シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


11月15日

<ティーン・エイジ>

巷の流行を追いかけるつもりはないが、たまにテレビとかで見かける「アイドル」に全く「未知」の存在がいる事に驚かされる。「SPEED」ぐらいに有名ならば何回か見たことがあるし、沖縄出身の歌手が流行っているらしいことも薄々知っている。でも、それくらいである。

自分の学生時代にも流行はあった。世代的にはピンクレディー、キャンディーズ、山口百恵、松田聖子、シブガキ隊、少年隊、タノキントリオなどなど。武田鉄也の「3年B組金八先生」が初めてオンエアーされたころに中学校で2年B組に通っていた。ものすごく感銘した記憶がある。

なぜ「金八」か。当時はよく知られていたことだが、「太陽にほえろ」という石原裕次郎主演の刑事ドラマが圧倒的な人気を誇っていたころで、その放映時間が金曜日夜8時というゴールデンタイム。その「金八」に対抗する意気込みのネーミングだったのである。そうか、あの時代のゴールデンアワーは8時だったのである。今は多分9時台から10時台の間であろう。時代が感じられる。

あのころのアイドルを思い起こして見ると、かなり共通するものがある。まず女の子は「ミニスカート」。化粧はともかく歌を唄う間は必ず「笑顔」。それから「ハンサムか美人か可愛い」ことも絶対的な条件であった。少なくとも「歌唱力」より「ルックス」が優先されていた気がする。

ところが今のアイドルは...全然これが当てはまらない。「SPEED」で考えると、彼女たちがミニスカートで唄っている姿をほとんど見かけた事がない。ルックスは好みがあるだろうし、あどけなさが残る標準以上の顔立ちだとは思うが、「顔」より「歌唱力」で選ばれた気がする。「笑顔」で歌の下手さをカバーしようとした往年のアイドルとはちょっと違う感じがする。

安室奈美恵あたりから思っていたが、体の線が綺麗だし足も長く、踊りもこなすのに息が上がらず歌に影響しない。なかなかのプロである。でも、どこか何か物足らない。彼女たちを否定しているわけではないが、自分の世代のアイドルにあった「か弱さ」がないことにちょっと哀愁を帯びた「物足りなさ」を感じているのだと思う。

昔のアイドルは、どちらかと言えば「お花」のイメージ。可憐な「植物」を愛護し「守ってやりたい」感情を抱かせたものである。本人たちもそのイメージを大切にし、いろいろ裏事情もあったろうがそんなことはおくびにも出さず「ぶりっ子」を通していた。

その対比で言えば今のアイドルは「小動物」。とにかく動き回りプロらしく歌うことに徹する。「憧れ」というより「友達」でありカラオケの「お手本」である。自分でもできそうな気にさせて、いざ真似してみると意外に奥が深くて難しい。うまく歌えた時にはちょっと友達に自慢できそうな曲が人気を集めている気がする。

うーん、それにしてもよくわからん。今のティーンエージと言えば自分と一番接触のない世代。会社では20代以降、自分の家庭や親戚では10歳未満の子供しかいない。今までの人生でも最も話しをしたことがない世代。そんな子供たちが何に憧れて今のアイドルに黄色い声援を送っているのか、見当もつかなくても自然なことなのかな。

こういった世代の日本人と、自分と同世代シンガポール人とどちらが理解し易いか、ちょっと良い勝負かもしれない。



<ホーカー物語2〜電話>(第三話)

「お待たせ。レコードを取り替えてたの。」
「やっぱりね。君のはすべて手動式?それとも自動化されているタイプなの?」
「針の上げ下げだけはスイッチでやるんだけど、あとは全部手動式。」
「じゃあ、相当年代物だ。」
「10年くらい前に、日本の古レコード店にお父さんが友人に連れて行ってもらって買ったみたい。その時でも掘り出し物だったという話しよ。」
「そりゃそうだろう。今ならまず手に入らないだろうね。」

こんな時間にこんな話しを電話でするなんて、学生時代以来かもしれない。あの頃はいくら受話器を握っていても疲れなかった。いや、持つ手が疲れても話し続けていたと言う方が正確かもしれない。

「そう言えば携帯電話で話しをしているんじゃない?」
「そうよ、どうして?」
「いや、バッテリーとか大丈夫かなーと思って」
「ああ、そうねちょっと待ってて、すぐ掛け直すわ」

そう言うが早いか、小春は携帯のスイッチを切ってしまった。急に静寂が訪れる。誰も周りにいない空間。テレビもCDも点けないで一人ソファーに腰掛けると、何とも言えない寂しさが襲って来る。

冷蔵庫まで歩いてロックグラスに氷を入れ、先日東京に出張した帰りに免税店で買ってきたシーバスリーガルの栓を回し、注ぎ込む。それを指で軽くかき回していると、プルルルルという呼び出し音が聞こえてくる。ゆっくりソファーに戻り受話器を取る。

「お待たせ」
「やっぱり、はっきり小春の声が聞こえるね」
「ほんと、ぐっと近づいた気がするわ」
「小春の気持ちも僕に近づいたのかな?」
「さあ、どうかしら。こんな夜遅くに自分から電話したのは初めてだけどね」
「それは光栄です。ハハハ。」

シンガポールほど電話が普及している国も珍しいのではないだろうか。誰もが当然のごとく携帯かぺージャーを持ち、家にも電話がある。会社の電話にE-MAILアドレス、FAXまで含めれば、5つ以上も連絡手段を持っている。しかもそれをことの外よく利用している。そのせいか、ワイヤーレスだと雑音や混線が多くて、余りゆっくり話しができない時もある。

「電話はいつも留守録にしてあるの?」
「この電話には男性の声で伝言メッセージを入れる機能が付いているから、それをいつもONしているの」
「やっぱり、いたずらとか多いの?」
「まあね、どうしてもね。だからいつもこちらから掛け直すようにしているの。」
「女性の一人暮らしは大変だ。」
「慣れちゃえばどーってことないけどね」

