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『徒然草』第62段.延政門院いときなく






原文(『徒然草(二)全訳注』.p97)


 延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御ことつてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字牛の角(つの)文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。



三木紀人氏による現代語訳

私の立場からの補足

 延政門院が御幼少でいらっしゃった時に、院に参上する人に御伝言を頼んで申し上げなさったというお歌、

ふたつ文字(こ)、牛の角のような文字(い)、まっすぐな文字(し)、ゆがんだ形の文字(く)、そのようにあなた様のことが思われます。

これは、院のことを恋しくお思い申し上げなさっているという内容である。
延政門院(1259〜1332.74歳)は後嵯峨院(1220〜72.53歳)皇女。母は西園寺公経女、従三位公子。1258年生まれの後深草院二条より1歳下で、同世代である。

『兼好法師歌集』に延政門院一条という女房が登場するので、この話はおそらく延政門院一条から入手したものと思われる。兼好と延政門院一条の間の贈答歌についてはこちら。(第107段)

『増鏡』作者の後嵯峨院皇女に対する視線が極めて冷酷なのと対照的に、兼好の視線はとても温かい。この点についてはこちら




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