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辞書・辞典類における『増鏡』の記述
| 『広辞苑』第五版(岩波書店.1998年) ます・かがみ【真澄鏡・十寸鏡】(一)〔名〕「ますみのかがみ」の略。まそかがみ。古今冬「─ 見る影さへにくれぬと思へば」 (二)〔枕〕「見る」「照る」「研ぐ」「懸く」「清き」「向ふ」「蓋」「面」「影」などにかかる。 ますかがみ【増鏡】 一一八〇〜一三三三年、後鳥羽天皇降誕から後醍醐天皇の隠岐からの還幸まで、一五代一五○余年の事跡を記した編年体の和文の歴史物語。三巻。作者は二条良基か。一三七六年(永和二)までに成立。 |
| 『日本国語大辞典』第二版(小学館.2001年) ますかがみ 【増鏡】 南北朝時代の歴史物語。一七巻。また、一九巻・二○巻の増補本がある。著者は二条良基説が有力。応安年間(一三六八〜七五)から永和二年(一三七六)頃の成立という。治承四年(一一八〇)の後鳥羽天皇の生誕から元弘三=正慶二年(一三三三)の後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの一五○余年の歴史を和文で綴る。「大鏡」にならい、戯曲的構成を持つが、編年体で記される点、「栄花物語」と近く、「源氏物語」の影響も目立つ。 [発音]マスカガミ〈標ア〉[カ]〈京ア〉[カ] ます−かがみ 【真澄鏡】(一)〔名〕@「ますみ(真澄)の鏡」の略。*古今(905-914)冬・三四二「ゆくとしのをしくもある哉ますかがみ見るかげさへにくれぬと思へば〈紀貫之〉」*奥義抄(1135-44頃)中「ますかがみは ますみのかがみを略したるなり」*浮世草子・好色一代女(1686)三・四「烏羽黒(うばたま)の髪の落、みだれ箱、十寸鏡(マスカガミ)の二面(ふたおもて)」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)四「猶かなしみのますかがみ。水にうつしてわがすがた」 A氷を鏡にたとえた語。*班子女王歌合(893頃)「冬寒み水の面に懸くるますかがみ疾くも割れなむ老い惑ふべく〈作者不詳〉*能因歌枕(11C中)「ますかがみとは、ただかがみをいふ。こほりをも云」 (二)[枕] @鏡に写る影の意で「影(かげ)」にかかる。*後撰(951-953頃)離別・一三一四「身をわくる事のかたさにます鏡影許をぞ君にそへつる〈大窪則善〉」 A「まそかがみ(2)B」に同じ。*金槐集(1213)秋「天の原ふりさけ見ればますかかみきよき月夜に雁なきわたる」 [語誌](1)@の挙例「奥義抄」の意見が通説だが、「万葉集」によく見られる「まそかがみ」の転とも考えられる。(2)歌における用法は(一)@の挙例「古今集」のように「見る」に続くほか、(二)@の挙例「後撰集」のように「影」に続くことも多い。(3)「今日までと見るに涙のますかがみ」〔拾遺−雑上・四六九〕や(一)@の浄瑠璃の例のように「増す」との掛詞になることも多い。 [発音]マスカガミ〈標ア〉[カ]〈京ア〉[カ] [辞書]伊京・易林・ヘボン・言海 [表記]十寸鏡(伊・易・言) 真澄鏡(ヘ) |
| 『岩波日本史辞典』(岩波書店.1999年) 増鏡 ますかがみ 歴史物語。作者は二条良基他多くの説がある。14世紀半ばの成立。昔語りの形式で始め、編年体で1180(治承4)後鳥羽天皇の誕生から1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡、後醍醐天皇の還幸までの150余年を描く。武家政権の時代だが、衰えつつある公家社会の側からその文化を主張し、擬古文体で描く。〔国史大系、集覧、古典体系〕 |
