更新11.12/15
| 久富木原玲氏の略歴(上掲書より) |
| くぶきはら れい 1951年生 共立女子短期大学助教授 |
| 久富木原玲氏の見解 |
私の考え方 |
| とはずがたり』の達成 『とはずがたり』の作者は中院大納言源雅忠の女で通称後深草院二条、作品成立は作者四九歳以後間もなくの徳冶元年(1306)頃と考えられる。この作品は作者が一四歳の正月、後深草院に迫られて止むを得ず後宮に入るところから始まる。 と言っても、二条は四歳の頃より院に引き取られて養育され、一四歳に達したら後宮入りすることが、すでに院と父雅忠との間で約束されていた。というのは、二条の母大納言典侍(四条隆親の女)は、院に新枕のことを教えた女性で、その後雅忠の室となって二条を生むが翌年亡くなってしまったために、初めての女性を忘れられない院は、二条をいわば形代として幼少の頃から自分の手許に置いたのである。 |
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| 本作品は、このような前世からの因縁ともいうべき後深草院との関係を軸として前半の一−三巻までは宮廷編、後半の四−五巻は紀行編という体裁をとっている。前半では、後深草院の寵愛を受けながら、一方ですでに恋愛中であった初恋の人「雪の曙」(西園寺実兼)とも交渉を持っていた。作者二条は院とこの恋人との同時進行の関係を続ける。 |
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| 二条は院の子を身籠もるが父親とは死別し、その悲しみの中で皇子を出産する。その後作者は院の精進の間に「雪の曙」の子を妊娠、院の子ということにして出産し、院には流産と報告して生まれた女子は「雪の曙」がその場から連れ去ってしまう。また院との間に生まれた皇子もこの年夭折する。 |
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| そうするうちに今度は院の病気の祈祷のため御所に来ていた「有明の月」と呼ばれる院の弟性助(しょうじょ)法親王が現われ、はげしく燃えあがる思いを告げられて夜ごとに契りを結ぷに至る。二条は法親王に口説かれているのを院に見られてしまうが、二条の率直な告白と「有明」の真剣な気持ちに動かされた院はふたりを許す。こうして二条は「有明」の子をふたりまでも生むが、「有明」は流行病にかかってあっけなく他界した。 |
| この間身重の二条は院の弟の亀山院と同席する機会があったが、亀山院は泥酔している兄院の目を盗んで屏風の陰で二条と契りを結んだようである。これはさすがに院の不興を買い、またかねがね二条を快く思っていなかった院の正妃東二条院の激しい嫉妬も重なって、ついに御所を追われることとなる。二条、二七歳の時であった。 |
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このような複数の男性との関係を続ける生活が赤裸々に描かれる前編は、しばしば「愛欲編」ともよばれ、文学史上特異な作品だとされる。しかし、この作品の真の特色は作者の大胆奔放な愛欲生活そのものにあるのではない。当然のことながら、その表現のありかたが問われねばならない。試みに特異な表現の例を挙げてみよう。それにはやはり、「雪の曙」との間の子を院に隠れて出産する場面を取り上げるべきであろう。
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従来の日記では出産のことは「とかうものしつ」(『蜻蛉日記』)などといった朧化した表現でしか語られなかったことを考えると、それだけでも特筆に値する。わずかに『源氏物語』「葵」巻に「かき起こされたまひて、ほどなく生まれたまひぬ」という場面が描かれているが、これと比べてみても『とはずがたり』の場面の方がずっとリアルで臨場感にあふれている。 |
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| 「いかに抱くべき事ぞ」という初めての事態に戸惑う男の言葉や、やりかたがわからないままに抱き起こす男の動作、そしてその「袖に取りつきて」出産する作者の姿は、いずれも彼らの肉声や行動がそのまま伝わってくるような生々しい映像を喚起する。 |
そして私はこれが『とはずがたり』のリアルさの実体だと思う。作者は優れた映像作家と同じようにリアルな映像を創り出すのであるが、しかし、それは内容のリアルさとは別のものである。内容がリアル、即ち歴史的事実ではなく虚構であっても、作者の筆力があれば、それをまるで映画を見ているようにリアルに描き出すことは可能なのである。 |
| 『源氏物語』の場面を意識していることも考えられないではないが、そこでは「かき起こされたまひて」と受身の助動詞が用いられているように、葵上の場合は出産する女のいわば一幅の絵もしくは光景として描かれる。これに対して『とはずがたり』では男も女もそれぞれに行動する人間たちであり、それらの会話と動作は読者の聴覚と視覚にそのまま訴える表現となっている。 | |
| さらに男は間を置かず、重湯を持って来させ、女はいったいいつの間にこんなことを覚えたのかと感動しつつ、生まれたばかりの我が子を一目見たかと思うと、次に男はすばやく枕元にあった小刀で臍の緒を切り、赤ん坊をかき抱いて「人にも言はず、外へ出給ぬと見しよりほか、又二度その面影見ざりしこそ」というすばやさで去って行ってしまう。 |
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| こうした一連の場面の展開にはスピード感があふれている。秘密裏に出産しなければならないという特殊な状況の中での出来事だという点を差し引いてもなお、ここには映画のシーンのように鮮明に人物たちが動いている。 |
| これに対して二条の感情を示す表現は出産直後の「あなうれし」、その子がいったいどこへ連れ去られるのかと思うと「悲し」く、院に対してはこの早朝流産したと奏上するのだと聞いて「いと恐ろし」という言葉しか書かれていない。ごく単純な「うれし」「悲し」「恐ろし」といった表現に終始するのである。 |
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| これを表現力のなさに帰するのは、見当違いというものであろう。これらの単純な言葉はむしろ、異常事態の中で内省するゆとりなど持てなかった二条の精神状態を浮かび上がらせる。そして次から次へと行動していかねばならない緊迫した空気が伝わってくるのである。いわば、複雑な感情や入り組んだ思いといったものを吹き飛ばしてしまう迫力をこの場面は持っており、そこに会話や現実的な行為といった身体性が発露し強調されるという仕組みが見えてくる。 |
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| このような身体性を描くことは、自分自身が体験しながら、どこか別の地点で自分を見ているような眼で、行為そのものを形象化するという次元の表現なのだと思われる。最初に述べた「自照」に関連させていうと、平安時代の女流日記は自己の内面を見つめ内省する傾向が強いが、中世の一三、一四世紀の作品は自己の行為、行動が語られ、その身体性が前面におしだされた形で描かれるという特色がある。 |
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| それは個人の感情を切り裂いてしまうような歴史の変化や異常事態に出会った「我」が、それゆえにこそ「我」に固執してその「我」の位置とその存在意義を確かめるかのように刻みつけたものだと考えられる。それは必然的に外側から描く形をとらざるを得ず、だからこそ「我」を強調し「我」で始まる文章が生まれたのではなかったか。 (以下略) |