シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


5月2日

<映画祭>

今年も「The 12th Singapore International Film Festival」が4月16日から5月1日の日程で開催されている。各国の映画を、恋愛物からコメディー、アニメに至るまで4〜5つの映画館で毎日同時上映しており、合計100近い映画が楽しめる。映画が最大の娯楽と言われているシンガポールでも、これだけの種類の映画を観る事ができるのはこの期間だけとあって、どの映画もほとんど満席の状態らしい。

時期的にも、ちょうどアカデミー賞で3月〜4月にかけて盛り上がっていた映画も一段落し、7月〜8月にかけての「夏休み映画」や12月〜1月のクリスマス・正月映画までまだまだ間があるこの時期だから、これといった大作が普通の映画館で上映されていないこともかなり影響しており、むしろその時期を「狙っている」感じがする。

シンガポールに生活するようになってかなり映画を観るようになった。このごろは特に映画館の近所に引っ越したことも手伝って、週に1本は観ている。そう、当然この「国際映画祭」にも通い詰めている。

昨日の最終日までに観た映画を挙げると...

「IKINAI(生きない=たけし軍団ダンカン主演・自殺願望集団の泣き笑い)」
「THE DREAM LIFE OF ANGELS(パリを舞台にしたフランス映画=成人指定)」
「TOKYO LULLABY(東京夜曲=東京下町の恋愛物語)日本でも5月3日にTBSで放送予定」
「DR AKAGI(終戦間近の町医者「肝臓」先生の生き様)」
「LAST NIGHT(地球最後の日の人間模様を描いたアメリカ映画=成人指定)」
「AFTER LIFE(死後の世界をコミカルに描いた日本映画)」

といった具合。

夜の7時と9時に上映開始という時間設定もよく、電車で10分くらいの映画館へ仕事帰りにひょいと立ち寄ることができたのも幸いして、考えていた以上に観ることができた。ご覧の通りどうしても「趣向」は普段見れないもの、つまり日本映画と成人映画に足が向いてしまったが...。

ほーと唸らせる作品から完全な「駄作」までいろいろ楽しめたのはよかった。ただ、たまたま選んだ映画が偏っていたのかよくわからないが、どの映画もトーンが似通っていて、「淡々」と「丁寧」に完成度の高い映画を目指しているのである。言い換えれば、作品の細部や芸術性に拘りすぎて「乗りが悪い」のがちょっと意外であった。

今の不景気な時代が原因なのか、はたまた「世紀末」を意識しているのか、「映画祭」作品は必ずしも「商業ベース」を考えていない印象。各監督が腰を据えて、思うままの作品を目指している点はよかった。いづれにせよ普段映画館で出会う映画とは一味も二味も違って、映画の「奥行き」を感じることができた気がする。

それにしても毎度思うことであるが、映画が安い。今回のイベント(「催物」より通りがいいという調査結果が新聞に出ていたなー)中も一本 S$ 8.24(600円弱)の統一料金である。これでも普段の S$ 7.00より高めの設定である。日本でももう少し安くできないのか、いつも疑問に思ってしまう。

もうひとつ、いつもシンガポールで関心するのはインターネット利用の充実。今回の「映画祭」のチケット申し込みも、実はすべてインターネット上で行った。たまたま地場新聞で見かけたアドレスにアクセスすると、出品映画の「日程別」や「カテゴリー別」の案内が掲載されており、各映画の寸評まで載っている。気に入った映画をクリックして、住所・氏名・年齢・電話番号などを記入して、決済方法を選べばいいだけ。自分は「VISAカード」で購入した。

クレジットカード利用だと、セキュリティーがどうなっているか若干不安があるが、今迄同じようなパターンで10回以上「インターネット上チケット購入」を行ったが、一度もトラブルはない。シンガポール政府系のチケット販売ページ「SISTIC」のように、セキュリテーの為の特別なソフトウエアーをダウンロードさせられる場合もある。手間がかかるが安心なのは言うまでもない。

年齢・性別・国籍に関係なく楽しめる「映画」。映画祭の後も、「映画館通い」は生活の一部となりつつある。



<ホーカー物語2〜夜景>(第二十三話)

「あー、タイタニックかー」
「あと30分くらいで始まるみたいね。どうする?」

映画館の窓口までたどり着いたのはいいが、上映しているのはもうだいぶ以前に観たことがある映画である。ところが、我々の会話を聞いていた係員が「この大スクリーンなら、同じ映画でももう一度見る価値がある」と話し掛けてくる。

「空いているからあんなこと言っているんじゃないかな?」
「それならそれでいいじゃない。何回か観る価値がある映画だと思うし。」

やけに小春が積極的なのが変な気もするが、結局チケットを買って入ることにする。

「それでは、上映時間までこちらでおくつろぎ下さい。」

係員に導かれるまま足を踏み入れると、そこは高級な雰囲気のバーとなっている。外はもうすっかり日が落ちて、綺麗な夜景が浮かび上がっている。1ドリンクのサービスまであるらしい。

「いいじゃない。これだけでも入場料だけの価値があるわよ」
「うれしそうだね」
「なんか久しぶりにリラックスできている感じ」
「結構、夜景が綺麗だね」

夜景が「やけー」に綺麗だ、などという駄洒落が頭に浮んだが、英語で駄洒落るほど語彙力はない。そうか、よく「英語を話すと人格が変わる」なんていうけど、英語的思考・英語的言い回し以上に「語彙力」が影響するのかもしれない。

語彙に不自由しながら話せば、当然ある程度「真剣」に「相手を見て」話すことになる。余分なことや考えのまとまっていないことは話さない、いや、話せないから、日本語で話す時よりちょっとは「まともな」人格に見られるかもしれない。

