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『とはずがたり』巻1.「女児を出産 」






原文(『とはずがたり(上)全訳注』p191)


 世の中もおそろしければ、二日にや、急ぎ何かと申しことづけて出(い)でぬ。その夜やがて彼にもおはしつつ、いかがすべきといふほどに、「まづ大事に病むよしを申せ。 さて人の忌(い)ませ給ふべき病なりと、陰陽師(おんやうじ)がいふよしを披露(ひろう)せよ」などと添ひゐていはるれば、そのままにいひて、昼はひめもすに臥(ふ)し暮し、うとき人も近づけず、心しる人二人ばかりにて、湯水も飲まずなどいへども、とりわきとめくる人のなきにつけても、あらましかばといと悲し。

 御所さまへも、「御いたはしければ、御使な給ひそ」と申したれば、時などとりて御おとづれ、かかる心がまへつひにもりやせんと、行末いと恐ろしながら、今日明日は、みな人さと思ひて、善勝寺ぞ、「さてしもあるべきかは。医師(くすし)はいかが申す」など申して、たびたびまうできたれども、「ことさら広ごるべきことと申せば、わざと」などいひて、見参(げざん)もせず。しひておぼつかなくなどいふ折は、暗きやうにて、衣(きぬ)の下にていとものも言はねば、まことしく思ひてたち帰るもいとおそろし。さらでの人は、誰(たれ)とひくる人もなければ、添ひゐたるに、その人はまた、春日(かすが)に籠(こも)りたりと披露して、代官をこめて、「人の文(ふみ)などをば、あらましとて返事をばするな」とささめくもいと心ぐるし。

 かかるほどに、二十日あまりの曙より、そのここち出できたり。人にかくともいはねば、ただ心知りたる人、一二人ばかりにて、とかく心ばかりはいひ騒ぐも、亡きあとまでもいかなる名にかとどまらんと思ふより、なほざりならぬ志をみるにもいとかなし。いたくとりたることなくて、日も暮れぬ。

 火ともすほどよりは、殊のほかに近づきて覚ゆれども、ことさら弦打(つるうち)などもせず、ただ衣の下ばかりにて、ひとり悲しみゐたるに、深き鐘の聞ゆるほどにや、あまり堪へがたくや、起きあがるに、「いでや、腰とかやを抱(いだ)くなるに、さやうのことがなきゆゑに、とどこほるか。いかに抱くべきことぞ」とて、かき起さるる袖にとりつきて、ことなく生れ給ひぬ。まづあなうれしとて、「重湯とく」などいはるるこそ、いつならひけることぞと、心知るどちはあはれがり侍(はべ)りしか。

 さても何ぞと火ともして見給へば、産髪黒々として、今より見あけ給ひたるを、ただ一目みれば、恩愛(おんない)のよしみなれば、あはれならずしもなきを、そばなる白き小袖におし包みて、枕(まくら)なる刀の小刀にて、臍(ほぞ)の緒うち切りつつ、かきいだきて、人にもいはず外(と)へ出(い)で給ひぬとみしよりほか、またふたたびその面影みざりしこそ。

 「さらば、などやいま一目も」と言はまほしけれども、なかなかなればものは言はねど、袖の涙はしるかりけるにや、「よしや、よも。長らへてあらば、見ることのみこそあらめ」など慰めらるれど、一目見合はせられつる面影忘られがたく、女にてさへものし給ひつるを、いかなる方へとだに知らずなりぬると、思ふもかなしけれども、いかにしてといふわざもなければ、人知れぬ音(ね)をのみ袖に包みて、夜も明けぬれば、「あまりに心地わびしくて、この暁はやおろし給ひぬ。女にてなどは見えわくほどに侍りつるを」など奏しける。

  「ぬるけなどおびたたしきには、みなさることと、医師(くすし)も申すぞ。かまへていたはれ」とて、薬どもあまた賜はせなどするも、いと恐ろし。殊なるわづらひもなくて、日かず過ぎぬれば、ここなりつる人も帰りなどしたれども、「百日過ぎて御所さまへは参るべし」とてあれば、つくづくと籠(こも)りゐたれば、夜な夜なは、隔てなくといふばかり通ひ給ふも、いつとなく世の聞えやとのみ我も人も思ひたるも、心のひまなし。



次田香澄氏による現代語訳

 周囲の目も恐ろしいので二日であったか急に何かにかこつけて里へ退(さが)った。その夜、さっそく彼もおいでになる。 「どうしましょう」と相談すると、「まず重病だということを申しあげなさい。その後、人が近づいてはいけない病気だと陰陽師(おんようじ)がいっていると、世間に披露(ひろう)しなさい」などとそばにいていわれるので、そのとおりにいって、昼は終日臥(ふ)して過し、疎遠な人は近づけもせす、気心の知れた人二人ほどだけで、「湯水さえ飲みませんで」といっているが、格別訪ねてくる人がないにつけても、こんなとき父がいてくれたらと、まことに悲しい。

