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『とはずがたり』巻1.「雪の曙より文」






原文(『とはずがたり(上)全訳注』p44)


 還御(くわんぎよ)なりぬと聞けども、同じさまにて引きかづきて寝たるに、いつのほどにか御文(おんふみ)といふもあさまし。大納言の北の方(かた)、尼上(あまうへ)など来て、「いかに、などか起きぬ」などいふもかなしければ、「夜より心地わびしくて」といへば、「新枕(にひまくら)の名残か」など、人思ひたるさまもわびしきに、この御文を持ちさわげども(たれ)かは見ん。

 「御使立ちわづらふ。いかにいかに」といひわびて、「大納言に申せ」などいふもたへがたきに、「心地わぶらんは」とておはしたり。 この御文をもてさわぐに、「いかなるいふかひなさぞ。御返事はまた申さじにや」 とて、来る音す。

あまた年さすがになれし小夜衣(さよごろも)かさねぬ袖に残るうつり香

 紫(むらさき)の薄様(うすやう)に書かれたり。この御歌を見て、めんめんに「このごろの若き人にはたがひたり」などいふ。いとむつかしくて起きもあがらぬに、「さのみ宣旨書(せんじがき)もなかなかびんなかりぬべし」などいひわびて、御使の禄(ろく)などばかりにて、「いふかひなく同じさまに臥(ふ)して侍るほどに、かかるかしこき御文をもいまだ見侍らで」などや申されけん。

 昼つかた思ひよらぬ人の文あり。見れば、

「今よりや思ひ消えなん一かたに煙(けぶり)のすゑのなびきはてなば
  これまでこそつれなき命もながらへて侍りつれ。いまは何ごとをか」

などあり。 「かかる心のあとのなきまで」とだみつけにしたる、縹(はなだ)の薄様(うすやう)に書きたり。「忍(しのぶ)の山の」とあるところをいささか破(や)りて、

知られじな思ひみだれて夕煙なびきもやらぬしたの心は

とばかり書きてつかはししも、こはなにごとぞと、我ながら覚え侍りき。




次田香澄氏による現代語訳

 お帰りになったと聞いても、同し様子で衣(きぬ)をひきかぶって寝ていると、いつのほどにか早くも院からのお手紙というのも情けない。大納言の北の方(継母)や祖母の尼上(あまうえ)などが来て、「どうしました。どうして起きないの」などいうのも悲しいので、「ゆうべから気分が悪くて」と答えると、「新枕(にいまくら)の名残かしらね」など、みなが思って言い合っているらしい。あまり情けないので、院の御文(おんふみ)を家人が持ち騒ぐが私は見ようともしなかった。

 「院の御使いがこのままでは帰れずに困っています。どうします、どうします」と家の者は困り果てて、「大納言に申しあげなさい」というのが聞えるのも堪え難い。父が、「気分が悪いそうだが、どうなのかね」といって来られた。 みなが院の御文を持ち騒いでいるのを見て、「なんというしようがない子だ。御返事はいったい申しあげまいというのかね」こう言いながら私の所へやって来られる音がする。院の御文には、

あまた年さすがに馴れし小夜衣(さよごろも)重ねぬ袖に残る移り香(幼い時から長の年月、お前と馴れ親しんできたはずだが、お前が許してくれないから、いたずらに夜の衣(きぬ)に移り香だけが残ったことだよ)

と紫の薄様(うすよう)の紙に書かれてある。この御歌を見て家族の者がめいめいに、 「この子はこのごろの若い人とは違っているよ」などという。いよいよ不愉快で、起き上がりもしないので、「そうそう代筆でもかえって失札でしょうし」と家人は困り果てて、御使いにかずけ物をするだけで、御返事は父から、 「本人はふがいなくあのままで臥(ふ)せっておりますので、このようなおそれ多い御文(おんふみ)をいただきながら、まだ拝見もいたしませんで」 こういった風に申しあげられたようであった。

 昼ごろ思いがけない人(雪の曙)からの手紙があった。見ると、

「今よりや思ひ消えなん一かたに煙(けぶり)が末のなびき果てなば(今からは、わたしは思いに堪(た)えられなくなって死んでしまいましょう。あなたがあの方〈院〉ひとりに靡いてしまったならば)
今まではともかくもいつかはと思って、かいない命も長らえてきました。いまは何を頼りに生きていかれましょう」

とある。「かかる心の跡のなきまで」という歌を彩色で描いた縹(はなだ)色の薄様に書いてある。その紙の「忍ぶの山の」とある所を少し破って、私は、

知られじな思ひみだれて夕煙なびきもやらぬしたの心は (こうなっても、どうしたらよいかと思い乱れて、あの方になびききれないでいる私の本心は、とてもあなたにはわかっていただけないでしょうね)

とばかり書いて使いに持たせたが、こんなことをするとは何ごとだろうと、我ながら思ったことだった。





「私の立場からの補足」は後日掲載します。


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