シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


7月12日

<ウルトラC >

今日、日本では参議院選挙。久しぶりの国政選挙という気がする。不在者投票が大幅に伸びたと言うし、世論調査では前回よりは投票率が上がりそうなので、まずはどのような審判が下されるのか興味深く見てみたい。

ただ気になるのは、各党首の討論会や演説を聞いていると、相変わらず論点がすっきりしない。「恒久減税」と言ったのではなく恒久「的」減税だ、などという次元の低いことを平気で口にする総裁もいれば、昔ながらの「お任せ下さい」を連呼する元議長の党首もいる。どんなことを論じているの?というシンガポール人の質問に、どう「英訳」していいものやら頭を抱えてしまう。

今大切なのは「明日への希望」であり、政治のリーダーシップである。既成路線の考え方では「行き詰り」を感じ、誰もが「閉塞感」に苛まされている時だからこそ、「おーこれはすごい」とか「面白そうだ、やってみよう!」ということを言うべきなのである。人の揚げ足取ったり、減税ばかり訴えていてもしょうがない。

それなら、自分が政治家だったらどんなことをやりたいか。ちょっと考えてみるのも面白い。比例区の上位候補など、ほとんど選挙せずに議席が保証されているのだから、自分がひょんなことで国会議員になる可能性も「ゼロ」ではない。その時「あれだけ今の政治家に呆れていたのに、あんたも同じじゃないの」と言われないようにしておかなければ...???

まず初めに、今の争点の「恒久減税」へのスタンスは明らかにしておこう。答えは「やるべき」。金額と時期は「来年から6兆円規模。但し今予定されている減税はキャンセルし、所得税率と法人税率を下げる」。財源は「所得税の最低課税水準の引き下げと30年物の赤字国債」。

ここで大きなポイントは「30年物」の国債を発行すること。今日本の国債の最長は20年であるが、アメリカの様に30年物を発行して長期的に安定した資金調達をすればいい。当然10年や20年物より金利水準が高くなるが、それでも現状なら3%を切る水準で発行可能である。今から30年あとに振り返れば、必ず安い金利で安定調達ができたと思うはずだし、その三十年間、日本の公定歩合が3%すら上回らないような状態なら日本経済に将来はない。その場合でも「借りたもの勝ち」かもしれないし...。

しかも、日本の国民に3%近い「元本AAA保証の高金利商品」が登場することになる。そこで現金をタンス預金しているあなた、悪い事言わないから、これからは日本の国債を買って閉っておきなさい。銀行や証券会社に預けなくても利子が付くし安心だよ、と自信を持って言える。

もちろん政府の無駄な支出を押える努力も行うし、そうなるメカニズムを作る。例えば防衛庁で始めた「リベート制度」。技術改革やコスト削減で「安くて高品質の軍事用品」を納入した業者には、支出削減できた金額の半分をその会社に還元するというもの。これなどが参考になる。

国から地方への交付金も見直すべき。制度自体廃止して各地方の判断にもっと委ねるべきだし、納税した分の見返りすらない都会のサラリーマンへもっと還元すべきだと思う。例えば消費税はすべて地方税にしてしまい、地域振興に役立てればいい。

そして「極めつけ」が金融危機脱出法である。30兆円の公的資金が銀行救済に使われるのはまっぴらだ、という有権者が多いかもしれないが、農家に使っているウルグアイラウンドの6兆円や、分けのわからない国の人に使っているODA(政府開発援助)1兆円(金額が定かでないが、世界で一番支出しているのは事実)はどうでもいいのだろうか。

特にODAが問題。一部の商社では「食い物」にして利益を上げていると言うし、自分たちの税金が「日本人以外の不正蓄財」に利用されているなんて本当にばからしい。一説によると、インドネシアで先日失脚したスハルト前大統領には5兆円近い隠し財産があり、その大部分が各国ODA絡みの賄賂と言う。もちろん日本はまことに多額の支出をしている先である。

話を戻そう。ODA支出と日本の金融危機脱出。一見全く違いそうで、実はつながっている。いや、つなげる事ができる、というのが正しいかもしれない。ポイントは「不良債権処理」。日本の大手銀行はどこもアジア金融危機の影響を大きく受けて海外でも不良債権が山積みされつつある。

考えてみれば当たり前。インドネシアなどほんの半年足らずで自国通貨の価値が5分の1以下になってしまって、海外から借りているお金(外貨)が返せないのである。その海外からのお金を提供していた銀行の中で邦銀も大きなシェアを占めていた。ただそれだけの話だが、とてつもなく恐ろしい現実でもある。

もちろん、その責任の一部は日本の銀行自身にもあり、自社株が売られる形などで責任を取らされているのであるが、その銀行を安定させる為に公的資金の30兆円を使うのは、国内の場合と話が大きく違う。なぜなら、日本国内の不良債権は基本的に日本国内の問題であり、処理が進めば多かれ少なかれ日本人自身に還元される。