小春が自分に抱く人間像と、妻や子供、古くからの友人が描いている「自分」は、似ているようで全く違うのかも。まあ、役割や立場によって違って当然かもしれないし、同じ必要はない。今日は、いや、小春と会う時は、どうだろう。自分はどう向き合っているのだろう。

多分、何の「背景」もない「男性」として、純粋な友情を育んでいるつもりなのだろう。

「はい、これ」
「えー?ああ、ありがとう。ソフトドリンクじゃなかったの?」
「バーテンが、特別にサービスするよって、カクテル作ってくれたの。」

小春の手元にはフルーツがグラスの縁にかかっているトロピカル風カクテルがある。自分に手渡されたのは、シンプルなジントニックである。

(次回へ続く)



4月25日

<KIMISAWA>

先週シンガポール「日本食素材」スーパーマーケットの老舗「KIMISAWA」が閉店した。日本に住んでいてその名前、その存在の大きさを知っている人は本当に少数であろうが、逆にシンガポール在住の日本人でその名前を聞いた事が無ければ「潜り」と思われてもおかしくない。

何がそれほどまでにシンガポール日本人社会に受け入れられていたか。理由は3つ。日本食の素材なら、値段は高いがほとんど何でもそろう事。それからオーチャード通りとスコッツ通りの交差点に面する「ISETAN(伊勢丹)」の地下一階という抜群の立地。そしてデリバリーサービス、つまり宅配サービスの充実である。

KIMISAWAで売られている物は本当に高かった。日本から「空輸」された卵は6個で500円くらいするし、大根が1本1000円、冷凍うなぎの蒲焼きが2匹で3000円といった「感覚」。平均して地元スーパーの2〜5倍、ウエットマーケットと呼ばれる地場の生鮮市場と比べれば10倍以上の値段がしているのだが、それでも商品の回転はいいみたいで週末など買い物カートに山盛り買って帰るお客が列を成していた。

もちろん大抵の人が5千〜3万円くらい一度に使って行く。「慣れ」とは恐ろしいもので、最初は一々値段に「驚愕」していたが、シンガポールドルを「円」に換算して考えなくなるころには平気で支払いを済ませるのである。それは「ここでしか買えない」「安全」「肉がおいしい」などなど人によって「動機」は違うだろうが、自分の場合はやはり「安全面」がきっかけだった。

かなり都市化が進み衛生面でも申し分ない水準に近づいているシンガポールと言えども、やっぱり「A型肝炎・B型肝炎」などは予防接種を勧められる。そして最初に注意されるのが「生卵を食べないこと」。なぜならこの国では生で卵を食べる習慣がないので、熱を加えれば死滅する「A型肝炎予防」に気を使っていないのである。

しかも、「半熟卵でA型肝炎にかかり死ぬ思いをした」という先人(日本人)の話しを聞くと、じゃあ子供だけでも「安全な卵」を食べさせようか、とか、予防接種が完了する半年間(6ヶ月に渡り3回摂取しなければいけない)は...となる。そして手を伸ばすのが「日本直輸入」の KIMISAWA 「高級卵」となるわけである。つまり、ローカル食では不安な内は足が向くし、ウエットマーケットで買い物するようになっても、どうしても手に入らない「納豆」とか「日本近海魚」は買いに来るのである。

それに、立地はともかく、KIMISAWAの宅配は抜群に充実していたのも他の日本食材スーパーを差別化していた。毎週2回の定期的な宅配は「無料」、少しのお金を出せば年中いつでも何でも宅配してもらえる。シンガポールで出産したり小さい子供を育てている人や、車を持たない人には欠かせないサービスだったのである。

では、なぜ「閉店」か?どうも噂によれば、契約満了時にISETANサイドから「追い出された」ようなのである。シンガポール伊勢丹に立ち寄る日本人の大半は KIMISAWA目当てであり、「ついで」に他の店にも寄って行く図式が気に入らなかった、というのが真相らしい。

何せ「ISETANカード利用金額」の実に70%が KIMISAWA の売り上げだったらしいし、来星以来「ISETANカードの高額利用者(消費者)」として「特別ギフト」まで頂いている我が家の支出をここ3ヶ月見直してみても、その噂通り7割以上 KIMISAWAなのである。別にデパートで高級品を買い漁っているわけでもないのに、なぜか ISETANだけ突出した支出だった理由が今更ながらわかった。「特別ギフト」も去年限りとなろう。

理由がどうであれ、「KIMISAWA閉店」ショックは日本人社会に激震となっており、極端な人は会社を辞めて日本へ引越しを決めた人までいる。そこまでいかなくても、他のスーパーを探索する必要に迫られ、苦労している日本人も多い。幸い「宅配」は大丸が引き継いでくれるらしく一安心であるが、どうしても品揃えなどで「今迄通り」とはいかないようである。

3月〜4月になって急に帰国が決まった日本人がすごく多いし、「後任が来ない」企業、支店から駐在員事務所へ規模縮小、そして「閉鎖」に至るまでシンガポール日本人社会の「縮小話」は沢山ある。おまけに昨年放送を開始したばかりの「JET-TV」まで、7月1日に配信終了すると発表する始末。NHKと並ぶ貴重な日本語放送の「片方」まで消えてしまう。これで日本食の一部はおろか日本の「トレンディードラマ」まで日常生活から失われてしまう。

それに追い討ちをかけた今回の KIMISAWA 撤退は、「不景気」の悲しい面を際立たせている。いや、今迄が恵まれすぎていたのかもしれない。外国とは思えない「初心者の外国」シンガポールが、「普通の外国」に戻りつつあるだけなのである。自分もそろそろ「乳離れ」してローカル生活と真っ直ぐ向き合う時が来たのかも...。「それでも地球は廻っている」のだから。



<ホーカー物語2〜毒薬>(第二十二話)

