更新11.11/30 up9.6/25

| 『増鏡』の序において、語り手の老尼は、「おろかなる心や見えん増鏡古き姿にたちは及ばで」という歌を詠んでいる。「『大鏡』以下の古い物語にはとても及ばず、むなしく一つの鏡物を加えてしまうでしょう。しかも真澄の鏡に物が映るように私の愚かな心が見えてしまって」(井上宗雄氏訳)という意味である。 これは作者が謙遜して言っているのであるが、確かに歴史を語ることは、対象たる歴史とともに、そして対象たる歴史以上に、それを語る側の人物の見識を鏡のように映し出してしまうものである。 私は大学教授などの肩書きを持ち、専門家・権威者として古典文学や歴史を語っている人々の鏡としての品質について根本的な疑問を抱いている。これらの人々には近代人特有の傲慢さと専門家としての傲慢さによる歪みが存在していると思っている。 まったく無名の私は、あまり品質が良くない鏡であるにもかかわらず、権威に満ちた態度で古典を解説している多くの著名な知識人に対し、徹底的な批判を行うつもりである。そうしたことをやる以上、比較対照の意味で、自分自身の鏡としての品質についても述べておくことが必要だと思うので、以下に若干の自己紹介をしたうえで、鏡の質の違いについて述べることとしたい。 経歴 昭和35年(1960)、群馬県に生まれる。小中学校時代をのほほんと過ごした後、群馬県立高崎高校に入学する。高崎高校(旧制高崎中学)というのは群馬では一応の名門校であり、卒業生には昭和52年の日航機ダッカハイジャック事件で、日本赤軍のいいなりとなって16億円の身代金とともに強盗殺人犯を含む多数の犯罪者を「超法規的措置」で出国させた福田赳夫元首相や、民間活力を導入しバブル経済の発展に寄与するとともに、「したたかと言われて久し栗をむく」などの名句で知られ、大勲位菊花大綬章の栄誉に輝いた中曽根康弘元首相などがいる。 高校時代はそれなりに成績が良かったので、将来についての深い考えもなく、何となく有名ブランド大学へ行きたいと思うようになった。ブランドといえばやっぱり東大だから東大に行こうと決めて、妙に受験勉強に凝ってしまった。基本的に私は凝りやすいタイプである。そして現役の時は調子に乗って東大しか受けなかったところ、あっさりすべり、結局一年浪人してから東京大学教養学部文科一類(法学部進学コース)に入学した。 東大に入って感心したのは、確かに世の中には頭のいい人間がいるな、ということである。異常な記憶力、異常に明晰な論理的思考力をもっている人間がゴロゴロゴロところがっていたし、また親子4代東大法学部なんてのもいた。広い世の中には、大学と言えば東大、一族みんな東大、などという家系が確かにあるのである。 で、私が困ったのは、別に何か特別の学問をやりたいと思っていたのではなく、単なる見栄で大学を決めただけなので、全然勉強に興味を持てなかったことである。法学部を選んだ理由は経済学部や文学部だと同じ東大ブランドでもちょっと格落ちのような感じがしたからで、ずいぶん変な理由なのだが、実際のところ東大にはそんな人間が多い。 私の知り合いには、手先が不器用なのに、理三(医学部進学コース)が一番難関だからというだけの理由で理三に決めて、そのまま医学部に進学した人間がいるが、今ごろきっと少なくとも2・3人はやっているに違いないと思う。医学部関係では、解剖実習の後、切り取った耳を壁につけて、「壁に耳あり」と言っただとか、取り出した小腸で縄跳びをやっただとか、とんでもない噂が多かったが、こんなのがメスを握ったりしていることから見れば、私の場合はまだ他人に迷惑をかけていないだけましである。 |
