シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


1月2日

<Happy New Millennium>

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

この年明けは、いろいろな意味で印象深いものがあった。20世紀最後の年を迎えるというより、明らかに「millennium(千年紀)」が移り変わるという「節目」。「Y2K」という呼び方がすっかり定着した「コンピューター2000年問題」の正に「X DAY」。ここまでは一般的。

自分個人の話では、シンガポールで丸3年を過ごし、2000年を日本以外の土地で迎えたこと。そしてこの後皆様にきちんとご報告するが、もうすぐこの地を離れ日本以外の新たな土地でまた一から生活を始める予定であること。しかもしばらくの間、初めての単身赴任を経験する予定であること、などなど。

「Y2K」には本当に振り回された。まだまだ予断を許さないが、この一瞬の為に今までどれだけの対策やコンピュータチェックに時間を割き、「危機管理マニュアル」や「ZERO DAY ストラテジー」のようなペーパーワークをさせられたことか。おまけに年末年始も早朝から会社に出向いて点検するなど、ほとんど御屠蘇気分もないままに新年を迎えてしまった。

まあ、「暑い正月」はもう慣れっこになっているし、寒くもなく初詣もない正月に日本的な「ありがたみ」を感じることには少々無理がある。でも、そうは言うもののせっかく家族そろって迎える新年、しかも家族揃っての食事もあと数えるぐらいなのだから、もうすこしゆっくりしたかった。

そういう気持ち、環境で新年を迎えた方も多数いただろうが、その一方で例年以上に街中や友達の家などで盛大に新千年紀を祝った方も多いだろう。シンガポールでもオーチャード通りを通行止めにして、新年をはさんで24時間いろいろなイベントが開催された模様である。

そう、自分は夕方まで仕事をして帰ってきて、テレビでその様子を見ただけだからその実感はないが、300万人強の人口で60万人近くが一箇所に集結したのであるから、すごい人手であったことは間違えない。ただ、イベント自体は見るに値するものは何もなく、カウントダウンに現首相のゴー夫婦を迎えてボタンを押させただけのことであった。

それでも普段この手のイベントがほとんど行われない土地柄のせいか、テレビ画面に映し出されるシンガポール人の若者たちは、眼を輝かせながら地元の芸能人が繰り出す歌や踊りを見つめていたのが印象的。これだけ小さな都市国家ながら、これだけの観光客や地元住民を集めてイベントができるだけ立派である。

この国は「Y2K問題」に対して絶対の自信をもってきたし、そうしなければこの国の存在意義が問われるのでどの国よりも真剣かつ綿密に対策を打ってきた。これだけやれば何もないだろうと思っていたが、携帯電話だけはパンク状態になって役立たなくなった。

これはほとんど丸一日そんな状況。政府からそれについてコメントが出るとは思わないし、間違っても報道しないと思うが、これだけ携帯電話好きな国民が一斉に使ったらどうなるか少し考えればわかりそうなもの。この日のためだけに増強するつもりはもともとなかったのか、それとも「朝日新聞」が報道したように電話の集中で不通になる可能性を口が裂けても言えなかったか、真相はわからないが、少し前の日本の官僚的発想を感じる。

それにしても今年はすごく涼しく過ごしやすかった。こんなに気持ちがいい風が流れ続ける年末年始はこの地で初めてである。実は25年ぶりにシンガポールの街中が浸水に見舞われている。それだけ異常な気候なのである。でもノストラダムスの大予言的な「世紀末思想」は徐々に打ち砕かれている。各地の大地震や災害を世紀末の天変変異などと感じていないで、「嵐の後」がどうなっているか、「新世紀」がどうなるか、そろそろ「その先」を考える時にきたような気がする。

これから一年、日本人として、周りの社会の中の一員としてどう生きていくか、今年が転機であると感じるのは自分だけだろうか。



<転勤>

サラリーマンに付き物と言われながら、紙切れ一枚で生活環境、いや人生が大きく転換するビッグイベント「転勤」。自分の場合、「紙切れ」すらなく3分くらいの「国際電話一本」でここシンガポールに別れを告げ、新天地に向かうことになった。行き先は「ロンドン」。

シンガポール支店からロンドン支店。一言で言えば「外ー外(そとそと、と読む)」。現実には飛行機で14時間かけて赤道直下の南国から樺太と同緯度の北国へ、しかも真冬の移動である。過酷と言えば過酷。