| 『新編日本史辞典』(京大日本史辞典編纂会編.東京創元社.平成2年) 増鏡 ますかがみ 南北朝時代の歴史物語.17巻,ただし19巻,20巻の増補本もある.1338〜76年(暦応1〜永和2)の成立.作者は二条良基説が有カ.作中の筆者が嵯峨の清涼寺に詣で,老尼から「弥世継いやよつぎ」(今は散逸)以後の歴史を聞く形式で展開し,1180年(治承4)の後鳥羽天皇の誕生から,1333年(元弘3)隠岐に流されていた後醍醐天皇が帰京するまでをしるす.「大鏡」以来の鏡ものの流れを受け,四鏡の一とされるが,「栄花物語」「源氏物語」の影響も見られる. 〔上横手雅敬〕 ※上横手雅敬氏の『増鏡』論はこちら。 |
| 『日本史広辞典』(山川出版社.1997年) ますかがみ【増鏡】 中世の歴史物語。作者は不詳だが、二条良基(よしもと)とする説がある。一三七六年(永和二・天授二)以前の成立。一一八○年(治承四)の後鳥羽天皇の誕生から、一三三三年(元弘三)後醍醐天皇が隠岐から帰洛するまでの、天皇を中心とする優雅な貴族の歴史を編年体で描き、とくに後醍醐治世の時期に詳しい。嵯峨の清涼寺で、筆者が八○余歳の尼から聞いた昔物語を記すという体裁をとる。先行の日記・和歌集などを素材とし、文章をはじめ「源氏物語」の影響が強い。伝本は、一七巻の古本糸と、一九または二○巻の増補本系にわかれ、後者にも室町初期の古写本がある。「大鏡」などいわゆる四鏡(しきょう)最後の作品。 |
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| 『日本歴史大事典』(小学館.2001年) 増鏡 ますかがみ 南北朝時代の和文体の歴史物語。一七巻本と一九・二○巻本がある。作者については諸説に分かれるが、二条良基説が有力。一三三八年(暦応元)以後、七六年(永和二)以前の成立。後鳥羽天皇誕生の一一八○年(治承四)から、後醍醐天皇が隠岐から帰京した一三三三年(元弘三)までの約一五○年間の歴史を、公家側の立場から記す。京都嵯峨の清涼寺に参詣した作者が、老尼の昔語りを聞くという形式の書き出しは、いわゆる鏡物の伝統をひくもので、『大鏡』『今鏡』『水鏡』と合わせて四鏡と呼ばれる。内容は後鳥羽・後嵯峨・後醍醐天皇をそれぞれ中心とする三時期に区分することができ、承久の乱、皇統の分裂、文永・弘安の役、正中・元弘の変など鎌倉時代の大きな事件は、ほぼ網羅されているが、幕府以下武家関係の記事は少ない。『弁内侍日記』『とはずがたり』をはじめ、広く公家方の諸書を用いており、また現存しない文献の利用も推定されるなど、鎌倉時代の史料としても重要。『新訂増補国史大系』『日本古典文学大系』『講談社学術文庫』などに収録。→二条良基 〈樋口州男〉 □木藤才蔵校注『増鏡』(『校注古典叢書』一九八六・明治書院) |
| 『日本史大事典』(平凡社.1993年) 増鏡 ますかがみ 南北朝時代の歴史物語。一七巻本と二○巻本がある。著者は二条良基が有力視されるが、確証はない。「大鏡」「今鏡」「水鏡」とならぶ「四鏡」最後の作品。「今鏡」のあとをうけて、後鳥羽院誕生の一一八○年(治承四)から、隠岐に流されていた後醍醐天皇が京都に帰還する一三三三年(元弘三)までの一五○年間を編年体で記す。第一巻「おどろの下」−第四巻「三神山」では、後鳥羽院の治政と承久の乱による院の隠岐への配流、第五巻「内野の雪」−第十巻「老のなみ」では、後嵯峨・後深草・亀山天皇の時代を扱い、その宮廷風俗や、この時期に外戚として勢力を持つに至った西園寺家のありさまを述べる。第十一巻「さしぐし」−第十七巻「月草の花」は、後醍醐天皇の倒幕の動きとその失敗、隠岐への配流を語り、最後に鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇の上洛を述べて筆をおく。内容は、皇位の継承を軸にした宮廷社会のできごとを主とし、後深草・亀山両帝の後宮における男女関係の秘話にまで言及するが、他方、武士、すなわち鎌倉幕府についての記述はきわめて少ない。文章は、「源氏物語」「栄花物語」など平安朝物語に倣った擬古文であるが、「源氏物語」の影響は文章のみにとどまらず、たとえば後鳥羽院・後醍醐天皇の隠岐配流を光源氏の須磨のわび住いになぞらえて語っている。 今西祐一郎 [刊] 『新訂増補国史大系』。『講談社学術文庫』。『日本古典文学大系』87,岩波書店。 |
