シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


3月21日

<競売>

場所は、とある古びたホテルの一室。エレベーターホールに掲げられた「会場は1503〜1505号室」との案内を横目に、上行きのエレベーターボタンを押す。15階の扉が開かれ前に進むと、3人の警備員が入口を固め「ナンバープレート」を持っていない者には「受け付け」を促している。

IDを提示すると住所と名前を書き取られて、その会場へのパスポートであるオレンジ色のプレートが手渡される。3桁の数字が黒くはっきりと印刷されている。これで我々も世間に認められているという安堵感を胸に、さっきの強面のガードマンの横を通り過ぎると、そこは一面の「金世界」。そう、「ゴールド」の山である。

その日、そこに集められた「金の装飾品」の数々は「質流れ」の品々。その一つ一つが丁寧に鑑定され、その証明書とともにビニール袋に収められている。もちろんショーケースでガードされ実際に手に触れることはおろか、小さな透明袋に丸められた状態で「物」を観察する以外に方法はない。

それでも「オークション」で掘り出し物を安く手に入れたいシンガポール人は、目を皿のようにしてガラスにへばりついている。懐中電灯片手にメモを熱心に取る姿もよく見かける。「金製品」に縁もなければ興味もない自分にはどれも同じような物に見えるのだが、ちょっとしたデザインの違いでも、リセールバリューが大きく違うのかもしれない。

それにしても「ゴールド」ばかりとは恐れ入った。やっぱりシンガポーリアンと言えども「金大好き人種」である中国人社会の一員である。「金価格」が高騰していた時期にはもっと異様な「熱気」が漂っていたことが容易に想像つく。もう少し「ロレックスの時計」とかダイヤモンド製品でもあるかと思っていたが、何とも味気ない「質流れ品」である。

これが日本だとどうなのだろうか。担保価値のありそうなものの種類がもっと豊富な気がする。例えば、SONYのプレーステーションなどは引き取り手も多いだろうし、再販価格も安定しそうなので、リスクほとんど無しで商売できそうである。まあ、プレステUの発売をアナウンスされたから、急に値崩れしそうで慌てている人もいるかもしれないけど。

さて、せっかく「オークション」下見会場に足を運んだのだから、ちょっと実際の「競売」の様子も覗いて帰る事にした。別室に並べられた椅子の数およそ100席。それが競りの開始前後には立ち見も出る盛況さである。いかにも金持ちタイプの中国人男性もいれば、若い学生みたいな女性までいる。男女はちょうど半々という感じ。

会場正面にはPCの画面がオーバーヘッドで拡大投影されており、競り落とされた商品番号と金額、落札者のプレート番号が記入できるようになっている。その脇に設置された雛壇には3人の女性がお揃いの赤いジャケットを羽織って座る。「眼鏡女性に赤色」とは、いかにもシンガポールらしい光景である。

マイクを通じてオークションの始まりが告げられる。ずらっと並んだリストをいちいち読み上げることはせず、「P.1〜P.5で希望の品がある方?」という聞き方で、会場の興味がないものはどんどんはしょられて行く。ようやくP.12あたりで最初の競りがはじまった。まず司会者が表示されている最低落札価格を受け入れる意志があるかどうかの確認をして、その後その価格を競り上げる。

最初の金額で「刻み幅」もあらかじめ決まっており、その値段に応募する参加者はプレートを掲げるだけでいい。一つの刻みをそれぞれ3回までアナウンスし、「ファイナルコール」を告げる前までにだれも上値に応募しなければ、その直前に意思表示した人にその時の価格で落札される。

こぎみよく繰り返される手続き。「さくら」と思しき人もいない事はないが、一応公正なオークションである。こうやって無け無しの金製品を質に入れた人々の思いが「昇華」していく。ここで売れ残ったものは金の延べ棒にでもされるのだろうか。お金にうるさいシンガポール人である。どう転んでも損しないようにしている気がする。

何とも言えなく漂う空しさ。欲望の輪廻天象、とでもいうべきか。肉体は朽ち滅びてもその「欲望」だけは受け継がれて行く。そんな欲望の漲った会場を「部外者」は一人そそくさと退場した。ある土曜日の昼下がり。外はいつものシンガポール・ブルースカイが広がっていた。



<ホーカー物語2〜ピル>(第十九話)

しばらくブツブツと呟いている小春。男性薬のネーミングなど彼女の将来とは全く関係なさそうだが、その薬に「間接的」にお世話になる可能性は十分ある。知っていて無駄ではない、などとくだらない事を考えていると、小春がこちらに目を向けている。

「バイアグラってバイセクシュアルと関係しているのかな?よくわからないわ。」
「正解はVIGOR(勢力、男盛りとかのニュアンス)とナイアガラ(アメリカの滝)との造語なんだよ。」
「 VIGOR はともかく、なんでナイアガラが付いているの?」
「あの滝のような力強さと、あとナイアガラはアメリカ人の新婚旅行のメッカだから、あの時のたくましさをもう一度...なんていう意味合いで選んだらしい。」
「ふーん、そんなにすごいの?」
「後で試してみる?」
「遠慮しておくわ。お腹の上で心臓止められても困るし...ふふふ。」