東京からロンドンは12時間ぐらいだから、「シンガポールからロンドン」の方が物理的に遠いことがよくわかるが、共通点は日本より多いかもしれない。「植民地の名残」と言おうか、電気は220ボルトでシンガポールとロンドンは同じ。ちなみに香港もコンセントの形も含めて共通のものを利用している。

つまり今シンガポールで利用している電化製品をそのまま持ち込めるのである。車はシンガポール、日本と同じく右側通行。今の愛車はそのまま輸送するわけにはいかないが、中古でも購入価格が高い分、売り払うのも比較的楽だし結構いい値が付いたので、これを元手にロンドンでも車を所有できそうである。この2つだけでも、結構大きい。

もちろん言語は英語だし、生活習慣もシンガポールで「初期課程」を修了しているのでそれほど不安はなし。あとは家を探して落ち着けば仕事に専念できることになりそうだが、今回は「単身赴任」というおまけつき。

雅子様は残念だったが、我が家も同じようなタイミングで「懐妊の兆し」が見受けられ、「転勤」によって妻を「里帰り出産」させるのがその理由。「兆し」がわかり、シンガポールで出産を決意し、地元の病院・先生を予約して検診を開始したのが11月上旬。それから数週間後に「ロンドン」を告げられるとは思いもしなかった。

12月上旬に日本へ出張したものの、仕事なので実家へ帰ることもできず、とりあえずノートパソコン「バイオ」を購入してきただけ。動機は妻とe-mailで連絡しようかと考えたから。周りにロンドン・東京の別居生活で年間100〜200万円の電話代を使った家庭が複数あったので、我が家は「通信貧乏」を避けつつ、妻のインターネットデビューを促すチャンスと捉えて、今のパソコンを妻に譲る為に自分用パソコンを買ってきた、というストーリー。

そして昨年12月30日にはso-net(JAPAN)に入会してアドレスまで取得してしまった。しかも、このホームページの「置き場所」に困ると考えたので、実はso-netの新アドレス上にSINGNETと全く同じ内容のホームページを既に作ってしまったのである。お気づきの方もいるかもしれないが、「http://www.j-kuma.com」でアクセスしている方は自動的に「http://www08.u-page.so-net.ne.jp/dj8/j-kuma/welcome.html」という新アドレスへアクセスするようにセットしなおしてある。

ちなみに自分が「ロンドン市民」になるのは1月下旬の予定であるから、今までのアドレス「http://web.singnet.com.sg/~kumazawa/welcome.html」にホームページが存在しているのはよくて2月末まで、最悪1月中に削除されるかもしれない。でも大丈夫。今回日本のso-netのホームページをロンドンからUPするから。

今回いろいろ試してみてわかったが、シンガポールからso-net(JAPAN)のアドレス宛に送られたメールをチェックしたりホームページを更新するのは非常に容易いし、シンガポールのプロバイダー「singnet」に接続していても可能なのである。少し考えればわかる話なのだろうが、実感としてこれが結構便利なのである。しかも、so-netはシンガポールとロンドンにも支部があり、市内にアクセスポイント(=ロミング・ポイント)があって便利で安い。

そしてこれが一番重要!!!あなたのブックマークが「www.j-kuma.com」であることを今一度確認しておいてください。万が一もう一度ホームページを移動させても、「www.j-kuma.com」にアクセスすれば、必ずどこかで再開する最新のアドレスにリンクさせておきます。そしてメールアドレスもjk@j-kuma.comへ変更します。ロンドンにて新しいメールアドレスにしてもそこへ転送されるようにセットしておきますので今後もこれで安心。現状はもちろんシンガポールのメールアドレス「kumazawa@singnet.com.sg」へ転送されるようになっています。

それでは、今年もJ-KUMA WORLDをよろしく。ロンドンでも「滞在日誌」はもちろん継続します。レイアウトもそのうち変更してますますパワーアップする予定。乞うご期待!!!

