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| 原文(『とはずがたり(上)全訳注』p282) かくて三月(やよひ)の頃にもなりぬるに、例の後白河院御八講(はかう)にてあるに、六条殿長講堂はなければ、正親町(おほぎまち)の長講堂にて行はる。結願(けちぐわん)十三日に御幸(ごかう)なりぬる間(ま)に、御参りある人あり。「還御(くわんぎよ)待ち参らすべし」とて候(さぶら)はせ給ふ。二棟の廊(らう)に御わたりあり。 参りて見参(げざん)に入りて、「還御は早くなり侍らん」など申して、帰らんとすれば、「しばしそれに候(さぶら)へ」と仰せらるれば、何の御用ともおぼえねども、そぞろき逃ぐべき御人柄ならねば、候ふに、何となき御昔語り、「故大納言が常に申し侍りしことも、忘れず思(おぼ)し召さるる」など仰せらるるも、なつかしきやうにて、のどのどとうち向ひ参らせたるに、何とやらん思ひの外なることを仰せられ出だして、「仏も心きたなき勤めとや思し召すらんと思ふ」とかや承るも、思はずに不思議なれば、何となくまぎらかして立ち退(の)かんとする袖をさへ控へて、「いかなるひまとだに、せめてはたのめよ」とて、まことにいつはりならず見ゆる御袖の涙もむつかしきに、還御とてひしめけば、引き放ちまゐらせぬ。 思はずながら、不思議なりつる夢とやいはんなど覚えてゐたるに、御対面ありて、「久しかりけるに」などとて九献(くこん)すすめ申さるる、御陪膳(はいぜん)をつとむるにも、心の中を人や知らんといとをかし。 |
| 次田香澄氏による現代語訳 |
このようにして三月のころともなると、例の後白河院の法華御八講会(え)である。六条殿の長講堂は、いま焼けて無いので、今年は正親町(おおぎまち)の長講堂で行なわれる。御八講の最終日の十三日に、長講堂へ院の御幸があったお留守の間に、御所へおいでになった方(有明の月)がある。 「お帰りをお待ち申しあげましょう」といってお控えになられる。二棟(ふたむね)の廊(ろう)の間(ま)においでになる。 私がそこに参って御応対申して、「もうお帰りの時分でございましょう」など申しあげて帰ろうとすると、「ちょっとそこに座っていなさい」と仰せられる。何の御用ともわからないけれど、いいかげんなことを言って逃げてよいようなお人柄ではないので、お側に控えていると、なんとない昔話をされて、「(お父上の)故大納言が常々いっておられたことも、忘れず思っています」などおっしゃられる御様子も、なんとなくお懐かしい気がして、落ち着いて対座申しあげていると、何であろうか、思いのほかのことを仰せ出されて、「仏も心汚ないお勤めと思(おぼ)し召すだろうと思う」などといわれるのも、思いがけず不思議な気がするので、なんとなくまぎらわして立ち上がろうとする、その袖までも押えられて、「どんな暇にでも逢おうと、せめては約束してくれよ」と仰せられて、真実いつわりではないとみえる涙を、袖で抑えられる。めんどうなことになったと思うところヘ、院の還御(かんぎょ)とざわついたので、むりに引き放し申しあげて立った。 思いがけないことながら、不思議な夢だったとでもいおうか、などと思いながら控えていると、院はその方と御対面になって、「久し振りのおいでですのに」などといって、お酒をすすめ申される、そのお給仕役をつとめるにつけても、秘密を知っている自分の心の中をだれが知ろうかと、まことにおもしろかった。 |
| ※「有明の月」が初めて登場する場面である。最後の「心の中を人や知らんといとをかし。(秘密を知っている自分の心の中をだれが知ろうかと、まことにおもしろかった。)」という言葉は後深草院二条の性格を考える上で、極めて興味深い。
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☆「私の立場からの補足」は後日掲載します。