しかし、海外の不良資産を日本の銀行が一方的に外銀へ売却したりして「借金棒引き」すれば、その不良債権処理に利用した日本の国税は、アジアの国々や外銀の懐へ流れてしまう。そんなことはやるべきではない。でも「不良債権処理」が遅れればいつまで経っても金融システムは安定しない。

そこで、海外の不良資産処理にはODAを利用するというのはどうだろう。どうせインドネシアやタイ国内のプロジェクトは経済危機で凍結されたり中止されたりしているのだから、そんなところで無駄金使わずに、それらの国の地場企業へ融資している邦銀の融資を、現行のODA額をすべて振り向けることで免除するのである。邦銀が助かるのはもとより、それぞれの国に感謝されること請合いである。

もちろん、ODA予算も国税から賄われているが、金融システム安定用の公的資金が少しでも節約できて、無駄金を使わなくて済む。日本政府が「邦銀の保有するそれぞれの国の企業への融資を肩代わりすること」を宣言すれば、国際的な日本の立場はよくなるし、アジアの先進国としての役割を十分に果たし、アジア経済圏の中核となることができる。少なくとも検討してみる価値はあると思う。

まあ、こんな感じでいろいろ「ウルトラC」的な政策を提案する政治をしてみても面白い。そう思いませんか?



<ホーカー物語〜大蒜>(第十八話)

「ちょっと手伝ってくれるかなー?」
「もちろん」
「このガーリックとオニオンの皮を剥いてくれる?」
と言いながら結構な量のにんにくと玉ねぎを買い物用のビニール袋に入れて差し出す。
「OK−LAH!」

小春はすーっとバックルームに消えて行く。気にせず一人「皮剥き」に専念する。

「それぐらいで十分ね」
目の前にはこざっぱりしたワンピースにエプロン姿の小春が立っている。髪が少し濡れている。
「さあ、料理している間にあなたもシャワーでも浴びて服を着替えてきたら?」

考えてみれば自分も水着の上にズボンを履いたままの姿である。いくら砂浜で丹念にシャワーを浴びたと言っても、少々気持ち悪い。

「じゃあ、お言葉に甘えますか」
「ここにバスタオル置いておいたから、あとは適当にやって」
さすがに主寝室のバスルームには案内されなかったが、ゲスト用といえども豪華な作りである。かばんを担ぎ込んで中に入る。

「覗いちゃだめだよ」
大笑いしながら
「はい、わかりました。ごゆっくり」と小春は台所へ向かう。

本当は小春に背中でも流してもらえば最高だなーとか、素っ裸で台所に飛び出して行ったらどんなリアクションをするかなー、などとつまらないことを考えながらちょっと熱めのシャワーを浴びる。一応念の為に持ってきた下着を取り出し、きちんと服を着て外に出る。ガーリックを炒めるいい臭いがぷーんと漂っている。

「なんか、おいしそうな香りがぷんぷんしているよ」
「あまり時間がないから手軽なものだけど...あなたは辛い物は大丈夫?」
「スパイシーフードは何でもOK」
「それなら、たっぷり入れましょうか」
赤色の唐辛子がフライパンに沢山投げ込まれる。

「頭を乾かすなら、そこのドライヤー使っていいわよ」
「僕の髪は短いから拭くだけで大丈夫だよ」
「そうね、3&4フィンガーみたいな髪型だものね」
「何?その3&4フィンガーって?」

(次回へ続く)



7月5日

<日経新聞>

毎朝会社で日経新聞を読む。朝日新聞は会社に行く前に家でざっと目を通す程度で、会社には持って行かない。妻の情報源だからである。そこで日経は丹念に隅々まで30分くらいかけて読む。職種柄、普通の職員より一時間半近く早く会社に来ているので、マーケットが荒れていなければ自分はゆっくり新聞を読む暇がある。

日経の「春秋」はまだまだ朝日の「天声人語」には敵わないなー、などと思いながら一面から読んで行き、でも今日の「大磯小磯」は面白いなどとぶつぶつ言いながら紙面をめくっていると、背後から視線を感じる。同じチームのシンガポール人女性スタッフが新聞を覗き込んでいるのである。振り返ると「この女性は有名な人なの?」と質問してくる。

指差す部分は紙面の下の方にある「週刊誌広告」の欄。「この夏のセクシーギャル大特集」などと銘打って某写真週刊誌がセクシーな女性の水着姿を掲載している。おっぱいがはみ出そうな、いかにも中年男性向けのポーズの女性を、そのスタッフは指差している。「いや、自分はよく知らない女性だけど、どうして?」と聞くと、中国語では「写真」という漢字の意味に「ポルノ系の写真」という意味合いがあるという。

つまり、そのセクシーな写真はもとより、ポルノの宣伝までしているのかとびっくりしているのである。しかも、自分が日本を代表する株価指数で有名な「日経新聞」を読んでいることを彼女は知っている。イメージ的には、朝会社でウオールストリートやファイナンシャルタイムズ同様のNIKKEIを読んでいると思ったのに、そこら辺の安っぽい大衆紙と違いがないのでは、という疑問を抱かれてしまったのである。

