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| 原文(『とはずがたり(下)全訳注』p96以下) ひしひしとして還御(くわんぎよ)なりぬる御あとも寂しきに、「今日はこれに候(さぶら)へかし」と大宮の院の御けしきあれば、この御所に候ふに、東二条院よりとて御文(ふみ)あり。何とも思ひわかぬほどに、女院(によゐん)御覧ぜられてのち、「とは何ごとぞ、うつつなや」と仰(おほ)せごとあり。 「何ごとならん」と尋ね申せば、 「『その身をこれにて女院もてなして、露顕(ろけん)のけしきありて、御遊さまざまの御ことどもあると聞くこそ、うらやましけれ。古(ふ)りぬる身なりとも、思(おぼ)し召しはなつまじき御こととこそ思ひ参らするに』と、かへすがへす申されたり」 とて、笑はせ給ふもむつかしければ、四条大宮なる乳母(めのと)がもとへ出でぬ。 |
| 次田香澄氏による現代語訳 |
私の立場からの補足 |
| にぎにぎしく両院のお帰りになられたあとも寂しいが、「今日はここにいなさいな」と大宮院の仰せがあったので、この御所にお仕えしていると、東二条院からとてお手紙があった。どういうことともわからないでいると、女院が御覧になって後、「これは何ごとでしょう、気違いじみているよ」とおっしゃられる。 「何ごとでしょう」とお尋ね申すと、 「そなた(二条)をここで女院がもてなして、披露のようにして、いろいろの御酒宴があると聞くのはうらやましいことです。いくら私が古びた身でも、(姉上が)お見捨てになるようなこととは存じあげませんのに、と繰返し申されていますよ」とてお笑いになるのもわずらわしいので、私は四条大宮にある乳母(めのと)のもとへ帰った。 |
なお、『増鏡』に描かれた大宮院の栄華の様子はこちら。 なお、『徒然草』に描かれた若い頃の東二条院の逸話はこちら。(第222段) |