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1999年(平成11)12月





12月31日(金)
 少し早めにトップページだけお正月風にしました。

12月30日(木)
 「系図.摂関家」をアップしました。
今年の更新はこれが最後になります。
良いお年を。

12月29日(水)
 「系図.西園寺・洞院家」をアップしました。
 御質問のメールの返事が少し遅れており、該当者の方には申し訳なく思っています。


12月28日(火)
 「系図.四条家」をアップしました。


12月27日(月)
 歴史学関係の某誌を読んでいたら、某論文の書評に「これだけ複雑な話を述べる際に系図を付さないのはひどいのではないか。」という一文があり、ちょっとドキッとして、系図をアップすることにしました。とりあえず「系図.皇室・村上源氏」を作ってみましたが、不充分な点も多いので、徐々に改良して行くつもりです。


12月23日(木)
 『日本国語大辞典』(小学館)と『角川古語大辞典』の「乾鮭」に関する記述をアップしました。辞書・事典類のファイルをアップする時は、面倒なのでここには書いていませんが、「乾鮭」は重要なので特に記しておきます。
 最初に『日本国語大辞典』を見たときには、「乾鮭」の意味が「@塩引鮭を一晩冷たい流水に浸し、陰干しにしたもの。A(その形状から)首をつって死ぬことのたとえ。B老婆をあざけっていう語。しわくちゃばばあ。C人をののしっていう語。とるにたりない人間ども。」となっているのを見て、ちょっとびっくりしました。


12月22日(水)
 「原文を見る−『徒然草』」「第128段.雅房大納言は、才賢く」を加えました。また、『徒然草』第182段の「干鮭」に関係するものとして、「原文を見る−諸書」「続本朝往生伝.沙門増賀」を加えました。


12月21日(火)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻2.雪の曙来訪、隆顕と三人で語る」を加えました。


12月20日(月)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻2.隆顕父隆親と不和、作者隆顕と面会」を加えました。また、四条隆親を理解するための資料として、「参考文献」に秋山喜代子氏「乳父について」と橋本義彦氏「乳父管見」 をアップしました。


12月19日(日)
 後深草院二条の祖父、四条隆親が登場する『徒然草』第182段については少ししつこくやるつもりなので、その参考資料として、「原文を見る−諸書」「今昔物語.巻28.右近馬場殿上人種合語第三十五」「宇治拾遺物語.巻12.聖宝僧正一条大路渡る事」を加えました。


12月18日(土)
 「『徒然草』−従来の学説とその批判」に五味文彦氏「資季と具氏のあらがい」をアップし、『とはずがたり』の女房蹴鞠の場面と『徒然草』第135段に登場する「資季大納言入道」という人物について纏めておきました。
 「原文を見る−『徒然草』」には後深草院二条の従兄弟、六条有房が登場する「第136段.医師篤成、故法皇の御前に」を加えましたが、これは「資季大納言入道」に関する第135段と比較するためのものです。
 更に「原文を見る−『徒然草』」「第182段.四条大納言隆親卿」を、「参考文献に久富木原玲氏「鮭」を、「原文を見る−諸書」「宇治拾遺物語.大童子鮭盗みたる事」 を加えました。


12月17日(金)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻2.院と亀山院小弓、負態に女房蹴鞠」「負態の女楽の計画、作者の琵琶の来歴」「祖父隆親の処置に怒り出奔」「関係者作者を捜す、醍醐に移る」 を加えました。また、「原文を見る−『徒然草』」「第135段.資季大納言入道とかや」を加えました。


12月16日(木)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻2.有明から文、作者応ぜず」「出雲路で有明と逢う、絶交を決意」「有明から起請文、御所での出逢い」を加えました。
 今まで、「有明の月」はあまり検討していなかったのですが、これは「有明の月」シリーズをまともに考えるのがバカバカしかったからです。宗教学者の山折哲雄氏など、異様な情熱を傾けて「有明の月」を分析していますが(「三筋の紅糸 二条をめぐる三人の男」)、頭が腐っているとしか思えません。


12月15日(水)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻2.亀山院来訪、遊宴ののち文」「長講堂供養、御壺合せ」「院の病中有明と契る」 を、「原文を見る−『増鏡』」「巻10.老の波.後深草院長講堂移徙および供花」を加えました。


12月14日(火)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻1.女児を出産」「東二条院作者を非難、院の弁護」「巻2.有明の月から恋の告白をうける」 を加えました。