一人で生活するということと、一人で生きるということは違う。周りのいろいろな人と交流しながら、決して孤立することなく生きることが「生活する」ことであり、ただ食べる為に会社との往復を繰り返し、自分が生きている証を周りに認めてもらえないのなら、「生きている」だけ。

(次回へ続く)



11月8日

<卓球大会>

車を買ってしまってからというもの、その「恩恵」を最大限活かすべく日夜駆けずり廻る日々となっている。まず、「足」を期待した「週末ゴルフのお誘い」が増え、ショッピングも時間や天気を気にせずにいつでも繰り出すようになったのは、言うに及ばない現象である。

車を購入する「ハードル」を高くしているだけあり、道路の渋滞状況や駐車場の整備具合、その値段といったものは想像を超える快適さである。駐車料金も一時間100円程度でいつでもどこでも見つけることができる。道もくねくね曲がっていたり一方通行が多いものの、一度覚えればまず間違えることはなくなる。

それというのも、「道の選択肢」がそれほどないし、目的地も限られているからである。観光都市を意識してか、道路から見える宣伝や広告の数も非常に限定されているし、ドライブスルー的な店も少ない。都心から30分間くらい走っても、ファーストフードはおろかコンビニやショッピングセンターも一件も目に入らない、なんていうのも珍しくない。日本ならどこでも嫌と言うほど店を見つけるだろうが。

今はまだものめずらしいので、ただドライブして道に迷い道を覚えるのも面白いが、やっぱり最大の車活用法は、「車があれば...」と思っていたことを積極的にやってみること。当たり前のようでいてシンガポール生活の「ステージ」が替わったような驚きと新鮮さがある。

例えばこの前の「ワールドカップ・ラグビー・アジア地区予選」。日本代表がシンガポールで「アジア代表」の座をかけて戦っていると言えども、いつもなら「不便な」国立競技場に足を運ぶことはない。しかし、今回は香港との最終戦「土曜日の夜8時キックオフ」という時間帯にも関わらず家族で応援に繰り出し、サッカーの時と同じく日本代表が「切符」を手にする瞬間を目の当たりにできた。

先週の水曜日にも、その国立競技場近くにある「カラン劇場」というところで「モスクワ市民バレー団」による「白鳥の湖」を見てきた。平日の夜8時開演で仕事帰り、しかも当日雨が降っているという状況ではチケットを手にしていても諦めてしまってもおかしくないが、車のおかげで家族全員本場のバレエを生まれて初めて経験することとなった。

そして、今日は日本人会運動部「卓球同好会」主催の卓球大会に出場。クレメンティーという都心部から20分くらいの学園地区にある日本人小学校が会場。同好会が毎週日曜日にそこの体育館で練習会を開いており、たまに汗を掻きに行った事があったが、行きはともかく帰りはバスもタクシーすらままならないようなロケーションに、ちょっと二の足を踏んでいた。それが今回は何の支障もなく参加。

おまけに、一般男子ダブルスで3位入賞、トロフィーまでもらってしまった。参加者総数130名で、小学生の部・中学生の部・一般男子・一般女子に別れ、シングル・ダブルスそれぞれを行った結構まともな大会である。ダブルスを組んだ相手が「同好会所属」のうまい人だったことが大きな理由であることは間違えないが、4回戦まで勝ち進んでの入賞である。まあ、シングルス初戦敗退が実力という話しがもっぱらであるが...。

ふと気が付けば、1週間足らずで結構な「車活用」である。車が来てから10日間での走行距離は外周100Kmぐらいの小さな島国で「200Km」。ほぼ毎日誰かが運転している。8年落ちの中古車でも、引退にはちと早い。もうちょっと働いてもらおう。



<ホーカー物語2〜古音>(第二話)

「それで、演奏の方はどうだった?」
「まあね。バイオリンのソリストはよかったけど、バックは今一つね。」
「なかなか厳しいね。でも君を連れて行けてその上司も満足だったろうね」
「うふふ、そうかもね。ちょっとサービスしてナイトドレスを来て行ったから」
「ほう、それは僕も見てみたかったね。さぞかし注目を浴びたろう」
「そうね。上司なんて顔が紅潮しちゃって、アルコールも早くまわっちゃったみたい。だから、飲み直しも無しに帰ってこれたんだけど。」

上司の魂胆を見透かしたがごとくの立ち回りである。並みの男には到底歯がたちまい。なぜ自分にはちょっとだけ「咀嚼」できているのかよくわからないが、そんなことどうでもいい。

「それで、家で飲み直しているわけだ。じゃ耳直しもしているのかな?」
「よくわかったわね。昔お父さんが聞いていたクラシックのレコードを久しぶりに聞いていたのよ。」
「レコードとは、おつだね」
「そう、今ではレコード針も手に入れにくいんだけど、お父さんはCDよりもレコードの音の方が好きで、まだ買い置きがあるのよ。」
「へー、じゃあレコードも結構なコレクションがあるんだ。」
「千枚くらいかな。ほとんどがクラシックとジャズ。以前は興味なかったんだけど、一人で生活するようになってから、何となく取り出して聞いているの。」
「そうか、何かいい雰囲気だね。」

20年ぐらい前はレコードが全盛期で、ステレオセットの進化とともに誰もが「いい音」をハングリーに求めていた。スピーカーは山水がいいとか、カセットデッキは AKAI がいいとか、レコードプレーヤーはパイオニア、レコード針はナガオカ、などといいながら、アルバイトとかでお金を貯めながら「一点ずつ」買い揃えて行ったものである。

今はコンパクトディスクサイズのいろいろなメディアが登場して、シングルレコード・サイズより小さい一枚の光り輝く板で映画すら家庭で楽しめてしまう。しかも、映像といい音質といい、限りなくオリジナルに近くて、その上何回聞いても劣化しない。これはあの時代の一つの理想形であることは間違えない。

「レコードの音は好き?」
「CDより暖かい音という気がするわ。よくわからないけど。」
「手入れが大変だけど、大事に聞いていれば何となく味わいが深まる気がするよね。」
「そう、そうなのよね。不思議なものよね。あーちょっと待って、レコード終わったみたい」

