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泉八幡神社の由来



泉町地域の氏子の産土神として祖先以来崇敬されている泉八幡神社
は、文亀年間(一五〇二)頃、八幡宮として泉野郷に創建したと伝えら
れる社です。
御祭神は、応神天皇をお祀りしています。八幡神社の
多くは応神天皇あるいは仲哀天皇神功皇后をお祀りしております。
 創建者富樫泰高一族の全盛時代は、祭礼も盛大に行われ社殿の
営繕、祭礼の費用などは富樫家から奉納されていたと云われ、郷中
一の社で社殿の手入れも行き届いていましたが、富樫家滅亡とともに
社殿もおのづから衰退し、小さな御堂になったと伝えられています。
何時頃か定かではありませんが、後に当社を信仰していた地黄煎村
(現在の泉ケ丘)の権兵衛と云う奇特な信心深い農民が私財を投げ
出し現在の地に社殿を再建したと云われています。
 天保の大飢餓には地黄煎の村民が多数泉村に集団移住し、地黄煎
八幡社の御神体を当社に一時お預りしたと云われています。
明治元年神仏混淆が禁止となり、八幡宮を現在の泉八幡神社に
改名したと云われており、現在旧御神殿前に八幡宮の灯籠が
一対あります。その後、泉村も次第に町並となり金沢市街の
中になり泉町及一帯の産土神と崇められています。
明治五年十一月村社となり、同三十九年十一月神饌幣帛料供進神社に
指定されました。昭和二十年十二月第二次世界大戦後神道指令により
社格の制度が廃止されました。
 年代は不詳ですが、桃畠には前田家に仕えた多くの人々が住んでいたと
云われ、その人々のために前田家より同家祖神の菅原道真公(天満宮)
を授かったと云われ、永らく桃畠の小さな御堂において
毎年七月二十五日には盛大に祭礼が行われていたと云われて
いましたが、明治の初めに当神社に合祀されました。
又、泉町美濃屋酒造の恵比寿大黒天、芦中町の金比羅大権現、
石坂角場の稲荷大明神も明治の初めに同じく合祀されております。
明治三十二年には、西村善四郎氏(九洲若津港)の稲荷大明神
をお預りしました。
昭和三十八年十月犀川ダム建設にともない見定町の日古神社、
倉谷町の日吉神社、二又新町の多賀神社のご神体・いずれも
大山咋神が共に合祀され、社殿に掲げてありました日吉神社の
額並びに多賀神社の鳥居の額等も当社に保存されております。
昭和五十年代には野町(旧角場)の川瀬与四郎氏の稲荷大明神も
小さな御堂と共にお預りしました。その外、佛像恵比寿大黒天、
御鏡等十数体が合祀されております。
 当神社は、御祭神・応神天皇をお祀りしてここに永い歴史
の中で幾多の変遷を繰り返し、多くの御祭神を合祀して今日に及び、
益々隆盛の道を辿り境内には永い歴史を物語るにふさわしい多くの
銀杏・欅の樹木がうっそうと天をつくばかりにおい茂り、氏子の繁栄と
共に成長し、その年輪を見ることが出来ます。昭和五十五年に
銀杏二本が金沢市の保存樹木に指定されました。
その永い歴史の中で、家内安全を始めいろいろな祭事、願い事、
戦時中は武運長久を祈る人々等、多くの人が社殿に額ずかれ、
その人々の時代の移り変りと変動を見つめ安泰を守り続けて
参りました。


青銅製の珍しい狛犬

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