更新14.3/3

| 瀬戸内晴美(寂聴)氏の略歴(『朝日人物辞典』より) |
| (1922〜)小説家。徳島市生まれ。1943(昭18)年東京女子大卒。在学中に北京滞在の夫と結婚、卒業後北京へ渡るが敗戦のため46年に帰国。やがて夫の教え子であった青年との恋愛事件が生じて出奔、50年に離婚した。この経験が彼女の文学の根底になっている。神仏具商の次女で、小学校時代から小説家たらんと志望し、出奔後少女小説を書いて生計を立てながら、51年作家への道を求めて上京、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。同誌に発表した作品が新潮同人雑誌賞になり、受賞第1作の『花芯』によって作家への道が開かれたが、批評家に「子宮という言葉の乱用」と酷評され、道は塞がれた。しかしこれに耐えて60年『文学者』に伝記小説「田村俊子」を連載、第1回田村俊子賞を受賞して文壇に登場する。その後は第2回女流文学賞の『夏の終り』(63年)を中心に、私小説的に、夫と子供を捨てての駆け落ち、妻子ある男性との恋愛、以前恋人だった男との関係の復活などのテーマを描いて、女の業を描く作家の地位を確立。戦後の新しい自我意識に目覚めつつある女性の先駆者として広い人気を得るに至った。伝記小説『かの子撩乱』(65年)も、自伝小説『 いずこより』(74年)も、みな女の業の追求である。73年中尊寺において得度、法名寂聴。「瀬戸内晴美作品集』8巻(72〜73年、筑摩書房)。(秋山駿) |
| 瀬戸内晴美氏の見解 | 私の考え方 |
『とはずがたり』というやさしい題の、昔物語を御存じでしょうか。同じわが国の古典でも『源氏物語』や『平家物語』のように有名ではないので、御存じなくても不思議ではありません。長い間、幻の物語と呼ばれて、その存在が世に知られなかったのです。たったひとつだけ宮内庁の書陵部(しょりょうぶ)に、江戸時代の写本が残されていましたが、それは深くかくされ世に知らされませんでした。 内容が内容だから、宮内庁で外へ出さなかったのでしょう。つまり、宮廷の、天皇や院の情事のプライバシーに関することが驚くばかりリアルに書かれていたからです。戦後とちがい、戦前は皇室に関してはタブーがきびしく、そんな暴露的なことを世間に流すことは、神聖極りない皇室の体面を傷つけるとし、絶対に許されないことでした。ところが昭和十五年、国文学者の山岸徳平氏が、その本について発表され、ようやく幻の物語に陽が当てられるようになりました。それでも尚、戦時中でしたので、内容はあからさまにはされませんでした。戦後も三十年頃になって、急に研究がすすみ、その紹介が次々世に出るようになったのです。ですから、私が『とはずがたり』をはじめて読んだのも、今から十四、五年前のことでした。 |
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| その時の驚きを忘れることが出来ません。なぜなら、その内容が予想以上にあまりに面白く、かつショッキングだったからです。 「問わず語り」という題が示す通り、それはひとりの女の、ひとりごとめいた打明け話、あるいは、告白といったものでした。『源氏物語』が紫式部の作った平安朝の宮廷を舞台にした完全なフィクションであるのに対し、『とはずがたり』は、中世の宮廷を舞台にした点では似ていますが、書かれたことは、ほとんどが現実にあった実話でした。 作者の後深草院二条(ごふかくさいんにじょう)が、自分の過去を回想して語るという形式で、作中のヒロインでもあります。その点、今でいう私小説というべきもので、『源氏物語』より『蜻蛉日記(かげろうにっき)』などの王朝女流日記文学の系列に入ります。時代は、『源氏物語』の頃からおよそ三百年ほど後のこと、幕府は北條氏の時でした。 |
| 紫式部が宮廷の女房だったように、二条もまた院に仕える女房だったと同時に、後深草院の寵(ちょう)を受けた愛人の一人でもありました。二条の父は大納言久我雅忠(くがまさただ)で、久我家は由緒正しい家柄でしたから、ことによれば、二条は院の妃の一人にもなれた筈でしたが、雅忠が早く死んだので後楯もなくなり、女房で終り、しかもある時から、院の寵を失い院の御所から出されてしまいます。そういう生い立ちからしても、二条が当時の貴族の娘として、充分な教育を受けていたことは当然です。特に彼女は文学を好んだらしく、若い時は『源氏物語」を愛読した文学少女であったようです。もちろん、『蜻蛉日記』も読んでいたでしょう。それで晩年、つくづく自分の生涯をふりかえった時、人並よりも数奇で薄倖(はっこう)で、何よりも恋多かった自分の過去が、書き残すに値するものと思ったにちがいありません。つまり「物語」よりも自分の実人生の方が奇なりと考えたのでしょう。それで思いだすままに少しずつ書きつづけていったのが、いつのまにかたまって、『とはずがたり』が出来上ったのだろうと思います。 |