 院の方へも、「お障りがあっては申し訳ありませんので、御使いは下さいますな」と申しあげたので、時をみはからってはお見舞の使いがある。こうした配慮もついには漏れるのではないかと、行く末がたいそう恐ろしくはあるが、今日明日のところは、家の者だれもがそうだと思い込んでいる。叔父の善勝寺だけは、「そのままにしておいてよいものか。医者はなんといっているのです」などといって、たびたび訪ねてくるけれども、「とくに祟(たた)りが広がることと申しますから、わざとお目に掛かりません」などいって、私は叔父にお目にかかりもしない。しいて、「どうしても気に掛かるから」というときには、部屋を薄暗くし衣(きぬ)をかぶって、あまり物もいわないので、叔父はそれをまことかと信じて帰ってゆくのを見るのも、ほんとうに恐ろしい。そのほかの人はだれといって訪ねてくる者もないので、雪の曙は私のそばにいつも付き添っていたが、この人はまた、春日神社に参籠していると世間には披露して、春日には代理をこもらせ、「人からくる手紙などを、推量で返事をしてはならぬ」と従者にささやくのを聞くのも、まことに心苦しい。

 こうしているうちに二十日過ぎの明け方から、それらしい気配になってきた。人には今回の出産のことはいってないので、ただ事情を知った人一人二人だけで、いろいろと気持だけはあわただしく準備しているが、このお産で死んだらその後までも、どんな浮き名を残すだろうかと思うのをはじめ、彼の並々ならぬ志をみるにつけても、しみじみと悲しい。あまり取り立てていうこともなくて日が暮れた。

 燈(ひ)をともすころからは、いよいよ出産が近づいたと思われるが、ことさら(魔よけの)鳴弦などもせず、ただ衣の下で一人悲しんでいたが、夜更けの鐘が聞えるころであろうか、あんまり苦しくてか、思わず起き上がろうとすると、彼が、「さあ、腰を抱くとかするものだそうだが、そういうことをしないから滞るのだろうか。どう抱いたらよいのだろう」 こういってかき起される、その袖にすがりついて無事にお生まれになった。まずは、ああよかった、とほっとして、「重湯を早く差しあげなさい」などと彼は指図されるのを、どこで覚えられたことかと、事情を知っている者たちは感じ合っていた。

 「ところで赤児は」と彼が燈火をともして御覧になると、産髪(うぶかみ)が黒々として、今からぱっちりと目を開けていられるのをただ一目みれば、恩愛のよしみであるから、かわいくないはずはないのを、彼は側(そば)にあった白い小袖に赤児をおし包み、枕元に置いた刀の小刀で臍の緒を切ってのち、赤児を抱いて、人にもいわず外へお出になってしまった、とみたばかりで、ふたたび赤児の面影を見ることはなかった。

 「こういうことなら、なぜもう一目でも」と言いたいけれども、言ってかいのないことなので、物は言わないが、袖に押える涙は、それとそばの人に感づかれたからか、「まあいいではありませんか。よもやこれきりということはありますまい。長く生きてさえいれば、きっとお会いになることもあるでしょう」などいって慰めてくれるけれど、一目眼を合わせた瞬間の赤児の面影は忘れ難く、女の児でさえあられたものを、どちらの方へ持って行かれたということさえわからなくなってしまったと思うのも、せつないけれども、なんとかしてもう一度見たいというわけにもいかないから、人知れず袖で顔を覆うて声を忍ぶばかりであった。夜も明けると、御所ヘ、「たいへんに容態がわるくて、この暁御流産でございました。女の御子ということは見分けがつくほどでございましたものを」と奏上した。

 「熱などが高いときにはだれでもそういうことがあると、医者も申しているよ。気を付けて養生しなさい」とて、院から薬をたくさん下さりなどするにつけても、ほんとうに恐ろしい気がする。格別あとの煩いなどもなくて日数が過ぎたので、ここにいられた方(雪の曙)も帰っていったが、御所の方へは(穢れの期間の)百日を過ぎてから参るようにということであったので、それまではただなすこともなくじっと引きこもっていると、夜々は一晩の隔てもないくらいにあの人が通ってこられるにつけても、私も彼も、いつとなく世間にうわさが広まっていはしまいかということばかり思って、心の休まるときもない。



☆後深草院の子を宿すはずのない期間に妊娠してしまったので、こっそり女児を出産して、後深草院には早産だったと偽りの報告をする場面である。
 東京大学名誉教授久保田淳氏、東京大学教授三角洋一氏をはじめとする錚々たる国文学者は、年表を丁寧に作成した上で、これを文永11年(1274年)9月の出来事だとするのであるが、そうだとすれば第一次蒙古襲来(文永の役)のまさに直前の時期にあたる。そういう重大時局に際して、関東申次の重責をになう西園寺実兼が、世間には春日神社に籠もったと称して愛人の出産につきっきりになっていたということが歴史的事実だと国文学者たちは考えているのである。この点についての私の考え方はこちら(細川涼一氏「洛東山科における寺院の成立と展開」)。
 また、この場面の異様なリアルさについては久富木原玲氏(「日記紀行文学の諸相」)が詳細に分析されている。




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