<<<注意>>>(変更する時はこの下のリンクボタンで「J-KUMA WORLD」開きなおしてから「ブックマークへ追加」してください)


http://www.j-kuma.com






12月26日

<VAIO>

パソコンの寿命は何年ぐらいなのだろうか。現在使っているパソコンは富士通の「DESK POWER SE」96年5月ごろに購入したものである。今迄ほとんど毎日スイッチを入れて愛用してきたが、今回日本へ行ったついでに「後継者」を仕入れてきてしまった。

現在のパソコンに不満はない。ペンティアム120MHzでメモリーも増設したから64Mある。ハードも1ギガに3ギガを増強して4ギガあるから、未だ十分なキャパがある。プリンターやシンガポールのインターネット環境とも相性がよく、この4年弱で一度も故障したことがない。

それでもなぜ「後継者」を買ってきたか。理由は家族がパソコンを欲しがるから。ゲームや初歩的な操作しかしない家族の為に新しいパソコンを買うぐらいなら、自分が新しいのを購入して、今使っているこのパソコンを家族に与えようという考え。

久しぶりに新しいパソコンを買うとなると、機種選定から心踊るものがある。メモリーチップが急激に進化してしかも安くなっているから、以前富士通のパソコンを買った値段で数段上のパソコンが買える。しかも、ノートブックもデスクトップとほとんど遜色ないレベルまで来ている。

晴れて「後継者」に選ばれたSONYの「VAIO PCGーXR1G」を例にとれば、ペンティアム466MHzでメモリーは64MB、ハードも10ギガ、56Kのモデムが内蔵されてCDーRWも標準装備。実にデスクパワーの3倍以上の内容である。しかも価格は秋葉原で強引に値引いたこともあり26万円と、まさに4年前のデスクトップ以下の値段である。

ここでひとつ耳寄り情報。シンガポール等海外で生活しているものは日本の非居住者である、ということを逆手に取ると、5%消費税は免除されるのである。今回の出張は5日程度だから、日本へ旅行に来ている観光客と全く同じ条件。彼らと同じように「免税ショップ」でパスポート提示して滞在スケジュールをきちんと説明すれば、日本人でありながら合法的に「消費税免除」となるのである。

20〜30万円の5%は結構大きい金額。これだけ値引ければメモリーを追加したりマウスなどの周辺小物を購入してもおつりが来る。友達の分も代理で購入して来れば、旅費も浮きそうなものである。しかもノートブックパソコンは「重たくない」のが特徴。いくつか買ってもそれほど大荷物にはならない。

手荷物にして大事に「運搬」してきたバイオ君。さっそくシンガポールでデビューを果たしたものの、インターネットでは思わぬ苦戦。Windows98が悪いのか、モデムの相性が悪いのか、今の富士通パソコン(Windows95)と全く同じセッティングにしているのに、うまく接続できないのである。

プロバイダーとプロトコル確立までは行くのだが、送受信速度が極端に遅くなり、結局ネットサーフィンできないのである。原因は未だ解明中。それ以外はすこぶる快適なのだが、肝心のインターネットがうまくいかないから、結局富士通でインターネットやって、それ以外はバイオを使う「二重生活」。

まあ、2000年を前に、2つのパソコンで同じファイルを保存しておけば、いいY2K対応だと考えれば、今のうちはいいのだが...新ミレニアムヲ迎えるにあたり、早速課題ができてしまった。



<ゆく年くる年99>

今年も「ゆく年くる年」を書く季節になってしまった。実は今日がシンガポール滞在まる3年記念日である。寒い日本から汗ばむ真夏の国へ赴任したのが、ついこないだのような、遠い過去のような...もうはっきりした記憶がない。これぞ正真正銘の「シンガポール駐在員感覚」に染まった証拠という気がする。

この3年の間に日本でもシンガポールで大きな転機が訪れ、そして新たな方向へ動きだしている。程度の差はあれ、アジア全体を覆った経済危機が終焉を迎えつつあり、人々の表情にも言い知れぬ恐怖が終わった安堵感が漂っている。

そのこと自体はよかったと思うが、一方であまり歓迎できない動きも広まっている。シンガポールを訪れる日本人観光客の急増と、その「ショッピング」姿である。シンガポールドルが3年前の85円から現在の62円程度まで2割以上安くなっていることもあり、日本の物価の3分の2〜半分くらいの感覚で旅行できるから、だからわざわざシンガポールへ旅行に来る気持ちも分かる。

しかし、修学旅行で来たと思われる中学生や高校生が、ろくな市内観光や「修学」もせずに、高島屋やDFS(免税店)で「美豚」いやいや「ヴィトン」や「グッチ」といったブランド品店を「占拠」し、両手一杯購入して行く姿は異常としかいいようがない。そんな光景がこの1ヶ月以上続いている。

