up11.12/17
| 原文(『とはずがたり(上)全訳注』p358以下) あしたはまたとく、四条大宮の御ははがもと、六角櫛笥(くしげ)のむばのもとなど、人をたまはりて御たづねあれども、行方知らずと申しけり。さるほどに、あちこち尋ねらるれども、いづくよりかありと申すべき。よきついでに憂き世をのがれんと思ふに、十二月(しはす)の頃より、ただならずなりにけりと思ふ折からなれば、それしもむつかしくて、しばしさらば隠ろへゐて、この程すぐして身二つとなりなばと、思ひてぞゐたる。 これよりして長く琵琶の撥(ばち)を取ちじと誓ひて、後嵯峨の院より賜はりてし琵琶の八幡(やはた)へ参らせしに、大納言の書きて賜(た)びたりし文(ふみ)の裏に、法華経を書きて参らするとて、経の包紙に、
如法(によほふ)、御所よりもあなたこなたを尋ねられ、雪の曙も山々寺々までも、思ひ残すくまなく尋ねらるるよし聞けども、つゆも動かれず隠れゐて、聞法(もんぽふ)の結縁(けちえん)もたよりありぬべく覚えて、真願房(しんぐわんぼう)の室(むろ)にぞまた隠れ出(い)で侍りし。 |
| 次田香澄氏による現代語訳 |
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翌朝はまた早く、四条大宮の乳母のところ、六角櫛笥(くしげ)の祖母のところなど、人を下さってお尋ねになったが、どこも行方はわからないと申しあげた。さてあちらこちらとお尋ねになるけれども、どこから「ここにいます」と申すわけがあろう。このよい機会に憂き世を遁(のが)れようと思うけれども、十二月のころから体も普通でなくなったと思う折柄なので、それまた思うにまかせず、それではしばらくの間隠れていて出産までを過し、身二つになったらと考えていた。 これから一生琵琶の撥(ばち)を取るまいと誓って、後嵯峨院から賜った琵琶を八幡宮へ奉納した際、かつて父大納言が私に書いてくださった手紙の裏に、「法華経」を書いて奉納するとて、そのお経の包紙に、
案のじょう院からもあちらこちらを尋ねられ、雪の曙も山々寺々まで思い残すところなく尋ねていられる由(よし)を聞いても、すこしも動く気になれず隠れていたが、仏の教えをきく結縁(けちえん)の便宜もきっとあろうと思い、真願房(しんがんぼう)の庵室(あんしつ)へまたこっそりと出た。 |
| ※醍醐についてはこちら。(細川涼一氏「洛東山科における寺院の成立と展開−醍醐寺の歴史と真言密教寺院の展開」) |
☆「私の立場からの補足」は後日掲載します。