更新13.4/12 up10.9/18


  原文を見る−『徒然草』−  



 ここでは『徒然草』の重要部分について、主として三木紀人氏の講談社学術文庫版『徒然草増鏡全訳注(一)〜(四)』に従って、原文と三木氏による現代語訳を紹介し、あわせて「私の立場からの補足」、「私の考え方」を付加します。(三木紀人氏の略歴はこちら。)
 なお、従来の研究に従って全体を244段に分け、序段から243段までの段数を示していますが、このように個別要素に分解して行こうとする姿勢そのものが、『徒然草』の真実に近づくことを妨げている可能性もあります。この点には充分注意し、周辺諸段への配慮を慎重に行いつつ、検討を進めたいと考えています。


※村上源氏、西園寺家、洞院家関係者が登場する段には次のマークをつけました。
    村上源氏  西園寺家  洞院家


序段

第1段
第2段
第3段
第4段
第5段

第6段
第7段
第8段
第9段
第10段
つれづれなるままに

いでや、この世に生れては
いにしへのひじりの御代の
よろづにいみじくとも
後の世の事
不幸に愁に沈める人の

わが身のやんごとなからん
あだし野の露消ゆる時なく
世の人の心まどはす事
女は髪のめでたからんこそ
家居のつきづきしく

第11段
第12段
第13段
第14段
第15段

第16段
第17段
第18段
第19段
第20段 
神無月のころ
同じ心ならん人と
ひとり灯のもとに
和歌こそなほをかしきもの
いづくにもあれ

神楽こそ、なまめかしく
山寺にかきこもりて
人はおのれをつゞまやかにし
をりふしの移りかはるこそ
なにがしとかやいひし

第21段
第22段
第23段
第24段
第25段

第26段
第27段
第28段
第29段
第30段
よろづのことは、月見るにこそ
何事も、古き世のみぞ
衰へたる末の世とはいへど
斎王の、野宮におはします
飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世

風も吹きあへずうつろふ人の
御国ゆづりの節会
諒閣の年ばかりあはれなる
しづかに思へば
人のなきあとばかり悲しきは

第31段
第32段
第33段
第34段
第35段

第36段
第37段
第38段
第39段
第40段
雪のおもしろう降りたりし朝
九月廿日のころ
今の内裏作り出されて
甲香は、ほら貝のやうなるが
手のわろき人の

久しくおとづれぬころ
朝夕へだてなく馴れたる人の
名利に使はれて
ある人、法然上人に
因幡国に

第41段
第42段
第43段
第44段
第45段

第46段
第47段
第48段
第49段
第50段
五月五日、賀茂のくらべ馬を
唐橋中将といふ人の子に
春の暮つかた
あやしの竹の編戸のうちより
公世の二位のせうとに

柳原の辺に
ある人、清水へ参りけるに
光親卿、院の最勝講奉行して
老い来りて、始めて道を行ぜん
応長のころ、伊勢国より

第51段
第52段
第53段
第54段
第55段

第56段
第57段
第58段
第59段
第60段
亀山殿の御池に
仁和寺にある法師
これも仁和寺の法師
御室に、いみじき児の
家の作りやうは

久しくへだゝりて逢ひたる人の
人の語り出でたる歌物語の
道心あらば
大事を思ひ立たん人は
真乗院に盛親僧都とて

第61段
第62段
第63段
第64段
第65段

第66段
第67段
第68段
第69段
第70段
御産のとき、甑落す事は
延政門院いときなく
後七日の阿闍梨
車の五緒は
このごろの冠は

岡本関白殿
賀茂の岩本・橋本は
筑紫に、なにがしの押領使
書写の上人は
元応の清暑堂の御遊に

第71段
第72段
第73段
第74段
第75段

第76段
第77段
第78段
第79段
第80段
名を聞くより、やがて面影は
いやしげなる物
世に語り伝ふる事
蟻のごとくに集まりて
つれづれわぶる人は

世の覚え花やかなるあたりに
世の中に、そのころ人の
今様の事どもの珍らしきを
何事も、入りたゝぬさましたる
人ごとに、我が身にうとき事

第81段
第82段
第83段
第84段
第85段

第86段
第87段
第88段
第89段
第90段
屏風・障子などの絵も文字も
うすものの表紙は
竹林院入道左大臣殿
法顕三蔵の、天竺に渡りて
人の心すなほならねば

惟継中納言は
下部に酒飲まする事は
ある者、小野道風の書ける
奥山に、猫またといふもの
大納言法印の召し使ひし

第91段
第92段
第93段
第94段
第95段

第96段
第97段
第98段
第99段
第100段
赤舌日といふ事
ある人、弓射る事を習ふに
牛を売る者あり
常磐井相国、出仕し給ひけるに
箱のくりかたに緒を付くる事

めなもみといふ草あり
その物につきて
尊きひじりの云ひ置きける事
堀川相国は
久我相国は

第101段
第102段
第103段
第104段
第105段

第106段
第107段
第108段
第109段
第110段
ある人、任大臣の節会の内弁を
尹大納言光忠入道
大覚寺殿にて
荒れたる宿の
北の屋かげに消え残りたる雪