地元の日本人も今はクリスマスで割引がいいし、来年はどのブランドも1〜3割程値段を上げると聞いているので、駐在員の主婦を中心にショッピングに勤しんでいるし、シンガポール人も昨年ほとんどもらえなかったボーナスが今年は例年通りもらえるようになったせいか、ここ数年で一番気前良く高級品を購入している。

OLや中高年の観光客が、自分の稼いだお金でショッピングしていくのはまだわかるが、中高生が制服姿で数万〜数十万円の買い物をするのは、本人にとっても日本人にとっても決していい姿ではない。それに日本人の団体旅行客が酔った勢いで大声を出しながら歩いている姿も誉められたものではない。

経済回復がそのまま「金回りの良さ」にだけ結びつき、それがこういう姿に行き着くのなら、本当に意味があるのだろうか。日本政府の来年度予算を見ていても、相変わらずばら撒きの発想で、あれだけ赤字国債を発行しながら、国立大学の授業料が増えたり所得控除が減ったりして、庶民の生活は厳しくなりそうな感じである。政治家からして旧泰然とした「金の使い道」しか発想できないなら、庶民旅行者レベルでとやかく言ってもしょうがないのだろうか。

今年のシンガポールのクリスマス・新年飾り付け「テーマ」は「クール・クリスマス」。街中ブルーを基調としたクールな飾り付けが多く、観光客でなくとも楽しく綺麗なライトアップをエンジョイできる。いろいろ日本人観光客や日本政府に注文付けたいことも多いが、ここは年の瀬、さらりと流して新しい千年紀を祝おうか。

Y2K問題で、年末年始なく働く人も今年は多いはず。ご他聞に漏れず自分も新年早々朝から出勤するし、来週から2週間は海外旅行はおろか休みも取れず、オフィスへ2時間以内で駆けつけることができるところで待機することがシンガポール金融監督庁から義務づけられてしまった。

今年は例年になく雨が多く、気温が低くくて過ごしやすい。水位も上がってボートキーなど一部観光名所も浸水の騒ぎがあるぐらい。世紀末的な異変がここにもある。こうなれば、ここはじっくり家族と一緒に自宅で新年を迎えるとしよう。

皆様にも2000年という年が、すばらしい年になることを祈念しています。よいお年を!



12月19日

<ホーカー物語3〜魔除>(第六話)

飲みかけた味噌汁を吹き出しそうになる。

そう言えば、そろそろ子供の学校が始まるからシンガポールに戻って来ると電話口で言っていたことを思い出した。このごろすっかり小春と一緒に週末を過ごす事に違和感を感じなくなったせいか、妻がシンガポールに来て再び今迄通りの生活をするということを現実としてとらえられなくなっている。

「気になるの?」
「まあね。奥さんがシンガポールにいたら、こうやって毎週末会うわけにもいかないでしょ」
「うん、まあね。」
「やっぱりそうなんだ。」
「えー?」
「家族が帰って来たら、もう私と頻繁に会う事はできないんだ。」

当たり前である。いや、正確に言えば「自分にとって当たり前」だし、「不倫」ならそれも「常識」である。

「そういっても、すぐに別れるつもりはないよ」
「じゃあ、どうするの?」

本当に一般的な不倫の「もつれ」パターンになりだした。無警戒とでも言おうか、正直言ってそれほど「二人の関係」を真剣に考えてはこなかった気がする。

「君はどうしたいの?」
「別れましょう」
「えー??」

単刀直入そのまま。あまりのストレートに頭の中でその意味がうまく処理できない。

「別れるって、もう会わないってこと?」
「そう。だからこれも返すわ」

そう言って一枚の写真をテーブルの上に差し出してきた。随分前に無くしたはずの家族写真である。

「これどうしたの?」
「あなたは忘れているかもしれないけど、前にあなたから預かった写真よ」
「どうしてこんなもの持っていたの?」
「さあ、どうしてだろう。でもいつも持ち歩いていたのよ。」
「君が、これを?」