せっかく日本から「直輸入」された「その手の週刊誌」を読んで妙に納得した話題を「利用」したのに、軽く往なされてしまった。

日本の雑誌、特に写真週刊誌はシンガポールでは「御法度」となる「女性の露出」が多すぎ、途中で何ページも切り取られてしまっていて、そういう「文字情報」ぐらいしか読むところが無くなってしまう。だから、日本にいる時は「斜め読み」していた文章も「熟読」している自分に気づく。

「日本では医者のアドバイスがあれば使えるようになったから、その心配はないと思うけど...」
「でも、シンガポールでも入手できるの?」
「うーそうかー」

余りにも単純な「ミス」である。そんな薬ここで解禁になっているわけがない。

「それじゃ、ピルも手に入れられないの?」
「ピルは医者の処方箋があれば手に入れられると聞いたことがあるわ。」
「へー、日本じゃバイアグラのおかげでようやく解禁されるという話しだけど。」
「シンガポールは女性社会だから。中絶を禁止するならピルは解禁すべきよ。」
「ごもっとも。じゃあ大丈夫なんだ。」
「言っておきますけど、それとこれとは別の話しよ。」

小春に笑顔で睨まれている。ちょうどタイミングよく注文した料理の数々が運ばれてきた。どれも「精」が付きそうな料理である。

(次回へ続く)



3月14日

<だんごブーム>

「だんご3兄弟が日本で大ブーム」というNHKニュースを見ていると、横で子供が「これ知っている」と言いながら音楽に合わせて踊っている。何となくどこかで聞いたメロディーで、これなら「およげ、たいやきくん」以来の大ブレークも有り得ると妙に納得してしまう。

巷では、大人たちの間でも「うわさ」持ち切りで、「だんごう(談合)3兄弟」なんていう替え歌も登場して、瞬く間に広まっているから驚いてしまう。出所はせいぜい数箇所なのだろうが、インターネットの威力爆発。ちょっと「面白い」と思ったらすぐに複数の友人に「転送」されて行き、数日後にはシンガポール日本人社会でも「増殖」している。

自分が入手したものも「会社実名入り」でここにはとても掲載できないものばかり。でもちょっとだけお見せすると...

「談合3兄弟」

> 事前調整談合 だんごう
> ルール違反だ談合 だんごう
> しかしやりたい談合 だんごう
> 談合さんきょうだい

> こんかい指名 ○○○
> 次に指名は  △△△
> それどこじゃない ×××
> だんごうさんきょうだい

(中略)

> きょうは処分でひるね ひるね
> さんにんそろってひるね ひるね
> うっかりしてたら年度末
> あかくなりました

> けいきよくても談合 だんごう
> わるくなっても談合 だんごう
> 日本の伝統談合 だんごう
> だんごうさんきょうだい だんごう

以下略

(著作権はどなたか知りません...現代版「読み人知らず」??)


これも e-mail ならではの手軽さである。FAXや電話では難しいし、わざわざ手紙に書くほどのものでもない、という類の「情報」に最適なツールであることを示している。もちろん、特定会社の怪情報や人の噂話し、プライバシーが簡単に「やりとり」される危険も感じてしまうし、その「情報」に国境すらない。

それでも、こういう「チェーンメール」なら何となく許せる気がする。当事者には面白くないかも知れないが、どことなく暗い話題を「笑い飛ばそう」という雰囲気があるし、受け手も送り手も「個人の中傷」でない限り気分を害する可能性は低い。気分を変えて「日本を変える」のも良い方策では?



<ホーカー物語2〜タイ>(第十八話)

「えー、これ?でも丸いじゃん。」
「よく観てみなさい」

木漏れ日と言うにはちょっと日差しがきつすぎる感じがするシンガポールのお日様に、手の平に載せて差し出してみる。金色に輝くなかなか威厳のあるコインである。

「あっ、本当だ。内側のデザインが八角形になっている。」

裏返してみてもきれいな八角形に模られて4カ国語でシンガポールと銘打ってある。

「ほーコインか。なかなか妙案だね。これなら誰でも喜んで家庭に持ち込むね。だからシンガポール人はお金好きなのかな?」
「それはどうだか」

伊勢丹を過ぎて高島屋と道路を挟んで向かい側のビルに何となく入って行く。一階のCDショップからは先程カラオケで唄った曲のメロディーが聞こえてくる。結構先端の曲を我ながらよく知っているものだと関心しながらエスカレータに乗る。

「この上にある店のどこかに入ろうか」
「いいわよ。そうね、気分はタイって感じかな」
「よし、それなら決まりだね。でも、そのタイってどういう気分?」
「そりゃー神秘的でエキゾチックな感じよ。」