「楽しかった?」

映画が終わっても席を立とうとしない小春に問い掛ける。目は開いているが頭は「ロミオとジュリエット」になっている感じがする。その表情がういういしくて軽く唇を奪う。

「おー最愛のロミオよ、あなたが旅立つのなら私も後を追うわ」

毒薬を口に入れる真似をして、腕の中に顔を埋めてくる小春。いつもながら冷房が効き過ぎている映画館のせいか、ストーリーがそうさせたのか、館内が明るくなるとちょっと恥ずかしいくらい二人は「接近」している。

「最後の最後までこうしていようか」
「こんな姿を顔見知りにでも見られたら何言われるかわからないけどね」

ニタニタ笑顔で向き合いながら座っていて、係員に促されて劇場を後にする。

「このまま、ちょっとしたカクテルでも飲んで余韻を楽しめるといいのにね」
「そういう高級映画館ができたって聞いたけど...」
「ちょっとそこの係員に聞いてみようか」

小春が「情報収集」してくる。どうやらここのすぐ近くにあるらしい。値段は高いが広くゆったりしたシートは2人1組になっていて、劇場内でのドリンクサービスまであるらしい。

「なんだ、そんなのがあるのなら行ってみたかったね」
「映画のはしごというのも変だしね」
「私は構わないわよ」
「えー?そんなに映画が好きだったけ?」
「そうよ、それに暗いところで二人きりになれるのもうれしいしー...」

こちらの方こそ、うれしくなってくる言葉である。ついさっきと同じように、いやそれ以上に二人「密接」な関係になれる。夜は今始まったばかりである。

「そうだね、まだこんな時間だし、昼食が遅かったからまだお腹も空かない。」
「でも、ちょっと待ってね。買いたいものがあるの」

そう言い残して、その映画館へ向かう道すがらのショップに入って行く。婦人服や布を扱っている店のようである。外でさっきの寒い映画館で冷えた体を外気で暖めていると、程なく小春が小さい紙袋を抱えて店を出てくる。

買い物で男をほとんど待たせない女性、というのもいいものである。どうしてか小春のようなすばらしい女性ほど、そういう面でも「得点」を上げて行く。チャーミングな女性に男はみんなそれなりに好意的に接するし、それが素直に洗練され温かみのある女性を育んで行く。

目的の映画館は、これもまたショッピングセンターの最上階にある。エスカレーターで上へ向かうと、フードコート(食事コーナー)やゲームセンターもあり、どこも週末の家族連れで賑わっている。

(次回へ続く)



4月18日

<東京都知事選>

先週行われた都知事選挙。これだけ大物が顔をそろえると、どこの府県に住んでいても投票してみたくなるだろう。前回4年前の「青島知事」誕生の時には「一都民」として選挙権があったから、今回の動きは懐かしさも混じってかなり関心があった。

前回を思い起こすと、何と言っても争点は「都市博」の開催か中止か。他にも、お金がかからない選挙の青島対「既存政党相乗り」の石原(信夫)、知名度対決としての青島対磯村(元 NHK ニュースキャスター)などなど、4年前のことでも結構思い出せるものである。

磯村さんの駅前演説会には見に行った覚えがあるのだが、選挙で誰に投票したか記憶にない。ただ、あの石原さんには投票しなかったことだけは確かである。それが4年後の「この」石原さんには、是非とも投票したかった。まあ、当選したからいいのだが、今回は海外居住者にも「模擬投票」でもさせてみれば面白かったと思う。結果は同じだと思うけど...。

ここ数年、日本の政治家の「展望の欠如」「リーダーとしての資質の欠如」「国際社会での存在感欠如」が特に目に付いたし、日本の金融機関の凋落・信頼失墜と時を同じくして国民の間にも過度の自信喪失が見られた。その状況は海外に伝わってくる限定的な情報でも十分「肌に」感じたものである。今回、それに対する政治家の一つの「回答」であるし、選挙結果はその「回答」へ信任を与えたのである。

海外に住む者は、その国の政治力・経済力を含む「国力」に多かれ少なかれ「依存」しているものである。アメリカ人は「政治力・軍事力」で一目置かれているし「日本人」はやはり「経済力」が支えている。一見当たり前で新味のない理屈に見えるかもしれないが、国際社会では実はそれがほとんどすべてと言って過言でない。

日本人には「国力」があるが、それがない国民も世の中にはたくさん存在しており、「それなり」に「なおざり」にされている人々が沢山いるのである。日本人やアメリカ人がシンガポールで殺されたりしたら大騒ぎになるのは目に見えるが、バングラディシュやパキスタン労働者が死んでも新聞はおろか噂にすらならない。我々日本人が当たり前に利用するホテルやレストランも、そうやって利用できる人種の方がアジア人の中では少数派なのである。

それは汚いかっこしたバックパッカーでも同じこと。同じ姿身なりでも、パスポートの種類で入国できない場合も数多く存在する。日本のように世界中の津々浦々まで通用するパスポートは本当にありがたく、今迄日本人が積み上げてきた「国力」のおかげ以外の何者でもないのである。

でも、日本の大多数の政治家にはそれがわかっていなかったし、「国力」は邦銀の没落に象徴されるように「衰退」しつつあった。そんなことでいいのであろうか。日本はそんな程度の国なのだろうか。「金の切れ目が縁の切れ目」みたいな扱いをするやつらに、このまま馬鹿にされ見限られていいのだろうか。

ここシンガポールでもそうである。ここの政府は非常に「損得勘定」がしっかりしているから、このご時勢に新規投資をしてくれる日系メーカーには首相自ら挨拶に出向くのに、今迄お客さん扱いをしてきた邦銀には、今では呆れるほど冷たく、人を食った対応をしている。「金の成る木」しか相手にしないのである。