別に今までほとんど気にも留めていなかったが、よくよく読むと週刊誌の見出しは過激である。実際その見出しに引かれて会社帰りにKIOSKで週刊誌を購入する場合も日本にいた時は多々あったので、なかなか効果的な宣伝方式なのは間違いないだろう。しかも、朝通勤するサラリーマンの半数以上は日経を持っているだろうし、朝日新聞では時たま見かける女性週刊誌の広告を、日経で見かけた記憶がない。

日経読者の大半は男性、しかも20代以上の幅広い年齢層だろう。同じ週刊誌広告でも「男性向け」が主流であり、性的に過激な内容も散見される。幸い「いやらし表現」ほど「カタカナ言葉」が多いので、会社で堂々と読んでいる人の人格を疑われそうな内容はその女性スタッフには理解できなかったようである。

「日経」に「週刊誌の宣伝」が必要なのだろうか。ふとそういう疑問が湧いてくる。週刊誌の見出しから「世相」が垣間見れるという点で、シンガポールにいても「貴重な情報源」である面は否めない。個人的にはあった方がうれしい広告ではあるが、政治や経済を真面目に論じている紙面のすぐ下に掲載する必要があるのだろうか。

そう考えていて「いい解決法」を思い付いた。二部構成にするのである。日曜日とか月曜日には特集記事を第二部に掲載しているのと同じ発想で、週刊誌や本の紹介を第二部に掲載してくれれば、時と場所を選んで読むことができる。第一部には真面目なニュースだけ記載してあって、第二部は広告だけとわかっていても、ほとんどの読者は両方きちんと読むと思う。いや、むしろ第二部だけ昼休みとかに「目を皿にして」読む人もいるに違いない。

そうすれば、自分も会社で「第一部」を堂々と読めるし、第二部を家に帰って「精読」する楽しみも増える。一挙両得である。このアイデア、どんなものであろうか。



<ホーカー物語〜幽霊>(第十七話)

「危ない危ない。そのままエッチなことするつもりでしょう。」
「誓って体には触れないから、ちょっとここに座ってみてよ。」
そう言いながら自分の座っているソファーに深く腰掛け、股を大きく開いてソファーの前の部分を指差す。

「何をしたいのかな?」
訝しがる小春。
「ゴーストっていう映画知っている?」
「事故で死んだ後に、最愛の人を守り導く為にゴーストとなって現世に戻ってくるっていう映画のこと?」
「そう、その映画の中で最愛の女性が土から陶器を作っている時に、ゴーストが背後から抱擁して手を差し伸べた場面を覚えている?」
「あー、あの有名なシーンね。」
「ちょっと再現してみない?」
ラッコをしてみたいという思い付きを少々強引なストーリーで押してみる。

「あなたが、ゴーストってわけね。ゴーストらしく実際に手を出したらだめよ」
そう言いながらちょこんと自分の目の前に腰掛ける。楽器のチェロのように均整のとれたボディーラインが数十センチの距離にある。

「何だか落着かないわ」
後ろをきょろきょろ振り向きながら、居心地悪そうにしている。構わず話を続ける。

「考えてみれば恐いシーンだよね。」
「そりゃー、幽霊が出てくると思えばいくら親しかった人でも気味悪いわ」
「しかも、恐怖の空間である背後から手を伸ばしてくる」
「夜一人でいる時に、そんな気配がしたら鳥肌が立っちゃうわ」
「それでもそれが彼であると信じて身を委ねる」

ちょうど日がどっぷり沈んで、外は真っ暗になりつつある。部屋の明かりで二人の顔が正面に写る。小春も気が付いてガラスに微笑む。ゆっくりと手を伸ばして、抱っこしているように手を廻す。プリクラしている気分である。

「はい、そこまで」

くるっと立ち上がりながら、きびすを反して小春がきりっと微笑む。
「十分恐怖を味わったわ」
「なーんだ、折角これからいいところなのに」

「ちょっとお腹空かない?」
「そうだね、外にでも食べに行く?」
もう少し二人でいたいと思う心とは裏腹の言葉が出てしまった。

「私が手料理を作ってあげるわよ」
「そりゃ、ありがたい」

(次回へ続く)



6月28日

<合併>

先週はたくさんの会社で株主総会があり、その中の2つの会社の総会直後にその「合併劇」は起きた。

6月26日(金)の昼過ぎ、住友信託銀行と日本長期信用銀行が合併へ向けた「検討」に入るとのNHK速報。日経や朝日新聞は夕刊の一面トップで扱い、同夜9時には住信の高橋社長、10時には長銀の大野木頭取の会見。ついでに11時にはワールドカップサッカー・フランス大会の「日本対ジャマイカ」戦がキックオフ。

住信の「救済」とか言われているが、日本の銀行はどこも「淘汰」の荒波に揉まれていることに変わりはなく、これも何かの「御縁」で結ばれることになったのであろう。「新銀行」がうまく軌道に乗り、日本の金融システムが少しでも早く安定していくことを願いたい。

ただ、どうしてこの「組み合わせ」か。傍目にはちょっと意外な感じもする。「報道」では、第一勧業銀行や大和銀行に打診して断られた後、長銀が6月22日(月)の朝に「合併話」を持ち込んだ先が「住信」だと言う。他にも輸銀とか開銀などと噂されていたが、多分現実には「第三の選択肢」が住信だったのであろう。