受話器の向こう側から、がさごそ物音がする。蓋をあけ、針をおろし、レコードを持ち上げて薄いビニールのカバーに入れてから厚紙でできたレコードジャケットに仕舞い込む。次のレコードを取り出して、片手でレコードの端に親指をかけ、中心のレーベル部分を人差し指と中指で支えて持つ。

右手にはスプレー缶を持ち、ぐるりと一周クリーニング剤を吹きかけたら、特殊なフエルト地で作られたレコード専用クリーナーでレコードトラックをなぞるように拭き取る。そして、両手でレコードの端を支えながらレコードプレーヤーの真ん中の突起に、レコードセンターの穴を合わせて慎重に置く。

ゆっくりとアームを持ち上げて、レコードの端にセットしたら、静かに落下させて着地点を確かめる。ジッ・バリバリっとかいう音を立てながら静寂が破られる。そしてしばらくすると待望の音楽が始まる。そんな動作を想像しながら耳をそばだてていたら、本当にそんなタイミングで音楽が聞こえ始めた。

(次回へ続く)



11月1日

<www.j-kuma.com>

思えば半年に一度ぐらい何かしてみたくなるみたいである。ホームページを初めて半年後にはホームページ全体の構成やデザインを現在の形に変えたし、一年後には今使っているCPのメモリーを増殖させたりした上で「ホーカー物語」等の「シリーズもの」を毎回2作の一つに加えるようにしはじめた。

そして1年半過ぎた今、自分のドメインを取得してしまった。そう、www.j-kuma.comである。このドメインは永久に自分個人に所属し、このアドレスにアクセスすれば必ず最新のホームページにアクセスできるようになるのである。

考えてみればすばらしいことである。今や日本国内はおろか世界中で生活する可能性があるのに、連絡先に関してはいちいちアップデートしていかないと、親しい友人さえ連絡先を見失ってしまう。お互い半永久的な実家でもあれば、そこにコンタクトすることで転居先を見つけることができるかもしれない。でも、自分の親が元気なうちはいいが、いつまでも使える手でもない。

しかし、自分は転勤に伴う転居を繰り返して行く。友人も同じ立場だと、連絡先が更新できるだけ奇跡に近いものになってくる。ましてや海外に生活していると、同窓会やOB会とかに参加する機会もほとんどないので、周りから忘れ去られて行く可能性が大である。

ところが、世の中にはインターネットなどという無国籍ツールが発展している。世界中どことでも、市内電話料金と少しのプロバイダー手数料で世界中のホストコンピュータと交信ができる。そしてその中に自分のホームページもある。しかも自分の住所とは独立した「アドレス」が存在しているのである。

ただ、プロバイダー側の料金徴収手段の制約とかアクセスする側の電話料金の問題で、必ずしも国境や州・県をまたいだ形でホームページアドレスを維持するのは難しい。つまり、遠方に転居しなければいけないケースで今使っているプロバイダーのサービスが継続できない時には、ホームページアドレスも「転居」させなければいけないのである。

これは何とも「非合理的」である。物理的な移動・転居は仕方ないとしても、コンピュータネットワーク上のアドレスぐらい一生固定させたいものである。しかも、固定させることが可能なのが最大の特徴であり、利点でもあるのだから、それを使わない手はない。

このヒントは伊藤師匠の最新本「ビッグバン時代のネット活用術」の中から見つけた。この本自体、インターネットを活用してビジネス社会を生き抜いている数人が伊藤師匠のもとに集まって書いたもので、特にこれから「ネット世界」に参入する人にはお勧めの本である。

その中の56ページに「自分のドメインを取得しよう」というタイトルのコラムがある。ここで紹介されている「ドメイン取得代行サービス会社」のホームページは英語で書かれているのだが、その記述をちょっと読み進めると日本の代行業者のページへアクセスできる。「企画屋」がそれ。

別に宣伝するつもりはないが、きっちり自分のドメインを取得できたし、今のところサービスも問題ない。費用が安いと感じるか高いと感じるかはその人しだいと思う。自分のように次に転勤があれば、必ずシンガポール国外に行く事がわかっている人間には、これから先も固定されたネットワーク上のアドレスを維持できるのはうれしい。

そう、皆さんもおわかりですね。さっそくブックマークもwww.j-kuma.comへ変更しておいてください。今のプロバイダーからホームページを移動させても、「www.j-kuma.com」にアクセスすれば、必ずどこかで再開する最新のアドレスにリンクさせておきます。末永くよろしく!!



<ホーカー物語2〜夜中>(第二部・第一話)

あの出来事から一週間は瞬く間に過ぎた。週末が充実していた次の週に限って日中のみならず夜の予定まで埋まってしまうものである。それだけ本人が「充実した表情」をしているからだろうか。普段お声がかからないような所からも、アポイントメントが入る。片隅にあった「小春との一夜」の思い出も、遠い過去の出来事になってしまう。

一夜を共にする前後にいろいろ考えたことも、いざ過ぎてしまえばそれほど大したことに感じなくなる。「不倫」なんていう言葉は男が女性の浮気に使っていた言い回しであり、男の「女遊び」は古来から「男の甲斐性」である。「遊び」のひとつもできないような、そんなつまらない男にこの年齢で成り下がってどうする。

これからもしかしたら50年以上ある人生で、仕事も遊びもそして家庭生活も思いのままにエンジョイできる時期なんて、そう長くはないはずである。第一に体力が持たなくなるだろうし、社会も受け入れてくれにくくなる。「お年の割には...」とか「お若いですね...」なんて言われて遊んでいてうれしいだろうか。

やっぱり、いい女を自分に夢中にさせる。これが男冥利につきるもの。その時に家庭をなおざりにするかどうかは、ひとえに「男の度量」であり、器用さであろう。法に触れなければ何をしてもいいとまでは言わないが、自分に自分で枠をはめてしまっている「従順な男ども」が世の中に増えるにつけ、ちょっとそういう傾向に自ら刃向かうのもいいかもしれない。