| 教養学部にいる時は生まれてはじめてのひとり暮らしで親の目もないから気楽と言えば気楽だったが、根が田舎者なのでチャラチャラ遊ぶこともできず、今から思うと何をやっていたんだかよく分からない生活を送る。この頃凝ったのは登山であり、重い荷物をかついであちこち歩いたりしていた。もう少し気のきいたことをすれば良かったような気もするのであるが、根が生真面目な性格なので趣味も生真面目な方向に走ってしまうのであった。梅原猛氏の古代学ものを読み始めたのもこのころであるが、変な人だなあと思いつつ、結構凝ってしまった。 法学部に進学してから、少しは勉強しようか、という気になり、4年のときに試しに司法試験を受けたところ、短答式に受かった。短答式というのはマークシートでやる足切りの試験で、これで論文試験受験資格者を最終合格者の8倍くらいまで絞るのである。あまり勉強していなかったから受かるとは全然思っていなかったので少し驚いた。思えばこれが間違いのもとだった。自分の適性も考えず、司法試験もあんまりたいしたことないんじゃないのかなあ、と錯覚してしまったのである。 で、1年留年してみた。ちなみに法学部の学生の半分は留年組である。しかし、基本的にモラトリアム志向なのであまり勉強もせず、翌年は当然のように落ちたので就職することにした。東大法学部卒業者の民間就職定食コースは銀行や保険会社などの金融機関なのであるが、就職活動をしているうちに、どうも金融機関というのは薄気味悪い感じがしたので、あまり深い考えもなく、あるメーカーに決めてしまった。大学入試以来、人生の節目の肝心な時にあまり深く考えないで決定するのが私の一貫した行動パターンである。 会社に入ると、全体研修の後に鎌倉市の工場の経理部に配属となったのだが、どうも経理の仕事というのは鬱陶しい感じがしたし、司法試験もたいしたことないんじゃないの、という傲慢な気持ちもあったので、12月のボーナスをちゃっかりもらってから辞めてしまった。わずか9か月間の第1次会社員生活だった。そして翌年は司法試験とともに国家公務員上級職試験も受けたのだが、司法試験はダメで、公務員試験の法律職に合格した。 公務員試験の成績自体はそれほど悪くなかったが、年齢的な問題もあり、会計検査院とか税関とか人事院とかの地味目の官庁しか入れそうもなかったので、見栄を重視する私は、またまたあまり深く考えず公務員はやめて、司法試験の受験を続けることにした。 今から思うと公務員にならなかったのは本当にもったいない話であった。会計検査院あたりに入っておけば、官の威光を背景にいばりくさって仕事ができ、ちんたら働いていても首になる心配はなく、おまけに老後はしっかり年金がもらえる超安定生活が送れたのだから、自分の性格にピッタシの理想生活であった。 しかし実際にはその後が大変で、毎年論文試験に落ち続け、いい加減嫌になってしまった後も見栄があってなかなか見切りがつけられず、だらだらと受験生活を続けてしまったのである。 だいたい私はかなり移り気な性格で、ある程度のところまで分かるともっと別のことをやってみたくなるタイプである。一気に大量の情報を集めて、多少の細かいところは問わず、とにかく素早く処理するようなことは得意なのだが、ひとつの分野だけをやたらめったら深く掘り下げて行くのは向いていないのである。要するに司法試験に一番縁遠いタイプであり、それは自分でも感じていたのであるが、そこはいったんはまり込んだマニアックな世界の恐ろしいところで、分かっちゃいるけどやめられないのであった。 結局、平成2年まで塾の先生などをやりながらずるずると受験生活を続けていたのであるが、流石にこりゃダメだわと感じ、考え直すことにした。考え直すと言っても、根が本好きだから本に走る訳である。この時期、それなりの危機感を持っていろんな分野の本を大量に読んでみたが、中でも興味を持ったのはユング派臨床心理学者の河合隼雄氏と文化人類学者の山口昌男氏である。 河合隼雄氏と山口昌男氏の著作はそれぞれかなりの分量があるのだが、我ながら異常な集中力で短期間に殆ど全作品を読んだ。河合隼雄氏の鋭い洞察力と深い知恵はひからびてしまった私の頭に豊かな水脈となって浸透してくるような感じがしたし、畏るべき博識に基づいてありとあらゆる分野に越境し縦横無尽な活躍をする山口昌男氏は、学問はつまらなくて当たり前と思っていた私に知の世界の圧倒的な面白さを教えてくれた。 さらに「封建主義者」を自称し、変人評論家として名高い呉智英氏からも強い刺激を受けたし、宗教学者中沢新一氏の危険な香りが漂う特異な作品群にも惹かれるものがあった。 |
