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『とはずがたり』巻1.「第二夜、院の意に従う」








原文(『とはずがたり(上)全訳注』p51)


 かくて日ぐらし侍(はべ)りて、湯などをだに見入(い)れ侍らざりしかば、べちの病にやなど申し合ひて、暮れぬと思ひしほどに、御幸(ごかう)といふ音すなり。

 またいかならんと思ふほどもなく、引きあけつつ、いとなれ顔に入りおはしまして、「悩ましくすらんは何ごとにかあらん」など御たづねあれども、御いらへ申すべき心地もせず、ただうち臥(ふ)したるままにてあるに、そひ臥し給ひて、さまざま承りつくすも、いまやいかがとのみ覚ゆれば、なき世なりせばといひぬべきにうちそへて、思ひ消えなん夕煙(けぶり)、一かたにいつしかなびきぬと知られんも、あまり色なくやなど思ひわづらひて、つゆの御いらへも聞えさせぬほどに、今宵(こよひ)はうたて情なくのみあたり給ひて、薄き衣(きぬ)はいたくほころびてけるにや、残る方なくなりゆくにも、世にありあけの名さへうらめしき心地して、

心よりほかに解けぬる下紐(ひぼ)のいかなるふしにうき名流さん

など思ひつづけしも、心はなほありけると、我ながらいと不思議なり。

  「かたちは世々に変るとも契りはたえじ。あひみる夜半(よは)はへだつとも、心のへだてはあらじ」などかずかず承るほどに、むすぶほどなき短か夜は、明けゆく鐘の音すれば、さのみ明けすぎて、もて悩まるるもところせしとて起き出(い)で給ふが、「あかぬ名残などはなくとも見だに送れ」とせちにいざなひ給ひしかば、これさへ、さのみつれなかるべきにもあらねば、夜もすがら泣きぬらしぬる袖のうへに、薄き単(ひとへ)ばかりをひき掛けて、立ち出(い)でたれば、十七日の月西にかたぶきて、東(ひんがし)は横雲わたるほどなるに、桜萌黄(もよぎ)の甘(かん)の御衣(おんぞ)に、薄色の御衣、固文(かたもん)の御指貫(さしぬき)、いつよりも目とまる心地せしも、誰(た)がならはしにかとおぼつかなくこそ。

 隆顕(たかあき)の大納言、はなだの狩衣(かりぎぬ)にて御車寄せたり。為方の卿(きやう)、勘解由(かげゆ)の次官(すけ)と申しし、殿上人(てんじやうびと)には一人侍りし。さらでは北面(ほくめん)の下臈(げらふ)二三人、召次(めしつぎ)などにて、御車さし寄せたるに、折知りがほなる鳥の音(ね)も、しきりにおどろかしがほなるに、観音堂の鐘の音(おと)、ただわが袖(そで)にひびく心地して、「左右(ひだりみぎ)にも」とはかかることをやなど思ふに、なほ出(い)でやり給はで、「一人ゆかん道の御送りも」などいざなひ給ふも、「心も知らで」など思ふべき御ことにてはなけれども、思ひみだれて立ちたるに、くまなかりつる有明の影、白むほどになりゆけば、「あな心苦しのやうや」とてひき乗せ給ひて、御車引き出(い)でぬれば、かくとだにいひおかで、昔物語めきて、何となりゆくにかなど覚えて、

鐘のおとにおどろくとしもなき夢の名残もかなし有明の空

道すがらも、今しもぬすみ出でなどしてゆかん人のやうに契り給ふも、をかしとも いひぬべきを、つらさをそへてゆく道は、涙のほかはこととふ方もなくて、おはしまし着きぬ。

 角(すみ)の御所の中門(ちゆうもん)に御車ひき入れて、おりさせ給ひて、善勝寺大納言に、「あまりにいふかひなきみどり子のやうなるときに、うちすてがたくて伴ひつる。人に知らせじと思ふ。後見(うしろみ)せよ」といひおき給ひて、常の御所(ごしよ)へ入(い)らせ給ひぬ。




次田香澄氏による現代語訳

 こうやってその日を過して、湯などをさえ見向きもしなかったので、「ほかの病気だろう か」などと家人は言い合っていて、日が暮れたと思う時分に、「御幸」という声がするようである。

 またどういうことになるだろうと思うまもなく、院は部屋を開けてたいへん馴れ馴れしげにおはいりになって、「気分が悪いそうだがどうしたことだね」などお尋ねになるけれども、御返事申しあげる心地もせず、ただ臥したままでいると、院もそばへ添い臥される。