そんなことをボーっと考えているうちに、タクシーは自分の住むコンドミニアムに滑り込んでいく。週末でも、深夜12時過ぎればどこでもタクシーはつかまる。それを「口実」についつい夜中まで飲んでしまう。それでも、日本にいた時に比べれば「帰宅時間」は早い。どんな辺ぴなところに住んでいても30分もあればタクシーで家にたどりつけるのだから。

平日ならこれで一日は終わる。服を脱いでベッドに横たわれば、また新しい朝が来ている。でも今日は金曜日、いや正確に言えば土曜が始まったばかりである。しかも、一人きりの週末の幕が開いたばかりである。今週もゴルフの予定を入れなかったから、何も拘束するスケジュールはない。

なぜ週末に何も約束を入れなかったか。当然の気もする。小春との「関係」があるから。でも小春とはタナメラのフェリー乗り場で別れたきり、一度もコンタクトしていない。今何をしているのか。ふと頭を過る。

日本にいる家族に電話するのもいいが、一時間先に進んでいるからもう深夜1時をとっくに廻っている。子供やおじいちゃん・ばあちゃんもすっかり寝静まっている時間に、「週末」という理由だけで「呼び鈴」を鳴り響かすわけにもいくまい。となると...

どこかに仕舞い込んだメモを取り出し、小春の携帯電話の番号を探す。家の電話は留守録にでもしていない限り相手をたたき起こしてしまうかもしれないが、携帯には「電源を切る」という自由がある。小春が友達や、そして自分からの電話を待っているとしたら、つながるはずである。

ツルルルル...数回の発信音の後、ピッという音と共に、けだるそうな小春の声がする。

「こんばんは、起こしちゃったかな?」
「ああ、ヒロシ。元気?」
「もちろん。ちょっと酔っ払っているけど、頭は冴えてるよ」

本当である。明日は何も用事がないと思うだけで、なぜだか疲れが吹き飛んでしまう。酔いも心地よい。

「何していたの?」
「いつも通り、家のソファーに座り込んで、おいしいワインを飲んでいたの。」
「いい女が週末に誰からも誘いを受けなかったの?」
「また、そんなこと言ってる。ちゃんとディナーには行って来たのよ。会社の上司とね。」
「おやまー、それは大変だったね。しかも週末にそんな会社の付き合いなんて」
「そうなのよ。普通だったら断っていたんだけど、オーケストラの演奏会付きだったから、ついつい受けてしまったの。」

確かに、週末を大事にするシンガポーリアンに取って、金曜日の夜に「接待」を入れるケースは珍しい。夫婦共稼ぎが一般的だから、家族や友人と夕食を共にして、そのまま実家に遊びに帰るパターンをよく耳にする。親孝行というより、土日はメイドも休みを取ったりするから、自分の家に帰ったら身の回りの世話をしてくれる人がいない、という「合理的理由」が大半みたいなのだが。

(次回へ続く)



10月25日

<プーケット>

タイの国民性は、日本人と相性がいいのだろうか。ふと、そんな気持ちを抱く瞬間。

手を合わせてお辞儀して挨拶してくれる人々。微笑みながらこちらを向いて話し掛ける姿勢。人懐っこい笑顔。ゆっくりと大地に根差した仕種。すべてが、どこかなつかしい気分にさせてくれる。

バンコクに続いて、先週末に3日間ほど足を伸ばしてきたタイのリゾート・アイランド、プーケット。

タイと比較される東南アジア諸国と言えば、インドネシア・マレーシア・シンガポールがすぐに頭に浮ぶ。だが、インドネシア・マレーシアのイスラム教に比べ、タイ人には仏教徒が圧倒的多数を占める。シンガポールは多民族・多宗教国家だが、人口の多数を占める中国人は仏教というより「中国的伝統文化」を重んじる風潮が強く、必ずしも仏教の教えに熱心な印象は受けないし、むしろキリスト教徒の熱心さの方が目に付く。

この宗教観の違いが国民性に影響しているのだろう。日本も「無宗教」の国と言われているが、あえて聞かれれば「仏教徒」と答える日本人も多いと思う。そこが共通していて、タイを訪れる日本人に、インドネシアやマレーシアにはない安らぎを与えてくれるのかも知れない。

そう言えば、日本の皇室もタイ国王と長い間親密な付き合いをしている。他の東南アジア諸国とは違って、唯一他国に占領された歴史がない点も、屈折のない文化と感じる所以であろうか。ゆったりとした滞在期間中に、いろいろと想像を巡らせてしまう。

一見、以前バリ島で宿泊した時の印象に似ている。インドネシアの伝統文化を織り込んで安らぎを提供してくれた旅も、確かによかった。だが、一歩ホテルの外を出ると、日本人はじめ観光客の顔には「現金」としか書かれていないような扱いに大きなギャップを感じたものである。でも、タイではそれほどまでの大きな落差を感じない。

もしかしたら、タイ式ボクシング・タイ式マッサージ・タイ料理・タイ式風俗産業...等々、それぞれに「発散」できる場所があるからかもしれない。何もあくせく「拝金」しなくとも、ゆったり生活できることを優先する風土が強く根づいているのだろう。

滞在したホテルは、今回も当たり。 Laguna と呼ばれる湿地帯を利用して建てられたホテル5つの中の一つ。「The Allamanda Phuket」と呼ばれるホテルである。湖水脇に低層のホテルが並ぶヨーロッパ風建築のホテル群は、プーケット島の中で全くの別世界を作っている。

家族全員で乗馬を体験したり、タイ式マッサージをしてもらったり、海辺で波と戯れたり...。10月までが雨季で、その後の乾季がピークシーズンということもあり、ホテルは比較的空いている上に、長期滞在していると思われるヨーロッパ系の老人が目に付く。それが逆に家族連れを優しく、大らかに包み込んでくれる。

こういうのを本当の「バカンス」というのだろうか。それぞれのライフ・ステージで価値あるもの・価値を感じるものというのは全然違う。そう言う意味では、このリゾートは「老人と子連れ家族」に最も適した場所なのかもしれない。