わかったようなわからないような。それでもお昼をだいぶ過ぎているとあって比較的空いている店の、水上テーブルに着席する。この店独特のレイアウトで、水が流れる人口水路の上に舞台のようなスペースを作って、そこに幾つかのテーブルが並べられている。

「小春はブラックペッパーとかガーリックとか好きなの?」
「普段グリーン・チリの辛みに慣れているから、どことなく新鮮な感じが好き。からしとかワサビも好きよ。」
「そういうの食べると精力つくなんて言わない?」
「ふふふ、ガーリックなんかは効果があるって聞いた事あるわよ。」
「それなら、バイアグラって知っている?」
「名前はどこかで見掛けた気もするけど」
「男性用の薬なんだよ。」

アメリカで大ブームとなり、日本にも飛び火していること。もとは別の目的で作られた薬の成分の一つで、男性機能回復にすばらしい効果があること。まだ副作用はよくわからないが日本では早くも医薬品として正式承認されたことなどを解説する。

「実は医薬界今世紀最大の発見と言われているんだよ。」
「そんなにその手の悩みを抱えた男性が多いの?」
「それはあまり表に出ないからよくわからないけど、女性が美しく有りたいのと同じで、男もベッドの上でいつまでも強く有りたいからね。」
「不思議だけど、何だかすごくよくわかるわ、その気持ち。」

昔から男の潜在需要が高い薬のトップは養毛剤、つまりハゲの薬と相場が決まっていた。「養毛剤」で一発当てれば大もうけできるという話しであったが、そんなことふっ飛ばすような状況らしい。開発に成功した米国のファイザー社は、濡れ手に粟であろう。

「それでは質問。バイアグラ(VIAGRA)の由来はなんでしょうか?」
「えー?バイアグラという名前に意味があるの?」
「そう、ファイザー製薬が商品化するにあたって考え出した名前なんだよ。さっきの風水の質問のお返し。」

(次回へ続く)



3月7日

<効用>

日本の場合お正月は「三箇日」で、ほとんどのビジネスは正常に戻る。長くても「初七日」のころにはお屠蘇気分もすっかり抜け落ちるものである。ところが、シンガポールの旧正月、いや「チャイニーズ・ニューイヤー」は15日間祝う。だから2月15日から始まった祝いの行事も、3月2日の15日目にようやく終わりを迎える。

最終日に何をするか、というと、家族が早く帰宅して揃って簡単なディナーを頂くらしい。一つ二つ伝統的な一品が入っているらしく、それを食べてようやく今年も無事に年を迎えたと実感するらしい。

「15日間も何をそんなに祝うのかよくわからない」とシンガポール人に言うと、とにかく初日から親戚周りで忙しいという返事が返ってきた。特に今年結婚した家庭や子供が産まれた家は大忙しで駆け回るらしい。

そう言えば、旧正月の朝8時前に2〜3回間違え電話で起こされた。シンガポール人にしては丁寧な口調で親戚らしき名前を口にしていた。遠い親戚に連絡を付けようと持ち主の変わった電話番号にダイヤルしてしまったのだろう。

シンガポールで間違い電話は日常茶飯事だし、違うとわかるとすかさず「がちゃ」と切る「マナー」にもすっかり慣れたが、考えてみれば深夜はともかく早朝の間違えは旧正月の時期しか経験していない。「ソーリー」と謝っていただけ「優秀」か。

いや待てよ。シンガポール人には「マナー」という言葉があるのか疑問に思っている日本人も多いと思う。でも、その「マナー」に変化が出てきたような気がする。

例えば、エレベーターを開けて待っていてあげても、「当たり前」という仏頂面で睨まれると「期待」していたら、小声で「THANKS」なんて言われてしまうことが増えてきた。こっちが驚いて顔を覗き込みそうになってしまう。この前も、電車で妊婦に席を譲ったらこれまた顔を見てお礼を言われてしまったし、極めつけは「新聞事件」。

コーヒー屋で、僕の席の隣に新聞が置いてあり、表紙だけちらちら観ていたら「これいいですか」とシンガポール人女性が立っている。ああ、声を掛けて持って行くだけでも「良識」がある人だと思っていたら、にこっと笑って「ありがとう」などと言い残して行くではないか。新鮮な驚きである。思わず椅子から転げ落ちそうになってしまった。

良く考えると、このごろシンガポール人の表情も「笑顔」が増えてきた気がするし、マナーらしきものも芽生えてきた気もする。自分がシンガポール人の表情に「慣れてきた」面も多分にあるだろうが、それだけではないような感じがする。なんとなく、ここにも「不景気の効用」が出てきたような。

日本人も、バブル期に比べて人々の表情が優しくなった、などと感じた時期があった。今は不況が長引き過ぎて「倦怠感・脱力感・喪失感」が全面に出てしまっているかもしれないが、どんな人でも、「お金に夢中になっている時期」には周りが気にならないもの。不景気になって「ふと気づく」ことも多い。

