり添えなどされているが、これらもすべて聞く人がありはしないかと気がひける。今日は終日酒盛りで暮れてしまった。

 夜が明けると、そうばかりもと帰られたが、「戸口まで出てなりと見送りしてくださいよ」と促されて起き出てみると、ほのぼのと明ける空に峰の白雪が光り合って、すごいほどの景色である。そのなかを鈍色の狩衣を着た者が二三人見えて、帰られたその名残もまた忍び難い心地がするのは、我ながら困ったことだと思われた。

 大晦日には乳母たちが、「こういう御身のときに、あまり山深い所に住むのはよろしくございません」と言って、たって迎えに来たので、心ならずも都へ帰り年も変った。

ここも自分はあくまでも「父の喪でこうしたまじめな気持で籠ってい」たいのに対し、周囲がうるさくいう者だから、「心ならずも都へ帰」ったという訳である。
 しかし、若干15歳で妊娠8か月、しかも初産の女が、吹雪のある厳寒の季節に醍醐のような「山深い所に住む」こと自体が異常なのであり、それに加えて、妊娠8か月の女のところに後深草院と雪の曙が続けて泊まり、雪の曙とは終日酒盛りをしたというのである。無茶苦茶である。
 しかも、これを国文学会の錚々たる学者たちが真実と考えているのである。無茶苦茶の三乗である。

「門の外まで参って祈請申しあげた心の内をはじめ、夢想に見た面影については、別に記したのでここには書かない。」との記述も聞き捨てならない部分である。
 これは明らかに文章を書き慣れた、流行作家気取りの人間にふさわしい言い草であり、『とはずがたり』は決して多くの国文学者が言うような、「書かざるを得ないから書いた」「衝動的な」作品ではないことの明白な証拠なのだが、なぜか学者たちはあまり注目しないのである。不思議である。
 すべて世の中も(諒聞で)晴々しくない年であるので、元日や三ガ日の宮中も味気なく、私自身の父の喪の悲しみも、新年とともに新たに思い出され、心の晴らしようもない年である。新春の初めにはいつもさっそくお参りしていた石清水八幡宮も、今年はそれがかなわないことであるから、門の外まで参って祈請申しあげた心の内をはじめ、夢想に見た面影については、別に記したのでここには書かない。










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