そう、国際関係など所詮国と国との「損得勘定」「エゴ」がどろどろ渦巻く世界である。メリットある相手は歓迎するしメリットなければ無視する。口うるさい相手には応対するが、おとなしいやつは適当にあしらう。シンガポールに限らず、どの国でもそんなことは「常識」であり、唯一日本人だけ気が付いていないのである。

そこで「石原さん」である。都政に日本の外交問題は直接関係ないことはわかっている。でも、外交権を持つ国会議員には「わかっていても発言できないこと」がたくさんあるのも事実である。ごく少数の人が国益に関わる問題の所在を理解してコントロールしている今の日本政府は、どこかおかしい。そのことに気が付いて、都知事に立候補したのが石原新都知事であり「東京から日本を変えよう」というスローガンに結びつく。

今迄の日本の「常識」では物事に白黒つけない。しかし、雇用にしても年金にしても教育・福祉に至るまで、もう国民に知らしめることなく問題を先送りにできる状況ではないのである。では誰がそれを説明するか。国会議員にはできそうもない。それなら国政に参加していなくて、でも政治的に影響力がある人物がよさそう。

そう、都知事が最も適任なのである。首都圏の有権者に直接投票で選ばれて自ら強力な行政権を握る人物が、率先して議論を巻き起こし、問題を指摘していけば、必ず議論は白熱するだろうし、いい方向性が生み出されてくる。少なくともそうなることが期待できる。「強いリーダーシップ」「はっきりYES・はっきりNO」「東京から日本を変えて行く」これらすべてのスローガンがストレートに突き刺さってくる感じがしてくる。

海外に住む者として、今回の石原氏の考え・方向性には大賛成であり、日本の「国力」を再び高めていく為にも、是非とも東京から変わってもらいたいものである。タカ派・父権派、それで結構。「YES」も「NO」も言えないものには国際社会で生き残っていく資格がないのだし、対外関係なくして日本は存続できない。しかも日本は既に体力(経済力=お金)にものを言わせるほど「若く」はないのである。

石原氏の「信任」は、自分の為・日本の為に日本人が変化するチャンスが到来した気がする。彼の「今後」に期待したい。



<BALUT>

ちょっとたまには息抜き。先日行ったSSCで覚えた簡単なサイコロ・ゲームをご紹介。

用意するものは、大き目のサイコロ5つにダイス用のカップ(サイコロを入れて振れるものなら何でもOK)、紙にボールペンがあればいい。人数は2〜4名ぐらいが手頃である。

紙にマトリックスを作って、縦の列の最上部には参加者各人の氏名、横の左角には上から「4、5、6、ST、FH、C、B、SUB、TOT」と記入。この各人9つの欄の「上7行」にサイコロの目の数を以下に述べるルールで記入していく。8行目のSUB(サブ・トータルの意味)には各人6回目までの成績(合計点数)を記入して、最後の点数を合計して9行目のTOT(トータル)の点数を競うゲームである。

まず、参加者一人一巡当たり3回サイコロを振る機会を与えられる。1回目は5個ともサイコロを振らなければいけないが、2・3回目は残して置きたいサイの目をキープして1〜4個で振ってもいいし、もちろん全部振り直しても、全く振らなくてもいい。これを7巡する間に、とにかく高得点をマークするように策略を練るゲームである。

「4、5、6、ST(ストレート)、FH(フルハウス)、C(チョイス)、B(BALUT=ゲーム名)」それぞれの欄に、一回ずつ得点を記入するのだが、例えばSTへはサイコロがストレート、つまり「1・2・3・4・5」の組合わせ(この場合15点)か、「2・3・4・5・6」の組合わせ(この場合20点)のどちらかになったときしか認められない。

同じようにFHも、トランプのポーカーと同じで、例えば「5・5・6・6・6」(28点)や「1・1・1・2・2」(7点)のように同じサイの目が2つと3つ出たときのみ記入できる。4〜6の数字の欄は、5つのサイコロの内それぞれのサイの目の数の点数だけ記入できる。例えば「1・4・4・4・5」という組み合わせなら「4の欄」へ記入するなら12点(4が3個あるから)、「5の欄」なら5点(5は1個)、「6の欄」なら0点(6はこの組み合わせの中にない)となる。

C(チョイス)はどんな組み合わせでもその合計点数が記入できる欄で、さっきの例なら18点とできる。最後のBは、5つとも同じサイの目が出た時のみ記入できる欄で、「1・1・1・1・1」であっても「6・6・6・6・6」であっても一律30点が与えられる。面白いのは、もう既に「Bの欄」を使ってしまっていて、この点数を例えば「Cの欄」に記入したら、「1・1・1・1・1」は単純に6点となってしまう。

こうやって見ると、必ずしもすべての欄が記入できるわけではなく、むしろ埋まるケースの方が珍しい。だから、どの欄を諦めて「キャンセル」(つまり放棄)していくかも重要な要素となってくる。確率から考えれば「B」が最も難しく「C」はいつでも埋まるはずである。

例えば3回トライしたが「1・2・4・5・6」のようなST崩れになってしまった時にはST、FT、B以外のどの欄にも一応記入できるのだが、6点のみで「6の欄」を埋めてしまうことをもったいないと思うかどうかも、相手や何巡めかという状況しだいで変わってくる。「Cの欄」を使うにしても、最低6点から最高30点まで記入できる可能性を今回の18点で使ってしまうと、理論上の期待値(一回振るだけでも18点のはず)以上ではないから後々勝敗を分ける要因になってしまう可能性が高い。

この場合、確率の低い「Bの欄」や「STの欄」に「ー(横棒線)」を引いて一回「キャンセル(放棄)」してしまうのも手である。次回以降の巡で高得点を狙えるからである。こうやって7つの欄に得点か「ー(横棒線)」を記入していき、最高183点から最低0点の間で高得点を競う。

