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『徒然草』第114段 今出川のおほい殿






原文(『徒然草(三)全訳注』.p34)


 今出川(いまでがは)のおほい殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川(ありすがは)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板(まへいた)までささとかかりけるを、為則(ためのり)、御車(みくるま)のしりに候ひけるが、「希有(けう)の童(わらは)かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、おほい殿、御気色(みけしき)悪(あ)しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭(かしら)を打ち当てられにけり。

 この高名(かうみやう)の賽王丸は、太秦殿(うづまさどの)の男、料(れう)の御牛飼い(うしかひ)ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は、ひささち、一人は、ことつち、一人は、はふはら、一人は、おとうしとつけられけり。



三木紀人氏による現代語訳

私の立場からの補足

 今出川の大臣殿が嵯峨にお出掛けになったおりに、有栖川(ありすがわ)あたりの、水が流れている所で、賽王丸(さいおうまる)が御牛を急がせたところ、牛の蹴立てた水しぶきが、車の前板にまで勢いよくかかった。御車の後ろの席に乗っていた為則(ためのり)が、「とんでもない牛飼童だ。こんな所で御牛を急がせてよいものか」と言うと、大臣はふきげんになられて、「お前が、車の御し方を賽王丸よりよく知っているはずはあるまい。お前こそ、とんでもない男だ」とおっしゃって、為則の頭を車に打ちつけられた。

 この有名な賽王丸は、太秦殿に仕える男で、その御用をつとめた牛飼である。この太秦殿に侍っていた女房の名は、一人はひささち、一人はことつち、一人ははふはら、一人はおとうしとお付けになった。



「今出川のおほい殿」は太政大臣西園寺公相(1223〜1267.45歳)のこと。『増鏡』巻7「北野の雪」には死を前にした公相の述懐が描かれているが、洞院家にとっては極めて不愉快な叙述になっているところが興味深い。また増補本系の『増鏡』には、公相死後の奇妙な事件が描かれている。
 公経・実氏・公相・実兼・公衡の歴代西園寺家当主については、公衡の登場する『徒然草』第83段の補論で若干検討した。西園寺家系図はこちら

為則は伝不詳。賽王丸は『駿牛絵詞』にも登場する有名な牛飼。西園寺家と牛の関わりについてはこちら。(網野善彦氏「西園寺家とその所領」)

最後の女房の名前は牛にちなんだものだろうと考えられているが、ずいぶん奇妙な名前である。全体に感想を述べにくい変な話であるが、兼好に西園寺家に対するからかいの気持ちがあることは明らかである。

公相は『弁内侍日記』にも頻繁に登場するが、そこでの公相像は『徒然草』のこの段に描かれた公相像とは全く異なる印象を与える。(一例はこちら。)





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