 いろいろと言葉を尽してお口説(くど)きになるが、今はどうなることかとばかり恐ろしく思われるので、人の言葉に偽りのない世であったならば、とでも言いたいような気持に加えて、「思ひ消えなん」と悲しんでよこされたあの方に対して、院の方へ早くもなびいてしまったと知られるのも、あまりこころのないことでは、などと思いわずらい、少しの御返事も申しあげないでいると、院は今宵はひどく思いやりなくお振舞いになり、私の最後に身を包んでいた薄い衣(きぬ)もひどくほころびてしまったのか、残るところなくなってしまうにつけても、夜の明ける有明けというものがこの世にあることさえ、恨めしい心地がするのだった。

心よりほかに解けぬる下紐(ひぼ)のいかなるふしに憂き名流さん (心ならずも院と契りをかわし、これからどんな場合ごとにつらい評判を立てられるこ とであろう)

こんなことが思い続けられたのも、心というものがまだ残っていたことよと、我ながらたいへん不思議な気がする。

 「形は過去・現在・未来いろいろに生まれ変るとしても、おまえとの契りはけっして絶えはしないよ。たとえ毎晩逢(あ)えないで夜を隔てることがあっても、けっして心の隔てはないのだよ」など、数々おっしゃるのを伺っているうちに、夢を結ぶまもない春の短夜は、明けゆく鐘の音がする。

 あまり明けきって周囲の者に心配させるのも遠慮だからとて、院は起き出られたが、「名残惜しいというほどではなくても、せめて見送りぐらいしなさい」としきりにお誘いになるので、これにさえそんなに冷淡にしているわけにもいかないと思い、夜通し泣き濡らした袖の上に、薄い単(ひとえ)ばかりを引掛けて立ち出(い)でた。

 折から十七日の月は西に傾き、東の空には横雲がたなびくころであったが、桜萌黄(もよぎ)の甘(かん)の御直衣(のうし)に薄紫のお召し物、固紋(かたもん)の御指貫(さしぬき)をお召しになっている院のお姿が、いつもよりふと心に残る心地がしたのも、こんな気持になるのはだれから教わったのかしらと、不思議である。

 叔父隆顕(たかあき)の大納言が薄藍(あい)の狩衣(かりぎぬ)でお車を寄せる。当時勘解由(かげゆ)の次官(すけ)といっていた為方(ためかた)の卿(きょう)が、殿上人(てんじょうびと)としては一人御奉仕していた。このほかは北面(ほくめん)の武士で下臈(げろう)が二三人と召次(めしつぎ)などでお車をさし寄せる。折知り顔の鶏の声もしきりに目を覚まさせる様子であるが、観音堂の明けの鐘の音はただ私の袖に響く心地がして、「左右(ひだりみぎ)にも」とはこういう気持をいうのだろうかなどと考えていた。

 院がなお出かねられて、「一人帰って行く道をおまえも送ってくれないか」とお誘いになるのも、「山の端(は)の心も知らで」などと、うわの空に思っては失礼なはずだけれど、思い乱れて立っていると、くまなく照りわたっていた有明けの月影も、白むほどになってゆく。 「ああ、いじらしい様子だな」 といって、院は私を車に引き乗せられ、お車を引き出してしまうと、父に暇(いとま)ごいさえ言い置かずに、連れられて行ってしまうなど、まるで昔物語めいて、どうなってゆくことだろうと思われる。

鍾のおとにおどろくとしもなき夢の名残もかなし有明の空 (鐘の音に目を覚ますというわけでなく、寝もやらずつらい一夜が明けたあとの名残も、何がなし悲しい有明け方である)

 道々でも、院は今しも女を盗み出してゆく人のように、いろいろ将来をかけて約束されるのも、興があるとも言うべきところであるけれども、私にはいろいろのつらい思いを添えて行く道は、ただ涙があふれるばかりで、そのうちお車は御所に着いた。

 角(すみ)の御所の中門(ちゅうもん)にお車を引き入れて、院はお降りになり、善勝寺大納言(隆顕)に、 「あんまり頼りない赤ん坊のようだから、うっちゃって置けなくていっしょに連れてきた。 しばらくみんなに知らせまいと思う。めんどうをみてくれ」 と言い置かれて、院は常の御所におはいりになった。






「私の立場からの補足」は後日掲載します。


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