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| その最後に、自分の生涯をひとり胸におさめておくのも物足りなく思われるので、つい、 「かやうのいたづら事を続け置き侍(はべ)るこそ。後の形見とまでは、おぽえ侍らぬ」 と書いています。こんなつまらない事を書きつづけておきましたが、別に後世、人に読まれようと残すつもりではありませんという意味ですが、これはあくまで、創作上の修辞で、本心はもちろん、自分の特異な恋の経験と、それからぬけ出た後半生の女西行のような放浪の旅の思い出を、ぜひとも聞いてほしいという執筆動機だったと思われます。では『とはずがたり』によってユニークな中世の女の稀有な運命と愛と性の全貌をみてゆきましょう。 |
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| 一人称の作品の中で、二条は生涯に四人の男性と深い関係を持ったことを告白しています。彼女をめぐる四人の男とは、後深草院、雪の曙(西園寺実兼〈さいおんじさねかね〉)、有明の月(性助法親王〈しょうじょほっしんのう〉)、近衛大殿(このえのおおいどの)(鷹司兼平〈たかつかさのかねひら〉)です。カッコ内はモデルとされる実在の人で、後深草院は、本名で出ています。この他、後深草院の弟の亀山院、作中では新院とある人物とも、交渉があったと考えられます。あるいはこの他に、作中には書かなかった情事が皆無だったともいいきれないでしょう。男にいい寄られやすい雰囲気と、いい寄られたら断り難い性分の女のように、作品の中では書かれているからです。 |
| 後深草院と二条の関係は、宿命的なものがありました。後深草院は二条の母の大納言典侍(だいなごんのすけ)が女房として宮中に仕えていた頃、少年の初恋を感じ、新枕のことを二条の母に教わったという仲でした。典侍は雅忠と結婚して二条を産み、まもなくなくなってしまいます。その遺言に、久我家の娘は代々宮仕えさせないという習慣があるけれど、この子だけは宮仕えさせてくれといいました。院は典侍の死を悲しみ、その形見の娘を四歳から手許に引きとって育てます。そして心ひそかにその成長を待ち、初恋の女の娘と契ろうと待ったのです。後深草院は自分と二条を、心中、『源氏物語』の光源氏と紫上になぞらえていたのかもしれません。たしかにこの時代の宮廷は、政治の実権はほとんど幕府に奪われていて、逸楽と頽廃がみちていたようでした。 |
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| 遊びはすべて、黄金時代の平安朝をなぞることでした。『源氏物語』が何よりのお手本になりました。そして人々は生活や恋まで『源氏物語』をなぞりたがったのです。音楽の会も、船遊びも、蹴鞠(けまり)の試合もそうでしたが、しまいには、妃たちや女房たちを、それぞれ『源氏物語』の女たちに仕立てて音楽の会をするというような遊びまで考えだすほどでした。 ともあれ、文永八年(一二七一)の正月、院は、はじめて、里帰りしていた二条の寝所ヘ、男として訪れました。もちろん、父も継母も承知していて、名誉なことに思っています。知らないのは十四の少女だけで、家中が飾られたり自分にいい着物を着せられる理由もわかりません。その夜も暮れて、うたた寝からふとさめると、傍に院が寝ています。二条は愕(おどろ)き、院がどんなにことばをつくして「愛している」とか、「この夜をどんなに長い間待ったことか」とか求愛しても、泣くばかりです。「どうして前もって、話して下さらなかったのです。父にだってよく相談したかったのに」と泣いてばかりいるので、 「あまりに言ふ甲斐(かひ)なげにおぼしめして、うち笑はせ給ふさヘ、心憂く悲し」 という状態でとうとう一晩中すねて身を許しません。院はその夜は少女の抵抗を許しますが、次の夜は情容赦もなく乱暴に彼女の処女を奪ってしまいます。 |
