更新14.3/10
永井路子・冨倉徳次郎対談(『歴史のヒロインたち』.文春文庫)
| 冨倉徳次郎氏の略歴 |
| 明治33年(1900)〜昭和61年(1986)。京都帝国大学文学部国文科卒。専攻、中世文学。駒沢大学名誉教授。著書『平家物語全注釈』『とはずがたり』『平家物語研究』など。 |
※永井路子氏の略歴はこちら。
| 永井路子氏による作者の紹介 |
| 二條 日記文学「とはずがたり」の著者。久我大納言雅忠の娘で本名は不明。生年一二五八年。五〇歳近くまでのことは作品に書かれているが、没年はわからない。一四歳で、後深草天皇の寵愛を受けるが、同時に西園寺実兼、性助法親王(せいじょほうしんのう)、亀山院などたくさんの男からいいよられ、秘密の情交を重ねる。その愛欲生活の中で、妊娠、出産などを体験し、少なくも四人以上のこどもを産んだという。しかし、その子らの誰とも正式に親子を名のる間ではなく、孤独の境涯であった。三二歳で出家。新たな生きがいを見いだそうと旅に出る。その後二〇年近くの生涯は旅で過ごし、途中、石清水八幡宮で後深草院と再会する。「とはずがたり」は、著者が四九歳になった一三〇六年に、これらの体験をあますところなく書きしるした記録で、前半の三巻は恋愛遍歴、後半の二巻は旅という二つの大きなテーマに分かれており、後深草院の死で終わっている。当時の女性では経験できなかったと思われる事柄を、赤裸々に描写した記録として文学的評価も高い。瀬戸内晴美さんが「とはずがたり」をもとに小説「中世炎上」を書き、主人公のあとを追うように出家したのは、それだけ「とはずがたり」に心を寄せていたということだろう。 |
| 永井・富倉氏の対談の内容 | 私の考え方 |
永井 「とはずがたり」の著者は、二條(にじょう)といわれていますが、紫式部や清少納言ほど有名ではありません。しかし、戦後、突然発見された女流作家ということで注目すべきですね。あのような名作を残しながら、なぜ、ごく最近まで、その名を知られることがなかったのか不思議でなりませんが。 |
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| 冨倉 「とはずがたり」は実名入りの愛欲物語です。しかも、宮廷の秘事にわたる部分が多かったから一部のものだけが秘蔵していたということなのです。三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の「実隆公記」には、この「とはずがたり」のことが書かれていたのですが、だれも見た人はいませんでした。昭和十五年、山岸徳平博士が宮内庁の図書寮から偶然これを発見して、活字化したわけですが、「増鏡」などは、「とはずがたり」からの引用が非常に多い。以来しだいに文学的価値も認められるようになったというわけです。「落窪物語」の英訳で有名なイギリスのホワイト・ハウスさんなどは、「源氏物語」の次に注目すべき日本文学は「とはずがたり」だといっているくらいです。愛欲の物語とはいえ、日本文学の中で中世の女性をこれほど端的に表現し得ているものは他にはみられません。 |
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| 永井 二條は、村上源氏系統の久我(こが)家の出である久我雅忠と料理や文学、音楽のたしなみのある四条家の出の四条典侍大(すけだい)との間に生まれた女。小さいころから宮廷での生活に慣れ親しみ、多くの男性にいい寄られているところをみると、かなり男好きのする女性だったようですね。 |
| 冨倉 最初の相手は後深草天皇。二條の母典侍大は後深草天皇の養育係。少年のころの天皇は典侍大にあこがれを抱いていました。ですから、後深草天皇は母である典侍大のおもかげを二條に追い求めたんですね。 |
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| 永井 典侍大は、後深草天皇の最初の寝屋の手ほどきまでしているから無理もありませんね。藤壺に死なれて、面影をしのばせる紫の上を求めた光源氏を地でいった感じです。後深草天皇は、正月に二條のところへ衣裳を送り届けます。このことは、すでに「二條は俺のものだぞ」ということを意味している。ところが、二條は同じ時期に、雪の曙(西園寺実兼)と称する男からもいい寄られてそれにこたえていますね。実兼は後深草天皇とはいとこ同士。結局十五歳年上の後深草天皇が先に二條と関係ができたようですが、初夜は天皇の意に従わないんです。そして実兼ともうまく愛をつないでいく。このように恋愛技巧にたけているのは、彼女の天性としか思えないのですが。 |
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| 冨倉 わたしはそうは思いませんね。第一夜の拒否は、まだ十四歳の少女としてはあたりまえのことでしょう。後深草天皇が二度めに訪れられたとき、二條は、はじめて肉体関係を持つわけですが、そのとき、「鐘のおとにおどろくとしもなき夢の名残もかなし有明の空」とうたっています。男との交渉を楽しむ浮気っぽい女性なら、はじめて男性に接したときの気持ちを、悲哀とも愛憐ともいえない切ない感情をこめて“かなし”と表現するはずがありません。 |
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| 永井 しかし、受け身ではありながら、現実的には、愛欲の生活にのめり込んでいきますね。だいたいすごいですね。後深草天皇の子を産んでから、実兼のこどもを身ごもります。それがわかると、二條は後深草天皇に会って肉体関係を持ち、つじつまを合わせ、産み月をごまかしています。それだけでなくお産は実兼のもとで内密に行ない、生まれた子は、実兼の本妻の子として育ててもらう。ちょうど同じころ本妻の子は死産しているんですね。そして天皇には、こどもは流産したと伝える。そしらぬ顔で大胆にもやってのけるあたりはすごい。これは中世という時代の特徴でしょうか。「源氏物語」では、藤壺と間係ができた光源氏は罪の意識に悩まされ続けます。二條の方はどうやって日数を合わせるかと考える。 |