| 『国史大辞典』(吉川弘文館) ますかがみ 増鏡 歴史物語。作者未詳。十七巻。十四世紀後半の成立。『益鏡』『真寸鏡』とも書き、『源起記』と題した写本もある。治承四年(一一八○)後鳥羽天皇の誕生から筆を起し、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が配所の隠岐から帰京するまでの歴史を、貴族社会を中心にして仮名書き雅文体で述べた書物。中間に欠けている年代もある。作中の筆者が京の嵯峨清涼寺に参詣した際に、高齢の尼が見聞したという百五十年間の出来事を語り聞かせる形式で書き出す点で、『大鏡』以下の「鏡物」といわれる文学作品と同じ趣向であるが、書き出しに対応して、高齢の尼が再び登場して物語を結ぶ最後の部分が書かれていない。記事は、『弁内侍日記』や『とはずがたり』など、宮廷の女性の回想記をはじめ、その他の現存の史料の利用が確認できるため、これらのほかにも、今日散逸してしまったため確認できない数々の史料を利用して記したと推定され、場面や視野は限られているが、この時代の史料として使用することができる。作者の意図は歴史を正確に記することではなく、優雅な貴族社会を、年次を逐って描くことにあったと考えられる。作者は二条良基とする説が有力であるが、四条隆資・二条為明などとする説もある。十七巻のそれぞれには、本文中の和歌から採った題がついている。後人がこの十七巻中に記されなかった歳月の出来事や、簡略にしか記されていない部分を補い、十九巻(二十巻)に仕立て直した。「内野の雪」「煙の末々」「山のもみぢ葉」「北野の雪」の巻やそのなかの一部分がそれである。この結果、鎌倉時代の歴史としては一貫することになった(尊経閣文庫所蔵後崇光院自筆本(重要文化財)・古活字本・製版本など)。そこで、十七巻本を草稿、十九巻本を成稿とする説が生まれ、諸書に紹介されることが多いが、すでに池田亀艦『古典の批判的処置に関する研究』第二部(昭和十六年(一九四一)、岩波書店)の中で論破されているように、十九巻本は後人の加筆改編にすぎない。翻刻には、『岩波文庫』、『(新訂増補)国史大系』二一下(主な増補部分を補う)、『日本古典文学大系』八七、『講談社学術文庫』、和田英松『重修増鏡詳解』(増補本系)などがある。 [参考文献] 松村博司『歴史物語(改訂版)』(『塙選書』一六) (益田宗) |
| 『和歌大辞典』(明治書院.昭和61年) 増鏡 ますかがみ 〔南北朝期物語〕 治承四1180年の後鳥羽院誕生から元弘三1333年の後醍醐天皇の隠岐からの帰洛までを叙述。応安ごろ(1370前後)の成立と推測されているが、延文三1358年以前には成立していたとする説もある。作者未詳だが、二条良基説がある。和歌は古本系に一九三首、増補本(流布本)に一九七首(連歌は両系いずれも八句)。貴族の歴史を叙述するのが主題だから、所載和歌も、鎌倉期宮廷・貴族の生活の折々に詠まれたものが多く、場面描写の中にちりばめられている。贈答歌も五○余首に上る。次に承久・元弘の動乱時における後鳥羽院・後醍醐院および周辺の人々の辛苦を詠出した歌が四○余首存する。全体として私情を託する褻(け)の歌、折りの歌が多いといえよう。古典大系87・講談社学術文庫など所収。 【参考文献】「増鏡と和歌」井上宗雄(『鑑賞日本古典文学14』昭51角川書店)*『増鏡研究序説』西沢正二(昭57桜楓社)*『増鏡全訳注上中下』井上宗雄(昭54〜58講談社) |
