1997(平成9)年9月





9/24(水) 「FAQ.白拍子三条」追加。

9/23(火) 「FAQ.中世文学文学の可能性」追加。

9/21(日) インデックスに「FAQ」追加。もともと特殊な分野の話のうえ、今後、さらにマニアックな領域に進んで行くことになりますので、このままだと読んでくれる人が全国で5人くらいになってしまうかもしれません。で、私の基本的な立場を簡潔に説明するために、FAQのコーナーをつくってみました。

9/16(月) 「『増鏡』巻1おどろの下」に、宮内卿に関する記述を追加。

9/13(土)  北畠親房が関東の拠点とした小田城跡を訪ねて筑波に行く。村松剛氏の『帝王後醍醐』(中公文庫)には、「小田城は現在の筑波線、常陸北条駅のすぐそば」と書いてあったのだが、JR土浦駅に行ったら、そもそも筑波線自体が10年以上前に廃線となっていて唖然とする。
 まず筑波山に登って、周辺全体を見渡してから小田城跡に行こうと思い、バスとケーブルカーを乗り継いで山頂付近まで行ったところ、ガスがかかっていて何も見えなかった。少したてば晴れるかもしれないと期待して、女体峰(876m)までブラブラ歩いてみたが、山頂についても雨まじりの横風に吹き飛ばされそうになっただけである。
 とぼとぼケーブルカー駅まで戻り、何気なく近くの『展望レストラン』に入ったところ、ここが何と今時珍しい360度ぐるぐる廻る回転式展望台だった。とは言っても周りはガスがびゅんびゅん流れているだけで、360度何の展望もなく、おまけに老朽化がかなり目立つ建物が強風でギシギシ揺れて、まるで難破船に乗っているような気分だった。早々に逃げ出し、ケーブルカーで下山する。
 小田城跡は自分で探すのはあきらめて筑波駅(元駅で、今はバスターミナルだが、名前はそのままになっている)からタクシーに乗ったのだが、まだ20代の運転手は場所を知らず、無線で本社の人と何度か交信を繰り返して、やっと城跡にたどり着くことができた。城跡と言われればそうかな、と思う程度の場所である。
 小田城跡の地に立って、ここで殆ど資料もないままに『神皇正統記』を書き始めた北畠親房のことを少し考えた。いかに気力充実の親房とはいえ、遙か遠い都を思い、とんでもないところにきちゃったな、という気持ちになった時もあったと思う。
 ところで、小田に行ってから気づいたのだが、小田は真言律宗の忍性が鎌倉に入る前に根拠地としていた常陸三村寺の存在していた場所でもあったのである。鎌倉時代を研究する為には真言律宗の問題は避けられないので、三村も行ってみたいと考えていたのであるが、知らないうちに来ていた訳である。得した、と思った。

9/11(木) 『増鏡』巻1.おどろの下」(途中まで)追加。

9/9(火) 「村上源氏の眼から『増鏡』を読み直す」を追加。夏の暑いときに少しがんばり過ぎた反動で、9月に入ってからなまけ気味だったが、またガンガンやろうと決意する。






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