シンガポールの場合特に、皆少しでも高い給料を目指して転職を繰り返してきたものの、ここにきてピタリと職を変えなくなった。自分の会社でも、赴任当初は月に2〜3人出入りしていたが、去年は年間で一人づつ出入りしただけである。聞こえてくる話しも「解雇」のみ。自主退職しないシンガポール人たちは、初めて「職場の人間関係」に気を遣いはじめ、周りにも配慮する神経を持ちあわせてきたのかもしれない。

まあ、いいことである。この不景気も程々に終わってくれるなら、シンガポールに「いい節目」となりそうな気がする。さあ、新しい年が始まっている。ぼちぼち行きましょう。



<ホーカー物語2〜$1>(第十七話)

店のビルを一歩踏出すと、そこは燦燦と照り付ける太陽の街。今飲んだビールがすぐにでも体から汗となって蒸発して行きそうである。日陰を選びながら、小春と並んでオーチャードの歩道をゆっくり歩む。だれか知り合いに会っても不思議ではないが、隠れてこそこそ歩くより、意外に誰にも見られない気もしている。

「この通りに街路樹がないと、本当に熱いだろうね」
「そうよ、ここは Orchard なんだから。」

ニコッと片目をつぶる小春。

「まあね、オーチャード(果樹園)だから、樹が生い茂っていても不思議ではない。だけど、これだけの空間と緑があるからこんな気候でも生きて行ける気がするよ。」
「確かに。これもリー上級相の発案なのよ。」

小春の口からリー・クワンユー元シンガポール首相の名前が飛び出すとは思わなかった。しかし、それだけシンガポール国民に募られ、感謝され、引退後も求心力となっている証拠でもある。この国に彼が出現しなければ、300万人ばかりの小国がここまでの成長を遂げることは有り得なかった、と言い切っても構わない雰囲気がある。

「そう言えば、彼は風水が好きなんだって?」
「そう、こうやって街路樹を植林したりするのも、ある著名な風水師が彼にアドバイスしたそうよ。」
「どんな風に?」
「シンガポールの国土を上空から眺めると、昆虫が体を丸めて死んでいるような形だから、土色のまま放置しておくとこの国に発展はない。とにかく緑を増やすようにとね。」
「それで、街路樹のみならず、空き地にはすべて芝生が植えられているわけか。」

一見、熱帯地域なんだから街路樹が大きく育っていたり、空き地や埋め立て地に芝生が生い茂っていても何の不思議もない。でも、先日東京からの飛行機でマレーシア上空を通過した時に、それは大きな間違えだと気づかされた。ほんの少ししか地理的に離れていないマレーシアの国土はどこも赤茶けていて、濁流とすぐわかる川があるがままの姿でその間を抜けている。

その対岸のシンガポールは高層ビル群と、チャンギ国際空港近辺にあるイーストコースト・パークの緑が、沿岸で停泊しているたくさんの貨物船と、海岸の波しぶきにコントラスされてまばゆいばかり。ああ、シンガポールに帰ってきたと思う瞬間である。

「そうよ。それにもう一つ風水で面白い話しもあるのよ。」
「ほう。なかなか詳しいね」
「シンガポール人ならほとんどの人が知っているんだけど、リーさんがシンガポールの発展を願ってまた風水師に教えを乞うたのよ。そうしたらシンガポール人のすべての家庭に八角形の物を備えさせるようにって言われたなの。」
「干支の置物でも無料で配布したの?」

シンガポール人の特性として有料なら見向きもしないものでも「無料」と聞くと節操のない行動をする姿を思い浮かべる。

「そういう手もあるだろうけど、費用もかかるし、そのうち飽きて捨てられてしまうかもしれない。それに全家庭というのが難しいのよ。」
「そりゃそうだ。いくらリーの言う事でもあえてそれに反抗するやつもいるだろうし」
「そこで考え出されたのがこれ。」

小春はおもむろに財布を取り出して、一ドルコインを差し出す。

(次回へ続く)



2月28日

<エレベーター>

その日は朝からタイミングが悪かった。いつもとほとんど同じ時間に家を出たはずなのに、エレベータの前で5分以上待たされて、ようやく開いたドアもほとんど満員の状態。幸い小学生や幼稚園児が多かったので重量オーバーにならずに済んだが、次の階の人は乗り込めなかった。

それでも、そのエレベーターは「動いていた」から、特に問題ではなかった。

会社の入居するビルに着いてエレベーターホールに向かうと、その日は「タイミングよく」すぐにエレベーターに乗り込むことができた。

しかし、そのエレベーターは、途中で「止まってしまった」から、その悲劇が始まった。

50階建てのビルの45Fに会社は所在する。そのフロアーに停止する高速エレベーターは全32基のうちの4基のみ。そのうちいつもどれか1基は点検作業しているし、40〜50階の「奇数階」のみに制限しているものの、上下するのに数分はかかるから結構待たされるケースが多い。

