あの頃この頃

最近いい仕事をする職人が少なくなりました。そう、昔の徒弟制度のなごりで育った職人は高齢化とともに、いなくなってきています。私も結構な年になり、最近では職人としての稼ぎより年金の方が多くなってきてしまいました。まあ、最近バッグやお財布は仕事がいい悪いでなく又、デザインの良し悪しでもなく、どっかの誰かの名前やブランドの名前で売れちまうなんざ!お客さんも見る目を考えたほうがいんじゃござんせんか?まあそれも時代の流れでしょうかね?なんて、憎まれ口ばかり言ってると誰も人の言うことを聞いてくれなくなっちゃうね!
あの頃の浅草
これは今の浅草雷門 
東京に来て浅草永住町(寺の多かった町で近くに永六甫さん宅もあった)の親方宅で住込みで修行をはじめましたのであの頃の浅草は私の生活の場であり遊びの場でもありました(なにせ旧制の小学校出てすぐの子供でしたから)左の写真はその頃からある今の孔雀堂さんです。小僧の私は親方と孔雀堂さんへ納品に行きました。まあその頃の大旦那は仕事を見る目が厳しくて参りましたが、お陰で良い勉強になりました。
今もこだわりの商品をたくさん揃えて売っています!
阿ハ餅(アワもち)
浅草の区役所通りの右角に、三好野という餅菓子屋がありました。名物は阿ハ餅で、戦前から良く買った物でした。それが戦後、どのくらいすぎた頃でしょうか、いつの間にか瀬戸物店に替わってしまいました。もう阿ハ餅は買えなくなりました。餅米と粟(あわ)の割合は解りませんが、普通の餅よりは柔らかく、つぶ餡、こし餡、きな粉等懐かしい味でした。
深川、本所方面に三好野と名の付いた店が数軒ありましたので、阿ハ餅がありますか、と訪ねてみましたが『うちではやってません』と冷たい返事ばかり。もう、あの阿ハ餅は幻になったのでしょうか。
どなたか消息ご存じの方是非お教えください!
最近、長年の酒との付き合いのためか肝炎を患ちまいました。仕事もできず(最近景気悪いね、仕事もありゃしない!)肝心の酒も飲めず(う〜ん肝の心か?ちょっと無理しちまったかな?)、いやんなちまいます。これじゃ、純粋な年金生活者です。あはは!後は、幻の阿ハ餅(アワもち)の情報ありがとうございます。ご近所ではなさそうですね!京都には美味しいお店があるようです。浅草の駐車場完成しまして、便利に使わせて頂いています。いらした事のない方、是非いらしてください!きっとなんとなく懐かしい景色を見ることができます。そして、うまいものもたくさんありますよ!
最近、スカイツリー人気で浅草も人通りが多くなってきました。いろんなお店に寄ってくださいましね!又、押上や本所吾妻橋界隈も、なかなか良いお店ありますよ!スカイツリー見上げすぎて首の回らなくなった方は、茶色い泡の出る飲み物でも飲んで首回してください。ん?借金で回らんて?そらしょうがないわな!
ちょっと思い出

1,昭和の初めの頃に、私が、浅草の寺町の袋物職人の秋元さんに小僧(旧制小学校卒業後)で修行していた頃の事です。(現、秋元袋物工芸さん)
馬喰町に播磨屋と云う問屋さんがありました。そのころの播磨屋さんは北は樺太、西は中国、南はジャワにまで出張員が販売に行っており、大きく商いをしておりました。
まさに、大東亜共栄圏に準じた商いですね。
私は、親方に言われ出来上がった商品を自転車の荷台に載せ良く納品に行きました。帰りに播磨屋さんの女将さんがこそっと、懐紙に包まれたその頃の有名店のお菓子を手渡してくれたものです。年端もいかない小僧をかわいそうに思ったのでしょうか。『和泉橋の上ででも食べるのよ、持って帰っちゃだめよ』とおしゃってくれました。その甘さは忘れることが出来ません。(播磨屋さんは廃業されてます)

2,もう一つ、明治の頃に、その播磨屋さんに播磨の国から歩いて来た、女中さんが播磨屋さんの番頭さんと結婚して、開いたお店がハセガワさんと聞いています。ハセガワさんはとても良質の商品を扱い、ハセガワさんの商品を扱っていないデパートはもぐりだなんて言われていました。(潟nセガワさん廃業しました

3,播磨屋さんから独立された番頭さんが、柳橋でお店を開いていました。午前中に納品に伺うと、チントンシャンと三味の音が聞こえたものです。江戸の粋が残っている街です。(今も柳橋に何軒か問屋さんがありますがわかりません)

4,後に小島町のハセガワさんの、二代目さんには良く、『大島を呼べ』と呼ばれ、直接『この財布のここはこんなカーブに仕立てて下さい』とご注文を伺ったものです。帰りには、ポケットにそっと小袋を入れてくださいました。大店の社長さんなのに、一介の職人に直接商品の指示をするなんて、本当にいい商品、いい仕事を判る、素敵な心意気の方でした。(戦後大島で職人として独立した頃の話です)でも、その潟nセガワさんも最近休眠されてしまったようです。その後昭和40年代〜平成への間に活躍された卸問屋(メーカーさん)大分メンバーが入れ替わりしてしまって、平成21年現在、しっかりした袋物を作っているメーカーさんは少なくなってしまい、中国やベトナム製が多くなり、仮に国産でも日本人の職人さんがしっかり作っている事がなくなってしまいました。ま、残念ですが世の流れでしょうか。
日本の物作り、これで良いのでしょうか。引退職人が言っても仕方ないですが。

5,ハセガワ様直系の方(長谷川榮一さん)が、バッグのメンテナンスやオーダーメードで活動されています。今までのハセガワ様の商品(ラモーダハセガワ)のサポート・メンテナンスをされているようで、制作した商品に責任を持たれており感心致しました。ハセガワさんの誠意をとても感じます。これでお客さまも安心です。物が売れない時代に厳しいですが、技術を絶やさないよう頑張って欲しいと思います。

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仙台屋勝美