オバーフロート状態。声は聞こえるし意味は分かるのだが何が起きているのか理解できない。無意識に質問を返しているだけである。

「魔除け、かな。私の。」
「魔除け?」
「そう、不幸にならない為の。みんなが不快な記憶を持たない為の...。」
「どういう意味?」
「...」

大粒の涙が大きな瞳から流れ出しそうで、でも眼の輝きを潤ませるだけで、かろうじて留まっている。





(次回へ続く)

<ホーカー物語3〜団欒>(第七話)...完結

家族が夏休みを終えて帰ってくるかもしれない。ただ、それだけ何気なく呟いたのは数日前である。その時小春には何の反応もなかった。内心少しだけおどおどしていたのだが、救われた気持ちであったことを覚えている。それだけこの「日常」を大切にしたかったのかもしれない。小春となら家族との「両立」もできると感じた気もする。

「君はそれでいいの?」
「それが...一番いい気がする。」
「いつからそう考えていたの?」
「あなたに呟かれた瞬間からよ。」
「でも、僕に家族がいることは最初から知っていたじゃない。」
「もちろんよ。でも、もうこれ以上心のバランスがとれない気がするの。」

心のバランス、という言葉が重く心に染み渡る。

「さっき、あなたがこの堀こたつでお味噌汁を啜る姿を見て、急にあなたの家族が頭に浮んできたの。そこにあなたがいて、このテーブルを囲んで満面の笑みを浮かべた小さな顔が二つ並んでいて、そしてやさしい表情の女性があなたの横に座って見えたの。」
「そんな、オカルト映画みたいな...」

冗談で取り繕える雰囲気ではない。

「あなたは家族の元に帰りなさい。」
「そうかな。」
「ここを、この店を出たら、そうしたら二人はもう他人よ。」

本当にそんなに単純に別れられるのだろうか。いつかは清算しなければならない関係でも、女性に言い出されてそのまま促されるままに別れを迎えるとは、想像もしなかった。

次の言葉が出ない。

小春はゆっくり何事もなかったように食事を進めている。手が止まっているのは自分だけである。

呆然としながら箸を動かしはじめ、咀嚼するうちにようやく考えがまとまり始めた。小春の言う通りかもしれない。ここが「心」の最後の一線なのかもしれない。心がバランスを失わない最後の...。

「わかった。そうしよう。」
「YES, SIR」

周りの団体客は当の昔に食事を終えたようである。レストランの中はもう数えるぐらいしかお客さんがいない。夕食の時間帯までの、しばしの休業時間が近づいているようである。従業員も催促するように我々のテーブルもさっさと片づけをすませ、何度もお茶を注ぎに来る。

二人は暗黙の了解で、この店の最後のお客さんとなるべく見つめあっている。促されて会計を済ませはしたが、動かない...動けない。

そしてまた一組のカップルが離席して、最後を見届ける為に残っているマネージャーとおぼしき従業員一人と我々二人。その時が来たのである。

ゆっくりと席を立つと、ここぞとばかりの掛け声がかかる。従業員は最後の湯飲み2つをテーブルからかっさらうと、厨房の奥へ消えて行く。店の暖簾はすぐ目の前である。二人どちらからともなく唇を重ね合わせ、そして抱きしめ会う。

涙が、いや、心のバランスが崩れる前に、二人は唇を離し、そして暖簾を掻き分けた。最後に見詰め合う瞳。そして外に出た瞬間、小春は左へ、自分は右へ、二度とクロスすることがない道へと歩き始めた。

<完>



「ホーカー物語」全三部作も、ここに完結しました。永らくのご愛読、ありがとうございました。2000年を迎えるにあたり、また違った切り口の物語を書いてみたいと思っています。ご期待ください。



12月12日

<東京風景>

毎年恒例の東京訪問。いつも通りに銀座・青山・新橋・丸の内・渋谷・池袋・新宿等々、仕事やプライベートで歩きまくった。

まず目に付いたのはクリスマスデコレーション。まだ本格化していない時期なのかもしれないが、驚くほど街が「暗い」。雰囲気は去年より心なしか「明るい」のだが、物理的に「暗い」と感じる。シンガポールの輝くばかりのライトアップを常日頃目にしているせいか、「シャビー」なのである。

やっぱりこれは、ネオンやショーウインドー、遅くまで残業しているオフィス明かりにホテルの窓明かり、車のライトに至るまで、どれもがあのバブルの頃より「暗く」なっているからであろうか。それとも服装が未だにダーク基調だからであろうか。道行く人が高齢になっているからだろうか。

