東京滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 SEP 2001)


11月11日

<時間価値>

ひょんなことで「ストックオプション」の会計処理を聞かれて調べているうちに、久しぶりにオプションの教科書を開いていた。ストックオプション制度が日本で利用されるようになってもう10年近くになるのだろうか。今では日本の上場企業の過半数が導入しているらしい。

経営者やそれに近い層のインセンティブボーナスの色彩が強いので、「ヒラ」社員の自分にはまだ縁遠いが、そのうちどんな層にも一般的なボーナスとなる日も近いかもしれない。まあ、こんな株式市場なら、もらってもうれしくないかもしれないが。

オプションの価値は、本質的価値と時間価値の和。例えば「日経平均」という株があって、その市場価格が10千円の時に、一年以内に8千円で買うオプションが11千円で売買されていたとしたら、11千円の価格のうち2千円は本質的価値、1千円は時間価値となる。なぜなら、このオプションを買ってすぐに「権利行使」して得た「日経平均」株を市場で売りさばけば10千円になるから、その差額(利益)2千円はオプションに「含まれている(本質的)」価値。残りの1千円は、「1年間買う権利(売る権利)」を持つことが出来る対価なので、時間価値である。

このオプション教科書の初めの部分を読んでいて、ふと「モーニング娘。」が頭に浮かんだ。モー娘の価値とは何なのか。今までにないコンセプトで産まれたこのグループ(もうだいぶ前の話だが)。10人でも多いと思っていたのに「13人に増えた」という記事を読んでいて、これだけ「つんく」のやりたい放題でも人気が衰えない理由は何なのか。それとこのオプション価値がふと結びついた。

似たコンセプトにはやはり「ジャニーズ」が浮かぶ。シブガキ隊や少年隊から始まって、SMAPやTOKIOなど、美男子系のグループの旬をつまみ食いしていき、その後はバラエティー系でイメージチェンジをしていく。その女の子版とも言えそうだが、何人もの女の子が入れ替わりながらも同じ「モー娘」を名乗るのは、どちらかと言うと「おにゃん子クラブ」的な感じがある。

つんく、という一人のプロデューサーが一貫して新メンバーのオーディションをして選んでプロデュースするという点では、小室ファミリー的色彩もある。こう見て来ると、どれもそのまま猿真似しているだけではないのだが、それならどこが違うのか。うーん、と考えて行くと「踊るぽんぽこりん」にたどりついた。そう、おとうさん、おやじさんがカラオケで歌った記憶がある「若い子」の歌のヒストリーに「モー娘」の曲は名前を連ねることができる点が違うのである。

今までの美男子・美少女系グループとの大きな違いは、おとうさんやおかあさんが自分の娘や息子が「モー娘」を歌っているのを見て「かわいい」と思えて、家族で楽しめそうな曲が多いこと。つまり「家族」がコンセプトになっている点が大きく違うのである。

それが「オプション」とどう結びついたか。答えは「時間的価値」である。美少女でかわいく歌う点で「本質的価値」が付加されて「市場」に出てこれた点までは普通の歌手と同じだが、飽きられず人気を保てるのは「時間的価値」があるから。ちょっと幼すぎるのではと思える小学生をメンバーに加えて、「成長」を楽しませる要素が多分に含まれているのである。

メンバーが多くなっても「モー娘」としての「まとまり」がなくならないのは、「ポケモン」コンセプトが当てはまるだろう。100を超えるポケットモンスターが登場しても、ピカチューしか名前を覚えていなくても、一目見れば「ポケモン」の仲間と認識できて、友達と好みが違っても「ポケモン」という「枠」で共通の話題ができ、仲間意識も持って「成長」を楽しめる。

同じ「成長ゲーム」でも「たまごっち」が廃れてしまったのは、いろいろな「亜流バージョン」を作りすぎて「仲間意識」が感じられなくなったからだと、何かの本で読んで納得したものだが、「モー娘」も、「オーディションで選ぶ」とか、「今のメンバーより若干若い子」を入れて既存のモー娘が成長したと感じることができる、といった大切なコンセプトを見失ったら、途端に人気が陰るかもしれない。