でも、その日はたまたま早く出社したシンガポール人女性職員のおかげで、すぐにエレベーターに乗り込むことができた。もちろん、そのエレベーターから降りるのが30分近く経過してからになるとは、その時同乗した3名、その女性ともう一人の日本人男性職員と自分の中で、誰も知る由がなかった。

前兆はあった。45階から1階へ降りようと乗り込んだのに、1階近辺で突然勝手に「逆戻り」を始めて、降りることができたフロアーは47階であったという事件があった。その種の体験は、かなりの職員が「共有」している。ある職員は、他のフロアーから乗り込んだアメリカ人と思しき大柄の男性と「逆戻り体験」を共有し、「我々の体重が軽すぎるみたいだねー」などというありがたき「ジョーク」なるものを賜わったようである。

そして、エレベーター内「監禁」の恐怖も、実はその日の「前の週」に我々3人に先駆けて「体験」している職員が存在していた。彼は、その彼も数少ない日本人スタッフの一名なのだが、何と18名定員のエレベーターに大柄の欧米人を含む大人18名ジャストと同乗し、その密閉過密空間の中で40分を過ごしていた。

彼の話しでは「最初はジョークを連発して雰囲気を和ませていたあるドイツ人が、30分くらい経過したあたりから豹変し、ドアをどんどん叩いて雄たけびを上げだした」そうである。時間帯はお昼過ぎで昼食からオフィスへ戻る人がほとんど。トイレに行きたくなった人も多かったらしいし、食後の気だるい時間帯である。彼曰く「あの状況で40分が”理性の限界”と実感した」そうである。

その点我々3名の体験は、同機種18名乗りのエレベーターでの出来事であるから空間が豊富にあったし、エアコンも電気も切れなかったのも幸いした。しかし、問題は7:30という「早朝」であったこと。しかも旧正月明けの「月曜日」である。

「携帯電話ある?」との問いかけに、その中年過ぎのシンガポール人女性は、鞄からひょいと取り出して差し出してくれる。既にエレベーター停止して7〜8分経過しているし、非常ベルを散々鳴り響かせているのに誰も応答してくれないので、何とも頼もしい「ツール」登場である。

早速、先に到着している同僚がいたら警備員室に連絡してもらおうと、会社のデスクに電話してみる。結局その電話がつながったのと警備員がスピーカーから声を出したのがほとんど同じタイミングであったし、ビルの管理人が「気を利かせて」12階にたまたまあった[非常扉」から我々を救出してくれたので、「事件」は30分弱にて無事終了したのである。

警備員とインターコムで会話できたのが監禁10分後で、「今から業者に電話する」と言われた瞬間に、2〜3時間は覚悟して床に座り込んで新聞を読みはじめた。今迄のシンガポールでの経験から考えて、月曜の朝からエレベーター整備会社が営業しているはずがなく、しかも停止したのはいつもは「通過」するだけの「12階」近辺である。常識的に考えて通常の「乗降口」が設置されているわけもないし、結局何時に出社するかわからないシンガポール業者の到着を待つしかなさそうな状況であった。

我々を救出してくれた管理人は、親切にも我々を作業用エレベータに誘導して45階まで連れて行ってくれたのだが、その各駅停車のエレベーター内で彼は「エレベーター業者の到着は早くとも10時になりそうだったので、君たちを外にだしてあげたんだよ。実は45階へ通じるエレベーター4基とも同時に緊急停止してしまったんだ。」と解説してくれた。

その日は2月22日。Y2K(2000年問題)でマークされている日付ではないが、「各駅停車」内に同乗した他のエレベーターからの「救出組」の西洋人は「Y2Kの予行演習になるなー」などとのたまっている。同感である。今後こういうことが「頻発」する可能性が大である。

じゃあこういう事態にどう対処するか。Xdayにはエレベーターを利用しないのも手だが、45階まで歩いて往復するか?うーん、そこまでする元気はない。

万が一に備えて予め「トイレ」を済まし、「携帯電話」を握り締め、雑誌でも持ってエレベーターに乗り込むのが現実的である。もちろん定員ぎりぎりの搭乗は避けて...そうそう、ちょっと気の利いた英語のジョークを二つ三つ考えておいて、「監禁」されても楽しそうな若くて綺麗な女性と2人で.....とまで考えるのは、ちと行き過ぎか。



<ホーカー物語2〜個室>(第十六話)

アムロが紅白で2度歌った曲が流れてくる。カナやアルファベット交じりの曲が多いが、少ない「漢字」にもきちんと「ルビ」がふってある。小中学生でもカラオケに行く時代だし、変わった読み方をさせる歌詞も多いので「ふりがな」がふられていると思っていたが、そのまま「輸出」して海外でも外人が歌えるメリットを考えていたのかもしれない。

「うまいもんだね」
「ありがとう」
「どこで練習しているの?」
「一番多いのは、友達とカラオケボックスかな。ボスに誘われてカラオケ・バーに行く事もあるけど。」
「じゃあ、周りのシンガポリアンにもカラオケは一般的なんだ。」
「好きな人が多いわ。台湾とか香港の流行を追っている人もいる。」
「シンガポール人の歌手はいないの?」
「まーね、感じていると思うけど、そういう面はねー」

