2月20日、パナソニック電工汐留ミュージアムで開かれるシンポジウム「空隙としての白井晟一・20世紀における建築家白井晟一の位置づけ」の第一部では、「ノアビル」と「原爆堂」をテーマにして、私が所見を述べたあと、田中純さんに質問をして進められることになりますが、おそらく時間の関係で話が及ばないと思われる三つ目のテーマについて用意した前説の以下は草稿です。
解体直前の虚白庵で行われた中谷研究室の企画、主催で開かれた「白井晟一学習会」で田中さんがされたレクチャーには、「独学に学ぶ」という表題を付けられ、「住宅建築」誌にも掲載されました。そこでは橋川文三のautodidacte=独学者を起点にして、独学のもつ体制やアカデミズムからのスタンス、あるいは異端性にふれながら、さらに、全体性を失った分裂の文体としてのアフォリズムと、その克服に向かい、ある統合へ向けた憧れを背後に持ったエッセイとを比較しながら論をすすめられました。そしてアドルフ・ロースのイロニー的なエッセイ性と「用」の重視という点で白井晟一と通底するものがある、と述べられています。
私は田中さんが「政治の美学」で取り上げられているアルヴァ・アールトのほうにより通底するもの、近似性を認められると思いました。アールトの「人間主義」「技術への人間の服従に対する批判」あるいは「人間的な規格化は国際的な単一化としては実現しえない」といった田中さんの指摘されているアールトの思想という点でも、また、自国フィンランドを「辺境の小国」と認識したように、白井は自国日本を「辺境の小国」と考えていたと思える点でもです。さらに「建築は建築史の問題ではなく、第一に国民の問題」であり、かれの建築空間は「等質的な要素の連続した拡大としてではなく、異質な断片の並置が触覚的に把握される過程で生成する秩序としての統一体なのである」と、田中さんがアールトの思想と造形を分析、評説される点に白井にも通底するものがあると考えます。
そしてこの両者を決定的に隔絶するものは、それぞれが背負っていた国と文化の本質的な異質性であったと思います。アールトはその「人間主義」をフィンランドという「小さな国」に根差した建築の思想として構想することができた。イデオロギーとして展開することができた。一方、白井は「イデオロギーでは自分の仕事が育たなかったことに気がつきかけたのが、遅かったんだが」と述懐せざるを得なかった。内省的な表現の形をとってはいますが、ひっくり返してその裏を見れば、戦後の日本という国がイデオロギーが有効に働いて、社会を形成する力になるような知的風土を持たないところだったという認識を示していると考えられます。そのことは、「原爆堂」のところで触れましたように、ひいては戦前、戦中と戦後の間にしっかりした批判的「知」を働かせることのできないままに、今日の科学技術時代に突っ走ってきた日本の近代建築「思想」そのものへの問題提起を意味するものでもあると思われます。日本の近代建築思想そのものが、知の文化と言えるものであったのかどうかということが問われているのだと思います。