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| 「今宵はうたて情(なさけ)なくのみ当り給ひて、薄き衣はいたく綻(ほころ)ぴてけるにや、残る方なくなり行くにも……」 というリアルな描写で院のその夜の行為があらわされています。 |
| こうしてこの夜を境に院の寵い者になって後宮では一目おかれて暮すのですが、二条にはそれ以前にすでに恋人がいたのです。文中では雪の曙となっていますが西園寺実兼であることは、今では定説になっています。実兼はその時二十三歳で名門西園寺家の当主になっていました。ちなみに、後深草院は二十九歳でした。実兼と二条の仲がプラトニックだったかどうかは不明ですが、「さても、さても新枕とも言ひぬべく、かたみに浅からざりし心ざしの人」という表現があります。言ひぬべくは、言ってよいほど、言いたいほど、ですからどっちにしても、精神的には相当な深い仲だったことは考えられます。あるいは実兼も年齢より老成した男なので、二条の成長を待っていたところを、院にぬけ駆けされたというところかもしれません。実兼は院の近臣でしたから、その後の二条と院の情交の深まりをいやでも目近に見ないでは暮せませんでした。 |
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| 翌年、思いがけず雅忠が病死してしまいます。そのため里帰りしている二条を実兼が訪れ、二人の仲は急速に進みます。もともと相思相愛だった二人が燃え上るのは時を要しません。院の目を盗んで密会を重ねるうち、二条は実兼の子を妊(みごも)ってしまいます。実兼はそれと知り、益々二条に愛情を感じやさしくなりますが、二条は院に妊娠をニヵ月ごまかして六ヵ月なのに四ヵ月と報告してとうとう産月を迎えてしまいました。実兼はもう里に帰った二条につきっきりで面倒を見ます。表向きは人の嫌がる重い病気にかかったといいふらして、一切見舞いもうけず、誰にもあわず引っこんでいて、お産をしてしまいます。実兼はその枕元に始終つきそい、秘密の出産を扶(たす)けるのです。陣痛に苦しむ二条の腰を抱き起しこうすれば早く生れると聞いたがと励ましたとたん、二条は産気づき、実兼の手にすがったまま、赤子を産み落しました。実兼は自分の太刀で臍の緒を切り、そのまま白い小袖にくるんで走り出てしまいます。 |
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| 実は実兼の本妻が女の子を産み、産後ほどなく死んでいたのと、二条の赤ん坊をすりかえてしまったのです。このお産の描写をはじめて読んだ時、私は心から愕いてしまいました。 お産の場面を小説に書いたものも多いでしょうが、こんなスリリングな場面と行動を、これほどリアルに書いたものを知りません。凄い小説だと思いました。そしてその時、私は『とはずがたり』と後深草院二条にすっかり魅了されてしまいました。とり憑かれたという方が当っているかもわかりません。なぜなら、私はその後この小説を二度も現代語訳している他『中世炎上』という小説にして書いてもいるからです。 さて院には、子供は死産したと報告します。院からは見舞いの薬などたくさん差し入れられるのを「いと恐し」と、二条は感じます。 |
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| そんな実兼がありながら、二条はやがて院の弟で御室(おむろ)の阿闍梨(あじゃり)、有明の月、実は性助法親王とも契ってしまいます。院の病気の祈祷のため御所に来た有明の月は、祈祷と祈祷の間に、道場のすぐそばの局で、泣きながら抱きついてきて想いを遂げてしまうのでした。一度破戒の蜜の甘さを覚えた阿闍梨は、狂的なほど二条に熱中してしまいます。二条はその情熱に引きずられながらも、あまりの妄執が恐しくなり、縁を断とうと冷淡にします。 阿闍梨は、それと知ると恐しい呪詛(じゅそ)の手紙を送ってきます。そんなこともありながら、またしても二条は阿闍梨の情熱と妄執に負け、阿闍梨を再び受けいれてしまいます。阿闍梨は里に帰った二条の許(もと)へ通いつめ、突如として悪疫にかかり、急死してしまい、後には二条が阿闍梨の子を宿していました。 |