すべてが正解という気がする。明るい酔っ払いや暖かい家族連れなど目にすることなど、ほとんどなかった。明るいのは「踊るサンタクロース」人形だけ。

顔グロや底厚靴の女子高生は寒さのせいか思ったほど見かけることはなく、でもよくよく考えてみると、頭が黒色の学生や、ピアスや化粧をしていない女子高生を探す方が難しい状態。ファッショナブルとまでは言い切れないが、男も女も若者はそれなりにコーディネートされた服装をしているのだろう、金髪ピアスに髪の毛を立たせていてもそれほど「滑稽」ではない。実は頭の中味もそう変化してしまっただけなのかもしれないが。

いつもの楽しみ「らーめんや」で横に座った金髪兄ちゃんは、見かけによらず「テーブルマナー」がいい。BOXティッシュを取ってあげたらちゃんとお礼も言う。自分の荷物や暑くなって脱いだ上着はコンパクトにまとめて邪魔にならないようにしているし、「昔」の感覚で言えば「なぜそんなかっこしているの?」という感じ。

電車や飲み屋で隣り合わせた若者は、全般的にそんな印象である。もちろん「普通の若者」が突飛な事件を起こす世の中だから、見かけや動作で判断できないのが難しいところかも。それでも見た目以上には「おかしくない」。

その一方で深夜番組でテレビに出てくる若者は、やっぱり異常。やっていることもしゃべっている内容もただの「馬鹿」。チャンネルかえるとシンガポールでも見ている「NHK」の番組をやっている。どう考えてもNHKは世の中のほんの「一面」だけをとらえて、一種の「聖域」の感がある。

10年ぐらい前はどんなテレビ局も同じような番組をやっていたが、今は「ニュースステーション」「トゥナイト2」のような「長寿番組」もあれば、トレンディードラマにスポーツ、バラエティー番組等々、いづれも意外と個性的な番組が増えている。出演者が偏っていないのも原因だろうか。

すごく古い話しだが、ピンクレディー全盛のころは一日の番組の数十個所に名前が書かれていたものだが、今となってはそんなことは有り得ない。テレビのレギュラーを幾つも抱えて「耐えうる」芸能人も減ったのだろうし、「早く消耗する」ことを恐れてかそれほど掛け持ちをする芸能人も少ないかもしれない。

街角にはいろいろな人。すこしづつ世の中が動き出しているのかもしれないが、今回はそれほど印象に残る「表情」を感じることができなかった。多分、外から見て感じている日本とそれほど違和感がないのであろう。一言でいうと「こじっかり」「当たり障り無く」。

有楽町から銀座4丁目にかけて見かけた長蛇の列は、実は宝くじ売り場に続く人々。ショッピングやレストランに行列があちらこちらで見られるようになるまでには、もう少し時間がかかるのかもしれない。



<在星冠婚葬祭メモ〜3>

マレーシアのマレー系ウエディングの場合、御祝儀の額は、親しい友達で20〜60リンギット、会社の部下で80〜100リンギットが妥当。日本人や中華系が嫌がる「4」のような数字はないが、贈物でリアルにできた人形や犬、ブタなどのぬいぐるみなどは避けた方がいい。これは偶像崇拝を禁止している彼らには、人形などに悪が付きやすいと信じられているから。

特に日本人形や博多人形などは、マレー系の人にはありがた迷惑になっているので注意。その他アルコールの入った香水やオーディコロン、お酒入りのチョコレートも気をつけたいところ。一般的には電化製品や家電、パジャマなどが好まれる。

マレーシアの披露宴は自宅開催が一般的。簡素ながらも家族や友人、会社同僚などわいわいがやがや楽しみながら新郎新婦を祝福するので、人数はかなり多い。招待されていなくてもOK。服装はあまりこだわる必要がないがカジュアル過ぎないこと。長ズボンに半袖のバティツクシャツあたりが無難。

女性は肌を露出しないこと。肩や背中はもちろん、ひざやくるぶしまで隠れる服がお勧め。パンツスーツやマレーの女性が着ているパジュクロンやパジュカバヤという民族衣装などを持っていると重宝する。