不景気で、どんどん皆「真面目」になって、「本質的価値」に目が行き勝ちな世の中。「年功序列」という「時間的価値」がほとんどなくなってしまった社会。銀行にお金を預けておいてもほとんど利子が付かず、地下下落やデフレで時間的価値はプラスより「マイナス」に思えてくる世間。そんな中で「モー娘」の「時間的価値」は眩しくもあり、なつかしくもある。「家族」という「時間的価値」がこの社会にはまだあるのだと、そう気づかせてくれている。そんな気がする。


10月14日

<狂牛病>

せっかくあの「狂牛病先進国」イギリスから帰国してきたというのに、日本でまたもや騒動に巻き込まれるとは思わなかった。一般消費者の行動やマスコミの騒ぎ方はそれほど大差がないが、まだまだこの問題の本当の恐ろしさを理解していない気がする。もちろん、その段階には来ていなくて当然だと思うが。

古くは当時の菅厚生大臣がパフォーマンスした「かいわれ大根」問題や薬害エイズ、ダイオキシン汚染、東海村の放射能漏れ事件、O157問題、雪印集団食中毒などなど、大騒ぎをしては消えていった事件が最近の日本にはたくさんある。この海に囲まれた小さい地域にしては異常な多さだと感じるのは自分だけとは思えない。

そんな日本に上陸した「狂牛病」問題。ヨーロッパでは既に発生から10年以上の歳月が経っており、ほとんど「社会常識」となっている。事情を知らずに「今日はステーキでも食べようか」とロンドンで友達に話すと、冗談はよせよという表情で他にしようよと言われたもの。

シンガポールでもベジタリアンはいたし、インド系やイスラム圏のやつらは世界中にいるが、ロンドンのマクドナルドで「ベジタリアン・ミール」を見た時にはさすがに違和感を感じた。マックと言えばハンバーガー。パンと牛肉にコカコーラを世界に普及させた It`s an American の権化のような企業で、牛肉抜き、しかもフィッシュ抜き、チキン抜きのメニューなどマックではない。ベジタリアンとはどうしても結びつかない企業イメージである。

日本のファーストフードと言えば「立ち食いそば」や「ラーメン」、それに対してマックやKFCはいかにも外資系。この「日系」対「外資」は「植物性食品」対「動物性食品」あるいは「だし汁」対「油」というイメージ。つまり油でギトギトしている動物性食品がメインにあってはじめて「マック」と言えるのでは。

ところが、ロンドンで出会ったベジタリアンのインド人従業員はマックの袋をうれしそうに抱えている。この光景は今まで見たことがないし想像もしなかった。もちろん厳格なベジタリアンには、コカコーラの原料に動物性油が含まれているという噂(コカコーラの原料は厳重な企業秘密なので真相はわからない)や、マックのフライドポテトは動物性油で揚げているという噂(これも真相はよくわからない)で、まだ警戒心を抱かれているようだが、卵ぐらいはOKと受け入れるようなレベルのベジタリアンには問題ないレベルで、しかもおいしいらしい。

そう、そんなメニューが定番で出せるほど需要が多いのである。いくらインド人やイスラム教徒が多いとはいえ、天下のマクドナルドともあろう企業がそこまでするのか、という印象をもったが、「狂牛病」問題を知るに連れ当然の成り行きと感じたものである。

おまけに「口蹄病」まで蔓延して、毎日何万頭の豚や牛が処分されたなどという新聞やテレビ報道を見てきたものにとっては、1頭の牛が狂牛病かどうか大騒ぎしているのにはどうもまだ「青い」と感じる。狂牛先進国のEUの発表では日本の危険度は3らしい。最悪国のイギリスが4で周辺国のフランスやドイツが3レベル。それと同一レベルらしい。

理由は感染源として矢面に立たされている「肉骨紛」がかなり輸入されたり国内で使用されてきたというのもあるが、どう考えても安すぎる牛肉を大量輸入してきたかららしい。そう考えれば日本のマックや吉野家が価格破壊(=今ではほとんど死語?)を先導できたのも、当然ながら牛肉のコストが安く押さえられたと容易に想像がつく。