このプーケットにはまた必ず訪れるだろう。その時どう自分が感じるか、それもまた、楽しみである。



<ニワトリ悲話〜完結編>

何とも騒がしく、物々しい雰囲気の「ニワトリ家族」の横を、一人の旅人が通りかかりました。

「はて、ここは確かお兄さんが住んでいる屋敷の傍だが、何かあったのであろうか」

何十にも取り囲んだ「群集」をかき分け騒ぎの家を覗いてみると、案の所自分の兄が仁王立ちで怒り狂い、その周りを義姉がアタフタ駆け回っている。子供たちはやかましく騒ぎ回り、ニワトリはそれに環を掛けて羽をばたつかせて逃げ惑っている。

「お兄さん、どうしたのですか?」

旅人が何回か大きな声を出して、ようやくお母さんの方が気がついて、歩み寄ってきた。

「おお、いいところに来てくれました。見ての状況で、はたはた困り果てているのです。手を貸してもらえませんか。」
と、今までの経緯を義弟に説明した。

「わかりました。僕にいい考えがあります。任せて下さい。」
そう言うが早いか、荷物をお母さんに預けて、お父さんのところに歩み寄り声を掛けました。

「お兄さん、久しぶり。大変だね。」
「やあ、おまえか。こんな時に何しに来た!!!」
お父さんは相当興奮していましたが、やがて落ち着きを取り戻し、弟のアドバイスに耳を傾け始めました。

「うーむ、おまえの言う事も一理ある。この寒さの厳しい折りだ、躊躇している暇はない。さっそく実行してみよう。」
さすがに自分も困り果てていたと見え、弟の言うとおりに「ニワトリ対策」を実行に移し始めました。

まず、近所から躾の行き届いた大きな犬を4匹借りてきて、ニワトリを取り囲むように座らせました。ただ、くれぐれも「吠えることがない」ように言い聞かせ、ニワトリを遠くから威嚇するようにしました。ニワトリに刺激を与えすぎるとパニックになってしまうからです。すると、犬の存在に気が付いたニワトリはおびえながら小屋の回りをうろちょろしだしました。

次に、ニワトリ小屋を改造して自由に出入りできるような構造にし、中は外の冷たい風が当たらないように工夫しました。そして中心部分には、新鮮できれいな水を流し、栄養いっぱいの餌を置き、うさぎやあひるといった他の小動物も一緒に放し飼いすることにしました。すると、ニワトリはきょろきょろしながらも、小屋の中に入ってきました。

最後に、小屋の角に新鮮なワラで作った暖かそうな寝床を作ってやり、人間は小屋の外に出て、外からしばらく様子を見る事にしました。そのころには子供たちも大人しくなり、旅人がやることを興味深く見守っています。もちろん、お父さんお母さんもちょっと不安げながら、旅人の指示に従っています。

しばらくすると、ニワトリは恐る恐る餌場に歩み寄り、水を飲んだり餌をついばみ始めました。事の次第を終始見つめていた近所の住民からも、驚きと安堵の声が上がります。その家族も含めて、みんなの表情に明るさが戻って来ました。中でも「隣の住民」は、人懐っこい表情で旅人やお父さんの所へやって来て、盛んに握手を求めて来ます。

何とも「現金なやつ」と思いつつも、握手してしまうのがお父さんの「性」でしょうか。しかも、
「これからは、家のニワトリたちもこの小屋にお邪魔すると思うが、その時はよろしく頼むよ。もちろん、我が家の庭におたくのニワトリが来てくれるのも歓迎するよ」
「はい是非とも、今後ともよろしくお付き合い下さい。」
何がそんなにうれしいのか、お父さんもお母さんもにこにこして、隣の住人にお辞儀を繰り返しています。

そこに隣人が口を挟みました。
「いや、落ち着いてよかった。でもお兄さん、今後のこともあるから、今のうちに隣の方としっかりとしたルールづくりをしておいた方がいいよ。」
「ほう、どんな取り決めかい?」
「お互いのニワトリが入り交じるとよくわからなくなってくるから、例えば、どちらのニワトリであれ、この小屋で産み落とされた卵はお父さんのもの、隣の住民の家で産み落とされたら隣の家の卵、とするのはどうかい?」

お父さんはきょとんとしていますが、隣の住人はちょっと思惑が外れて「しまった、余計なことに首を突っ込みやがって」という表情をしています。でも、日頃から「機会平等・契約最優先」を唱える隣の住人は、面と向かって言い返す言葉が見つからないようです。

「あと、ニワトリが病気になったり怪我をして体力が低下したら持ち主が責任持って処分する、ということも決めておいた方がいいんじゃないかな。」
他にもいろいろ旅人がアドバイスすると、お父さんお母さんはようやく事の重要性を理解して隣の住人と交渉を始めています。

こうなれば、後は安心。旅人は、人知れずこの家を後にして、再び旅を続けることにしました。肌にあたる風も、心なしか春の気配を感じる生温かさに包み込まれています。もうすぐこのあたりにも、暖かく新鮮な春が訪れることでしょう。

めでたし、めでたし。



<出演者紹介>
旅人(弟):日本の新しい世代の有権者
近所の犬:金融監督庁・証券取引監視委員会・公正取引監視委員会・日本銀行等の皆さん
ニワトリ小屋:日本の金融市場


前回からの出演者...