DKBは旧勧業銀行の従業員の一部が長銀に移籍した、という経緯がある。大和はよくは知らないが、ニューヨーク支店の不祥事以来何かと「嫁(婿?)探し」をしているみたいで、名前が挙がりやすかったのであろう。でも結果は両行とも「拒否」。理由は長銀の不良債権が多いことや、政府の「公的資金導入スキーム」がはっきりしないことを挙げたと言う。

それらを「棚上げ」というより「政府を信頼」して住信が長銀の話に乗ったのは、両者の「危機意識」以外の何者でもないだろう。しかし、どうして長銀が住信を選んだのか。真実は大野木長銀頭取のみぞ知るところであろうが、住信に「親近感を抱いていたこと」以外に適当な理由が見当たらない。

一般論になるが、会社それぞれに「社風」や「企業文化」というものがある。「遠くの親戚より近所の友人」みたいに、同じ名前を頭に付けていてもあまり親しくなく雰囲気が全然違うグループ会社もあれば、生い立ちや環境が似ていてお互い「親近感」をもちやすい会社もある。つまり、日頃「つるんでいる」仲間や好意を抱いている会社が、「いざ」という時にも頭に浮ぶ。

例えば、日本興業銀行と野村証券の提携。お互い長い間「業界トップ」を走ってきたものとして相互に尊敬し、親近感を抱いたのだろう。東京・三菱銀行は漫画「ゴルゴ13」で「予言」されるくらい、傍目にも親しそうだった。そういう意味ではIBJに次ぐ「業界2位」の長銀と、同じく「信託業界2位」の住信は、「次男坊」同士気が合いそうである。

ちなみに「証券業界2位」の大和證券とも両者は社風が似ていると言われており、そこまで巻き込めば面白そうであるが、長銀にはSBCというパートナーがいるので、まずすぐには実現はしないだろう。何が起きるかわからないが...。

今考えてみれば、どうして自分が数ある選択肢の中からある会社を選んだのか、ちょっと不思議な気もする。人それぞれ理由があれど結局は「惹かれる物」や「御縁」がそこにあったのだろう。「会(あう)社(やしろ)」の通り、毎日顔を突き合わせる連中と全く気が合わなければ、その人の会社生活は「灰色」なのは間違えない。「その人」にとって居心地のいい雰囲気というのも大切な要素である。

「国営の受け皿銀行になるぐらいなら...」などという長銀職員の呟きも聞かれたが、正直なところだろう。その意味では、住信に移る長銀の社員は何となく「最悪は免れそう」という気分なのでは。住信の職員も温かく迎えることと思う。

「大手20行」と言われ出し、「拓銀脱落」に次いで「住信・長銀合併」で大手は18行へ。この「カウント・ダウン」はいくつまで続くのやら。一桁までいくのだろうか。まあとにかく、こういった戦国的、末期的な政治・経済の状況は早く終結して欲しい。まだこの手の合併劇は続くだろうが、とにかくできるだけ早く「タイタニック号」から救命ボートに脱出して、温かい夜明けを迎えたいものである。



<ホーカー物語〜空想>(第十六話)

「どうして?」

自分の「空想の世界」では自然な成り行きで放った「こっちにおいで」という言葉も、現実の小春の前では「唐突な申し出」でしかない。

「そのー、君と同じ景色を眺めたいからだよ。」
「ふふふ、変な人ねー」
と言いながら、小春はこちらの三人掛け用のソファーに移動してきてくれる。日本人ビジネスマンの習性で、人の家に行くと扉に近い「一人掛けソファー」を避けて座ってしまう。国によってお客さんの座るべき位置やソファーが違うのだが、やっぱり日本人は三人掛けを選びたがる。今はそれが幸いしている。

「うーん、いい横顔だ。」
「ありがとう。でもあんまり近づいたらだめよ。」
ちょっと凛々しく警戒して見せる。

「親しみの角度って知っている?」
「何のことかしら?」
「人と人が話をしたり、食事をしたりする時に、二人が座る位置関係でその場の雰囲気が変わるんだよ。」

例えば、二ヶ国の首相や大統領が会談する時はお互いの友好関係を構築することを主眼に置く事が多いから、お互いの椅子は「隣同士」かせいぜい「斜め横」にセッテイングする。でも、実務者会談や交渉なんていう場合は必ずお互い正面を向き合う。

「正面は対立、横は親近感、背後は恐怖の空間とか言うんだ。」
「何か心理学の授業みたい。」
「昔なんかの本で読んだだけなんだけど、結構当たっていると思って関心した覚えがある」
「すると、あなたは私と対立したくなかったのね?」
「正解。こうやって座る方が落ち着いて話ができる。」
単純に横に来て欲しかったとは言えずに、ついつい講釈してしまった。アルコールの勢いも手伝ってか、我ながらもっともらしい説明である。

