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| 原文(『徒然草(三)全訳注』.p34) 今出川(いまでがは)のおほい殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川(ありすがは)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板(まへいた)までささとかかりけるを、為則(ためのり)、御車(みくるま)のしりに候ひけるが、「希有(けう)の童(わらは)かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、おほい殿、御気色(みけしき)悪(あ)しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭(かしら)を打ち当てられにけり。 この高名(かうみやう)の賽王丸は、太秦殿(うづまさどの)の男、料(れう)の御牛飼い(うしかひ)ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は、ひささち、一人は、ことつち、一人は、はふはら、一人は、おとうしとつけられけり。 |
| 三木紀人氏による現代語訳 |
私の立場からの補足 |
| 今出川の大臣殿が嵯峨にお出掛けになったおりに、有栖川(ありすがわ)あたりの、水が流れている所で、賽王丸(さいおうまる)が御牛を急がせたところ、牛の蹴立てた水しぶきが、車の前板にまで勢いよくかかった。御車の後ろの席に乗っていた為則(ためのり)が、「とんでもない牛飼童だ。こんな所で御牛を急がせてよいものか」と言うと、大臣はふきげんになられて、「お前が、車の御し方を賽王丸よりよく知っているはずはあるまい。お前こそ、とんでもない男だ」とおっしゃって、為則の頭を車に打ちつけられた。 この有名な賽王丸は、太秦殿に仕える男で、その御用をつとめた牛飼である。この太秦殿に侍っていた女房の名は、一人はひささち、一人はことつち、一人ははふはら、一人はおとうしとお付けになった。 |
公経・実氏・公相・実兼・公衡の歴代西園寺家当主については、公衡の登場する『徒然草』第83段の補論で若干検討した。西園寺家系図はこちら。 |