| そんなこんなで主観的には充実していたのだが、いつまでも定職に就かずアルバイトで暮らしてゆく訳にも行かないので、久々に社会復帰すっか、てな感じで平成4年にある会社に入り、法務の仕事をすることになった。正直言って法律のようなつまらない分野とは縁を切りたかったのだが、他に特別な技能もないのでずるずると法律に関わることになってしまった。仕事は結構忙しく、あれよあれよという間にもう5年もたってしまった。 再就職後、3年目から凝り始めたのはパソコンである。最初はインテリにはお洒落なマックが似合うと思い、マッキントッシュのデスクトップ型を買ったのだが、その3か月後、発作的に同じくマッキントッシュのノート型を買った。そして暫くは友人・知人にマック教への入信を執拗に迫るマック伝道師となっていたのであるが、世間でウィンドウズ95派が優勢になるとたちまち転向して、当時最高性能だったペンティアム133MHZでぶちかましたろかと思い、17インチ高級ディスプレイが魅力の三菱アプリコットを買った。暫くこれで満足していたのであるが、最近また悪い虫が騒ぎ出し、とりあえず4台目として携帯用の東芝リブレット、5台目としてペンティアムU266MHZが搭載されたデルのディメンションを買おうと思っている。 とは言っても、私はハードはさっぱり分からず、終始一貫他人に自慢できそうなものを見栄で買っているだけである。しかし私はソフトに関してはかなりうるさい。インタラクティブなメディアの面白さにはまった私は多種多様なソフトをやたらめったら買いまくり、いったいいくら金をつぎ込んだか怖くてエクセルにデータを打ち込めないくらいである。特にアメリカの教育ソフトには大人も楽しめる非常に面白いものがたくさんあって、輸入CD−ROMの専門店で随分買ってしまった。 日本製ではシンフォレスト社の美しい映像作品が好きで、売れ筋のものは軒並み買った。『赤毛のアン』の舞台となったプリンスエドワード島の風景写真集『X'mas in P.E.I.』など、あまり30過ぎの男が買わないようなものまで買ってしまった。 また、一時期CD−ROMの傑作として話題になったオラシオン社の森高千里『渡良瀬橋』ももちろん買った。これは技術的にも、またコンテンツ自体も本当に素晴らしい作品なので、お節介にもあちこち紹介していたのであるが、この種のアイドルものをあまり賛美していると周りから変な目で見られるので、人には勧めるのはやめることにした。 ま、そんな訳で、何かいいソフトはないかと会社帰りに毎日のように新宿西口のソフマップやヨドバシカメラに通っているうちに、ソニー・セガ・松下によるゲーム機戦争が勃発し、これにも巻き込まれてプレイステーションとセガサターンを買った。 インベーダーゲームすらやったことがなく、ゲームに全然免疫のなかった私は、一時期すっかり32ビットゲーム機が創り出すダイナミックな流動性に満ちた世界にはまってしまい、ソフトも30枚くらい買った。ただ、これは1枚5800円(税別)としても17万4000円程度(税別)だから、パソコンソフトに較べればたいしたことはないのである。 32ビットゲーム機に暫くはまった後、次に凝りだしたのはインターネットである。原宿にインターネットカフェができたと聞けば、行って動きが遅いと文句を言い、水道橋・東京ドーム横にインターネットサウナができたと聞けば、行って一番いい席を5時間くらい独り占めし、インターネットラーメンを食べてから帰ったりしていた。 ちなみにインターネットサウナというのは休憩室にパソコンが置いてあってインターネットに接続できるだけであり、蒸し風呂の中で汗をだらだら流しながらインターネットをやる訳ではない。そんな丈夫なパソコンはまだ出来ていない。また、インターネットラーメンというのは要するに単なる五目そばであるが、新しいメディアが誕生するときは何が起こるか想像がつかないのであって、インターネットラーメンごときに驚いている暇はないのである。 さて、妙に学問に目覚めてしまった私が会社に勤めている理由は本代を稼ぐことにある。一時的にパソコンソフトやゲームソフトに走ったとはいえ、やはり大事なのは何と言っても本である。私の理想は毎月30万円くらいの本を買う生活なのだが、今のところは月10万円から15万円くらいで我慢している。 私は敬愛する呉智英氏と同様、家・車・女房・家具・子供・服などの嵩張るものはあんまり持ちたいとも思わないのだが、本にだけはこだわっている。そして、その時々の興味の赴くままに文化人類学・民俗学・哲学・歴史学・心理学・宗教学等の本を買い集め、読みまくってきたのだが、一年前に私の読書生活に転機が訪れた。 |