ちょっと最初はピンとこないかもしれないが、実際サイコロを用意して手を動かしてみると急速に理解が深まると思う。酒場のカウンターで手頃にできるし、酔いが頭に廻っても熱中して楽しめる。お試しあれ。



4月11日

<CLUB MED>

久しぶりに旅行の話題。「CLUB MED(日本名「地中海クラブ」)」。ツアー関連のパンフレットを覗いたことがある人なら、一度は目にしたことがあると思う。自分の第一印象も「何かのパッケージなんだろうけど、日本からだとちょっと、いや結構高いし、「会員制」なんて書いてある。やめとくかー。」というもの。

そう思いつつも、ちょっと気になるツアー。パンフレットをもらってきてもう少しじっくり「研究」してみる。そうか、値段が高いのは食事代がすべて含まれているからか。ソフトドリンクやビール、ワインまでも飲み放題。すべてのスポーツ施設やアトラクションに無料で参加できる、ともあるぞ。おや、託児施設も充実しているのか。一度体験してみるのも悪くないなー。

そんなこんな考えている内に、先週の3連休(2日の金曜日が Good Fridayでシンガポールの数少ない休日)を利用して、シンガポールから最も近いリゾート・アイランド、インドネシア領「ビンタン島」にある、Club Med Ria Bintan へ行く事となったのである。

普通にビンタン島内のホテルを利用するより当然高いが、もともと「日帰りリゾート圏内」だけあって交通費(片道45分のフェリー代)があまりかからないので、ミスチョイスでも後悔しないだろうし、一度はビンタン島に足を踏み入れてみたいとの軽い気持ちで出発。幸い天気にも恵まれてほぼ快晴の3日間を過ごしてきた。

詳しい旅行記は「ビンタン島」を読んでもらうとして、ここではClub Med の特徴を取り上げてみたい。

まず一つに、ホテル内の清算が「デポジット・カード」と呼ばれるカード(名刺大)とサイン一つで済むことと、「バービズ」と呼ばれる「バー」で使える色付きの「ビーズ」でドリンク類の清算をすることが上げられる。「最後に一括清算」のシステム自体はそれほど珍しくないが、カードに日付と金額を記入していってくれるので、どれだけお金を使ったか一目瞭然になるのがいい。「バービズ」の方はユニークな「通貨制度」である。

各食事時のビールとワインは飲み放題だが、その合間の時間にバーでビールやソフトドリンクを飲んだり、カクテルを飲むには別料金が必要。でも飲んでいる席でいちいちサインするのはまどろっこしいし、ホテル内で財布を持ち運ぶのもめんどくさい。

そこでこの「バービズ」。オレンジ・黄色・白色のビーズが一個50円〜100円相当の「硬貨」の代わりになっている。フロントで必要なだけ購入して、「わっか」にして腕や首にぶら下げて持ち運べるし、ポケットに入れておいても気にならない。もちろん水に濡らしても全く問題ないので、そのままプールへも入れる。なかなかのアイデアである。

もうひとつユニークなのは、スタッフがお客と同じ食堂で食事すること。もちろんG.O.と呼ばれる接客・イベントスタッフのみだが、できるだけ同じ国籍の人を選んで声を掛け、いろいろ教えてくれたり雑談の相手をしてくれる。食事中赤ちゃんや子供の世話をしてくれることもある。そういう「サービス」には好みもあるだろうが、気さくな雰囲気だし家族連れも多いので全く違和感のない光景である。

何より外国で母国語の会話をしてくれるスタッフの存在はそれだけで心強いもの。スタッフ皆それぞれの名札に国旗が張ってあり、会話できる言葉が英語の他に1〜3カ国語ある。ちなみにビンタン島の Club MED だけで日本人スタッフは6名いるし、日本語を喋れるスタッフはその2倍はいると思う。

もちろんそれだけ日本人観光客も多いらしい。滞在中一番多く見かけたのは西洋人(フランスやドイツ、アメリカ)で、その次ぎあたりに日本人や韓国・中国人(シンガポール人を含む)。インドネシア人・マレーシア人、インド人は従業員以外ほとんど見かけることはなかった。

そして、忘れてならないのは「託児施設」の充実である。2〜3歳児用の「PETIT CLUB」、4〜7歳用の「MINI CULB」、そして8〜15歳までの「KID CLUB」と別れていて、それぞれの程度や体力に合わせて朝9時〜夜9時半まで預かってくれる。しかも手間のかかる「PETIT CLUB」(一日 3000円程度の別料金)以外すべて無料。食事の世話を含めすべてやってくれる。親は好きな時間に預け、好きな時間にピックアップできる。

多分子供を持つ親には、これが「食事」「イベント」以上の魅力となるかもしれない。夫婦でスポーツに熱中したり旅先で食事する機会など本当に限られているもの。かといって子供を親や他人に預けたりするのも気が引けたり心配だったりする。結局子供が小学校の高学年くらいになるまでは「いつでも」親が面倒みることになる。

それが、無料で専門スタッフに任せることができ、しかも心配ならいつでも様子を見に行くことができる。食事もカフェテリアで子供に自由に選ばせ食べさせてくれる。「PETIT CLUB(2〜3歳用)」では予めアレルギーとかをアンケートしてくれて、本人が意思表示できなくても安全に配慮までしてくれる。

その間、自分たち夫婦の場合「マッサージ」に行ってこれた。それぞれ別コースで2時間ほど、洗顔やスキンケア、マッサージと充実のひととき。これらはさすがに料金は別であるが、シンガポール市内と大差ない金額で、内容も悪くない。ほとんど個室だが、フットマッサージの時だけ大部屋。そこからの海を見下ろす景色はすばらしい。