「ブランディーかウイスキーでも召し上がる?」
瞬く間に空となったビール缶を横目に気を利かせてくれる。
「ウイスキーのロックがいいな」

外では日が暮れかかっている。確かにアルコール片手にリラックスできるすばらしい環境である。

「これでいいかしら?」
戸棚から高級そうなウイスキーの瓶を取り出してこちらを向いてたずねる小春。

「お酒の味なんてよくわからないから、安いのでいいよ」
「父が好きでいろんな種類があるの。いつも沢山買ってくるからどれでも好きに開けて飲んでいるのよ。」
「それじゃ、君のお気に入りをいただこうか」

大き目のグラス2つにロックアイスを入れ、わざとカチャカチャ音を立てて持ってくる。茶目っ気があるというか、自然体で味のあるキャラクターである。

「ちょっと僕のすぐ前に座ってみない?」

(次回へ続く)



6月21日

<ワールドカップ>

「アジア人の身体的限界?」とあるシンガポール人に率直な質問を受けた。サッカー・ワールドカップのフランス大会が始まる直前の話である。前回のアメリカ大会で決勝トーナメントに出場したUAEは、アジア予選の代表といえども中東アラブ諸国だから、同じアジア地区代表だった韓国とはちょっと「異質」な気がする。

その韓国はワールドカップ「常連国」でありながら本選で今まで勝利をあげた事がない。アジア枠は「4」に拡大し、「第三代表」として初めてワールドカップに参加することになった日本に対し、やっぱり「アジアの眼」はどこか冷めている。未だに韓国の後塵でありながら、代表として参加しても「予選敗退」は眼にみえている。

もちろんシンガポール人はいつでも「第三者」。国際的なスポーツイベントで、自国代表が「当事者」となることはまず有り得ない。そんなことはお互い百も承知であえて「そう言う質問」を投げ掛けてくる。イギリス文化の影響で、ヨーロッパの「セリエA」とか「ブンデス・リーグ」の試合はケーブルテレビでいつも中継されており、サッカー・ファンも多いし、「見る眼」は十分に肥えている。だから「気になる質問」である。

日本サッカーは以前オリンピックで銅メダルを取るぐらい優れていたが、野球に「人材」を奪われて長らく低迷していただけ。それも漫画「キャプテン翼」やJリーグの人気でスポーツ少年の「眼」がサッカーに向きはじめたから今後どんどん発展して行くと思う、とその場は答えた。正直言って「ボロ負け」だけはしてほしくない、というのが心の片隅にあったし、現時点での「アジア人の限界」は試合が始まれば自ずとわかるはずである。

日本の代表チームはどこか違うはず、そんな気持ちを抱きながら迎えた歴史的初戦「日本対アルゼンチン」。実は6月14日(日)の、その瞬間をたまたま日本でテレビ観戦していた。NHK総合の60%を超える視聴率に「貢献」していたのである。結果は「0−1」で惜敗。

翌日の新聞各紙は「善戦・惜敗」派と「世界の壁・全く歯が立たず」派に分かれて論評していた。健闘を称える言葉は数々あれど、「負けは負け、結果がすべて」と言い切る岡田監督の言葉が重い。そして昨日の「対クロアチア戦」でも、日本代表はまたもや「0−1」で惜しくも敗れる。アルゼンチン戦より「積極的かつ組織的」に戦い、より長くボール支配をして相手ゴールを脅かしていたのは誰の眼にも明らかである。本当に残念な試合であった。

今日になって「岡田監督辞任を示唆」なんて伝えられている。そんな発言に、「自分に」というより「勝負に」厳しく戦いを指揮していた意気込み、熱意が感じられる。そんなこと言わずに、ジャマイカ戦では「初得点」いや「初勝利」を挙げて欲しい。それは日本国民の、そして選手や岡田監督自身の望みのはずである。

でも、個人的には、そんなベスト16出場がほぼ絶望という「結果」より、このワールドカップで率直にうれしく感じる光景を数多く観る事ができたのが「成果」だという気がする。

その一つは「君が代」を口にする光景。選手もサポーターも気持ちを一つにして大きな声で歌っている。メロディーが暗いとか、教育現場では「日の丸」掲揚問題と合わせて「国歌」としての扱いが曖昧でありながら、やっぱり日本を代表する「歌」なのである。試合の前に「厳かな雰囲気」にしてくれるこの曲は、暗いのではなく「神聖」であり、格調の高いもの。そう感じたのは自分だけであろうか。

もう一つは、選手も監督自身も「等身大の自分」に向き合って戦っている姿である。専門家や「にわか解説者」にいちいち指摘されなくても、本当の自分の実力、日本チームの実力を正確に理解して、その中で「前向きな戦い」を繰り広げている。悪質でなければファールも結構。自分の個性を生かしながら「個人技と体力」の違いを「組織力」でカバーする戦術は「日本人的正攻法」である。

うーん、何かこの姿、「日本代表の姿勢」を見せてあげたい人がいるなー。そう、そこのテレビに映っているあなた。橋本さん、あなたのことだよ。ちゃんと「等身大の自分」を理解しているのかいつも疑問に感じるねー。もちろん「背が低いこと」なんか関係ないよ。問題は見栄はったりカッコ付ける前に、自分のやっていることを正確に理解しろってこと。