この人工都市からそういう文化が産まれるには、まだ時間がかかりそうな気がする。

歌が進むにつれ、昼間から飲んでいるビールの空缶の数も増えていく。気分はラウンジである。ラウンジと呼ばれるいわゆるバーの個室でこんな風に女の子とカラオケをデュエットなんかしたら、それだけで一時間一万円くらい。片言の日本語がしゃべれたりルックスやスタイルがよかったりと、それなりの「付加価値」のある女性ではあるが、日本のその手の店と比べてもちょっと高い。

そんな割高な「価格体系」を維持しているのが、他でもない自分たち日本人駐在員なのだが...さすがに海外赴任者たちの財布ににも及んだ今回の日本の不況で、どこのラウンジも客足が伸び悩んでいるらしい。

そういう自分も、赴任当初は物珍しさと「社会勉強」を兼ねていろいろな店に出入りした記憶がある。それも今はたまに来る東京からのお客さんや出張者とのお付き合いで行くぐらいになってしまった。久しぶりの感覚だし、今日のお相手は他でもない小春である。こんな女性が付いてくれるなら、毎晩直行しそうな自分が眼にみえる。

「ちょっとお腹空いてこない?」
「えー?」
「何さっきからボーっと聞いているのよ?」
「おー、悪い悪い、ちょっと酔いが廻ってきた。そうだねー、何かうまいもん食いに行くか」

(次回へ続く)



2月21日

<インド映画>

旧正月のこの時期になると、街角で働くインド人やマレー人がよく目に付くようになる。普段ももちろん彼らは働いているのだが「チャイニーズ・ニュー・イヤー」と呼ぶように中国人の為の正月期間に、勤労に励む中国系シンガポール人は皆無に等しい。だから少数派のインド人が台頭してくる。

彼らにとっては何の関係もないはずの旧正月も、ちょっとうれしい面があるらしい。普段よりぐっと閑散としている街角を見張っているだけで、「旧正月手当」で2〜3倍に賃金が跳ね上がるという。特に旧正月も変わらず営業しているマクドナルドやKFC(ケンタッキーフライドチキン)のようなファーストフード店やコールド・ストレッジというローカルのスーパーで、「正月相場」が顕著らしい。

インド人の職業は、体格がよければガードマンやインド料理の食堂経営、貧相ならば土木作業員と相場が決まっている。カーストによって職業も決められているのだろうが、身分が高そうだったり、金持ちそうな階層は傍目からみても違いがわかる。リッチなやつほど太っていて肌の色も相対的に白く、ほとんど裸足で汚い身なりのやつは、限りなく黒色に近く痩せていて眼だけがぎょろっとしている。

旧正月に、することなくごろっとケーブルテレビを点けると、ついついインド映画をいつも流しているチャンネル(SUNTV・CH29)にしてしまう。ここでもインド人とご体面、というわけである。インド映画に登場する人たちも、主役は皆体格がよくて上品な顔立ちをしている。映画のような娯楽を司るカーストもちゃんと存在するらしく、いつも似たような登場人物である。

インド映画の魅力は、なんといっても独特の明るいミュージックと、壮大なスケールの踊りである。数十億人もいるインドで「ヒット」する映画は限られているだろうし、どんな階層のどんな人にも楽しめる内容であることが大前提なのだろう。不思議と言葉が分からなくても表情や仕種でストーリーは追えるし、「踊り」の部分は「体」で楽しめる。

中国や北朝鮮の「踊り」と言えば「マスゲーム」を連想する。膨大な参加者が一糸乱れぬ集団演技を披露して「無個性の一体性」を強調する。それに対してアメリカの「踊り」はマイケル・ジャクソンのスリラーに代表されるような「ラインダンス」的なものや、ブレークダンス系などのいずれをとっても、「個性の中の一体性」にスポットを当てているように見受けられる。

しかし、インド映画の「踊り」はそのどちらにも属さない。あえて言えば、日本の伝統的な「踊り」と対極をなしている気がする。日本の「踊り」は、自分も正確に理解しているとは言えないが、日本舞踊や能を見る限り「無表情の動き」に「心の動きを見せる」という印象を受ける。熱い気持ちを表面には出さず観客に「推し量ってもらう」ことを旨にしていると思う。

その逆にインド映画は「心の動き」を「体全体の動きで表現する」。「踊り」であるから、リズムの一体性や動きの連動性はあるが、それより何より体全体から発散される「表情」が眩しいくらい躍動的に伝わってくる。観るものすべてを引き込み、体を揺さぶらせる魅力がある。

踊りの舞台も、畑だったり野原・山々を背景としたり、川や道路だったり、インドでは当たり前かもしれないが、我々日本人には「懐かしさ」を感じさせるような、手の加わっていない「大自然」である。そこで繰り広げられる「純真な踊り」に、忘れていた素朴な味わいと心にストレートにメッセージが伝わってくる。