すべての施設に共通しているが、従業員の接客マナーはほぼ完璧なレベルである。日本人スタッフに聞くと、同じ Club Med でも場所によってマナー水準に多少のばらつきがあり、ここは非常に厳しく現地人を教育したので良い方だという。また、ビンタンはファミリータイプだが、大人だけの為の18歳未満禁止の場所もあるらしい。

客層を観ていると、大きく3つのタイプに別れる。まずは小さい子供を抱える「家族連れタイプ」。同じ期間を過ごした600名のうち200名は親に連れられた子供であることからもよくわかる。もちろん「託児施設」目的組と言える。

スポーツやイベントを楽しみに来ている人も多い。無料でテニスコートやスカッシュもできるし、レッスンも受けられる。POWER WALK (競歩)や水中エアロビも毎日ある。「スポーツ施設」目的組とでも呼ぼうか。

そして意外に目に付いたのが体のサイズが大きな「大食漢タイプ」。もちろん目的は「飲み放題・食い放題」。オーストラリアから来たと思われる年配女性のほとんどが非常に肉付きよく、ものすごく食べていた。食事の間の「おやつ」もスタッフにビニール袋をもらって毎回詰め込んでいる始末。「フリーフード」目的組である。

自分は、というと、実はすべての「目的組」にマッチしているのである。しかもなかなかの水準で満足させてくれた気がする。独身成人や高齢者には好き嫌いがはっきり別れると思うが、ファミリーには満足感を得る人が多数だと思う。帰りのフェリーの手続やスタッフ総出の見送りを含め、すべてに抜かりなく高度なサービスを提供してくれる。

自分は、もう一度どこかの Club Med に行くと思う。旅先で初めて一日中「託児施設」に預けられた娘たちも、もう一度行きたがっていることだし...。



<ホーカー物語2〜RA>(第二十一話)

「あそこね」

そう小春が指さして歩き始めた途端に、場内は暗くなり始めた。プレビューが終わり「シェークスピア in Love」 がちょうど上映開始するというタイミングである。目を凝らしながら自分たちの指定席に辿り着く。

「こうやって座るとスクリーンて大きいんだね」
「首が痛くなりそう。」
「こうすればいいんじゃない?」

椅子に深く腰掛けて、小春の首に腕を回す。二人寝そべる感覚で星空を眺めるように巨大なスクリーンを見上げる。一番前に座るものだけが許される特権である。

英語の映画。いつものように、日本語ではなく中国語の「字幕スクリーン」がついている。自分には関係ない。内容がわかるかどうかより、二人の時間空間を楽しむことができるかどうか、その方が大切である。

「綺麗な映像ね」

小春が耳打ちする、というより耳に息を吹きかけてくる。くすぐったさと恋人気分の高まりに思わず小春の目を見詰めてしまう。微笑み合う目と目。「綺麗な映像」が小春の魅力的で大きな瞳に写って見える。

「彼女の胸より君のバストの方が魅力的だよ」

横目でちらっとだけこちらを向いて「何いっているの」という表情を見せる。RA(21歳未満禁止)の映画らしく、シェークスピアと彼が恋に落ちた相手との「からみ」が映し出されている。

こういうシーンがある映画をあえて女性と見るのも面白いものである。日本女性なら少なからず「はにかみ」の表情を浮かべるだろうし、アメリカ娘なら冷やかしの表情が目に浮ぶ。ヨーロッパ人ならクールに当たり前と受け流しそう。小春はどうか、というと、酔いのせいかヒロインに自己陶酔している感がある。

(次回へ続く)



4月4日

<二周年>

「周年記念」は当事者以外覚えていないもの。結婚記念日や子供の誕生日など、「当事者」のはずなのに記憶があやふやなものもある。自覚が足らないのか覚えていてもプレゼントを請求されるのが関の山で「得することがない」ことも、記憶を遠ざける遠因になっている気もする。

「今日は何の日だ?」と聞かれてさすがに気が付くものの、毎日眺めているはずのカレンダーの日付からは、何もピンと来るものがない。結局当日「おいしいものでも食べに行くか!」と誤魔化す。そういう世間の男性諸君も多い事と思う。

それでも「自分が産んだ」子供となると、不思議なもので気が付くのである。そう、先週はこのホームページを開設して丸っと2年経った週である。

昨年の「一周年」から変化したこと。まず、アップデートしている自宅が変わった。机やその周りにあるものはコンピュータを含めてそれほど変わらないが、部屋の窓から見える風景が少し違う分、「滞在日誌」を書く時の心境にも多少影響しているかもしれない。

道具のコンピュータは「iMAC」とやらを購入しようかとさんざん迷ったが、やっぱり 「どうして?」と言われるといつも考えてしまう。

電源は日本でもシンガポールでも問題無く使えるというが、日本から持ってきたこの「DESK POWER」にも今のところ何の不便もない。処理速度が速い?速くてどうするの?「ペンティアム120」でも文章を考える速度より十分速い。メモリーも4Gまで増強してあるから一杯になるのに後数年はかかる。インターネットらくらく接続?今使っているよ。

こんな自問自答を繰り返しているうちに、どうでもよくなってくる。パソコンを公私両方でよく使う分、利用されずに角に置かれる運命が見えているこのPCが可哀相に思える。

それでも「物」は着実に自分の周りで増殖している。正確に言うと「家族の物」がこつこつと増えて行く。自分は背広を含めてこちらに来てから買ったものはほとんどない。その必要もない、という感じ。

時間の余裕は日本より確実に増えた。映画、テニス、ゴルフ、卓球、旅行、飲み会、ドライブ、ショッピングなんでも御座れ。海外にいる間だけ「マイホーム・パパ」になる人も多いと聞くが、「外気」に触れると少なくとも自分の中で「家族」の位置づけと価値を見直しやすい気がする。自分のアイデンティティーをいつも意識させられるせいかもしれない。

もう少し「知性」とか目にみえる「資格」とか増えていたら充実した気分になるだろうが、そちらの方はすっかり「お留守」。一層のこと JAPANESE in 南国 がどこまで「脳みそ」を柔らかくできるか、そっちの方が魅力的である。何?ボケ防止の方が問題だって?そうかも知れない(素直)。

まあ、そんなこんな思い浮かべながらやっていきます。今後ともよろしゅう、お頼み申しあげやす。(京都にも行きたいなー??)



