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| 原文(『とはずがたり(下)全訳注』p430以下) 三月(やよひ)初めつ方、いつも年の初めには参りならひたるも忘られねば、八幡(やはた)に参りぬ。正月(むつき)のころより奈良に侍り、鹿のほかたよりなかりしかば、御幸(ごかう)とも誰(たれ)かは知らん。例の猪鼻(ゐのはな)より参れば、馬場殿あきたるにも、過ぎにしこと思ひ出でられて、宝前を見参らすれば、御幸の御しつらひあり。「いづれの御幸にか」と尋ね聞き参らすれば、遊義門院(いうぎもんゐん)の御幸といふ。いとあはれに参りあひまゐらせぬる御契りも、去年(こぞ)みし夢の御面影さへ思ひ出で参らせて、今宵(こよひ)は通夜(つや)して、あしたもいまだ、女官(にようくわん)めきたる女房のおとなしきが所作(しよさ)するあり。誰(たれ)ならんとあひしらふ。得選(とくせん)おとらぬといふ者なり。 いとあはれにて、何となく御所(ごしよ)さまのこと尋ね聞けば、「みな昔の人は亡くなり果てて、若き人々のみ」といへば、いかにしてか誰とも知られ奉らんとて、御宮巡(めぐ)りばかりをなりとも、よそながらも見参らせんとて、したためにだにも宿へも行かぬに、事なりぬといへば、片方(かた)に忍びつつ、よに御輿のさまけだかくて、宝前へ入らせおはします。御幣の役を、西園寺(さいをんじ)の春宮権大夫(とうぐうごんのだいぶ)つとめらるるに、太上入道殿(だいじやうにふだうどの)の左衛門督(さゑもんのかみ)など申ししころの面影も、通ひ給ふ心地して、それさへあはれなるに、今日は八日とて、狩尾(とがのを)へ女房御参りといふ。 網代輿(あじろごし)二つばかりにて、ことさらやつれたる御さまなれども、もし忍びたる御参りにてあらば、誰とかは知られ奉らん。よそながらもちと御姿をもや見参らする、と思ひて参るに、また徒(かち)より参る若き人、二三人行きつれたる。御社に参りたれば、さにやと覚えさせおはします御後ろを見参らするより、袖の涙はつつまれず、立ちのくべき心地もせで侍るに、御所作はてぬるにや、立たせおはしまして、「いづくより参りたる者ぞ」と仰せあれば、過ぎにし昔より語り申さまほしけれども、「奈良の方(かた)よりにて候」と申す。 「法華寺よりか」など仰せあれども、涙のみこぼるるも、あやしとや思し召されんと 思思ひて、言葉すくなにてたち帰り侍らんとするも、なほ悲しくおぼえて候(さぶら)ふに、すでに還御(くわんぎよ)なる、御名残もせん方なきに、降りさせおはしますところの高きとて、え降りさせおはしまさざりしついでにて、「肩をふませおはしまして、降りさせおはしませ」とて、御そば近く参りたるを、あやしげに御覧ぜられしかば、「いまだ御幼く侍りし昔は、馴れ仕うまつりしに、御覧じ忘れにけるにや」と申し出でしかば、いとど涙もところせく侍りしかば、御所(ごしよ)さまにもねんごろに御尋ねありて、「いまは常に申せ」など仰せありしかば、見し夢も思ひ合せられ、過ぎにし御所に参りあひまししもこの御社ぞかし、と思ひ出づれば、かくれたる信のむなしからぬを喜びても、ただ心を知るものは涙ばかりなり。 徒(かち)なる女房のなかに、ことに初めより物など申すあり。問へば、兵衛(ひやうゑ)の佐(すけ)といふ人なり。次の日還御とて、その夜は御神楽(かぐら)・御てあそび、さまざまありしに、暮るるほどに、桜の枝を折りて兵衛の佐のもとへ、「この花散らさんさきに、都の御所へたづね申すべし」と申して、つとめては、還御よりさきに出で侍るべき心地(ここち)せしを、かかるみゆきに参り会ふも、大菩薩の御志なりと思ひしかば、よろこびも申さんなど思ひて、三日とどまりて、御社に候(さぶら)ひてのち、京へ上りて、御文(ふみ)を参らすとて、「さても花はいかがなりぬらん」とて、
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| 次田香澄氏による現代語訳 |
私の立場からの補足 |