じゃあなぜ牛肉が安くなったのか。もちろん貨物船の輸送コストが大幅に下がったり、インターネットで中間マージンがかからない直接仕入れが可能になったなどなど企業努力や環境改善があったであろう。それでも5年前の半額になるのか?よく各都市の生活コスト比較(物価比較)で「ビックマック指数」なんていうのがあるが、東京が高いといっても他国の2倍も高かったわけではない。

じゃあ各国のマクドナルドが値下げしているかと言えば、少なくとも直近見てきたヨーロッパ各国ではそんなことはない。むしろ安い=危険という意識があった気がする。値下げしても「牛肉製品」の売上が伸びるとも思えないので、そんことするより「ベジタリアン・セット」でも作った方が賢明であり、そうしているだけかもしれないが。

そういえば、ロンドンで見たマックの宣伝が印象的であった。マックに来店したいかにも堅実そうな老人は夫婦でフライドポテトやサラダメニューを食べている。そこにいかにもバリバリ働いていそうなサラリーマンが、ビックマックセットを買って横に座り、バクバクと大口でハンバーガーを勢いよく口にほおばる。あっけにとられ、憐れみすら表情に浮かべてそのサラリーマンの口元を覗き込む老夫婦。

サラリーマン氏もその視線に気づいてそちらを振り向くが、にやっと微笑みを浮かべてまた食べ始める。そこで「気にする人もいるし、気にしない人もいる。それだけのこと。」みたいなナレーションが入る。それだけのCMなのである。マックの開き直りとも言える。その根底にはどこにでもリスクはあって、その中の一つが狂牛病なだけだと。

そうかもしれない。目の前で狂牛病の人間版「新ヤコブ病」患者がバタバタ死亡するまでは。エイズだって世界中で毎日数千人の命を奪っているご時世。所詮自分の手に触れることができる範囲で問題が起きなければ実感できないのだから。それでも...

それでも、やっぱり、この国でも自分は子供にマックを買い与えるのは止す事にする。自分も子供もハンバーガーが大好物だが、リスクは見合うものがあって取るべきだと子供に教える為にも。「犬死」ならぬ「牛死」をするには、ちと早い。



10月7日

<第一印象>

久しく日本を離れていたので、いろいろ友達や同僚と飲みに行くのに忙しくて、なかなか生活のペースがつかめない。ついでに食事も進んでしまって少々(だいぶ?)太り気味。一時期大台2つ変わるダイエットをしたというのに、大台一つ戻って中間点ちょっと手前までリカバリー(?)。

いわゆるリバウンドなんだろうが、まあ、自炊生活からまた家族や社員食堂の世話になる生活に復帰したのだから少しはしょうがないであろう。これだけ飲み会や外食も多いことだし。この三連休(日本に帰って2回目の3連休。やっぱり日本は夢のように休みが多い!)に、昔から行きつけの整体師(カイロプラクティス)のところに行って骨の歪みを直してもらったので、体調もだいぶよくなった。

帰国以来、気候も程よく、水もうまい。やっぱり日本人は日本の気候が一番。そんな単純なことがやっぱりうれしい。ロンドンに居ても、日本のニュースやドラマを見ていたし、日本の変化はわかっていたつもりだけど、頭で考えることと体で感じることはやはり違うのである。ロンドンのことが好きでよく知っている人に出会うけど、住んでみないとわからないことも多いもの。逆も真なり。日本人でも日本を離れていると「違和感」あり。

忘れてしまう前に、第一印象をここで一度まとめて置きたいものである。

物価が安くなったのを実感したのは最初だが、覚悟していた久しぶりの通勤地獄でもいくつか「発見」。まず、新聞を読んでいる人が減った。以前は日経を「立て読み」していた人がつり革にしがみついていたものだが、日経はおろか漫画すら読んでいる人がいない。携帯をいじっている人も意外と少ない。何かすごく「文字離れ」している感じがする。

かばんを持っている人も減った感じ。今の人たちはポケットに財布と携帯があればいいというのだろうが、以前はもう少し「何か」持ち歩いていた気がする。それが文庫本だったりシステム手帳だったりハンカチだったりしたのだろうが、今は手ぶらに近い人が多い。