ちょっと話が脱線。今回日本に帰って改めて感じた「不況」に比べて、このサッカー日本代表やそのサポーターの姿がすごく頼もしく感じたから、つい口にしてしまった。それぐらい自分には、すばらしく楽しいイベントに感じる。

「アジア人の身体的限界」だって?「アジアの限界」といわれた時代に世界に名だたる経済発展を成し遂げたのは、他でもない「日本」である。今は経済的危機でも、その「スランプ」を世界中が気にするくらい未だ「影響力」がある国なのである。サッカーとて同じ事。アジアの代表として再び「限界」を払拭する姿を見せて欲しいし、今まさにそのスタートラインを確実に踏み出している。信じている、「日本は違うぜ!」と。



<ホーカー物語〜眺望>(第十五話)

小春は自分の荷物を奥の部屋に置いてくると、オープン形式になっている台所で冷蔵庫から何かを取り出している。ゆったりソファーに腰掛けているにはどうにも落着かない気分で、まずは窓側へ歩み寄り、窓の外を見下ろしてみる。

今さっきまで皆で騒いでいた砂浜から水平線まで、すばらしい景色が一望できる。ここがホテルなら、「オーシャンビュー」のデラックススイートにでも割り当てそうな眺望が、当たり前のように広がっている。ここからオペラグラスでも使えば、海岸線にどんな人が歩いているか手に取るようにわかりそうなものである。

「こりゃーすごい眺めだ」
「海から昇る朝日なんかは最高よ」
「一人で観るのがもったいないような景色だね」
「だから、あなたがいるのでしょ」

どう捉えていい言葉なのか少し戸惑う。でも、再三軽くあしらわれているのだから、ここは「ノー天気」に解釈すればよさそうな気分になってきている。

「そうか、明日の朝日を君と二人で眺める事ができるなんて、思っても見なかったよ。」
「はい、ビール。改めて乾杯しましょ」

相変わらず肝心なところで話をそらす。ここで素直に差し出された缶ビールを受け取ってノブを引っ張っているあたりが、「安パイ」と呼ばれてしまう由縁なのかも知れない。

「じゃあ、この景色に乾杯!」

やっぱり冷えたビールは最高である。急ごしらえの割には綺麗にセンスよくお皿に盛られたオードブルも用意されている。今時、日本人でもここまで気が利く女性はめったにお目にかかれない。よほど育ちがよくて「教育」が行き届いているのか、そういうことが要求される「職場」なのか、よくわからなくなる。

「一人暮らしで、料理とかするの?」
「普段は外食がほとんどだけど、週末ぐらいは自分で作るわよ。お酒も嫌いじゃないから、おつまみみたいなものはいつも用意しているのよ。」
「お酒強いんだー」
「ゆっくりくつろぐ為に、ちょっとだけ飲むのが好き。静かな空間に好きな音楽と海の景色があれば、いつまででもゆったりできるわ。」
「その横には、優しい彼氏がいつも寄り添っているとか?」
「さあ、それもいいかも知れないわね。優しく包まれるのもいい気分かもね。」

そう彼女が語る口調で、いつしか自分が小春を自分の腕の中に抱擁し、ゆりかご椅子で二人同じ景色を眺める姿を想像している。日本では以前から「ラッコ族」と呼ばれるカップルが、海岸や街中で彼女を背後から抱き寄せている男の姿を見掛けるが、シンガポールではまだまだ珍しい。

「ちょっとこっちのソファーへこない?」

(次回へ続く)



6月14日

<NETS>

日本では e-money の実験が実用段階まで進んでいると聞く。クレジットカードすらなかなか普及率が上がらない国民性なのに、プリペード・カードの一種のようでそうではない、日本人にとって位置づけが今一つはっきりしない e-money が爆発的に普及するとはちょっと考えづらい。

しかし、通貨統合を目前に控えているヨーロッパや、クレジット的発想が進化している西側先進国には受け入れ易い「アイデア」であろう。特にインターネットで買い物するのにはこれほど便利なものはない。「共通価値」なら為替差損を心配しなくてもいいし、ややっこしい計算もしなくて済む。

インターネット上では現在クレジットカードの方が圧倒的に普及しているが、ちょっと限界も見えている。代金が不正に請求されても「相手」が不特定多数に近いので「わからない」のである。

例えばある「特殊サイト」へアクセスする権利(パスワード)を取得するために VISAカードの番号と氏名を先方へ通知したとする。月々1,000円程度だから、と気軽に申込み、一ヶ月も経たない内に解約しても、代金請求だけは永遠とされる。苦情をカード会社に申し立てても、得体の知れない国から正規の決済ルートで請求されれば、カード会社として支払いに応じざるを得ず、結果としてカードユーザーに請求が廻ることになる。