| 『増補改訂 新潮日本古典文学辞典』(1988年) 『増鏡』 ますかがみ 南北朝時代の歴史物語。三巻。作者は二条良基説が有力。成立年代は、暦応元年(一三三八)以後、永和二年(一三七六)の間。序の部分に、筆者が嵯峨の清涼寺に参詣して百余歳の尼に会い、『水鏡』『大鏡』『栄花物語』『今鏡』『弥世継(いやよつぎ)』などの諸書の名をあげて、それ以後の歴史を語ってもらうことになった次第をしるしており、本書が仮名で書かれた物語ふうの歴史書の伝統に立って著作されたことは明らかである。 本書には、治承四年(一一八〇)の後鳥羽院(上皇)の降誕から、後醍醐帝が隠岐の島から帰京した元弘三年(一三三三)に至る百五十余年間のできごとを、宮廷生活を中心にして、ほぼ年代を追ってしるしてある。その中で、後鳥羽院政下の風流な宮廷生活、承久の変における京都側の敗退と三上皇の配流、隠岐の配所における後鳥羽院の悲愁に満ちた晩年などを述べてある初めの巻々は、流麗な筆致で定評がある。また後嵯峨、後深草、亀山の三帝を中心にする鎌倉中期の宮廷を舞台に、各種の儀式や行事、遊宴、御幸などについて詳細にしるした中ほどの巻々は、やや退屈の感を与えるが、後深草、亀山およびその妃をめぐる異常な恋愛事件の叙述とともに哀切華麗な風俗絵巻を見る趣がある。しかし、本書の圧巻は、後醍醐帝の即位以後、正中・元弘の乱を経て北条氏が滅亡し、後醍醐帝が隠岐から帰京するまでの経過を叙述した、終りの巻々である。なかでも元弘元年八月、北条氏追討の計画が事前にもれ、後醍醐帝が夜半、にわかに皇居を脱出して以後、笠置(かさぎ)の落城、帝の幽閉生活と配所行、事件関係者の処刑、足利高氏の六波羅攻略、新田義貞の鎌倉進撃など、数々の悲劇と激戦を経て、公家一統の世を現出するまでの叙述は、叙事詩的な格調を有し、優艶な文体のうちに、躍動するものを感じさせる。『増鏡』の作者は、後鳥羽院政下の優艶な宮廷生活を理想とし、承久の変における皇室公家の敗退を屈辱の日と考え、後醍醐帝による北条氏の討滅を光輝ある歴史的事件とみなし、王朝文化の復興を念願しながら鎌倉時代の歴史を書こうとしたものと思われる。鎌倉中期の宮廷生活に相当の比重をかけて叙述をしているのも、そこには王朝の優艶な生活が伝存していたと考えたからであろう。 本書の編集資料として『五代帝王物語』『とはずがたり』『舞御覧記』『遠島御歌合(おうたあわせ)』」『続古今(しょくこきん)和歌集』『古来風体抄』『土御門院御百首』『弁内侍日記』その他を用いているが、このほかにも、宮廷付の女房の日記や歌集など、多くの資料を用いていることが推定されている。第一級の資料を多く使用したためか、記事も比較的正確である。それらの素材が、連歌一巻の進行を思わせる美的な配合と優雅な文体のもとに、匂い豊かな文学作品として構成されている点に本書の価値をおくべきであろう。その意味では、本書は鎌倉宮廷文学の総決算ともみなすべき作品である。『栄花物語』や『今鏡』の影響を受けながら、美的感覚においては、一段と洗練の度を加えており、『源氏物語』をふまえた、その優艶な文体も、斜陽化した鎌倉時代の宮廷生活を、老女の目を通して回想的に描くという本書の構想には、打ってつけであるといえる。『大鏡』とは異質であるが、『大鏡』と並んで、歴史物語中の傑作と評されているのも、理由のあることである。 本書の諸本は、古本系と増補系の二つに大別できる。古本系は一七章から成り、これがもとの形で、増補系は古本系の写本の一部に増補の手を加えて完成せずに終ったものと推定され、一九章または二○章から成る。〔テキスト〕(B)時枝誠記・木藤才蔵『神皇正統記・増鏡』(昭四○、岩波書店『日本古典文学大系』)、(C)井上宗雄『増鏡』(三冊。昭五四−五八、講談社学術文庫)。 (木藤才蔵) |