お父さん:日本の政治家さん
お母さん:日本の大蔵官僚さん
子供たち:日本の国民のみなさん
ニワトリ:日本の大手銀行さん
隣の住人:アメリカ合衆国のみなさん




10月18日

<ニワトリ悲話〜前編>

むかし昔あるところに、大きなニワトリを20匹飼っている家族がおりました。お父さんは、あまり仕事をしないで隣の家に遊びに行ったり、近所で後先考えずにお金ばかり使ってしまう癖がありましたが、お母さんは働き者で毎晩遅くまでニワトリたちの世話に明け暮れていました。

子供たちは、誰かが大きな声で叫ぶと何も考えずに大騒ぎになってしまう、まあどこの家庭にもいそうな騒々しい兄弟姉妹で、お父さんのことは少し馬鹿にしていましたが、お母さんは信用して言う事を聞いていました。お父さんも実はお母さんには頭が上がらないみたいです。

この家族のニワトリは、大きな卵を産む事が近所でも有名で、街で開催される品評会でもいつも高く評価されており、家族の自慢でもありました。隣の家の住人も、どうしてそんなに大きく育ってたくさんの大きな卵も産めるのか、しょっちゅうその家を訪ねてはエサを調べたり、小屋を見て廻ったりしていましたが、どうしてもわかりません。

そんなある日、隣の住人がこの家族の言い掛かりを付けに来ました。

「お前の家のニワトリは確かに大きな卵を産む。でも、小屋の中で過保護に育てているし、朝から晩まで餌を与え続けているから、品質は最低だ。そんな卵を品評会で自慢するのはおかしい。うちみたいに外で放し飼いしたニワトリが産む卵こそサイズは小さ目だが、高品質で評価されるに値する。」

こんな話しをされて、お母さんは悩んでしまいました。

「確かに世の中の趨勢は「地卵」。このままサイズが大きいばかりの卵を産ませても、やがては評価されなくなるかもしれない。いままで過保護に育ててしまったけど、ここでいっそう外で放し飼いしてみようかしら。」

思ったが早いか、外はまだまだ寒い冬なのに20匹のニワトリを一斉に小屋から追い出してしまいました。ニワトリたちは餌が食べられなくなって戸惑っています。それもそのはず、今まで小屋の中で生活してお母さんに世話してもらっていたから、自分で餌を見つけ出すことを知りません。

「ねえ、ニワトリさんたち寒そうでかわいそうだよ。死んじゃうかもしれないよ」
「明日から卵を産まなくなったらどうするんだよ」
などと子供たちが口々に叫びます。

「大丈夫よ、ニワトリさんたちよく太っているし、運動させればもっといい卵を産むようになるのよ」とお母さん。

「家で飼っているニワトリは一匹も死なさないから安心しろよ」とお父さん。

子供たちも両親の言葉を信じて、その場は引き下がりました。

でも、その年の冬は長く厳しいものでした。ニワトリたちは必死で寒さに絶え、餌を捜し廻りましたがなかなかうまく食いつなげず、疲労と空腹で良質の肉は削げ落ちています。産む卵はどんどん小さくなり、商品にもならないような悪質な卵の産まれる割合がどんどん増えて行きます。

そんなある日、一匹のニワトリがとうとう凍死してしまいました。北国育ちで寒さには強そうに見えましたが、皮下脂肪が薄かったのでしょうか、日に日に衰弱してついには息絶えました。

その姿を見て子供たちは大騒ぎ、
「お父さん、一匹も死なさないと言ったじゃないか。嘘つき!!」
「このごろ産まれる卵はほとんど口にできないようなものばかり」
「卵がどんどん売れなくなっているけど生活できるの?」
と、口々に不安を訴えます。

泣き叫ぶ子供たちを前にお父さんは、まだ呑気なことを口にします。
「大丈夫。あとの19匹は絶対死なせないから」
お母さんも
「売り物にならない卵が増えているのは心配だけど、家族みんなが食べるだけの卵はあるから安心して。」

親がどんなに説明しても、子供たちは叫び続けます。その騒ぎを聞きつけた近所の人も集まってきます。
「仲がよさそうな家族だったけど、化けの皮がはがれたわね」
「この家の卵、大きいだけが取り柄だったけど、今は小さくなって品質も最低!」
「あれ見てみろよ、何か腐った卵がたくさん転がっているじゃないか。こんな不衛生なところと取引きできないぜ」
「あんなニワトリだったら、そのうち全部死に絶えるに決まっている。今度から餌代を高くして、売り惜しみしてやろう。」

何とも厳しいことを口走りながら、近所の人たちは物見気分でその家族を取り囲んでいます。もちろんお父さんが仲良くしていた隣の住人もその中に混じって、一際大きな声で野次を飛ばしています。

(後編へ続く)



<ニワトリ悲話〜後編>

「みなさん、ご心配には及びません。地卵を産むしっかりとしたニワトリにしようとがんばっているところです。街で決まった品質基準を満たす卵を出荷していますからご安心を」
とお母さんが皆に説明して廻っています。

お父さんも声を出していますが、日頃から「ぐうたらおやじ」と評判だったので、子供たちも含めてだれも聞く耳を持ちません。

そうこうしているうちに、子供たちが一匹のニワトリを取り囲んで棒切れで叩きのめしています。
「このぶよぶよしたニワトリ。お前がいるから家の卵の品質が落ちたと馬鹿にされるんだ。」
「この鶏冠を切り落として、吊るし首にしてやれ!」
子供のすることは残酷なものです。

見るに見かねてお母さんが止めに入ります。
「よしなさい、弱いものいじめは。これでもちゃんとしたニワトリよ。」

でも、もう子供たちはお母さんの言う事も信用できなくなっています。

「そんなこと言ったって、こいつが産んだ卵はどれも最低だぜ」
「こんな商品価値のないニワトリに餌をやるだけ無駄だよ」

そのうちに、近所の人たちも一緒になって騒ぎ始めました。
「そんなにバタバタとニワトリが死にそうになるのは、伝染病じゃないか?」
「今までリスク分、餌代を高く吹っかけていたけど、こうなったら納品停止にするしかないなー」

もう皆誰もその家族の言うことを信用しません。子供たちも両親への不満を叫び続けます。

「もうわかった。静かにしてくれ。俺が借金してきてニワトリたちに餌を目一杯食わせてやる。そうすりゃ体力付いてまたどんどんいい卵を産むに決まっている。」
お父さんは意を決して宣言しました。

でも、子供たちは訝しげに見つめます。
「そんなこと言ったって、ニワトリがまた昔みたいに与えられた餌ばかり食べるようになったら、元も子もないじゃない?」
「ここまで近所の評価が落ちちゃったんだから、徹底的に訓練して筋肉質にしなけりゃだめだよ」
「そもそもこのニワトリたち頭悪いんだから、首から上を切り落とした方がいいんじゃない?」