<SSC>

狭いシンガポールでも、未体験ゾーンは未だ存在するもの。それも職場から歩ける距離で都心のど真ん中なのにいつも車で通り過ぎてしまう場所。広い芝生の上でソフトボールやラグビーを楽しむ風景をよく見かけるのだが、どういう集まりなのかよくわからない。それが今回初めて行ってきた「THE SINGAPORE CRICKET CLUB(SSC)」。

19世紀前半に設立というから、シンガポールの歴史より長く「紳士淑女の社交界」会場としての性格を持つ。英国の仕来たりで施設の一部は現在も女人禁制の「MENS BAR」が存在する。その証拠にそのエリアでトイレと言えば男性用で、男女の区別などありもしない。

クリケットクラブは、シンガポール国会議事堂・最高裁判所・セントアンドリュース教会に戦争記念公園とシンガポール川の河口近くの海に面している。そこに広大、といってもラグビー場が二つとれるぐらいの芝生スペースがあり、その角に正にクラブハウスとしてクリケットクラブのイギリス伝統的な建物が広がっている。

こんな贅沢な空間がここに残されていること自体奇跡的と思うが、実はもう少し経つと大々的な改修工事が始まるらしい。しかもここは「会員制」で、メンバーシップはこの不景気でも300万円ぐらいで取引きされているという話。今回たまたまご縁で知り合いになったシンガポール人メンバーに連れて行ってもらい、シンガポールの「古くよき歴史」にこの状態で触れることができたのはラッキーであった。

この施設はメンバーとその同伴のみ利用でき、入口で金券を購入するシステム。メンバーのサインかその金券で支払いをするのだが、メンバー価格なのでとにかく安い。財布を全く気にせずに遊びに興ずることができる環境も「クラブ」の大切な要素かもしれない。

中はバーとレストラン、そして運動施設を含む遊技場から成り、ごく一部しか見る事ができなかったが落ち着いた色調のリラックスできる空間である。西洋人とシンガポール人が半々というイメージで、一人で来てくつろいでいる人もよく見掛ける。気の合ったやつに声をかけてもいいし、一人でボーっと過ごしても誰も気に留めない雰囲気がある。

他のクラブ会員とプライベートな関係でいろいろなゲームに興じることができるみたいで、パンフレットのメニューをみても、

Bulut, Billards & Snooker, Cricket, Darts, Golf, Men's Hockey, Ladies Hockey, Lawn Bowls, Netball, Rugby, Soccer, Squash, Tennis, Jackpot Room, Gymnaslim...

などなど、ありとあらゆる競技や遊びが毎日のように催されている。しかも朝から夜遅くまでスケジュールされており、アフター5の会社員から老後を楽しむ会員まで自由に参加できるように工夫されている。

そうか、これが「クラブ」なのか。自由に参加して自由に解散。いつでも自分を歓迎してくれる場所があり、ゲームを通じて仲間と触れ合い語り合う。これなら週に何回も足を向けたくなる気持ちが十分わかる。「男の居場所」が存在する、という感じ。今の日本人サラリーマンには失われつつある「パラダイス空間」に思えてくる。



3月28日

<日本脳炎>

「JAPANESE ...マレーシアで20人以上が死亡...」とアナウンスするローカル・ニュースを断片的に聞いて、日本が何か悪い事したのだろうかと驚いてしまった。よく見ればシンガポール地場新聞「ストレートタイムス」の一面にも「JAPANESE ENCEPHALITIS...」とある。

「ENCEPHALITIS」???見慣れない単語である。日常難しい英単語を使う職場ではないので、普段ほとんど使う事が無くなった「コンサイス英和辞典」を引き出しから取り出して引いてみる。「Japanese encephalitis ...日本脳炎」。懐かしい言葉である。小学校に入る前後に予防接種の名前で聞いた記憶がある。自分の子供にも接種させたっけ。

当たり前といえばそれまでだが、日本脳炎は「Nihon-Nouen」ではなく「Japanese...」なのである。どういう経緯でこの名前が付いたのか知らないが、何となく日本や日本人が「病源」みたいで気持ち良いものではない。でも、インフルエンザなど「香港A型」などと名前を付けているのだから、そう珍しいことでもないのかも知れない。

この「日本脳炎」、今マレーシア産の豚に流行しており、ある種の蚊を媒体として人間に感染が広がっているらしい。養豚業者や豚の解体業者作業員が多数命を落しており、その豚の最大の輸入国であるシンガポールでも大騒ぎになっている。

しかも間の悪い事にシンガポール衛生局が騒動を静めようと「安全宣言」をした当日に、シンガポールへ輸出する豚を解体していた作業員が日本脳炎で死亡してしまった。シンガポール政府も慌てて安全を確認するまでマレーシアからの輸入を禁止する措置を取ったのである。

まあ、そういう事に敏感な人種であるシンガポール人には、1〜2日で豚肉を買うものはほとんどいなくなり、レストランも豚肉料理をメニューから外す始末。豚肉の煮込み料理である「バクテー」も売り上げが激減し、豚肉を売り物にして看板にも掲げていたホーカー(屋台)のポリッジ(おかゆ)屋も、「魚生(さかな)」という字を書いた画用紙を「豚肉」の上に貼り付けたりしている。