| 冨倉 そのつぎの相手は有明の月という名で「とはずがたり」に出てくる男。この人は、後深草天皇の弟で、仁和寺の阿闍梨(あじゃり)である性助法親王(せいじょほうしんのう)。彼は七歳のときから仏門に入り、二條に会うまで女性に接したことがないのですが、二條を一目みてすっかり心を奪われてしまいます。自分はこれまで長い間修行をしてきたけれど、お前と一緒になれるのなら坊さんをやめる。死後地獄に落ちてもかまわないというおぞましいほどのはげしい愛情で二條に迫ります。二條も愛情の嵐に一度は身をまかせていますが、良心の呵責(かしゃく)を感じてか、それ以後はこばみ続ける。 |
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| 永井 ところが、後深草天皇はこの密事を知ってしっとに狂うどころか、弟との逢う瀬をとりもつようなことをするわけです。こうなると、恋愛は真剣な心のやりとりではなく“遊び”。寝ることは、“あいさつ”といったところまでモラルは低下してしまっている。当時の貴族の恋がいかに人間性を失ったものであったかがうかがい知れますね。 |
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| 冨倉 このへんが皇室が権力を持てなかった中世という時代の悲しい現象といえましょう。男女の愛情に関する考え方は一夫一婦制でないので、現代でははかり知れないところがありますが、ここまでくると、モラルなどはなかったも同然です。二條は、しかし、純粋な法親王にだんだん心をひかれ、こどもまでできるのですが、彼は流行病であっけなく世を去ってしまいます。他にも、鷹司兼平、亀山院などとも情交を重ねたようですが、これだけ男性との交渉を隠さずに書いているのに、少しもいやらしくないのは若い日のきれいな女性としての純粋な気持ちを見失わないで書いているからだと思います。 |
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| 永井 女性は、自分のことを書くと、非常なナルシシズムにおちいるか、自己弁護的になりがちなものです。しかし二條は、自分というものを客観的にとらえて書いていますね。そういう意味では、同じ日記文学である「和泉式部日記」や「蜻蛉(かげろう)日記」とは違います。 冨倉 二條は三十二歳になったとき、いままでの愛欲に満ちた生活をすっぱりとたち切って、突然出家し、旅に出ています。後深草天皇の態度が冷ややかになり、御所を退出しなければならない事情もあったと思われますが、動機の一つに考えられるのは、西行の影響です。二條には、修行をしながら生涯を旅で送り、それを書きしるして後世に残した西行のような生涯を送りたいという気持ちが強かったようですね。 |
| 永井 約二十年、二條は旅の生活を続けるわけですが、ずいぶんいろいろなところへ行っていますね。厳島や高松、信濃、鎌倉など。いまでいえば世界旅行のような大変な旅をしているわけです。そのほとんどが信仰の対象となるところばかりですが、二條には、汚れきった都の貴族社会から逃避したい、まったく生まれ変わった生活をしたいという積極的な気持ちが働いたようですね。あれだけの愛欲生活を送った二條、尼になってから諸国をめぐっている間に男と女の交渉はほんとうになかったのでしょうか。 |
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| 冨倉 旅の途中、石清水八幡宮で、上皇になった後深草院に偶然出会いますが、ここで、二條は、尼になってからは男性との交渉のないことをきっぱりいいきっています。 |
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| 永井 実兼ともそうですか。 |
| 冨倉 「続千載集」に詠人知らずとして二人の和歌が残っています。「生ける身のためとばかりにみし人のながき世までの友となりける」という実兼の歌に対し、二條は、「生ける身のうさも忘れて後の世の友ときくにぞ今はうれしき」と、返歌を送っている。ここでも心の友であることは明らかです。さらに、後深草上皇が亡くなると、二條は実兼に頼んで、若い女房の打ちかけを頭からかぶり葬儀につれていってもらいますね。そして、片隅から、お姿だけ見ることを許される。後深草上皇の牛車を裸足で、泣きながら追う場面も感動的ですがすがしい。 |
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| 永井 結局、後深草上皇のもとへ戻っていくんですね。ここまで読むと「とはずがたり」が、前半の恋愛と後半の旅の部分を経てやはり後深草上皇との愛を書いたものだ、ということがはっきりわかります。 |
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| 冨倉 そうですね。物語作者としての自分と、自分の生涯を語った作者というものがここでうまく融合しています。 |
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| 永井 こういう形での文学を書いた女性はこれまでありませんね。それといまひとつ、中世という時代、いろいろな問題があったときに、それらといっさい関係なしに性の自由だけを得ていた女のかなしさが含まれている、とも考えられます。その点現代とよく似ていて、フリーセックスだ、自由の謳歌だと叫んでも、それはしょせん限定された狭い世界のものでしかない。そういった意味で読むと「とはずがたり」はたいへんおもしろい。 |
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| 冨倉 女子学生に人気があって最近必ず卒論にも登場するわけですな。 |