このインド映画を何とか日本に持ち帰って皆に見せてあげたいと思うのだが、シンガポールは「PAL放送」なので、日本のビデオデッキでは再生できない。マルチビデオ2台使って編集してみたり8ミリビデオを使ってみたがどれもうまくいかない。シンガポールで買ったテレビとビデオを持って帰るという手もあるが、電源が220Vなので110Vから「増圧」するのは難しそうな気がするし、インド映画の為だけにこれだけの機材を準備するのもちょっとやりすぎである。

まあ、そんな小さなことはどうでもよい。世間は正月気分でのんびりしていることだし、うだうだ考えずにインド・ミュージックに身を任せて「シエスタ」した方がよさそうでる。窓から見える守衛室のインド人ガードマンも、気持ちよさそうにうたた寝しているではないか。



<ホーカー物語2〜南星>(第十五話)

数曲唄って笑顔で座席に戻ってくる小春。普通の友人や家族と出かけたなら、最初に歌っているやつが席に戻る頃に10曲はリクエストがインプットされていそうなものであるが、小春に見とれている自分に曲目を選ぶという発想は無かった。

「ヒロシはどういう曲が好きなの?」
「そうだな、昔はサザンとかユーミン、今ならグローブとかアムロとか...小春は知らないだろうけど」
「タイトル聞いてもよくわからないから、何か歌ってみてよ。」

それはごもっともである。喉慣らしにサザンのヒットソングを入れてみる。確か何曲か 中国語でもカバーされているはずである。

「あっ、このメロディー聞いた事ある。」

イントロが流れると、小春はすぐ反応した。マンダリンで口ずさみ始める。日本語と中国語で同じ曲をデュエットするのもなかなか面白いものである。マンダリンでどう訳されているのかわからないが、この曲のイメージはどうやら同じ気がする。

「この曲は10年くらい前に、日本でサザンオールスターズが作って唄っていたって知っている?」
「うん、ユウタが昔よく聞いていたから。」
「ユウタって、あのアメリカ留学時代の彼氏?」
「そう、少しでも日本語を覚えようと思って、私もテープを借りて聞いていたの。でもよくわからなかった。」
「ははは、そりゃそうだろう。サザンの歌詞は日本人でも聞き取りにくい発音をしているから、日本語の練習テープとしては上級すぎるよ。」
「そう、ユウタもそう言っていた。でも、彼の傍にいる気がしていつも自分の部屋でも流していたから、香港や台湾の歌手がカバーしたときにはすぐに気が付いて買って聞いてみたわ。」

道理で日本語しかテロップが流れていないのにマンダリンで唄えるはずである。中国語では「南方乃星」とか訳されて紹介されているのをMTVとかで見かけた事がある。

「結構日本の歌手も中国に進出しているんだよね」
「ねえ、コムロとかいう人の歌を何か知っている?」
「ほう、さっき言ったGLOBEとか安室とか、小室のプロデュースなんだよ」
「この前台湾でコンサートした時のライブビデオを観たの。すごくよかった。」
「僕も好きでよく聞くんだけど、ちょっと音が高くて唄いにくいんだ」
「私も歌うから、何か入れてみてよ」
「日本語のでも歌えるの?」
「こう見えてもひらがなぐらい読めるんだから」

そう、結構「ひらがな」が読めるシンガポール人が多いのにはびっくりさせられる。ちょうどアルファベットの感覚で覚えてしまっているので、読めるからといって意味を理解しているのとは違う。

(次回へ続く)



2月14日

<543>

543(ゴヨサン=ご予算)で日本からの往復航空券が手に入ります。

シンガポールに在住している日本人なら、新聞の折り込み広告や各種出版物の広告欄でよく見かける宣伝のキャッチコピーである。日本を代表する航空会社であるJALが、形振りかまわずにエアチケットの割引を行っている。

シンガポールドルで543ドルと言うと今の換算レートで37千円前後。この値段で日本からシンガポールを往復できてしまう。多分東京・沖縄間の国内航空運賃よりかなり安いはずである。ただ、「呼び寄せ便」と称して「日本発着」の航空券が対象になっているので、例えば我々が「シンガポール発着便」で日本を往復すると何と1100ドル弱(75千円前後)も請求される。

しかも日本の友人に聞くと、日本からのシンガポールツアーもかなり安く売り出されているみたいだが、航空券だけの価格でここまで割引かれてはいないみたいである。もちろん、他の航空会社や、マレーシアのKL、タイのバンコク、香港などを経由する便なら、もっと割安なものを見つけることができるらしい。

同じような「格安チケット」をシンガポールでも見つけることができるが、数も値段も限られている。なぜなら「シンガポール航空=SQ」が値下げをしないから。一番便利で評価も高く、しかも良い時間帯に飛ぶSQが値下げをしなければ、シンガポールに乗り入れる航空会社全体の価格体系に悪影響を及ばさない。

