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『とはずがたり』巻3.「有明の最後の訪問、鴛鴦の夢」






原文(『とはずがたり(下)全訳注』p107以下)


 十一月(しもつき)六日のことなりしに、あまりになるほどに御訪れのうちしきるも、そらおそろしきに、十三日の夜ふくるほどに例の立ち入り給ひたるも、なべて世の中つつましきに、一昨年(をととし)より春日の御神木(さかき)京にわたらせ給ふが、このほど御帰座あるべしとひしめくに、いかなることにか、かたはらやみといふことはやりて、幾ほどの日数もへだてず、人々かくるると聞くが、

「殊に身に近き無常どもを聞けば、いつかわが身もなき人数(ひとかず)にと、心細きままに、思ひ立ちつる」とて、常よりも心細くあぢきなきさまにいひ契りつつ、「形は世々に変るとも、あひ見ることだに絶えせずは、いかなる上品上生(じやうぼんじやうしやう)の台(うてな)にも、共に住まずは物憂かるべきに、いかなる藁屋(わらや)のとこなりとも、もろ共にだにあらばと思ふ」など、夜もすがらまどろまず語らひ明かし給ふほどに、明け過ぎにけり。

 出で給ふべきところさへ、垣根つづきのあるじが方ざまに、人目しげければ、包むにつけたる御有様もしるかるべければ、今日はとどまり給ひぬる、そらおそろしけれども、心知る稚児(ちご)一人よりほかは知らぬを、わが宿所にても、いかが聞きなすらんと思ふも胸騒がしけれども、ぬしはさしも思されぬぞ言の葉なき心地する。

 今日は日ぐらしのどかに、憂かりし有明の別れより、「にはかに雲隠れぬと聞きしにも、かこつ方なかりしままに、五部の大乗経を手づから書きて、おのづから水茎の跡を、一巻(まき)に一文字づつを加へて書きたるは、必ず下界にていま一度契りを結ばんの大願なり。いとうたてある心なり。二の経書写は終りたる。供養(くやう)をとげぬは、このたび一所に生れて供養をせんとなり。竜宮(りゆうぐう)の宝蔵にあづけ奉らば、二百余巻の経、必ずこのたびの生れに供養をのぶべきなり。さればわれ北※(ほくばう)の露と消えなんのちの煙(けぶり)に、この経を薪(たきぎ)に積み具せんと思ふなり」

など仰せらるる、よしなき妄念もむつかしく、「ただ一つ仏の蓮(はちす)の縁をこそ」と申せば、「いさや、なほこの道の名残惜しきにより、いま一度人間に生を受けばやと思ひ定め、世のならひいかにもならば、むなしき空に立ちのぼらん煙も、なほあたりは去らじ」など、まめやかにかはゆきほどに仰せられて、うちおどろきて、汗おびたたしく垂り給ふを、「いかに」と申せば、

「わが身が鴛鴦(をし)といふ鳥となりて、御身のうちへ入ると思ひつるが、かく汗のおびたたしく垂るは、あながちなる思ひに、わが魂や袖の中にとどまりけん」など仰せられて、今日さへいかがとてたち出で給ふに、月の入るさの山の端に横雲白みつつ、東(ひんがし)の山はほのぼのと明くるほどなり。

 明けゆく鐘にねを添へて、帰り給ひぬる名残いつよりも残り多きに、近きほどよりかの稚児してまた文(ふみ)あり。

あくがるるわが魂はとどめおきぬ何の残りて物思ふらん

いつよりも悲しさもあはれさも、おきどころなくて、

物思ふ涙の色をくらべばやげに誰(た)が袖かしほれまさると

心にきと思ひつづくるままなるなり。



次田香澄氏による現代語訳

 (出産は)十一月六日のことであったが、あまりというほどにしきりと有明のお訪ねがあるのもそら恐ろしいところへ、十三日の夜更けごろ、また例のようにおいでになったのも、すべて世間に気がひけるが、ちょうど一昨年(おととし)から春日神社の御神木が京に御滞在になっていたのが、このほど御帰還になるというので、世間じゅうが騒ぎ立っているところへ、どうしたことであろうか、「かたはら病み」というものが流行して、いく日もたたないうちに多くの人が亡くなると聞いていたが、有明は、

「ことに身近な人たちの亡くなった知らせを聞くと、いつかわが身も亡き人数に入るのではないかと心細いので、思い立って来た」と、いつもより心細く頼りない様子で、いろいろと言い契られ、「来世でつぎつぎと何に生れ変るとしても、あなたと逢うことさえ絶えなければ ─ どんな上品上生(じょうぼんじょうしょう)の台(うてな)にでも、あなたといっしょに住まねばつらかろうから、─ どんな藁屋(わらや)の床であろうとも、いっしょにいられさえしたらと思う」 などと、夜通しまどろみもせず語り明かされるうちに、すっかり明けはなれてしまった。