でも良く考えれば「蚊」を媒体しているのだから、豚肉自体はちゃんと調理していれば問題なさそうなのだが、実は他の「雑菌」も同時に問題になっているらしく、安全なオーストラリア産豚肉が空輸されるまで、しばらく豚肉は口にできなくなっている。おかげで鶏肉の売り上げが急激に伸びており、値上がりも始まっている。

当のマレーシア養豚業者も、政府の援助のもと日本脳炎の予防接種を「人体・豚」両方で行っており、感染が広がることを防止することに躍起である。ただ何とも皮肉なのは、マレーシア人のほとんどがモスリム(イスラム教徒)であり宗教上豚肉は口にしないし、豚にも触りたがらない。つまり、マレーシアの養豚業者はほとんど中国系であり、シンガポールのような大消費地に豚肉を供給することで生計を立てているのである。

それにしても、世の中「安全な食料品」というのが減ってきてしまった。日本に「O-157」渦が襲ったのは記憶に新しいし、その時のやり玉は「かいわれ大根」。ああ、当時あの管厚生大臣が山盛りの「かいわれ」を食べて見せて反響を呼んだものである。あれから間も無いのに今度はダイオキシン問題で小渕総理が「所沢産ほうれん草」のおひたしを口にさせられている。

ちょっと思い起こせば、去年フルー(インフルエンザの一種)渦で香港や中国の鶏肉が大打撃を受けた。その前は「狂牛病」でイギリス産のビーフが壊滅的な被害を被ったものである。もっと遡れば魚から「水俣病」まで行き着いてしまうが、ちょっとそこまでは行き過ぎか。

肉・魚・野菜、どれをとっても安心して食べれる時代ではなくなってしまった。いや、それだけ動植物を「食料」としてしか考えなくなってしまったことへの警笛かも知れない。人間に綺麗な水や空気が必要なように、機械的に大量生産される「食料」たちのことももう少し考えてやらないと、彼らの「生命力」もしだいに弱まって「病源菌」に太刀打ちできなくなってしまう。

生産者の努力で安くておいしい食料を手にしている、一消費者でしかない自分にできることは...よくわからないけど、昔から言われているように「感謝して食べて残さない」ことぐらいかな。「ゴミにしない食料」つまり「残飯」が少しでも減ればそれだけ食料の消費は少なくて済むし、多少値が張っても「質の高い」ものを必要なだけ購入するようになる。その結果手間はかかる、つまり自然に近い状態の質の良い「食料」を供給することも可能になるはずである。

「残さず食べる」習慣でちょっとお腹のあたりが大きくなりすぎた人は...食べる量を減らせばいいんだ!!...なんだ自分のことか...。



<ホーカー物語2〜生活>(第二十話)

小春とはあの夜の一度だけ。それも遠い過去の出来事に思える。それが社会的にいいことかどうかはわからない。でも二人の関係には「自然」であり「プラス」であったと今では言える。お互い話題を気にしたり、肩肘はらずに会話できるようになったし、警戒心もない。お互いの「素顔」を楽しめる関係など、世の中それほど多く存在しない気がする。

二人だけの食事。タイのエキゾチックさを噛み締め、咀嚼し、味わう。一人だけでは決して味わう事が出来ない、心のスパイスとでも呼べるアクセントが加わることで、その時その場所でしか味わえないテイストとなる。そう、そういうものが「生きて行く」ことの付加価値であり、「生存」と「生活」の違いなのだろう。

どちらの「スパイス」が効いているのか、小春がビールをよく口にしている。うっすら上気した表情が、いつもながらセクシーで可愛い。彼女の正面に俺みたいな男が座っていなければ、奥手なシンガポール人といえども、声を掛けずにはいられなくなると思う。そういえば大した用もないのにウエイターが頻繁にご機嫌を伺いに来ている。小春に笑顔で「NO THANKS」と言われるだけでも嬉しそうだ。

遅めの昼食を終えると、店は一旦休憩時間に入るようである。改めて周りを見渡すと、一部の従業員が残っているだけで、すべてのウエイトレスは消えていた。本当ならとっくに切り上げさせられていたのだろうが、どうやら一部の男性従業員の「好意」でゆっくり食事できたみたいだ。

5時から6時くらいといえば、日本なら夕暮れ時を想像する。冬ならとっぷり日が暮れており、夏ならまだ明るい。日の長さとともに季節の移り変わりを実感する時間帯である。そこらの「感性」も今ではすっかり失われつつ、いや忘れつつある。この時間ならまだ外は明るい、ただそれだけ。

「お腹いっぱい。ねえ、どこかで休みましょ。」
「体も火照っているし、少し涼めるところがいいね。」
「そうだ、映画みましょ。」
「いいね。何かお勧めあるの?」
「よくわからないけど、待たされるのは嫌よ。」
「よし、今から映画館に行ってすぐに上映がはじまるものにしようか」
「賛成!」

日本と違い、シンガポールで「映画館」は極身近な娯楽である。日本の「レンタルビデオ」の感覚で映画館に足を運ぶ。値段も大差ないのが最大の理由だろうし、お客さんの回転率がいいから映画の回転率もいいという「好循環」がある。

「あっ、シェークスピア in Love が上映中よ」
「よし、それでいこう」

さすがに休日の夕方である。映画館の切符売場で座席売約状況を示したスクリーンには、青色で塗りつぶされた座席がほとんど。真ん中から後ろの方の中央部分に密集しているが、一番前の中央はぽっかり2つ白色で空いている。迷わずそこに決める。映画はもう予告編を流しはじめているはずである。

(次回へ続く)











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