| 『日本古典文学大辞典』(岩波書店.1984年) 増鏡 ますかがみ 十七巻または十九巻。歴史物語。伝本によっては、「益鏡」「増鑑」「真寸鏡」などと記し、「源起記」と題する写本もある。作者は、二条良基説が有力だが、ほかに兼好・二条為明・四条隆資・丹波忠守などを作者とする説がある。 【成立】 興仁親王が皇太子になった暦応元年(一三三八)以後、永和二年(一三七六)に至る間の成立。その中で、応安(一三六八−一三七五)から永和二年にかけての成立とみる説が有力。執筆の意図は、その序文に示されているように、『栄花物語』『大鏡』『水鏡』『今鏡』『いや世継』など、先行の歴史物語のあとを受けて、後鳥羽天皇以後の歴史を叙述しようとしたものである。 【構成】 最初に、筆者が嵯峨の清涼寺に参詣して、高齢の尼から歴史物語を聞くまでのいきさつを記した序があって、本文に移り、以下、巻一から巻十七まで、鎌倉期の歴史を、出来事中心に時間の流れに従って叙述してある。古老の語る歴史を筆録したという形式をとっているのは、先行の鏡物に習ったのであるが、本書では序文に対応する結びの言葉を欠いている。巻々に『源氏物語』ふうの優雅な名前を付けているのは、『栄花物語』や『今鏡』に習ったのだろう。増補本系の諸本は、「内野の雪」の次に「煙のすゑ/\」を置き、「北野の雪」を増補して上下二巻とし、全体を十九巻にしている。 【内容】 治承四年(一一八〇)の後鳥羽院の降誕から、後醍醐天皇が隠岐の島から還幸になった元弘三年(一三三三)に至る百五十余年間の歴史を公家中心に記してある。本書において一貫して取り上げられているのは、後鳥羽院以下十五代の天皇に関する事であって、それぞれの天皇の父母・誕生・元服・立坊・践祚・後宮・子女・譲位・出家・死等に関しては、必ず記されている。それに、『続後撰和歌集』を除いては、鎌倉期に成立している『新古今和歌集』以下八つの勅撰集の撰進の次第についても記述があり、また、皇室関係の遊宴・賀宴・詩歌管絃の雅会・仏事などの行事をはじめ、所々への行幸・御幸、和歌の贈答あるいは男女間の恋愛や情事に関する物語などをも織り交ぜて、公家の風雅な生活が、絵巻物でも見るように叙述されている。こうした叙述の仕方は、『栄花物語』にきわめて近いものがあるが、中古に成立した歴史物語に比較してみて、摂関家に関する記述は概して簡単であり、それに対して、廷臣中の実力者でありその一門から多くの后妃を輩出した西園寺家に関する記述は比較的詳しい。また、武家の時代の到来を示す鎌倉の将軍に関しては、初代の源頼朝以後、九代めの守邦親王に至るまで、一応の記述が見られるが、幕府の実権を握っていた、執権北条氏については、皇室に関係のある大事件に関与した場合に限って記されているに過ぎない。本書に取り上げられている出来事についてみても、将軍実朝の暗殺、承久の乱、文永・弘安両度にわたる元の来襲、正中の変、元弘の乱と北条氏の滅亡など、後鳥羽院治世下以後の、鎌倉期における主要な事件について、一応は触れられているものの、皇室に関係があるかないかで、繁簡に著しい差がある。執筆に際しては、記録・史書・歌書歌集・補任・物語などにわたって相当多くの資料が利用されたことが指摘されているが、『源氏物語』のように単なる文飾として使用されているものを除くと、確証のあるものはそれほど多くなく、『五代帝王物語』『弁内侍日記』『とはずがたり』『舞御覧記』『大鏡』『今鏡』『平家物語』『土御門院御百首』『遠島御歌合』『続古今和歌集』『古来風躰抄』などが主要なものである。特に『五代帝王物語』『弁内侍日記』『とはずがたり』の三書は大幅に利用されており、これ以外にも、現在湮滅してしまっている物語・日記類を相当利用しているこどが推測される。 【性格・価値】 本書は第一級の資料を豊富に使用しているため、その記事が大体において正確であることが指摘されているが、本書の作者は歴史的事件を過不足なく記述して、正確な史書を著作することを主目的としていたとは考えられない。