 お出になるところさえ垣根つづきの母屋(もや)のあるほうに人目が多いので、お忍び姿もかえって目に立つであろうから、今日はここにおとどまりになる。そら恐ろしいけれども、気心の知れた稚児(ちご)一人よりほかは知らないのを、乳母(めのと)の家でもどう聞いて噂するだろうと思うと胸騒ぎがするけれど、御当人はそうもお思いにならないのは、いう言葉もない心地がする。

 今日は終日ゆっくりと、つらかったかつての有明との暁の別れの事から話し出されて、「あなたが急に姿を消したと聞いたときにも、どこへ嘆きを訴えようもないままに五部の大乗経を手ずから書いて、あなたの手紙の言葉を、順々に一巻に一文字ずつ写経のなかに加えて書いたのは、かならず人間界でいま一度あなたと契りを結ぼうと思う大願なのだ。これはただならぬ心である。この経の書写は終った。供養をまだしてないのは、今度同じ所に生れて一緒に供養をしようと思うからなのだ。竜宮の宝蔵に預け奉ったならば、二百余巻の経をかならず今度生れ変ったときに供養をするつもりである。だからわたしが露と消えて後、墓場の煙となるときに、この経を薪(たきぎ)といっしょに積んで燃やそうと思うのだ」とおっしゃられる。

 どうしようもない有明の妄念も恐ろしく、「ただ同じ極楽で、一つ蓮華の上に生れる縁をお祈りいたしましょう」と申しあげると、「いやそうではない。やはりこの道が名残惜しいので、いま一度人間に生を受けたいと思い定めて、世の習いでもし死んでしまったならば、むなしい空に立ち上る煙になっても、やはりおまえの辺りを立ち去るまい」 などと、真剣にいとおしいほどにおっしゃられて、(お眠りになって)ふと目を覚まされると、ひどく汗をお流しになっている。

 「どうなさいました」と申しあげると、「わたしの身が鴛鴦(おし)という鳥になって、御身の内へはいると思ったが、このように汗がひどく流れるのは、あまりな思いのために、わたしの魂が御身の中にとどまったのだろう」とおっしゃられる。今日まで居つづけてはとて、立ち出(い)でられると、月の入りかかる山の端に、横雲が白みつつ、東の山はほのぼのと明けるころである。

 明けゆく鐘に別れの悲しみを添えて、お帰りになった名残は、いつよりも残り多い折から、近い所から例の稚児を使いとしてまた手紙があった。

あくがるるわが魂はとどめおきぬ何の残りて物思ふらん (身を離れたわたしの魂はあなたの所にみんなとどめてきたはずなのに、何がこちらに残っていてこんなに物思いをするのだろう)

いつよりも悲しさもあわれさも、どうしようもなく思われて、

物思ふ涙の色をくらべばやげに誰(た)が袖かしほれまさると (物思いの涙の色を比べたいものです。ほんとうにどちらの袖が濡れまさっているかと)

心にふと思い浮かんだままの歌である。



☆次田香澄氏は「解説」において、「有明は流行病が猖獗しているにつけ死への予感を語るが、一方、それを否定するように強烈な妄執(もうしゅう)を語り、それには彼女もたじろぐばかりである。しかしこれほどまでに思われれば彼女にも悔いるところはなかったろう。もはや彼の真の愛情を確認したに違いない。」と述べておられるが、そうした恋愛観は「真の愛情」の重要性を信じて疑わない近代人たる次田香澄氏には自明であったとしても、鎌倉時代の最上層貴族の一員である作者の感覚と同じかどうかについては多大な疑問がある。
 また、次田香澄氏は「この段における有明の歌には男の最後の激情と哀感がこもっている。彼女もさすがに気がひけてか、心にふと思い浮かんだままだと、わざわざことわっているけれども、『とはずがたり』では有明の歌が最高であり、それと対蹠的なのが作者の歌であることは、作歌の才能における資質の相違というほかはない。」とも言われているが、それは『とはずがたり』が歌物語ではなく、事実の記録であることを前提とした見解である。
 しかし、この場面に限ってみても、出産後一週間目に妊娠するという医学的にありえない事実を平気で書いている『とはずがたり』の作者を、次田香澄氏はどうしてそこまで信用するのか、という疑問が生じる。
 『源氏物語』において、作者が登場人物によって作中歌の巧拙を使い分けているのはよく知られているが、私は、それと全く同様なことが『とはずがたり』でも行われていると考えている。




工事中

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