はじめに:古典や中世史になじみのない人のために



 このホームぺージは『とはずがたり』という日本文学史上かなり特異な性格を有する作品を出発点として、『増鏡』『五代帝王物語』『竹向きが記』『徒然草』などの古典文学、そして中世史を研究するために開設しました。

 『とはずがたり』の作者は、持明院統(北朝)の祖である後深草院に二条という名前で仕えた女性です。彼女は村上源氏の嫡流たる久我(こが)家の生まれであることに強い誇りを抱いており、非常に知的レベルが高く、また勝ち気で我儘な人でした。はっきり言って、ちょっと変な人です。

 源氏というと、普通はいわゆる源平合戦の源氏、即ち武士の棟梁となった清和源氏を連想しますが、もともと源氏とは皇族を臣籍に降下させるときに与えた姓であり、いずれの天皇の子孫かにより嵯峨源氏・清和源氏・宇多源氏・村上源氏・花山源氏・後三条源氏などに分かれています。そして貴族社会においては、清和源氏の武士など天皇家との血縁が非常に薄い身分の低いものであって、とうてい源氏の本流だとは考えられていませんでした。

 では、貴族社会での源氏の本流は何かというと、それは村上天皇(926〜67.在位946〜67)の子孫である村上源氏です。この村上源氏の嫡流が久我家であり、久我家は五摂家につぐ清華(せいが)の家柄、即ち太政大臣を極官とする家柄として高い格式を誇っていました。この久我家の支流として土御門・堀河・中院・六条・千種・北畠・久世・東久世・岩倉・梅溪・愛宕などの諸家が分立し、貴族社会の中の一大グループを形成していた訳です。

 とはいっても、村上源氏という言葉自体、一般にはなじみがありませんが、後醍醐天皇の側近で『神皇正統記』の著者である南朝のイデオローグ北畠親房(1293〜1354)や闘将千種忠顕(?〜1336)も村上源氏であり、また明治の元勲岩倉具視(1825〜83)も村上源氏です。これらの人々はみな本姓は源であって、家名が北畠や千種・岩倉となっているだけです。

 さらに女優の久我美子さんや若大将こと加山雄三氏も村上源氏に属します。久我美子さんは久我家第33代当主、侯爵久我通顕氏の長女ですが、昭和21年、学校(女子学習院)や家族に内緒で東宝の第1期ニューフェースに応募し、合格した時は侯爵家の令嬢が女優のような下賤な職業につくなんてとんでもないと一族の間で大問題になったそうです。ちなみに久我美子さんは芸名を「くが・よしこ」としていますが、結婚前の本名は字は同じでも「こが・はるこ」と読んだそうです。

 また、加山雄三氏の母、女優の故小桜葉子さんの本名は岩倉具子といい、岩倉具視の曾孫です。従って、加山雄三氏は岩倉具視から5代目、その息子の山下徹大(やました・てつお)氏は6代目の子孫にあたります。

 さて、村上天皇の皇子である具平親王(964〜1009)から久我美子さんや加山雄三・山下徹大父子に至る村上源氏1000年の歴史の中で、特筆すべきは源通親(みちちか.1149〜1202)という極めて魅力的な人物です。この人は源頼朝に対して、いかにも貴族的な方法で反撃した人物として有名です。

 晩年の頼朝は娘を後鳥羽天皇の妃として入内させることに固執するなど、次第に本来の貴族的性格を露わにして、御家人との間に疎隔を生じるようになっていったのですが、この頼朝の弱点を巧みについて九条兼実らの頼朝シンパの貴族を一挙に失脚させた天才的な政治家が源通親です。

 誰が言い始めたのかよく分かりませんが、いろいろな本に、この人こそ日本史上最も悪辣な陰謀家、マキャベリストと書いてあります。思想史に関心がある人には、あの異常に難解で、かつ不思議な魅力に満ちている『正法眼蔵』を書いた道元の父親と言った方がいいかもしれません。

 『とはずがたり』の作者、後深草院二条は、このマキャベリスト源通親の曾孫にあたります。マキャベリスト通親の血を承け、また名女優久我美子さんのご先祖様でもあるこの女性が書いた『とはずがたり』という作品は、昭和13年になってはじめてその存在が確認された、古典としては極めて珍しい作品で、その登場のときから謎めいた事情につつまれています。

 『とはずがたり』には、持明院統(北朝)の祖である後深草院と、後深草院の同母弟で大覚寺統(南朝)の祖である亀山院などをめぐる、極めて退廃的な男女関係が書かれていたために、戦前は研究が実際上不可能でしたが、昭和25年に復刻版が出版されて以来、多くの国文学者・歴史学者・小説家等の知識人の関心を呼び、急速に研究が進みました。
 
 しかし、学者たちは極めて多様な、というかてんでんばらばらなことを言っていて、『とはずがたり』をめぐる学説は矛盾にみちており、学者の本を読めば読むほど作者の統一的な人間像を描き出すことができないという奇妙な現象が起きています。『とはずがたり』をめぐる言説は、今なお大変な混乱の中にあります。

 私は殆どの学者たちの認識に奇妙な違和感を感じざるをえません。二条はほんの数行に和漢の典籍を複雑華麗に引用するなど、極めて頭の良い女性であり、男性的な論理的思考が得意で、その性格は大変に勝ち気で我儘です。また、実際に読んでみて驚いたのですが、『とはずがたり』には機知に富んだ、ひょうきんな、コメディタッチの部分が多いのです。

 私は、彼女の知性は学者たちが暗黙の前提として想定しているものと全然タイプが違うと感じています。そして、二条と学者たちの知性のタイプのずれから、何かとんでもない誤解が生じているのではないかと思っています。

 私は『とはずがたり』に面白い話が書かれているらしいということは以前から知っていましたが、実際にきちんと読んでみたのはわずか1年前です。そして、その時に得た直感を確かめるために、いろいろな資料を集め、研究してきたのですが、やっと自分の基本的な考え方が固まりましたので、その成果を発表し、また、調べ切れなかった事項について情報を得たいと思い、このホームページを開設しました。

平成9年6月25日
(yahoo登録日)

 鈴木小太郎



☆辞書・辞典類における『とはずがたり』と後深草院二条の記述はこちら




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