一ヶ月間に渡るラマダン(断食)がイスラム教徒には義務つけられており、その間、日の出から日没まで飲み食いできない。そのラマダン月の最終日の夜を盛大に祝うのがハリラヤプアサ(断食明けのお祭り)。このハリ・ラヤ・プアサが近づくとオープンハウスと呼ばれるホームパーティーに招待されるが、これはお菓子やお茶を飲みながら雑談するパーティー。

招待されたらマレーの菓子や料理などちょっとしたお土産を持参した方がいい。同僚や部下の子供がいる家庭ならドゥエ・ラヤ(お年玉)を渡すのが一般的。相場は一人当り2リンギット。

出産はマレー系の場合、古いしきたりで出産後44日間は母親と新生児は自宅から出る事ができない。これはダラム・ハリと呼ばれ、この期間中にお見舞いやお祝いの言葉を述べるのが良い。お祈りの時間などがあるので電話して往訪する方がよく、プレゼントはベビー用品やベビー服が最適。マレー系も中国人同様、金製品を好むので、ゴールドのブレスレットやアングレットなどを親しい友人同士で共同購入してプレゼントすることもある。

以上、シンガポールの冠婚葬祭メモ。



12月5日

<風邪>

東京に出張して、風邪をひいてしまった.....実に3年ぶり。

日本の冬は厳しい。寒さ対策で厚着をして、汗かいて、冷えてしまって...。

それだけではない。乾燥した空気。これが一番の大敵。常夏のシンガポール気候にすっかり順応してしまった体は「毛穴」が広がり「締まる」ことを忘れてしまったようである。

今迄3回東京へ出張したが、今回はそれを痛感。何と「呼吸」ができないのである。空気が乾燥しているので、空気を吸い込んだ途端、喉や鼻の奥がカラカラに乾燥し、激痛が走るのである。

これは体験したことが無い人には決してわからない苦痛。どうあがいても体が要求する湿度は保てず、ホテルの中でも道端でも、はたまたオフィスの中でも人知れず「乾燥」に苦しんでいるのである。

これはどう考えても風邪をひく、と思っていたら、案の定アウト。しかもウイルスが原因だし、日本の強力ウイルスに対抗する薬がシンガポールにはない。効かない薬を飲みながら苦しんで、ようやく先日復活。

久しぶりに東京にも行ってきたし、書きたい事はつのれども、アップできないこと2週間。会社や忘年会は一日休んだだけですべてこなしたけど...だから直らない?...こんなことはこの3年間で初めてである。

シンガポールでアップできるのもあと「わずか」だし...(意味深?)...年明けに重大発表あり!!!実はそのことが風邪の原因だったりして...。でも「意外」な展開。お楽しみに!



<在星冠婚葬祭メモ〜2>

インド人社会、ヒンズー教徒とのお付き合いはどうするか。

ヒンズー教では、結婚すれば人生がより高貴で豊かになると考えられている。本来2人の出身地を行き交い7日間の儀式が続くが、シンガポールでは1〜2日に短縮される。式は自宅や寺院、レストランなどで行われ、結婚式のお祝いは式当日にこちらの名前を書いた封筒にお金を入れて渡すのが無難。金額は式の足しになればという気持ちが伝わる程度。

服装は白と黒を避け、特に寺院なら、ノースリーブや短パンなど肌を露出した服装は避ける。式に続いてインド料理を振る舞うレセプションがあり、昔は誰でも参加できたが、現代社会では費用の都合で飛び入りはできない。

ヒンズー教徒の知人やその家族が亡くなったという知らせを聞いたら、その人の家を訪ねる。葬儀から数日経っていても構わず、服装にタブーはありませんが、現金を渡してはいけない。肉体が滅びても魂は残ると信じられているから、葬儀は「死」を静かに観察するのが目的。手ぶらではどうも、などと考えず、静かに慰問する。

多民族国家のマレーシアならどうするか。

イスラム教を重んじるマレー人とうまく付き合うにはイスラム教を知るのがポイント。例えば、豚肉は食べない。牛・鳥・羊などの肉でもお祈りして殺した肉しか食べない。お酒は飲まない。握手や物を渡すのは必ず右手。人や物を指す時は人差し指を使わず右手の親指を使う。

可愛いからといってむやみに子供の頭を触らない。犬の濡れた鼻や口を触らない、など、イスラムの教えには制約が多い。だがその一方で、マレー人はフランクで争いごとを好まないおっとりした性格の人が多い。

マレー人の冠婚葬祭は第3回(最終回)へ











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