| 1996年4月27日、ゴールデンウィークの始まる前日のことである。仕事を終えて家に帰った私は、風呂あがりにそのころ凝っていた『キリン一番搾り』のプルトップをプシュッと開けてグビグビ、プハーッと飲んでから、ベッドにひっくりかえって、何気なくある本を読み始めた。それはゴールデンウィーク用に適当に買い貯めておいた30冊ほどの本のうちの1冊、岩波セミナーブックス古典講読シリーズ『とはずがたり』(東京大学教養学部教授三角洋一著)であった。 その時の私には、『とはずがたり』は鎌倉時代の宮廷女性が書いた日記で、当時の貴族社会の退廃的な男女関係を描いた変な本、程度の認識しかなかった。また、鎌倉時代の政治史についても大学受験生レベルの知識しかなかった。私はずいぶん前から『とはずがたり』には面白いことが書いてあるらしいという評判を耳にしていたのであるが、ドロドロの愛欲絵巻といった本は苦手なので読まずにいたのである。 ところが、いったん『とはずがたり』読み始めると、どうも変な気がしてきた。普通、著者が東大教授で出版社が岩波とくれば、缶ビール片手にベッドに寝そべって読んでいても、まずは安心して読み進められるはずである。ところが、この本の場合、最初からどうも変なのである。東京大学教養学部教授三角洋一氏のコメントがいちいち的外れのような気がして、いらいらして仕方がないのである。 で、30分ほど我慢して読んでいた私の頭には一つの仮説が浮かんできた。『とはずがたり』に関して国文学会のほとんど全ての学者がとんでもない誤解をしているのではないかと思った。私には『とはずがたり』が事実を記録した日記だとはとうてい思えなかった。また、『とはずがたり』の構造はちょっと特殊であって、普通の本のような一貫性はないにもかかわらず、学者たちは一貫性を求めて狂奔しているような感じがした。 驚いた私は翌日からの読書予定を変更して『とはずがたり』に関する本を片っ端から買い集め、読み飛ばして行った。すると、予想したとおり『とはずがたり』に関わる国文学会の状況はすべての学者が『とはずがたり』の構造について根本的なところで誤解しているために大混乱の様相を呈しているように思われた。 そして『とはずがたり』の参考書として『増鏡』を読んでみたのだが、これまた摂関家の二条良基を作者とする従来の通説に全然納得できなかった。調べれば調べるほど変なことが次から次へと芋づる式に出てきて、やめられない止まらないという状態になってしまったのである。 この1年間は土曜日に神保町の古本屋街を歩き回って中世の古典文学と歴史に関する本を山ほど仕入れ、平日の帰宅後や休日はもちろん、通勤時間中・昼休み時間もすべて使って、ひたすら読書する生活だった。京都に5回行ったが、仕事も暇ではないので2回は日帰り、残り3回は1泊2日だった。凝り性の私であるが、この一年間ほどひとつのことに凝ったことは今までなかった。 さて、こんな風に書いていると、自分でもちょっと変人かなあという気がしない訳でもないのであるが、そんな個人的感慨よりも重要な問題は、歴史を映す鏡としての品質が私と普通の国文学者・歴史学者とでどのように異なっているかである。 |
@基本的な知的レベルに関しては、国文学者・歴史学者の並クラスと比べて、そんなに劣ることもないと思う。数百人単位で学者の論文を読み比べていると自ずとその知的レベルの差が分かってくるものだが、歴史学者に関しては角田文衛氏や橋本義彦・網野善彦氏のように、ちょっと頭の出来が違っていてかなわないなあと思う人がかなりいる。しかし、国文学者については全然かけ離れたレベルの知性の持ち主だと感心するような人は小西甚一氏くらいである。むしろ自分だって早くから専門分野としてやっていたらこの程度の論文は書けるなあ、と思う人が多い。 A私は専門分野を持たない代わりに結構いろんな方面に関心を向けている。