更新12.7/10 up10.5/18


今谷明 「『増鏡』の著者論」
(『創造の世界』第106号.「王権の日本史」第14回「後醍醐の討幕運動」)



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『増鏡』の著者論


 本稿では鎌倉最末期、元亨の変(いわゆる「正中の変」)・元弘の乱を中心とする幕府倒壊の状況を取扱う。そこで問題となる基本史料に、従前もしばしば引用してきた『増鏡』があげられるが、その信憑性、すなわち史料としてどこまで信拠してよいかという問題が不可避である。

 従来から『増鏡』は、『太平記』などより遥かに高い史料的価値を有するとの評価を得ていた。例えば、前々稿で言及した亀山院「殉国」祈願問題の如きも、基本史料は『増鏡』が唯一の典拠たるにかかわらず、どの論者も『増鏡』の信憑性を疑わず、安心してこれに依拠されている。これは、『増鏡』が公卿日記等とほとんど齟齬する所なく、また『太平記』等の戦記物と異なって後世の潤色、改変の跡がほとんどみられないからであった。

 ではその作者は誰なのか。その作者が確定せぬうちは『増鏡』の史料的性格も判明せず、その信憑性も全面的には依存できないということになる。

 あの弘安四年(1281)の殉国祈願を今一度顧みよう。神宮に納められた亀山上皇願文の内容を知る立場にあった人物はごく少数で、上皇本人と生母大宮院に限られてくる。『増鏡』の著者は誰からその情報を得たかを考えてみると、大宮院の実家、西園寺家以外にはまず想定できない。

 多くの先学が認めるように、『増鏡』は西園寺家を比較的好意的に描いており、その作者も西園寺家周辺の人、という推測は、「殉国祈願」の一事からみても肯綮(こうけい)に当っていると思われる。永らく『増鏡』の作者とされてきた二条良基と西園寺家との関係は次のとおりである。

(系図省略)

 二条良基作者説は早く和田英松によって提唱され、多くの国文学者が追随しているが、その根拠は、良基作が確実な書物との文章の相似というにすぎず、確証によるものではない。他に中村直勝つの四条隆資説、宮内三二郎の兼好法師説等も出たが、根拠はいっそう怪しいものである。

 なお史学畑で『増鏡』著者論に踏み込んだのは中村直勝唯一人で、あとはみな文学者による論争となっている。しかし、『増鏡』の価値がその文学性にあるというよりは史料性、記録性にあることを顧みれば、もっと史家による作者論が出されていて然るべきだったのではなかろうか。

 さて『増鏡』作者研究の永い停滞を破ったのは、若き国文学者田中隆裕氏で、一九八四年のことであった(同氏「『増鏡』と洞院公賢−作者問題の再検討」二松学舎大学人文論叢27・29輯)。氏は『増鏡』に描かれる大臣薨去(こうきょ)記事を点検し、西園寺嫡流の公相死亡の描き方が「死屍に鞭打つ」趣がある反面、洞院実泰の死去には「哀悼表明」がみられるとして、西園寺庶流家の洞院家に注目する。

 さらに元亨四年(1324)賀茂祭の叙述に当って公賢の婿、徳大寺公清の祭使ぶりを特筆していることから、作者の視点は「洞院家偏重」であると推論し、作者は洞院公賢が最適と提唱した。また四条家伝来の秘籍『とはずがたり』が三箇所も引用されている問題についても、康永三年(1344)南都より放氏処分を受けた四条隆蔭が公賢の奔走により救われた史実を紹介して、公賢説を補強した。

 このように田中氏の公賢作者説は緻密な考証に支えられていて堅実であり、“作風”など曖昧な根拠しか示さない良基説を格段に上回る。「二条良基作者説は現在も有力」(長坂成行氏「内乱期の史論と文学」岩波講座『日本文学史』巻六)と、公賢説を却ける見解もあるが、私は田中氏の論証を支持する者である。

 公賢は周知のように、名記『園太暦(えんのたいりゃく)』の記主であり、『皇代暦』や『歴代至要抄』などの史書の編者としても知られており、『増鏡』の著者にふさわしい経歴をそなえている。また「歴史叙述は総じて穏健隠微」(長坂氏前掲論文)という『増鏡」の筆法は、南北両朝から重用された公賢の政治的地位と対応するものといえよう。

 ところで、王政復古成った元弘三年(1333)に二条良基はわずか十四歳、対して公賢は四十三歳の壮年であり、良基をかりに作者とすれば、『増鏡』の記事はすべて幼時以前の出来事にすぎないのに対し、公賢著者の場合は、鎌倉末期の諸事件は彼の生々しい見聞を経ていることになり、信憑性は比較にならぬ程高くなる。

 例えば親房の『神皇正統記』が、常陸小田城の地で控もなく記憶だけを頼りに著わされたのに比し、公賢の『増鏡』は豊富な記録類を縦横に駆使して編まれたことが推測され、遥かに信頼できることになる。以上によって、本稿では『増鏡』を日記類に準じた史料性、記録性の高い史書として扱ってゆきたいと思う。


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