子供たちが言う事ももっともです。でも、何となくこの厳しい寒さの割には理想を唱えている感じがしますが...。

お母さんはさっきから悲しい目をして成り行きを見守っています。近所の人や子供たちの言う事ももっともだと感じて、黙っているのでしょう。お父さんは近所の人と言い争っていますが、なかなからちがあきません。そうこうしているうちに、みんな寒さで震え出しました。

「はやく何か結論付けてよ。寒くてたまらない。」
「こんな状態じゃー風邪をこじらしちゃうよ。」

「ちょっと黙っていなさい。お父さんは今大事な話しをしているんだ!」
お父さんが子供たちを怒鳴りつけます。

あまりの寒さに怒りが込み上げてきて、何人かの子供がお父さんに殴りかかりました。ついに「切れた」みたいです。お父さんも何とか力でねじ伏せましたが、自分たち夫婦がやっていることの馬鹿さかげんにちょっとだけ気づいて、ニワトリを早く何とかすることにしました。

でもニワトリたちは、寒さで苛付いている子供たちの視線や、お父さんが持っている首切り包丁に恐れをなしてか、とち狂ったように庭の中を暴れまくったり、自分たちが産んだ卵を良いもの悪いもの関係なく踏みつけて割っています。あるものは何匹かで仲間をつくり、あるものは仲間を求めて走り周り、あるものは隣の家のニワトリに餌をもらっています。

もうほとんどどうしようもない状態ですが、お父さんはお母さんに命令してニワトリを押さえつけて、無理矢理餌を食べさせるように指示しています。お母さんも、大事に育てたニワトリたちの無残な姿にすっかり気落ちして、お父さんと言い争う気力もなくしています。子供たちは悲鳴を上げながら泣き叫ぶばかり。

この家族の顛末はどうなるのでしょうか.....。(おしまい)


<出演者紹介>
お父さん:日本の政治家さん
お母さん:日本の大蔵官僚さん
子供たち:日本の国民のみなさん
ニワトリ:日本の大手銀行さん
隣の住人:アメリカ合衆国のみなさん




10月11日

<接待>

「接待」という言葉は、今の社会では「死語」と化しつつある。この言葉に対する「甘いイメージ」より大蔵官僚をはじめとする公務員への過剰・違法接待に対する「ネガティブなイメージ」の方が優勢になっているからである。

「接待こそ日本文化」という意見もバブル期には聞かれたし、以前はそういった風潮があったのも確かである。会社の為に働き、会社の連中と寝食を共にするような生活をして、会社に貯えられた利益の一部を取引相手や自分の会社員の為に提供する。接待相手はともかく、接待する側にも少なからず恩恵があったし、高級料亭とか高級レストランが経営できた背景でもある。

うまく社会の潤滑油となれば、だれもこれを批判する人はなかったろうが、必要以上に使ったり注入する場所を間違えたら、「社会の軋轢」や「歪んだ関係」の温床となる。その面では明らかに「社会悪」である。ただ、「潤滑油」も不足しすぎるとこれもギクシャクしすぎる。

例えば「ビジネス・ランチ」で昼間にアルコール抜きで、民間企業同士どこかのイタリア・レストランのランチメニューでも食べたとする。食事中は、お互いの理解を深めるとともに商談もまとめたとすれば、これは明らかに仕事である。この費用を接待費として会社に負担してもらうのは別におかしいとは思わない。

以前、接待について面白いことを聞いた事がある。「会社接待」なんかとは無縁に見えるようなアメリカ企業でも、結構「接待」が盛んであり、しかも目的が見栄見栄の「えげつないケース」も多いと言う。そのケースというのは、取引相手を接待するからと自分のボスを呼び出し、取引先の「お相手」はそこそこに、ボーナス査定者である自分のボスを夫婦で手厚くもてなすそうである。

費用は会社持ちであるから、言ってみれば「社内接待」。目的が怪しい接待や不明朗な接待など、実はどこの国でも多かれ少なかれ「存在」するのである。もちろん、ここシンガポールはじめ東南アジアにもゴロゴロしている問題である。

シンガポールの場合、公務員汚職といった側面はほとんど耳にする機会はないが、民間接待は給料や有給休暇と同様の「労働待遇の一部」という考え方が一般的である。言ってみれば、利用しないのは会社から支給された給料に手をつけないような感覚。接待される側もその点わきまえており、「会社の金で楽しく遊ぼう」という感覚である。

そういえば、接待にも大きく分けて二種類ある。一つは接待相手を殿様扱いして「よいしょ」中心の接待。もう一つは、友達付き合い的な「対等で良好な人間関係構築」中心のもの。「受ける側」と「施す側」の好みで決まるのだろうが、前者は極めて日本的で、後者は欧米流である。

どちらがいいかは「極めて個人的趣味」の範疇なのだろうが、現在社会では、日本的接待は端から見ていても決して気持ちいいものではない。なぜならお互い自然体でない分見ていて「ストレス」を感じるからである。かといって欧米流の接待にも難点がある。お金を出してくれるのはいいが、忙しい時間を割いて会っているのに何も気も使わないような「接待」を受けても、あまりメリットを感じない。どうせならな、こちらから選んだ「気の会う仲間」と飲ませてもらったほうがいい。

特に、会社同士の付き合いの中で、取引先の社長が若い担当者を接待するような場面は、お互い気持ちいいものではない。まあ、どんな状況でもそう感じさせないのも、接待術の一部かもしれないが...