学者たちは早くから特定の専門分野に集中して、その分野については確かにエキスパートかもしれないが、専門分野以外の知的動向に無関心で、信じられないほど視野の狭い人が多い。 例えば『とはずがたり』に出てくる夢の分析の仕方を見ると、相当有名な学者であっても、心理学について素人レベルの認識しかない人が多い。若手の学者だったら最低限ユングをきちんと読みこなしてから夢分析を行うべきだと思うが、そういう気配が全然感じられない低レベルな白痴美溢れる論文を堂々と発表している人がたくさんいる。莫迦は元気があっていいなあとうらやましいほどである。 (実はこの後の部分も殆どできているのであるが、アップするのは暫く待とうと考えている。私が述べようとしているのは大体次のようなことである。 B現在のシステムだと国文学者や歴史学者には異常に生真面目な人しかなれないが、歴史は真面目一点張りの人たちが動かしてきた訳ではないから、真面目な人たちの見た歴史は相当歪んでいる可能性があること。その点、私は昔からひょうきんモノが好きな上に、山口昌男氏の影響で笑いに関してはかなり理論武装しているから、真面目でないものについても結構目利きであること。 C国文学者や歴史学者は大学のような生ぬるい組織しか知らないから、権力の魅力と魔力、そして組織の怖さに対する理解の度合いが一般に非常に劣っており、逆にそうであるが故に権力や組織に対して強いルサンチマンを抱いていること。その点、私は東大法学部みたいな権力志向の強い嫌みなところにどっぷりつかっていたので権力に対する屈折した感情は全然持っていないし、また、そういうところで傑出していたタイプの人間を通じて権力機構の中核に存在している人間の魅力と怖さを実感できること。さらに企業の中で多種多様な情報の集まる部署にいるので、組織の面白さと怖さについても学者などより遙かに知っていること。 D教科書問題など見られるように、歴史学者にはいまだにマルクス主義を信奉している人がかなりいて、権力について非常に歪んだ見方をしているが、私はマルクス主義のような幼稚な思想には縁遠いこと。 E一般に多くの国文学者や歴史学者は宗教、特に仏教についての勉強が足りないのにその自覚が乏しいこと。そもそも宗教を軽蔑しているマルクス主義歴史学者などは問題外のさらに外であるが、それなりに勉強しているつもりの人でも未だに鎌倉新仏教を過大視する傾向があること。私もやはり宗教関係は苦手で、自慢できるほど勉強している訳ではないが、それでもなるべく当時の知識人の眼に近づくために旧仏教を中心に勉強していること。 そして具体的な違いの例としては、多くの国文学者は『とはずがたり』に出てくる二条の訪問地から一遍の時宗との親近性に言及しているが、私は二条は体質的に大衆的熱狂とは相容れず、その視点は大衆社会の勃興を前にしたオルテガ・イ・ガセットの視点に比すべきものではないか、と思っていること、等々。 ま、自分で言うのも何であるが、結構まともなことを言っているのである。ただ表現に多少難があって、「国文学者が西園寺実兼や中御門経任のような政治家を論ずるのは、中学校の社会科の先生が民主主義や自由主義といった寝言に基づく現代政治分析を永田町や霞ヶ関の住人を前にして滔々と論ずるようなもの」とか、「国文学会など、現実社会から遊離した愚者の花園であり、国文学者がやっているのは幼稚園児の砂遊びと同じ」だとか、「北山茂夫氏などのマルクス主義歴史学者の文学的感受性はサルよりいくらかマシな程度」といった言葉がずらずら並んでいて、よくこんなひどいことを言うなあという感じがしてくるのである。 マルクス主義歴史学者の文学的感受性がサル並みだ、ということなどは事実であるので、仕方がないと言えばそれまでなのであるが、やはりなぜサル並みなのかを具体的根拠もあげずに述べるのは謙虚な性格の私にはためらわれる。 そこで、もう少し全体を充実させて、サル並みの根拠なども具体的にあげてから、きちんとした形で、この部分をアップしようと思っている。) |
| ※11.11/30追記 この「はじめに:特別に性格が悪い人のために」を読んでムカついた方、つまり特別に性格が悪い訳ではない方のうち、何でこんなムカつく文章が「はじめに」として置かれているのかを疑問に思われた方はこちらにどうぞ。 |