ちなみに、SQでシンガポールから日本を往復すると、1300ドル前後。いつでもJALより1〜2割高いイメージである。来月あたりからエコノミークラスに搭乗したらマイレージカウントされるみたいだが、今まで割引エコノミーはおろか、正規運賃のエコノミークラスでさえ「マイレージ」対象ではなかった。正に殿様商売である。

日本は、といえば、国際線に参入したANAやJASの影響もあってJALが「価格破壊」を起こしてから、安い航空運賃が当たり前になってきた。それだけ競争が厳しいのだろう。ではなぜシンガポールは高い価格を維持できるのか。それはなかなか難しい質問である。

「SQのサービスがいい」といっても、何も「特別」なサービスがあるわけでもない。「航空機材が新しい」といっても、新しさだけなら例えばタイ航空も新しい航空機を使っている。「事故率が低い」というのは真実。子会社のシルクエアーが昨年墜落した以外は開業以来無事故のはずである。日本往復の時間帯はJALと同じ。

結局「イメージ」の問題なのだろうか。まだSQには航空会社としての「華やかさ」がある。スチュワーデスの審査も「身長・体重・容姿」共にまだ厳しいらしいし、最初に支給された制服が着れなくなったら「クビ」というのも未だ変わらないという。SQが駄目なら「JALでも」受けてみるという、あるシンガポール人の娘さんの話しを聞くまでもなく、JALの「輝き」も日本の「低迷」とともに消え去った気がする。

昨年から「758=ナゴヤ=名古屋」と銘打って始めたJALの割引運賃サービス。今年の「543」から来年は更に割引されるなら消費者としてうれしい限りだが、JALの輝きとともに日本の「イメージ」だけは、来年の今ごろ「上り坂」を期待したいものである。



<ホーカー物語2〜KO>(第十四話)

昨年どこかのゴルフ場で落雷被害を受けたゴルファーが実は日本人駐在員とその人の行き付けの飲み屋のママだった、なんという新聞記事を読んだ事がある。

その人が家族持ちだったかとか、そのママとどういう関係だったかとか、そういった「ゴシップ」的な記載はなかったのだが、日本人同士どこかで何らかの関係がある。憶測を含めた「真相」が狭いシンガポール島内で駆け巡るのは時間の問題であった。

しかも、日本の「村社会」以上に質が悪いのは、日本人駐在員それぞれがその会社を代表して派遣されているので、ちょっとした「情報」でも東京で「シンガポール発」として扱われてしまうことである。これが想像以上に「影響力」を持つこともある。

まあ、そんなこと考え出したらきりがない。「関係」を疑われたら後ろめたいものがないこともない。何というか、それ以上でもそれ以下でもない「関係」である。小春は今や親しい「友人」の一人に加わっただけである。

ふと気が付けば、タクシーはオーチャードにあるカラオケ屋が入居するビルまでもうすぐのところまで来ている。小春が中国語でドライバーに指示してくれている。ご丁寧にビルの入口脇に横付けされて、タクシーを降りる。

ここは日系のカラオケ屋である。よく日本で言うスナックやバーの類の店先に「KO」と表示されている。これは「カラ・オケ」のイニシャルを並べたもの。シンガポールでこのKOは広く浸透しており、いわゆるカラオケBOXから女性がサービスしてくれる店まで幅広く利用されているのも同じ。

この店の場合、日本でいうビッグエコーなどBOX系の料金体系で、一部屋一時間当たり2千円といった水準。何人が何曲唄おうが構わない。飲み物や食べ物の持ち込みもごちゃごちゃ言われないし、カクンター付近で売られている飲み物やスナック類もそこらのスーパーで売られている価格。実に良心的な価格体系で、シンガポール人にも人気が高い。

小春はマンダリンと日本語、それから英語の曲名リストをオーダーしている。英語の曲はイマイチ古い気がするが、日本語は最新のものまで揃っている。まあ、最新のヒット曲にどんなものがあるのかよく知らないので、自分がつい最近耳にして「新しい」と感じた曲がそこにあれば、それで十分満足である。小春もマンダリンの曲目を満足げに眺めている。

促すと数曲を立て続けにインプットして、小春がマイクを握る。横で唄ってもらってもステージになっているところで立って唄ってもらっても、どちらでも自分にはうれしい状況である。黙っていると、イントロと共にステージへ向かって行く。こういう二人だけの空間で小春を正面から全身をとらえることなど、なかなかないチャンスである。

短めのスカートから伸びる綺麗な脚に眼を奪われながらも、唄いながら微笑んで手を振る小春に、思わず手を振り返してしまう。

「小春ちゃーん」

年甲斐もなく、黄色というより黒色の声援を送る。

「シェイシェイ(謝謝)」

軽く声援に応える仕種は、そこらの歌手より数段様になっている。シンガポールの芸能界なら、一夜にしてヒロインになれること間違いなしである。

(次回へ続く)







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