up11.12/12
| 原文(『とはずがたり(上)全訳注』p44) 還御(くわんぎよ)なりぬと聞けども、同じさまにて引きかづきて寝たるに、いつのほどにか御文(おんふみ)といふもあさまし。大納言の北の方(かた)、尼上(あまうへ)など来て、「いかに、などか起きぬ」などいふもかなしければ、「夜より心地わびしくて」といへば、「新枕(にひまくら)の名残か」など、人思ひたるさまもわびしきに、この御文を持ちさわげども(たれ)かは見ん。 「御使立ちわづらふ。いかにいかに」といひわびて、「大納言に申せ」などいふもたへがたきに、「心地わぶらんは」とておはしたり。 この御文をもてさわぐに、「いかなるいふかひなさぞ。御返事はまた申さじにや」 とて、来る音す。
紫(むらさき)の薄様(うすやう)に書かれたり。この御歌を見て、めんめんに「このごろの若き人にはたがひたり」などいふ。いとむつかしくて起きもあがらぬに、「さのみ宣旨書(せんじがき)もなかなかびんなかりぬべし」などいひわびて、御使の禄(ろく)などばかりにて、「いふかひなく同じさまに臥(ふ)して侍るほどに、かかるかしこき御文をもいまだ見侍らで」などや申されけん。 昼つかた思ひよらぬ人の文あり。見れば、
などあり。 「かかる心のあとのなきまで」とだみつけにしたる、縹(はなだ)の薄様(うすやう)に書きたり。「忍(しのぶ)の山の」とあるところをいささか破(や)りて、
とばかり書きてつかはししも、こはなにごとぞと、我ながら覚え侍りき。 |
| 次田香澄氏による現代語訳 |
|||
お帰りになったと聞いても、同し様子で衣(きぬ)をひきかぶって寝ていると、いつのほどにか早くも院からのお手紙というのも情けない。大納言の北の方(継母)や祖母の尼上(あまうえ)などが来て、「どうしました。どうして起きないの」などいうのも悲しいので、「ゆうべから気分が悪くて」と答えると、「新枕(にいまくら)の名残かしらね」など、みなが思って言い合っているらしい。あまり情けないので、院の御文(おんふみ)を家人が持ち騒ぐが私は見ようともしなかった。 「院の御使いがこのままでは帰れずに困っています。どうします、どうします」と家の者は困り果てて、「大納言に申しあげなさい」というのが聞えるのも堪え難い。父が、「気分が悪いそうだが、どうなのかね」といって来られた。 みなが院の御文を持ち騒いでいるのを見て、「なんというしようがない子だ。御返事はいったい申しあげまいというのかね」こう言いながら私の所へやって来られる音がする。院の御文には、
と紫の薄様(うすよう)の紙に書かれてある。この御歌を見て家族の者がめいめいに、 「この子はこのごろの若い人とは違っているよ」などという。いよいよ不愉快で、起き上がりもしないので、「そうそう代筆でもかえって失札でしょうし」と家人は困り果てて、御使いにかずけ物をするだけで、御返事は父から、 「本人はふがいなくあのままで臥(ふ)せっておりますので、このようなおそれ多い御文(おんふみ)をいただきながら、まだ拝見もいたしませんで」 こういった風に申しあげられたようであった。 昼ごろ思いがけない人(雪の曙)からの手紙があった。見ると、
とある。「かかる心の跡のなきまで」という歌を彩色で描いた縹(はなだ)色の薄様に書いてある。その紙の「忍ぶの山の」とある所を少し破って、私は、
とばかり書いて使いに持たせたが、こんなことをするとは何ごとだろうと、我ながら思ったことだった。 |
☆「私の立場からの補足」は後日掲載します。