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| 不思議とも奇怪ともいいようがないのは、阿闍梨と二条の仲を知った院が、わざわざ二条に用をいいつけ、阿闍梨の許へゆかせ、仲直りのチャンスを与え、二条にも、阿闍梨との仲を認めるからつづけるようにとそそのかすことでした。その上、院は、近衛大殿、現実には太政大臣鷹司兼平を、二条の後見になるという条件で、取り持つようなこともしています。伏見へ旅行した時、院は自分の寝所の襖の向うで大殿と二条を結ばせてしまうのです。 また、ある時は弟の亀山院との間も、亀山院に二条をくどき易いようにはからうようなところもありました。 |
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| この物語に登場する二条の情事、あるいは恋の相手というのは、その時代の超一流の男性ばかりが揃っていますが、一番正体のわからないのが後深草院のような気がします。亀山院とは同母兄弟でありながら、なぜか後深草院は、両親から弟と差別されていました。父帝の後嵯峨院(ごさがいん)は、亀山院の方に対して愛情が強く、後深草院は、わずか四歳で天皇になったものの、即位の間中、後嵯峨院が実際には院政をしいているのであり、十七歳になると、もう強制的に亀山院へ譲位させられています。内心面白くないのは当然で、そうした現世的不平不満は内向して、院の性質を屈折の多い女性的で陰険なものとし、しかもあきらかにアブノーマルな性的傾向も持っていたように見受けられます。二条と実兼との関係も、実はすべて承知の上で、二人を泳がしていたのではないかと思われる節(ふし)さえあります。 |
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| 実の妹の斎院(さいいん)を誘惑する手引を二条にさせたり、町の女を御所に引き入れて一夜の慰みにする世話を二条にさせたりしています。そういう院のもとで、二条が真実幸福だったとは思えません。かといって、二条の次々おこす情事も、あまりに他愛なく男に屈する点で味気なくさえ感じます。ただこういう情事の繰りかえしの筋書だけをのべますと、二条はおよそ自主性も知性もなく白痴的な、ただ性だけに翻弄され、流されていく女のように見えますが、決してそうではないのです。単にセックスだけの魅力なら、これだけの一流の男性たちが、揃いも揃って、こうまで情熱的に二条に惹かれるでしょうか。『とはずがたり』に書かれた二条は、どの男との間でも、決定的に相手を憎んだり恨んだりしてはいません。最初は仕方なく屈した場合も、いやいや従わされてしまった場合でも、事の終った後や、少しつきあった後では、相手に心情的になびいています。 院にはかられて、ほとんど無理矢理に関係を持たされ「死ぬばかり悲しき」と院を恨んだ大殿との仲でも、二夜を共にして、京へ帰る時には別々の車で京まで並んでゆき、京極からは、院と二条と実兼の乗った車は北へゆき、大殿の乗った車が西へ行き、いよいよ別れることになると、 「何となく名残惜しきやうに車の影の見られ侍りしこそ、こはいつよりのならはしぞと、わが心ながらおぼつかなく侍りしか」 といっています。二夜の契りで、早くも大殿に別れ難い一種のなつかしさを感じているのです。しかも自分は、院と実兼と同じ車に乗っている時の心の動きなのです。こういう心の揺れは、先に、院と、実兼の間にも認められました。 「慣れ行けば帰る朝(あした)は名残を慕ひて又寝の床(とこ)に涙を流し、待つ宵には更け行く鐘に音(ね)を添へて、待ちつけて後(のち)はまた世にや聞えんと苦しみ、里に侍る折は君の御面影を恋ひ、かたはらに侍る折はまたよそに積る夜な夜なを恨み、わが身にうとくなりまします事も悲しむ。人間のならひ、苦しくてのみ明け暮るる」 とあります。恋人に馴れると、恋人の朝帰りするのが名残り惜しく、辛く、待つ宵は、こんなことが世間に評判になるのではないかと苦しむ。かといって、里にいると、恋人に逢いながら、院が恋しくなり、院の御所にいる時は、他の女とすごされる夜々を嫉妬して、自分に対して院が冷たくなることが悲しまれる。人間のならいで、苦しんでばかりいる。という意味で、二条が決して、実兼一辺倒に溺れているわけではなく、院にも心が残っていることがなまなましく書き出されています。 こういう心の揺れを正直にみつめて、率直に告白出来るという点で、二条は決して、情に流されるばかりの女でないことが理解出来ます。 |