宮廷関係の記事に限ってみても、大嘗会・女御入内・行幸御幸・遊宴・賀宴その他の儀式や行事など、各時代を通して、そのすべてが取り上げられているわけでもなく、また、叙述の仕方についてみても、その繁簡は決して一様ではない。これは一つには、適切な資料の有無の問題も関係しているが、それ以上に文芸的意図が優先していることを否定できない。「内野の雪」には、後嵯峨の石清水・宇治・鳥羽殿・吹田への御幸を記したあとで、ひき続き宮廷における風流生活が次々に述べられているが、これらの出来事に関しては、日時が必ずしも明示されていないだけでなく、時には時間的な順序さえ無視されている。ここで作者が意図したのは、後嵯峨院政下における優艶で風雅な貴族の生活を、絵巻物でもみるように繰り広げてみせることにあったと考えられるが、本書の骨格をなす儀式や行事の叙述には多かれ少なかれ、この種の意図が働いている。その一方において、承久の乱に敗退した後鳥羽院の降誕をもって起筆し、後醍醐天皇即位以後、元弘三年までの約十六年間に三分の一の記述量を与え、鎌倉幕府の滅亡をもって終筆していることの意味も考えてみる必要がある。政治権力を奪われた鎌倉期の公家たちは、王朝の文化伝統と官能の生活にのみ生きがいを見出し、閉塞された社会で「艶」と「あはれ」に満ちた明暗さまざまな生活をくり返すが、朝権回復の機会を得て奮起し、輝かしい勝利を得るという本書の大筋は、まことに劇的なものを内包している。『源氏物語』ふうの優雅な文体で貫かれている本書が、「むら時雨」以下の三巻において躍動するものを秘めているのも、こうした構成法と無関係ではない。 【諸本】 古本系諸本と増補本系諸本に大別することができるが、(一)古本系はさらに三類に分けることができる。第一類は、「永和二年(一三七六)卯月十五日」付の写本を「応永九年(一四〇二)六月三日」に書写した旨の奥書を有する本で、尾張徳川家本(蓬左文庫蔵)・岩瀬文庫本・平松家旧蔵本(京都大学図書館蔵)・宮内庁書陵部蔵御物本その他が、これに属する。三冊または二冊。第二類は、前半は第一類本に、後半は第三類本に近い本文を有する本で、宮内庁書陵部蔵の桂宮本や谷森善臣旧蔵本その他が、これに属する。七冊または三冊。第三類は、「永正十八年(一五二一)二月」付の中御門宣胤の奥書を有する本で、学習院大学図書館本・尊経閣文庫本・宮内庁書陵部蔵片仮名本その他が、これに属する。三冊。(二)増補本系には、尊経閣文庫蔵の後崇光院自筆本をはじめ、静嘉堂文庫蔵の浅野長祚旧蔵本・色川三中旧蔵本・源起記本その他。古活字本・古印本もこれに属する。二十冊または十冊・六冊・三冊など。なお、一般に増補系とされている諸本を原形とみなし、古本系諸本をその省略されたものとする説もある。 【複製】 古典資料類従(桂宮本)。 【翻刻】(一)古本系、尾張徳川家本−岩波文庫・新訂増補国史大系・日本古典全書、岩瀬文庫本−校注古典叢書、書陵部蔵御物本−『増鏡通釈』(佐成謙太郎、昭和13年)、書陵部蔵桂宮本−講談社学術文庫、学習院大学蔵永正本−日本古典文学大系、書陵部蔵永正片仮名本−『片仮名本増鏡の研究・本文資料篇』(佐藤高明、昭和51年)。(二)増補本系、源起記本−『片仮名本増鏡の研究・本文資料篇』、古活字本−史籍集覧、印本を底本に編次を多少改めたもの−『重修増鏡詳解』(和田英松・佐藤球、大正14年)。 〔木藤才蔵〕 【参考文献】石田吉貞「増鏡作者論」(『新古今世界と中世文学・上』昭和47年)。○木藤才蔵「増鏡の構想と叙述」(『国語と国文学』昭和36年6月)。○宮内三二郎『とはずがたり・徒然草・増鏡新見』昭和52年。○松村博司『歴史物語』改訂版昭和54年。 |
| ※「辞典・辞書類における『とはずがたり』と後深草院二条の記述」はこちら。 |