12月13日(月)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻1.嵯峨院発病、六波羅の変事」「後嵯峨院の死去と葬送」 を加え、「御所の人魂の怪異」 には「私の立場からの補足」を付しました。また、「原文を見る−『増鏡』」「後嵯峨法皇病悩、崩御」「大宮院・経任・公雄」 を加え、これと関連する「『増鏡』−従来の学説とその批判−」の中村直勝氏「増鏡の史実性について」を更新しました。


12月12日(日)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻1.院父邸に作者を訪う、第一夜」「雪の曙より文」「第二夜、院の意に従う」「東二条院の御産の盛儀」「御所の人魂の怪異」 を加えました。


12月11日(土)
 方針を若干修正し、『とはずがたり』『増鏡』『徒然草』のいくつかの重要場面については、「私の立場からの補足」を付さずに、原文と現代語訳を先行して紹介しておくこととします。他の場面との関連性を指摘するときに、現状ではリンクできる場面が少なくて説明に不便であり、かといって「私の立場からの補足」を丁寧につけていると時間がかかりすぎるためです。
 ということで、とりあえず「原文を見る−『とはずがたり』」「巻4.鎌倉での和歌の交歓、川口の歳晩」「飯沼判官との惜別、熱田社」「巻1.新春の御所、父と後深草院の密約」「恋人(雪の曙)より文と贈物」「父邸に退出」 を追加しました。


12月10日(金)
 「参考文献」に岩佐美代子氏「『とはずがたり』における和歌表現 」を加えました。後深草院二条が飯沼助宗との交際の深さを誇示している場面で、飯沼助宗が後深草院二条に衣裳を贈ることにからめて意味深長な表現があるので、その種の表現を検討するための参考資料です。
 私は、まだ『とはずがたり』の研究を始めたばかりで、国文学者は莫迦ばっかしだな、などと増長しまくっていたころ、この岩佐美代子氏の論文を読んで、その分析の鋭さに舌を巻き、ふーむ、やっぱり世の中には恐ろしい人がいるもんだ、と思いました。(岩佐美代子氏については以前にも少し書いたことがあります。こちら。)
 ところで、このところ平頼綱・飯沼助宗という名前を頻りに出していますが、歴史好きの人でも、普通はあんまり聞かない名前のはずです。私ももちろん全然知らず、おまけになかなかいい資料が見つからなくて調べるのに苦労したのですが、私にとっては極めて意外なことに、平頼綱・飯沼助宗は現在でもある人々にとっては超有名人で、膨大な量の出版物にその名前が出てくるんですね。
 というのは、この父子は日蓮宗を弾圧した張本人とされていて、日蓮宗関係の出版物では、鬼・悪魔、極悪非道の仏敵として猛烈な非難を浴びせかけられているのです。無関係な私など、どうせ昔の人なんだから、そこまで言わなくてもいいのになあ、という感じがしてくるほど強烈な罵倒の嵐です。
 まあ、そういう訳で、この父子が登場する本は量的には相当あるのですが、「参考文献」にはちょっと入れにくいですね。


12月9日(木)
 「参考文献」に三田村雅子氏「後深草院二条−夢を生きる−」を加えました。『とはずがたり』巻4で後深草院二条が飯沼助宗と遊び廻っている場面をアップしようとしていたら、たまたまそこに、『とはずがたり』に合計4つ存在する切り取り注記のうちの1つがあったので、切り取り注記の問題を扱った上記論文を先行してアップしたものです。
 三田村氏は熱田社炎上事件が「国家的な危機を救う巫女としての二条の自立を促」し、「宗教者としての二条が誕生」したと言われるのですが、全然賛成できません。三田村氏はNHK教育テレビなどによく出演されていて、いかにも育ちがよくて真面目そうな印象の方ですが、『とはずがたり』のような奇妙な作品を扱うのには向いていない感じがします。私はこの論文を読んで以来、三田村氏のことを勝手に「ナウシカちゃん」と呼んでいます。
 また、同じく「参考文献」に保立道久氏「平安京の密通・婚姻・売春事情」も掲載しておきました。これは保立氏の近著『中世の女の一生』(洋泉社)で非常に気になった論文ですが、私の立場からは、後深草院二条についての認識の誤りが保立氏の中世社会に対する基本的認識に根深い影響を与えているように思われます。ただ、その評価は『とはずがたり』の関係箇所を具体的に検討してから行いたいので、「私の立場からの補足」は少し遅れるかもしれません。


12月8日(水)
 「原文を見る−『増鏡』」「巻11.さしぐし.将軍惟康親王の帰洛」を加えました。また、「参考文献」に外村南都子氏「歌謡の流れ」をアップしました。


12月7日(火)
 