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| 三月の初めごろ、いつも年の初めにはお参りする例だったのも忘れられないので、石清水(いわしみず)八幡宮にお参りした。正月のころから奈良にいて、鹿の声のほか縁がなかったので、こちらに御幸があるともだれが知ろう。 例のように猪鼻(いのはな)坂から参ると、馬場殿が開いているのを見るにつけても、かつてここで院と巡り会った日のことが思い出され、神前を拝見すると、御幸の御用意がしてある。「どなたの御幸でしょうか」と社の人にお尋ね申すと、「遊義門院の御幸」という。 参り合わせ申した御縁もまことに哀れ深く、去年の夢想の中の女院の御面影まで思い出し申しあげて、今宵は通夜をしたが、翌朝もまだ……女官(にょうかん)めいた年輩の女房が神前の所作(しょさ)をしている。だれだろうと思って聞いてみる。得選(とくせん)のおとらぬという者である。 |
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| しみじみ懐しく思われ、なんとなく御所の方のことを尋ね問うと、「みな昔の人々は亡く
なってしまって、若い人たちだけです」というので、ではどうして私をだれとも知っていただけようと思い、せめて女院の御宮巡りだけでもよそながらお見あげしようと思って、食事にさえ宿へも行かないでいたところ、御到着になったというので、片すみに身を寄せていると、(皇后という御身分柄正式の)御輿のさまはまことにけ高くて、神前へおいでになられる。御幣の役を西園寺の東宮権大夫(とうぐうごんのだいぶ)が勤められるのを見るにつけても、太政入道殿(実兼)が左衛門督(さえもんのかみ)などと申されていたころの面影に通う心地がして、それさえ感慨が深いのに、今日は八日とて狩尾(とがのお)へ女房方の御参りがあるという。
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| 網代輿二つほどで、格別やつした御様子であるけれども、もしお忍びの御参りであるならば、私がだれだと知られ申そう、よそながらも、ちょっとお姿をもお見あげすることができようかと思ってまいると、また徒歩でまいる若い女房二三人と行き連れになった。 お社にまいると、それかと思われる御後ろ姿を拝見するや、はやくも袖の涙は包みきれず、立ち隠れる心地もしないでいると、神拝の所作が終ったのかお立ちになられて、私に「どちらから参ったものか」と仰せになるので、過ぎし昔のことからお話し申したかったけれども、「奈良のほうからでございます」と申しあげた。 |
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| 「法華寺からですか」など仰せられるけれど、涙ばかりがこぼれるのも、おかしいとお思いになろうかと思って、言葉少なに立ち去ろうとしたが、やはり悲しくて控えていると、もはやお帰りの刻限となる。 お名残惜しさはどうしようもないところへ、お降りになられる所が高いとて降りわずらっていられた折に、「肩をお踏みになられてお降り下さいませ」といってお側近く参ったのを、不審そうに御覧になられたので、「まだ幼くていられました昔は、親しくお仕え申しあげましたのに、お見忘れでございましょうか」と申し出でると、いよいよ涙もとどめがたかったので、女院様もねんごろにお尋ねがあって、「これからはいつも訪ねておいで」などとおっしゃられる。 去年の夢想も思い合せられ、亡き院に参り合い申したのもこの御社だったと思い出すと、心に秘めた深い信心のむなしくなかったのを喜ぶにつけても、ただ心を知るものは涙ばかりである。 |
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徒歩でお供していた女房の中に、ことに初めから私に語りかけてくる者があった。問えば兵衛(ひょうえ)の佐(すけ)という人である。つぎの日女院が御帰京というので、その前夜は御神楽・御手遊びがさまざまあったが、夕暮ごろに桜の枝を折って兵衛の佐のところヘ、「この花が散らない前に都の御所へお訪ね申しましょう」と申して翌朝は、お帰りより先に社を出る心づもりだったのを、こういう御幸に参り会うのも、大菩薩の御志であると思ったので、大菩薩に御礼も申しあげようなどと思って、三日とどまってお社にお籠りした後、京へ上ってお手紙を御所の兵衛の佐に差上げるときに、「ところで桜の花はどうなったでしょう」と、
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(御所の兵衛の佐からの)御返し、
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