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| 男と関わる度に悲しみや苦しみが増すことは、もう経験で承知していても、やはり、男の切実な求愛を受けると、応えるはめになり、そして許してしまえば、男に愛情が生れる。そういう二条は、別の見方をすれば、まるで捨身行をしながら菩薩への道をひたむきに歩んでいるように見えないこともありません。愛を受けいれて、傷つき、現実の場で損をしているのは、いつでも二条です。 一夫多妻(ポリガミー)は男の側だけの特権のように思われていたこの時代に、一妻多夫(ポリアンドリー)も可能なことを二条の心の揺れは示してはいないでしょうか。同様に多くの女性を男が愛しても不思議がられず、女にだけは一夫一婦(モノガミー)の貞操を強いられるのは不自然です。 |
| 『蜻蛉日記』の作者、道綱の母は、多情な夫兼家の浮気に死ぬほど苦しみ、その苦しみの中から、『蜻蛉日記』を生みました。 後深草院二条は、男のように、同時に、二人ならず何人も愛することが出来、そのことで苦しみ、『とはずがたり』を生みました。どちらが幸福だったとはいえません。 二人の流した涙の分量は似たようなものでしょう。 ただ、二条は自分の流される煩悩の苦しみの淵から、ある時点で這い上りました。 『とはずがたり』は巻一から巻五までありますが、巻三までが、今までのべてきたような男性との愛憎の渦が描かれ、巻四、巻五は、一転して、出家した二条が、女西行のようになって、諸国を行脚することが書かれています。 |
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| 二条は、幼い時、西行の絵巻物を見て、自分もこういうふうに旅に暮したいと憧(あこが)れを抱きます。それは思いの外の根強さで、二条の心の底にひそみつづけていました。 |
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| また、父の雅忠は死ぬ時、遺言して、 「もし、院にも捨てられて、宮廷で生活していけないようになったら、急いで出家遁世(とんせい)してしまいなさい。そうして自分の後生(ごしょう)も救われ、両親の恩も報い、あの世で一つ蓮に再会出来るよう祈りなさい。世間に見捨てられ、愛も失い頼るべき当てがなくなったからといって、他の君に仕えたり、どんな人の家にも厄介になって暮すようなことをすれば、私の死後でも勘当だと心得ておきなさい。夫妻のことは、この世だけのことでない前世(ぜんせ)からの因縁ずくだから、どうしようもない。それにしても、有髪(うはつ)のままで好色の評判を家系に残すことなどは情けないからしないでおくれ。ただ出家遁世した後ならばどういうくらしをしてもかまわない」 といっています。また、 「世の中いとわづらはしきやうになり行くにつけても、いつまで同じながめをとのみあぢきなければ、山のあなたの住まひのみ願はしけれども、心にまかせぬなど思ふも、なほ捨てがたきにこそ」 というような述懐もしています。男たちとの間が面倒で面白くなくなってくるにつけても早く出家してしまいたいと憧れるのだけれど、それもまだ思うようにはゆかず、やはり、浮き世は捨て難いものだ。というような意味で、捨てる決心はつかないまでも、二条はしきりに出離に憧れる心はきざしていたのでした。「ただ恩愛の境界を別れて仏弟子となりなん」という述懐も見えています。 | |
| どうやら二条は二十九歳から三十一歳の間の何れかの時に出家しているようです。丁度、この間のことが、『とはずがたり』ですっぽり抜けていますのでわかりません。 巻四に入って、突然、墨染の衣姿の尼僧の二条が、都を出て、東国へ旅をする様子が描き出されてくるのです。そして、巻五の終りまでは、二条が信じられないほど全国を歩いて、漂泊の旅をつづける紀行がつづられています。前篇を愛欲篇、後篇を遍歴篇とする研究家もいるくらいです。 |