「原文を見る−『とはずがたり』」「巻4.将軍惟康、都へ配流」を、「原文を見る−『増鏡』」「巻11.さしぐし.鶴岡八幡宮の放生会」を加えました。
 また、「参考文献」に瀬野精一郎氏「第七代 惟康親王」をアップしました。


12月6日(月)
 「原文を見る−諸書」「早歌.源氏恋」「早歌.源氏」を、「参考文献」に井原今朝男氏「信濃の鎌倉指向」を加えました。

 数多くの早歌の曲の中で、『源氏恋』『源氏』だけが「或女房作.同調曲」とされ、早大本には「白拍子号三条」との註があります。
 明空以外の早歌の作者としては冷泉為相(阿仏尼の子)・洞院公守・花山院家教らが知られていますが、「或女房」の作品の水準は、それらの人々に劣るどころか、むしろ遙かに優れているように感じられますので、比較の意味で、他の人の作品もいくつか引用する予定です。
 また、早歌『「源氏』に出てくる六条院の女楽は、『とはずがたり』において、これを模した行事をきっかけに後深草院二条が祖父四条隆親と派手に喧嘩し、御所を出奔して行方不明になるという大事件を引き起こしたことになっているので、それが事実とすれば、もしくは、程度はともかくそれが何らかの事実に基づいているとすれば、後深草院二条にとっては『源氏物語』の中でも特別の感慨を抱かざるをえない部分です。
 『とはずがたり』の御所出奔の場面は、後深草院二条の性格を考える上で大変面白いところなので、あとで丁寧に検討するつもりです。


12月5日(日)

 「原文を見る−諸書」を新設し、「早歌.善光寺修行」をアップしました。また 「参考文献」に井原今朝男氏「中世の交通革新」を加えました。
 ふりがなが本文と同じ大きさだと読みづらい、という御意見をいただいたので、「善光寺修行」では試しに少し小さくしてみたのですが、手間がかかったわりには、それほど読みやすくなっていないようです。悲しい……。長続きしそうにないです。


12月3日(金)
 「参考文献」に外村久江氏「早歌『善光寺修行』と参詣の旅」「明空の生涯−浄土欣求の歌謡作者−」を加えました。
 私は早歌の草創期に「源氏恋」「源氏」という曲を作詞作曲した人物は後深草院二条で、「白拍子三条」はその変名だと考えていますが、そもそも早歌とは何であったのかを理解していただかないと話が進まないので、外村久江氏の論文をしつこく引用しました。
 外村久江氏は長年にわたって早歌の研究を続け、その研究水準を飛躍的に高めた学者ですので、個別研究について私がどうこう言えるような箇所は皆無なのですが、早歌が急激に発展した背景としての武家社会の捉え方にはずいぶん問題が多いような感じがします。
 そうした観点からは、「明空の生涯−浄土欣求の歌謡作者−」には賛成しがたい点が多く、あとで付加する予定の「私の考え方」は、外村久江氏に対して、かなり批判的なものになると思います。


12月2日(木)
 「参考文献」に高橋慎一朗氏「『親玄僧正日記』と得宗被官 」を加えました。


12月1日(水)
 「原文を見る−『とはずがたり』」「巻4.隅田川、三芳野の伝承」を、「参考文献」に小口倫司氏「二条の善光寺参詣について(一)」を加えました。
 後深草院二条が実際に善光寺に行ったかどうかをめぐって、昭和40年代、国文学会で華々しい論争があったようで、そのきっかけとなったのが小口氏の上記論文だそうです。小口氏は長野県の人ですが、まあ、長野県民にしてみたら、『とはずがたり』の善光寺参詣の場面は、いろいろ文句をつけたくはなるわな、と私も思います。なにせ、半年お世話になった人の家を「まことにゆゑある住まひ、辺土分際には過ぎたり。」だからなあ。そういう言い方はいくらなんでもないと思うけどなあ。

 ま、それはともかく、『増鏡』・『とはずがたり』と『徒然草』の接点になるのは、皇室では後宇多院・後二条天皇・邦良親王の系統、村上源氏では堀川家なので、当面の予定としては、それぞれの関係者が三つの本にどのように描かれているかを中心に検討して行くことになりますが、その際には他家との比較が重要ですので、久我・土御門・中院家などの村上源氏や西園寺・洞院・徳大寺家などの閑院流、さらに四条家などの人物についても、少しずつ見て行こうと思っています。あまり厳密に方向を定めているのではなく、人物中心に三つの本の「原文を見る」を充実させよう、という程度の方針です。
 また、出発点である『とはずがたり』については、内容の検討はかなり前にすませていますが、「原文を見る」の貧弱さが気になっていますので、後深草院二条の性格を考えるのに適当な場面を中心に、充実させて行かねば、と思っています。






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