被害額が1,000円程度なのにカード会社として多額なコストを掛けてまで調査するわけがなく、被害者も「特殊サイト」という後ろめたさもあり諦めてカードを解約するか「泣き寝入り」することになるのが落ちである。つまり、決済機関としての「限界」が存在するのである。その点、セキュリティーのリスクは永遠に消えないだろうが、e-moneyの方が優れたものになる可能性が高い。

実は、シンガポールには e-moneyに近いシステムが、シンガポールドルを使って町中に普及している。「NETS」と呼ばれる機能で、「カードと暗証番号」でスーパーとかで買い物した代金が自分の銀行口座からストレートに引き落とされる。地下鉄のプリペードカードに代金を追加させることができるし、クレジットカード以上に「現金と同様」の扱いを受けるので、使いはじめると非常に便利である。

一方で、個人の銀行小切手も一般的に普及しているので、クレジットカードの支払請求やちょっとした個人間のお金の受け渡しにはそちらを使えば、ほとんど現金なしの生活が可能である。特に小切手は子供の学校の給食代や本代とかにも利用できるので、子供がお金を落したり盗まれたりする心配もない。第三者に渡っても「現金化」できないから小切手を狙う犯罪はほとんどない。

こういうシンガポールのような国では、それこそ e-moneyが入り込む余地も少ないかもしれない。もちろん、小切手よりインターネット利用のホームバンキングで学校や個人のお金を送金する方がスマートだし、日本のように銀行や郵便局のATMがそこら中に普及している国ではまだまだ現金の方が扱い易い。

地域それぞれに発展形態があると思うが、普通「自分の生活圏」という限られた範囲でほとんどの消費行動をしているのだから、e-moneyはともかくとしても、「NETS」のような形態は日本でもどんどん普及していくのではなかろうか。銀行も倒産するご時勢。現金のたんす預金が異常に膨れ上がっている現状ではちょっと想像付きにくい、というより「それ以前の問題」が多々ある気もするが...



<ホーカー物語〜空間>(第十四話)

まだショックも冷め止まぬ間に小春の住むアパートに着く。なぜか小春は代金を運転手に渡している。中国語で近場で悪かったと言っているようであり、運転手も笑顔でネバーマインドと告げている。美人は得である。

「さあ、降りましょう」
きつねにつままれたような気分で無意識の内にタクシーを出てドアを閉めている。
「どうしたの?」
「ちょっと休んでいけばいいじゃない、安パイさん」

「安全パイ」だけ余分だが、ジェットコースターに乗っているような気分の上下運動。いいように手玉に取られている、というのが真相だろう。
「そんなこと言っていて、オオカミに変身しても知らないぞ」

聞こえたのかどうだか、小春はエントランスへ向かってスタスタ歩いて行ってしまう。慌てて付いて行くと、「14」を押したエレベーターを開けて待っていてくれる。
「ここの眺めは抜群よ。それが私が選んだ理由」

ここは政府が作った団地「HDB」ではなく、れっきとしたプール付きコンドミニアムである。ガードマンもいて、よっぽどの収入があるか会社が負担してくれなければこんなところには住めない。

「君の家?」
レンタルか所有か聞くつもりで当たり前のことを聞いてしまった自分に気がつく。
「そのー、どうしてこんな立派なところに一人で住んでいるの?」
「お父さんが買ったの。今母と一緒にインドネシアへ行って事業しているんだけど、私は治安のいいシンガポールに残って家を守りなさいと言われているの」

だいぶ前の話だが、インドネシアで暴動が起き、中国人が狙われた事を思い出した。世界中どこでもそうだが、お金稼ぎのうまい中国人やユダヤ人は何かに付け迫害を受け易いものである。お金持ちの中国人は、シンガポールのみならずオーストラリアやアメリカ、日本にも家を買って万が一に備えていると聞く。そんなうちの一家族なのだろう。

エレベーターを降りてドアへ進む。ワンフロアーに二世帯、平等に海へ面している作りである。東側が小春の部屋らしく、鍵を二個所回してドアを開ける。多くの男達が夢にまで見た空間が、ここから先に続いている。そんな「ときめき」が急に押し寄せてくる。

「入ってもいいのかな?」
「どうぞ、中に入ってリラックスして。何か飲む?」
「そうだね、ビールあるかな」
「はいはい、冷えたのがあるわよ」
夢か現実か、もうしばらく心を落ち着かせて、冷静に考えないとわからない気がする。

(次回へ続く)



6月7日

<DFS>

世界中の空港や街中で見掛ける「旅行者御用達ショップ」と言えば「DFS」。「デューティー・フリー・ショッパーズ」の略だから単なる免税店のはずなのだが、このネットワークにはすごいものがある。

何がすごいか。チェーン展開している数も然る事ながら、旅行代理店と組んで旅行者を導く術が充実しているので、どの店も客足が絶えない。世界主要国の通貨を何不自由なく使えるし、品物も豊富で気が利いている。店舗も清潔で従業員の教育も比較的行き届いている。

そう、まさしく日本人好みの店なのである。当然のことながら日本人団体客が最大のお得意様らしく、日本語と円貨表示はどこでも最優先で表示されている。もう一カ国語は、シンガポールの場合「台湾(中国)語」。換算レートがニュー台湾ドルで表示されているので、文字が読めなくてもわかる。台湾では中国語の中でも標準語と言われている「マンダリン」を使っているので、中国本土や香港などからの旅行者を意識しているのかもしれない。