ここしばらく、「接待」なんて仰々しいものは「なり」を潜めて行くだろうが、今度この「文化」が開花する時には、もっと自然体で打ち溶け合える環境作りに使用してもらいたいものである。好みがあるから、接待される・されないとか、接待できる・できないとかで不公平感が出ないように、役職上の「権利」として「個人に割り振る」形にするのがいいのではないか。

そういうことが社会的に認知され定着すれば、どこでだれを接待しようが批判されることはない。もちろんそんな時代でも公務員には接待費など必要ない。公務員の身分・待遇は法律等で保護されているからである。必要なら「接待費」見合いの賃上げを要求し、議会で承認するプロセスをとればいい。そこらへんの一線はしっかり守るべきである。

「接待」とは、一種の「余裕」の象徴である。バブル期のように「余裕」があればあるほど問題にされないし、その後の「傷痕」は今が物語っている。今度好景気になったら、透明性のある「接待」、秩序ある「接待」が復活することを望みたいものである。



<政治を考える3〜報道>

今日の朝放送されていた「NHK日曜政治討論」を見ていて、政治を語る顔ぶれも大きく変化したものだと感心してしまった。ほんの数年前ならNHKの「公共性」で「大物政治家」を連れ出して討論させていた思うが、そんな「化石政治家」はどこへやら、金融を本当の意味で理解して語れる「政治家」が登場している。

正直言って堺屋太一経済企画庁長官以外、見た事も聞いた事もない若手政治家であったが、どこかの「利益代表」とか「利権政治の権化」とはほとんど無縁と感じさせる面々である。その「面々」が金融問題をあらゆる角度から熱っぽく語る姿は、非常に好感が持てる。

もちろん党利党略が見え隠れする場面を見かけるが、それは政党政治である以上当然の姿。それぞれが「支援団体の既得権」や「根本思想」を基に自分たちの考え方を示しあった上で、その良い点悪い点を品評しあい、一つを選ぶなり妥協案を作成する。その結論は当然それぞれの選挙民を意識したものになるし、多数決で決定したものは受け入れなければならない。

こう見ると非常にベーシックな「議会制民主主義」であるが、今ようやくそれが具体化しつつある。ポイントは「議論の透明性」と「情報開示」、それに「結果責任」である。現代社会のキーワードであるこの3つを取り入れていない政治は、遅かれ早かれ衰退する。この3つを積極的に採用しながら議論の中心に立って物事を収拾していける人物が「指導者」となれる。

そういう目でみると、自民党・民主党・自由党・平和、それに共産党は生まれ変わりつつある。労働者の利益代表だったはずの社民党やその他労働組合系は、今や誰の「利益」を代表する立場にもなく、建設的論議に参加せず、いや、参加できるだけのブレーンを持たず、他党の意見にケチをつけるだけのつまらない政党になってしまった。

こうやって改めて述べるまでもなく、政治の場合議席数が如実に物語っているし、前回の参議院選挙から有権者の「眼」も変わりつつあるから、その点ではいい方向に進みつつある。でも、問題は今まで何の洗礼を受けていない職種、「マスコミ」である。

マスコミは、政治家や公務員、民間企業の「情報開示」を迫り、「透明な議論」を促し、「結果責任」を追及しているはずである。それなら、マスコミ自身はどうか。自分たち職員の待遇について開示することなく、「銀行員の高給批判」をするのはどこか間違っている。もちろん、「公共報道」するのにいちいち「自己紹介」していては始まらないという面は考慮してもいい。でも、公務員やメーカー・建設業と金融業の給料を比較するテーブルに、なぜ「マスコミ」は登場しないのか。

自分の知る範囲では、マスコミの待遇は銀行員よりはるかにいい。月給・ボーナス共に申し分なく、接待費も青天井で、会社から一人一台のハイヤーが支給されている。なんで、マスコミにはそんな待遇が許されるのか。「公共性・厳しい労働環境」で反論するなら、銀行はじめ金融機関、公務員はそうではないとでも言うのか。

まあ、そんな下世話な次元はともかく、何より問題なのは「情報開示」の開示方法が不透明なことと、「結果責任」をほとんど取らない無責任さ、である。今でこそ執筆記者の実名なりペンネームが明示されるようになったが、その情報源は不透明であり、推測・憶測記事が多すぎる。しかも、一度報道したことに対する「検証」や「反省」「フィードバック」といったことに対する取り組みはほとんど見られない。

「無責任な発信」を繰り返すくせして、取材相手には「情報開示」を迫る。自分はすべての国民の代表だ、といわんばかりの態度で話しをするくせに、自分が報道する内容には責任を取らないし、そもそも取れない事が多い。それがわかっている人、つまり「責任をとるわけない」と思っている「マスコミ不信」が根強い人ほどマスコミ記者とは話しもしたくないと思っているだろうし、「本人が望む正しい報道」がなされるなら「情報開示」もやぶさかでないと考える人も多いと思う。

その一方で、自分を含め大多数の日本人は「マスコミ情報」を求めるし知りたいと思う。自分一人の力ではとても収拾することができない莫大な情報を逐次流してくれるし、ある程度「情報の取捨選択」をした形で提供してくれる。このインターネットでアクセスできる「情報」は無限であるが、それに目を通す時間が無限でない以上、情報の優先順位が常に問題となる。

つまり、誰もが「マスコミ報道」なしには現代社会を生きていけないのにも関わらず、「マスコミ不信」を抱く人も多い。マスコミ自身が「責任ある態度」で「議論の透明性・情報開示・結果責任」を追求していなければ、その溝は埋まらない。そうでなければ、そのマスコミの情報にお金を出す人はいなくなる。

あれ、何か似ている。あーそうか、政治と全く同じである。「マスコミ」を「政治」に置き換えても全く同じことが言える。そういう意味ではマスコミも政治も表裏一体。政治の次元はそのまま「マスコミの次元」かもしれない。逆に考えれば、マスコミの次元がレベルアップされなければ、政治も生まれ変わらないのかもしれない。なぜなら、マスコミを通さずに政治家と触れ合う機会など、全くと言っていいほどないからである。

新しい政治家を今朝映し出していた NHK もマスコミである。これら「報道」が将来に希望を持たせるような政治家の発言や議論を見つめていけば、必ず日本の政治・マスコミも一流になれる気がする。もちろん「議論の透明性・情報開示・結果責任」の視点を常に忘れずに。それが一番可能なのもマスコミであり、政治である。







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