up2004.1/12


平成15年(2003)2月



2月28日(金)
 掲示板に書いた宗尊親王の娘りん子女王について調べていて、二年前に載せた菊地大樹氏「宗尊親王の王孫と大覚寺統の諸段階」(『歴史学研究』第747号)を読み直していたところ、何故か最後の部分(「V後宇多天皇と宗尊親王の王孫〜おわりに」)をアップしていないことに気づいたので、遅ればせながらアップしました。
 菊地氏は『花園天皇日記』元応2年(1320)2月26日の「伝聞、尚侍(後二条)◇子院号云々、万秋門之由治定云々、院号似無其宗、定有子細歟、後聞、又有准后宣下事云々、是永嘉門院妹云々、是何故乎、」という記述から万秋門院の院号宣下と同日に「永嘉門院妹」に准后宣下があり、妹は姉の間違いだろうとして、りん子はこの日に准后となったと考えておられるんですね。

2月27日(木)
 史料編纂所で行われた「中世史研究会・中世宗教史研究会合同例会」に参加し、小野澤眞氏の「中世社会における宗教の一形態−信濃善光寺の展開を中心にたどる−」を聴講する。
 『とはずがたり』に描かれた善光寺参詣の場面のことも話題に出たので、少し意見を述べた。

2月25日(火)
 掲示板で千田孝明氏のお名前が出ましたが、私は以前、千田氏が勤務されている栃木県立博物館に行って高峰顕日の木像(ただし複製)を見たことがあります。
 そのときは高峰顕日の名前すら知らず、後嵯峨院皇子で後深草院・亀山院の兄にあたる人物が下野国那須まで流れてきたとは気の毒な、みたいな感想を抱いただけなのですが、改めて考えてみると、この人は何故鎌倉に下ったのか、そしてさらに何故下野に居を構えたのか、ちょっと不思議な感じがします。
 高峰顕日と無外如大が極めて親しい関係にあったことは重要文化財に指定されている弘安九年・十二月七日付無外如大書状に明らかで、高峰顕日は「如大の関わる寺院を保護していた形跡がある」(山家浩樹氏「無外如大の創建寺院」)訳ですが、仮に足利義氏女・四条隆親室=無外如大の前身だとすると、後嵯峨院の「乳母」であったこの女性は、後嵯峨院から高峰顕日の世話をするように頼まれるような立場にあった可能性が大きいと思います。
 そして、昨日載せた田中健二氏の「大覚寺統分国讃岐国について」によると 、<大納言二位は、仁治三年(一二四二)三月十八日に行われた後嵯峨天皇の即位について記した「荒涼記」(『歴代残闕日記』)や「師兼記」(三条家本御即位部類記)・「代々御即位役者部類」(『東山御文庫記録』)などによれば、足利左馬頭義氏(尊氏の五代の祖)の娘で名は能子、後嵯峨天皇の即位当時、権大納言四条隆親の室であって、天皇の乳母を勤めていた。その即位後は典侍として側近に仕えた人物である。正嘉元年(一二五七)三月七日、後嵯峨上皇が出家した翌日、同じく聖一国師(円爾弁円)を導師として出家している(東福紀年録)。 > のだそうで、まあ、これは正嘉元年(一二五七)三月七日に後嵯峨上皇は出家していないので、田中氏の単なる勘違いなのですけど、『東福紀年録』の同日条には確かに円爾と後嵯峨上皇、そして大納言二位との接触が見られるんですね。
 一方、高峰顕日は康元元年(1256)、十六歳で円爾によって出家する訳で、ここで円爾との密接な関係が見られます。
 こういう関係を見ると、高峰顕日の出家、鎌倉行き、さらに下野下向には大納言二位の援助があったというような事情は想定できないですかね。そして高峰顕日は幼いころから大納言二位には大変お世話になったので、後に今度は高峰顕日が「如大の関わる寺院を保護」するような関係が生じたのではないか、などと想像を逞しくしてみたのですが、どんなものでしょうか。
(↑ さすがにちょっと強引だなと反省。)

2月24日(月)
 鎌倉時代史掲示板で足利義氏女で四条隆親室となり隆顕を生んだ女性のことが話題になったので、「参考文献」に、この女性について若干言及している田中健二氏「大覚寺統分国讃岐国について」(『古代中世史論集』.九州大学国史学研究室編..吉川弘文館)を加えました。
 この論文は知行国の内部構造について詳細な検討を加えたもので、荘園公領制研究史の上では意義がある論文ですが、田中氏は貴族社会には詳しくない方のようで、人名比定等に誤りが目立ちますので、後で補足します。

2月22日(土)
 学習院大学で行われた歴史学研究会近世史部会の例会に途中から参加し、引野亨輔氏の「近世真宗信仰の諸相」、及び西村慎太郎氏の「近世後期の有職研究と朝廷」という発表を聞く。

2月16日(日)
 歴史学研究会中世史部会の例会に参加し、遠藤基郎氏の「吉書―中世権力の自己認識―」という発表を聞く。
 二月の日曜、おまけに天気は雨一時雪という絶好の研究会日和に恵まれ、私が少し遅刻して行ったときには史料編纂所大会議室のだだっぴろい部屋に三人しかおらず、時間を間違えたのかと思った。

2月14日(金)
 「遊義門院とその周辺」に川嶋将生氏 「大覚寺の歴史」(『嵯峨御所 大覚寺の名宝』)を加えました。

2月1日(土)
 勉強会のオフ会で神奈川県立金沢文庫へ行き、永井晋氏の詳細な解説を聞きながら「特別展 鎌倉幕府滅亡 」を見学する。





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