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T.中世史・中世文学の研究会・講演会・シンポジウム情報が得られるページ
| ■ 国文学研究資料館・学会情報 国文学関係の学会情報が網羅的に入手可能。なお、国文学研究資料館のデータベースは内容が極めて豊富。 ■ 岩田書院・学会シンポジウム日程一覧 歴史学・民俗学関係の学会情報が得られます。岩田書院はたった一人で運営されているにもかかわらず、尋常ならざる数の本を出している出版社。 ■ 鎌倉遺文研究会 私が一番お世話になっている研究会。月1回の例会は原則として毎月最終木曜日。 ■ 歴史学研究会・研究部会 中世史部会は毎月最終土曜日に月例会。 ■ 日本史研究会・中世史部会 中世史部会は毎月2回程度、通常火曜日に行うそうです。 ■ 名大日本史研究室・研究会案内 中京地区の研究会の拠点。 ■ 九州史学研究会・中世史部会 雑誌『九州史学』を刊行。 ■ 国立歴史民俗博物館 講演会が月一回、フォーラムが年に四・五回開催されます。 ■ 神奈川県立金沢文庫 月例講座があります。図書室は中世関係の資料がまとまっていて、極めて便利。 |
U.中世史関係の個人ページ
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■ 本郷和人の『史料屋通信』 東京大学史料編纂所本郷和人さんのサイト。 ■ 鎌倉時代 野村朋弘さんの鎌倉時代朝廷史に関するサイト。諡号や『花園天皇宸記』についての論考あり。 ■ 世善知特網旧殿 思想史・言語学・演劇・美術・植物などに詳しい如月さんの迷宮のようなサイト。日本中世史に関係する「院政期社会の言語構造を探る」にはなかなかたどり着けません。 掲示板には私もけっこう投稿しています。 ■ 芝蘭堂 「浪合記(なみあいき)」「鎌倉大草紙」「新田老談記」などの古典の現代語訳をされているSiranさんのサイト。 ■ 大吉文庫 『日本中世の家と親族』(吉川弘文館)の著者、高橋秀樹さんのサイト。「日本中世家族史文献目録」など、充実した内容。 ■ 史華堂 室町期を研究対象とする川戸貴史さんのサイト。「チャイニーズインパクト−日明関係の諸相」「『満済准后日記』を読む」など。研究会情報では中世史研究会(名古屋)の最新情報が入手可能。 ■ ITO Toshikazu HOME PAGE 中世後期荘園制論・地域社会論・中世寺院経営史を研究する伊藤俊一さんのサイト。 ■ 史跡草子 「主に源姓足利氏、新田氏を中心とした、北関東における中世の史跡及び、歴史上の人物を紹介する」亜季多幸孝さんのサイト。史料・写真・系図など、質量ともに充実。 ■ 桔梗ヶ谷 井上渉子さんのサイト。鎌倉時代前期の武家社会をテーマにした小説など。「実朝さまの部屋」には実朝室・坊門信清女(西八条禅尼)の置文が載っています。 |
V.国文学関係の個人ページ
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■ 物語学の森 『竹取物語』・『うつほ物語』・『源氏物語』などを研究されている上原作和さんのサイト。内容の豊富さでは国文学関係のホームページの中でもトップクラス。 ■ 満月の雫 『海人の刈藻』・『松浦宮物語』などの古典作品や平安時代の人物を紹介する藤里美小夜さんのサイト。更新お休み中。 ■ 阿部研究室 『弁内侍日記』に関する論文を多数書かれている中世女流日記文学研究者、阿部真弓さんのサイト。 ■ 国語の工房 細田季男さんのサイト。日本語・日本文学、中国学芸関係、国語教育を中心としたリンク集が充実。 ■ ぶんがく座 中古・中世の女流日記を研究されている猫さんのサイト。リンク集で『後深草院二条』をとても好意的に紹介してくれていて、ちょっと気恥ずかしいです。 ■ ぱぐのだらだらさろん ぱぐさんによる自作短歌・俳句などのサイト。伊勢斎宮と賀茂斎院の考察も掲載。 |
W.ネットを通じてのいろんな知り合い
| ■ 京都市の石碑 京都市内の史跡・記念碑を地図上で分かりやすく表示。事項・人名・年表・地図を複雑にリンクさせていながら全く技巧を感じさせないところに、作者(中井重雄さん)の洗練された趣味の良さが伺われます。二条富小路殿などの里内裏跡の位置確認に便利。 ■ 観世九皐会HP 夏の曝涼の際に矢来能楽堂におじゃまして、大変な数の能面が一同に並ぶ様子を間近に拝見させていただいたことがあります。 ■ 四谷シモン─人形愛 人形作家・四谷シモンさんの公式サイト。シモンさんには直接お話を伺う機会もありましたが、『状況劇場』の役者だったころの様々な逸話が本当なのかと思えるほど穏やかな方です。 |
X.『とはずがたり』『増鏡』に縁のあるページ