| 正直いって、私は自分が出家する前、『とはずがたり』の面白さは、巻三までの愛欲篇にあり、紀行文は平板で艶がなくなりつまらないと思っていました。それが自分が思いがけず出家して、最近は特に女西行のように巡礼に憧れ雲水になって歩いてみて、『とはずがたり』の後半にも別な目が開かれるように思いました。二条の足跡は東は武蔵の隅田川まで、北は信濃の善光寺まで、南は四国の足摺岬までも及んでいます。足摺は想像で書かれて、実際は行っていないという研究も発表されていますが、少くとも四国へは渡っています。今とちがい、昔の旅行は命がけでした。旅に出る時は水盃して出たのも永遠の別れを予測したからでした。しかも足弱で深窓育ちの二条が歩くのです。その困難さはどんなものだったでしょう。けれども紀行文の中で、二条はそういう旅の苦しさにはあまりふれていません。淡々とした紀行文の中に、二ヵ所、ドラマティックな場面があらわれ、際立っています。その一つは巡礼の途中、全く思いがけず、石清水八幡宮へ詣でた時、偶然、そこへ参詣していた後深草院の一行と出逢ってしまったのです。その夜、二条と院はひそかに逢い、眠る間もなく語り明かしました。別れぎわに院は自分の小袖を脱いで二条に渡し、 「人には内密の形見だよ。肌身放すなよ」 といわれました。私は出離前、ここを読んで、二人はこの場で旧懐をあたため、誘われれば拒絶出来ない二条は、ここでも院の誘惑に負けただろうと、下司な想像をしていました。けれども自分が出家してみて、それがどんなに浅はかな想像だったかがわかったのです。 |
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| 出家すると、出家の偈(げ)というものを誰も仏前に誓わされます。私も、それをとなえました。 「流転三界中(るてんさんがいちゅう) 恩愛不能断(おんあいふのうだん) 棄恩入無為(きおんにゅうむい) 真実報恩者(しんじつほうおんしゃ)」 |
| という四句です。『とはずがたり』の研究者たちは、二条が文中にしばしば引用しているこの語がとりもなおさず『とはずがたり』の主題だと筆を揃えていっています。たぶんそうでしょう。けれども私は二条自身の書く動機や姿勢の中には、そんなにはっきりしたテーマとかモチーフとかいうものは考えていなかったのではないかと思うのです。二条は出家して、二十年もたち、全国を流浪しつつ、まだ自分の生きてきた過去に対して、きれいさっぱり訣別が出来ていなかったのではないでしょうか。だからこそ、過去をふりかえり、紙に定着させ、自分の生の意味をふりかえり、問いかえしたかったのではないでしょうか。悟りきったところから、文学などは生れません。私自身も悟ってしまえばおそらくペンを折りましょう。悟れないから書くのです。二条は、もう一度、流転三界の中の断ちきれず自分をああまで苦しめたあの恩愛とは何だったのかと問いたかったのではないでしょうか。 |
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| もう一度二条は院と伏見で逢い、また一晩二人きりで明かす夜を持ちました。その時院は全く昔と変らない心の丈けで、 「出家してもいいよる者がたくさんいるだろう。いったい愛欲の始末はどうしているのか」 とたずねました。それに対して、二条が怒りもせずしみじみと、修行の旅の孤独さを語り、それでも尚疑い深くせんさくする院に向って、 「この世に存らえていたいとは思いませんが私もまだ四十にならない身ですから、これから先のことはどうなるかわかりません。でも今日という今日までは、一切、院のおっしゃるような色っぽいことはありませんでした」 と淡々と答えています。これから先のことはわからないという二条の素直さがこの時、光り輝いて見えはしないでしょうか。仏にすべてをゆだねきった者のみがいえる自然な声ではないでしょうか。二条はすでに救われていたのだと思います。この世で地獄を見た者だけが、聖化されるということわりを、二条は意識せずにここに来て書き残しました。そうなれば、後深草院の死を聞いた二条が、はだしで葬列を追っていく場面が、事実かフィクションかなどということはどうでもよくなります。 |
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| 私は、自分の生涯をかえりみる作者の目が女性に珍しくナルシシズムを越えて冷酷なほど自分を突き放し透徹していることに、読み直す度いつでも打たれます。そして作者の書いた二条というヒロインを、実に女らしい可愛い、そしてまっ正直な魂の持主ではないかと、愛さずにいられなくなります。 |