でも、つい最近までは「韓国語」が英語・日本語に次ぐ第三表示だったことことを考えると、通貨危機で極端な外貨不足に悩む韓国人の旅行者が激減していることが容易に想像される。つまりそれだけ「客層」をしっかり把握して品揃えや配置まで気を行き届かせているのであろう。

シンガポールにも二個所あるが、おみやげ三種の神器「お酒・チョコレート・たばこ」が充実しているはもちろんのこと、日本人に有名なブランドがわかりやすくディスプレーされている。香水や口紅は「日本人に手頃」な値段でセット販売されており、Tシャツ・スカーフ、キーホルダーのような小物も揃っているので、親戚や友人・職場の面々にまとめて配るのに適した商品も多く、まさに便利である。

ただ、いただけない点もある。高いのである。日本人が陥り易い錯覚に「免税=安い」という図式がある。免税はあくまでも「税金免除の特典」があるだけで、その品物が安いかどうかとは全く別の問題である。物品税等の「間接税」で香水や化粧品などの「贅沢品」に高額な税金が課されていた時代ならともかく、世界の潮流は「消費税型」の課税であり、物それ自体の定価は低下傾向にあるのだから「税免除」「何割引」なんて意味をもたなくなっている。

さすがに旅慣れた日本人はDFSに顔を出している様子はない。どうしてわかるかって?自分がちょくちょく買い物に出かけるからである。「旅慣れた」日本人には「免税トリック」を使えない事を十分理解しているらしく、シンガポール在住の日本人にしか作れない「DFSカード」を持っているとバーゲン期間でもないのに通常商品が2〜3割引扱いになる。

ちょっと日本へ帰国する際に「おみやげ」と考えると、ほとんど日本と遜色ない買い物ができる代わりに値段も「遜色」なくなってしまったシンガポール市内で「土産調達」するより、気の利いたものがコンパクトに揃っているDFSの方が楽。しかも、市販価格より2割以上安ければ、やっぱり出かけてしまう。

昨今の不景気で日本人旅行者は激減しており、特にシンガポールには「リピーター」が少ないようだが、「お得意様」が不調ならちゃんと現地日本人相手に商売しているのである。「里帰り」「海外帰り」というだけで何かお土産を期待している、あるいは期待されていると「錯覚」している間は、DFSは日本人メインに商売をできる。そんな気がする。



<ホーカー物語〜海風>(第十三話)

「そろそろお開きにしましょうか」
鶴の一声とは良く言ったものである。小春の一言で宴会は終わり散会となる。シンガポーリアンとは違うんだぜ、と言わんばかりにみんなできれいに後片付けを済ませ、それぞれの車やバス停の方へ別れて歩き出す。ふと見渡せば、小春の姿はどこにもない。

仕方なくちょっと離れたシーフードセンターの集まるところにあるタクシースタンドへとぼとぼ歩き始める。帰り際に一言くらい挨拶してくれればよさそうなものの、でも周りの人の手前あまり親しそうにもできなかったのかも...などと考えを巡らせる。

ちょっと酔った体には、この荷物と暑さは身に染みる。たっぷり汗をかいてタクシースタンドまでたどりつき荷物を降ろし、ふと目線を上げると、何とそこには小春が立っているではないか。

「いったいどうしたの!?」
あまりに眼をひん剥いてしゃべりかけたらしく、小春が大笑いをして呼吸を整えてから返事する
「そんなに驚かなくても、見ての通りタクシーを待っているだけよ。しかも今日はあなたより前に。」

おっしゃる通りである。ごもっともなんだが、なぜ近所に住んでいる彼女がタクシースタンドにいて、しかも汗一つ掻かずに自分より前に辿り着いているのか附に落ちないのである。

「友達の車に乗せてもらって、ここで降ろしてもらったのよ」
「どうして家まで送ってもらわないの?」
「女性一人で住んでいるアパートまで送ってもらうわけないじゃないの」
「そりゃそうだ。それでタクシーに乗るからと言ってここで別れたんだ」
「その通りよ。いつもそうしてもらっているの。」

話はわかるが、でも自分にはさっきあそこに住んでいると指差したではないか。
「本当にここからタクシー乗るの?」
「まさか。いつもならしばらく海風にあたってから歩いて帰るのだけど、今日はあなたが歩いてくるだろうと思って待っていたのよ」

何ともワンダフルなお言葉。最初っからそのつもりで他の男の車に乗って行ったとしたら、なかなか自分のことを意識してくれているのではないか。

「僕だけ特別ってわけかな?」
ふふふ、と笑みを浮かべて
「そうよ、特別。特別安全そうだもの。ちょうどいいから私のアパートの前で降ろして行ってくださる?」

そう言って、順番が廻ってきたタクシーに誘う。一緒にバックシートへ滑り込んでも、頭はポカーンとしてしまっている。
「冗談よ。正直な人ね。」

(次回へ続く)





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