| ■ 國學院大學ホームページ 重要文化財『久我家文書』は、現在國學院大學の図書館に保管されています。久我家第三十代当主久我建通が國學院大學の母胎である皇典講究所の副総裁だったとの縁から、國學院大學に寄贈されたのだそうです。 ■ 後深草天皇宸翰 四歳で即位し、わずか十七歳で父後嵯峨院の意向により弟の亀山天皇に譲位した後深草天皇が、その譲位の年(1259年)に書いた消息(手紙)。<力強い 筆致は、歴代天皇のなかでも抜群の名筆である>とのことです。(石川県のホームページ「石川県の文化財 書跡・典籍」より) ■ 臨済宗大本山南禅寺ホームページ 正式名称は瑞竜山太平興国南禅禅寺で、1291年、亀山院が自分の離宮を大明国師(無関普門)に賜い禅林禅寺としたのが始 まりだそうです。この1291年というのは亀山院にとってかなり微妙な時期です。1290年3月9日深夜、5年前の霜月騒動で没落した浅原為頼とその一党数人が伏見天皇暗殺を図って内裏(二条富小路殿)を襲撃し、殿上で自害するという衝撃的な事件が発生し、この黒幕が亀山院ではないかという噂が流れ、西園寺公衡などは亀山院を六波羅に引き渡せと息巻いた程です。結局、亀山院は幕府に誓紙を送って事なきを得た訳ですが、ちょうどこの南禅寺創建の頃は、元気溌剌・傲岸不遜のガメラ亀山が一生にただ一度、おとなしく首を縮めて暮らしていた時期に当たります。ちなみに西園寺公衡は後に亀山院に近づき、その葬儀を取り仕切った上、亀山院の遺志をついで恒明親王の立太子を図って後宇多院と厳しく対立することになります。政界というのは今も昔も本当に一瞬先は闇です。 ■ 大覚寺ホームページ 真言宗大覚寺派大本山。後宇多院が膨大な荘園を寄進し、復興に力を入れました。大覚寺から南西に少し離れたところ(『増鏡』の舞台である清涼寺の東)に後深草院皇女(母は東二条院)で、後宇多院皇后となった遊義門院の墓所の北林陵があります。北林陵は明治に入って国家の管理下に置かれるまで、大覚寺によって大切に維持されてきましたが、これは遊義門院領の荘園が後宇多院を通じて大覚寺に施入され、大覚寺の経済的基盤形成に役立ったことに由来します。北林陵は西園寺実氏室の四条貞子(北林准后)の邸宅のあった地でもあり、『とはずがたり』『増鏡』に縁が深い場所です。 ■ 醍醐寺ホームページ 二条が15歳の初産の時、そして「女楽事件」で後深草院の御所を飛び出した20歳の時(この時も3人目の子供を妊娠中)に籠もったとされる勝倶胝院は、現在の一言観音寺あたりだそうです。国文学者も歴史学者も、みんな二条の話を真に受けて目をうるうるさせていますが、何だかなあと私は思います。ちなみに三宝院は永久三年(1115)、醍醐寺第十四世座主勝覚(しょうがく)僧正の創建ですが、この勝覚は源俊房の息子で村上源氏です。醍醐寺には村上源氏関係者が沢山いて、二条にとってみれば親戚だらけの場所です。 ■ 鞆の浦の文化遺産を保存しよう 鞆の浦は『とはずがたり』の巻五で、二条が厳島神社へ行く途中に寄った港。遊女たちが住んでいたという「たいか島」は今は陸続きになっています。南北朝時代には戦略上の要地であり、また戦国時代には村上水軍の一族が「大可島城」を拠点に海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権を掌握していたということです。ちなみに村上水軍は海賊の世界では名門中の名門ですが、なぜ「村上」かというと、能島・来島・因島村上家の祖である師清が北畠顕家の子(つまり南朝のイデオローグ北畠親房の孫)と伝承されていて、自分たちを村上源氏と考えているからです。 ■ 三次市役所ホームページ 二条が厳島神社参詣の後に寄ったという備後和知は、現在の広島県三次市内にあります。市のホームページによれば、「三次市は、広島県の北東部に位置し、江の川、馬洗川、西城川の3つの川が合流する内陸盆地。またの名を『水都』とも呼ばれる水の豊かなところです。山陰・山陽の要衝として栄え、街のあち こちには史跡や古墳が数多く残っています。初夏に行なわれる江の川の鵜飼、秋から早春にかけて見られる『霧の海』は三次の風物詩として有名です。」ということですが、瀬戸内海沿岸から見るとかなり奥地になります。それなのに『とはずがたり』では沿岸から「程近く」、絵の具を求めにちょっと人を走らせれば鞆の浦に行けるような所として描かれています。この和知の話、つまり都から来た美しい女(自分のこと)をめぐる地方豪族の壮絶な兄弟喧嘩に巻き込まれて窮地に立たされていた二条を、鎌倉で知り合いだったという広沢入道が都合良く登場して危機一髪で救出してくれたという話は素直に読めば随分変な話です。しかし、錚々たる歴史学者たちが、これを地方豪族の生態を「リアル」に描いた貴重な記録として論文に引用しています。 ■ 立教女学院 校歌が『ますかがみ』だそうです。大和田建樹:作詩,上真行:作曲 「火に水に 鍛えて後ぞ 増鏡 光は 身より 出づるとぞ 聞く(以下、略)」 ■ 株式会社マスカガミ(創業明治25年) 品質と個性でオンリーワンをめざす「甕覗の酒蔵」。 |

ニコチンや 命縮める 美味さかな (小太郎)