高野の証空上人
女の物言ひかけたる返事
寸陰惜しむ人なし
高名の木のぼりといひし
双六の上手といひし人に

第111段
第112段
第113段
第114段
第115段

第116段
第117段
第118段
第119段
第120段
囲碁・双六好みて
明日は遠国へ赴くべしと
四十にもあまりぬる人の
今出川のおほい殿
宿河原といふところにて

寺院の号、さらぬよろづ
友とするにわろき者
鯉の羹食ひたる日は
鎌倉の海に鰹と云ふ魚は
唐の物は、薬の外は

第121段
第122段
第123段
第124段
第125段

第126段
第127段
第128段
第129段
第130段
養ひ飼ふものには、馬・牛
人の才能は
無益のことをなして
是法法師は、浄土宗に恥ぢず
人におくれて、四十九日の

ばくちの、負けきはまりて
あらためて益なき事は
雅房大納言は、才賢く
顔回は、志、人に労を施さじ
物に争はず

第131段
第132段
第133段
第134段
第135段

第136段
第137段
第138段
第139段
第140段
貧しき者は財をもて礼とし
鳥羽の作道は
夜の御殿は東御枕なり
高倉院の法華堂の三昧僧
資季大納言入道とかや

医師篤成、故法皇の御前に
花はさかりに、月はくまなき
祭過ぎぬれば、後の葵不用
家にありたき木は
身死して財残る事は

第141段
第142段
第143段
第144段
第145段

第146段
第147段
第148段
第149段
第150段
悲田院の堯蓮上人は
心なしと見ゆる者も
人の終焉の有様の
栂尾の上人
御随身秦重躬

明雲座主、相者に逢ひ給ひて
灸治、あまた所に成りぬれば
四十以後の人、身に灸を
鹿茸を鼻にあてて
能をつかんとする人

第151段
第152段
第153段
第154段
第155段

第156段
第157段
第158段
第159段
第160段
ある人の云はく、年五十になる
西大寺静然上人、腰かがまり
為兼大納言入道召し捕られて
この人、東寺の門に雨宿り
世に従はん人は

大臣の大饗は
筆を執れば物書かれ
盃のそこを捨つる事は
みなむすびといふは
門に額懸くるを

第161段
第162段
第163段
第164段
第165段

第166段
第167段
第168段
第169段
第170段
花のさかりは
遍照寺の承仕法師
太衝の太の字
世の人あひ会ふ時
あづまの人の都の人に交り

人間の営み合へるわざを
一道に携はる人
年老いたる人の
何事の式といふ事は
さしたる事なくて

第171段
第172段
第173段
第174段
第175段

第176段
第177段
第178段
第179段
第180段
貝をおほふ人の
若き時は、血気うちにあまり
小野小町が事
小鷹によき犬
世には、心えぬ事の多きなり

黒戸は、小松御門位につかせ
鎌倉中書王にて
ある所の侍ども、内侍所の
入宋の沙門、道眼上人
さぎちやうは

第181段
第182段
第183段
第184段
第185段

第186段
第187段
第188段
第189段
第190段
ふれふれこゆき
四条大納言隆親卿
人つく牛をば角を切り
相模守時頼の母は
城陸奥守泰盛は

吉田と申す馬乗りの
よろづの道の人
ある者、子を法師になして
今日はその事をなさんと
妻といふものこそ

第191段
第192段
第193段
第194段
第195段

第196段
第197段
第198段
第199段
第200段
夜に入りて物の映えなし
神仏にも、人のまうでぬ日
くらき人の、人をはかりて
達人の人を見る眼は
ある人久我縄手を通りけるに

東大寺の神輿
諸寺の僧のみにもあらず
揚名介に限らず
横川行宣法印が申し侍りしは
呉竹は葉ほそく

第201段
第202段
第203段
第204段
第205段

第206段
第207段
第208段
第209段
第210段
退凡・下乗の卒塔婆
十月を神無月と言ひて
勅勘の所に靫かくる作法
犯人を笞にてうつ時は
比叡山に、大師勧請の起請

徳大寺右大臣殿
亀山殿建てられんとて
経文などの紐を結ふに
人の田を論ずるもの
喚子鳥は春のものなり

第211段
第212段
第213段
第214段
第215段

第216段
第217段
第218段
第219段
第220段
よろづの事はたのむべからず
秋の月は、限りなくめでたき
御前の火炉に火をおく時は
想夫恋といふ楽は
平宣時朝臣、老いののち

最明寺入道
ある大福長者の云はく
狐は人にくひつくものなり
四条黄門命ぜられて云はく
何事も辺土は、賤しく

第221段
第222段
第223段
第224段
第225段

第226段
第227段
第228段
第229段
第230段
建治・弘安のころは
竹谷乗願坊、東二条院へ
田鶴の大臣殿は
陰陽師有宗入道
多久助が申しけるは

後鳥羽院の御時
六時礼賛は
千本の釈迦念仏は
よき細工は
五条内裏には

第231段
第232段
第233段
第234段
第235段

第236段
第237段
第238段
第239段
第240段

第241段
第242段
第243段
園の別当入道は
すべて人は、無智無能
よろづのとがあらじと思はば
人の物を問ひたるに
ぬしある家には

丹波に出雲といふ所あり
柳筥に据ゆるものは
御随身近友が自賛とて
八月十五日、九月十三日は
しのぶの浦の蜑の見るめも

望月のまどかなる事は
とこしなへに違順に
八つになりし年


トップページ 『とはずがたり』INDEX 『増鏡』INDEX