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| 原文(『とはずがたり上)全訳注』p407以下) 今日は御所の御雑掌(ざしやう)にてあるべきとて、資高(すけたか)承る。御事おびたたしく用意したり。傾城(けいせい)参りて、おびたたしき御酒盛なり。御所の御はしりまひとて、ことさらもてなしひしめかる。沈(ぢん)の折敷(をしき)にかねの盃(さかづき)すゑて、麝香(ざかう)のへそ三つ入れて、姉賜(たま)はる。 かねの折敷に、瑠璃(るり)の御器(ごき)にへそ一つ入れて、妹(おとと)賜はる。 後夜(ごや)打つほどまでも遊び給ふに、また若菊を立たせらるるに、「相応和尚(さうおうくわしやう)の破(われ)不動」かぞゆるに、「柿の本の紀僧正(きそうじやう)、一旦(いたん)の妄執(まうしふ)や残りけん」といふわたりをいふ折、善勝寺きと見おこせたれば、我も思ひ合はせらるるふしあれば、あはれにも恐ろしくも覚えて、ただ居たり。のちのちは、人々の声、乱舞(らんぶ)にて果てぬ。 御殿(との)ごもりてあるに、御腰打ち参らせて候(さぶら)ふに、筒井の御所のよべの御面影、ここもとにみえて、「ちともの仰せられん」と呼び給へども、いかが立ちあがるべき。動かでゐたるを、「御(お)よるにてあるをりだに」など、さまざま仰せらるるに、「はや立て。苦しかるまじ」と、忍びやかに仰せらるるぞ、なかなか死ぬばかり悲しき。御あとにあるを、手をさへ取りて引き立てさせ給へば、心の外に立たれぬるに、「御とぎにはこなたにこそ」とて、障子(しやうじ)のあなたにて仰せられゐたることどもを、寝入り給ひたるやうにて聞き給ひけるこそあさましけれ。 とかく泣きさまだれゐたれども、酔(ゑひ)心地やただならざりけん、つひに明けゆくほどに帰し給ひぬ。我過さずとはいひながら、悲しきことを尽して御前に臥したるに、殊にうらうらとおはしますぞ、いと堪へがたき。 今日は還御(くわんぎよ)にてあるべきを、「御名残多きよし傾城(けいせい)申して、いまだ侍る。今日ばかり」と申されて、大殿より御事参るべしとて、また逗留(とうりう)あるも、またいかなることかと悲しくて、局(つぼね)としもなくうち休みたるところヘ、
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| 次田香澄氏による現代語訳 |
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今日は院のお受持ちとしようということで資高(すけたか)が仰せを承る。御酒宴を盛大に用意した。白拍子(しらびょうし)が参って盛んなお酒盛である。院の御馳走だというので、格別に騒ぎ立ってもてなされる。沈香(じんこう)の折敷(おそき)に「かね」の杯を載せて、それに麝香(じゃこう)の固まりを三つ入れて姉が頂戴する。「かね」の折敷に、瑠璃(るり)の器(うつわ)に麝香の固まりを一つ入れて妹が頂戴する。 後夜(ごや)の鐘を打つほどまでもお遊びになったが、また若菊を立たせて舞わせられるときに「相応和尚(かしょう)の破(われ)不動」の今様を(鼓の拍子に合せて)歌うと、 柿の本の紀僧正、一旦(いたん)の妄執(まうしふ)や残りけん (柿の本の紀僧正が后を恋い幕い、いったん思い込んだ妄執がさぞ残ったことだろう)という辺りをいう折に、善勝寺(隆顕)がちらっと視線を送ってきた。私も思い合せられることがあるので胸を突かれ、また恐ろしくも思われて、じっと座っていた。後々には、人々の大声や乱舞になって宴は終った。 院がお寝みになっているときに、おそばで御腰を打ってさし上げていると、筒井の御所の昨夜のお方が、すぐそこにみえて、「ちょっと用があります」とお呼びになるが、どうして立ち上がることができよう。動かないでいたところ、「御所がお寝みになっている折なりと」など、さまざまにおっしゃられる。 すると院が、「早く立って行きなさい。差支えあるまい」と、忍びやかにおっしゃられるのは、かえって死ぬほど悲しい。院の御足もとに侍っているのを、私の手を取ってまでお引き立てになるので、心ならずも立ちあがったが、「御所のお相手のときにはこちらに返してあげますよ」と、大殿が襖のあちらでおっしゃっていたことどもを、院が寝入っているようにしてすっかりお聞きになっていたのは、なんともあさましいばかりだった。 あれやこれやと泣きくずれていたのだが、たぶん二人とも酔い心地が普通ではなかったのだろうか、結局明けゆくころにやっとお帰しになった。自分からの過ちではないとはいえ、ありたけの悲しい思いをして院の御前に臥していると、格別に御きげんよくていらっしゃるのは、ばんとうに堪えがたかった。 今日はお帰りのはずだったが、「傾城(けいせい)がお名残多いと申して、まだおります。今日だけもう一日」と申され、大殿のほうで御酒宴を御用意申しあげようとて、さらに御逗留(とうりゅう)があるのも、またどういうことになるかと悲しくて、局(つぼね)というほどでもないところでちょっと休んでいると殿から)、
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☆ここは『とはずがたり』の中でも、その異常性で有名な場面であって、次田香澄氏は「解説」で次のように言われている。
確かにここに描かれた「うらうら」している後深草院の姿は極めて不可解で不気味なのであるが、そうかと言って二条の態度も相当に変である。 本当に二条が後深草院と近衛大殿に異常な行為を強要された「被害者」なら、その心理的衝撃は非常に大きくて、まさに「死ぬばかり悲し」いはずであり、普通だったらショックで茫然自失となったり寝込んだりするのが当然だと思われるが、二条は寝込むどころか、「加害者」近衛大殿が贈ってきた歌に対して、のんびり返歌を詠んだりしているのである。 そんな呑気な「被害者」って本当にいるのか?、というのが私の素直な疑問であり、私はこんな変な「被害者」の一方的証言を国文学者が全く疑おうとしないことが理解できない。私にはそういう国文学者の反応こそ「異常を通り越して不可解」のように思われる。 |
☆「私の立場からの補足」は後日掲載します。