キオスクも変化している。まず、赤川次郎の小説のような文庫本コーナーがほとんどなくなっているし、ネクタイも売らなくなった。そのかわりどこでもお酒類は売っているし、店員が大幅に若返った気がする。その分、おつりを出すスピードが鈍ったと感じるのは気のせいではないであろう。消費税の5円単位を扱うようになったのも理由だろうが。

コンビニの進化は大したものである。ますます本当に何でもある。銀行のATMがあるし、チケット予約や各種ソフトの販売、携帯の充電コーナーや、弁当の品揃えに至っては芸術である。あの売場面積で、おそらく数千とうい種類のものを在庫管理して販売しているのは、間違いなく世界一の芸当である。

顔黒(ガングロ)山姥ギャルが見れなかったのは少々残念だが、金髪や茶髪の増加はすざましい。黒髪の高校生を見ると「天然記念物」という印象すら受ける。しかも、そのファッションセンスというか自分の飾り方がすごくナチュラルで違和感ないのである。顔が小さくなったし、日本人的な特徴が食生活とかの欧米化で薄れてきた影響もあるだろう。テレビゲームやアニメで見るような「均整の取れた美しさ」をもつ女性が増えた気もするが、オリジナリティーや人間味が減った気がする。ついでに少し知性も少なくなってしまったような。

そう言えば先日、茶髪カップルが子供を連れてデパートのファミリーレストランに来ていたのだが、1歳前後と思われるその子供が「黒髪」で、何だかすごく「違和感」あり。しかもこういうと失礼だが、可愛くないのである。その「茶髪」両親はそこそこ今風のういういしいカップルなのに、その娘ははっきりいってブス。

本当に親子かよ、と思いながらついつい観察した結果、お母さん似と判明。パーツはそのまま生き写しなのだが、茶髪にファッションコーディネートしたお母さんは、トータル的にうまく「見せている」のに対し、ごく普通のベビー服と黒髪の娘は「すっぴん」。早く茶髪にでもしてもらった方が家族バランスから見てもいい気がするが、余計なお世話であろう。まあ、それくらい茶髪がナチュラルに浸透しているということである。

男は、というと、何だかすごく印象が薄い。多分電車や街角でも男女ほぼ同数と会っているのだろうが、サラリーマンを除くとほとんどイメージが湧かない。元気がない、といった方がいいのだろうか。うつろな目で漂っているか、ちゃらちゃら女引っ掛けているかどちらかだけ。大丈夫なのだろうか。

書けば書くほどいろいろ浮かんでくる。ロンドンで書き終えてないことも沢山あるし、つい先日海外出張の時に、あのテロ事件と余波をヨーロッパで受けてしまった体験談もあり。これから徐々にペースを上げていきたい。

今週は試験もあるのでこれくらいして、もっと東京体験してきたい。



9月30日(2001年)

<東京生活>

世の中、いろいろ起こるものである。

7月にロンドンで筆を置き、今日また日本での第一筆を持つまでに、これだけのことが起きるとは、予想だにできなかった。

言うまでもなく、それはアメリカでのテロ事件であり、また日本での狂牛病であり、長島の引退であり、高橋尚子のベルリンマラソン優勝である。近鉄の優勝も、イチローの新人最多安打達成も、マイカルの倒産も、株価1万円割れも、日米欧の協調利下げも、それらすべてがここ数ヶ月に起きた事件である。

もちろん、個人的にも大きな変化、そう転勤に引越し。96年からずっとトランクルームに預けていた荷物や、2000年1月にシンガポールで荷造りしてロンドンで倉庫入りしてからそのまま横浜まで送られてきた荷物に、ロンドン生活で使っていた身の周りのもの。それに、日本の妻の実家で家族が使っていた生活用具がすべて横浜の自宅に集結。

狭い我が家に足の踏み場もないほどの物が溢れ、それが徐々にゴミ袋の山へと変化していく。5年の歳月で使い物にならなくなった布団やクッション。着れなくなった子供服や靴、おもちゃの山。開いたダンボールは200箱を越え、捨てたゴミ袋は50を越えた。壮絶な家族の歴史整理作業。

もちろん、捨てるだけでは新生活は成り立たない。日本を立つ前に処分した電化製品、冷蔵庫・電子レンジ・洗濯機・掃除機・トースターに炊飯器。二度目の新婚生活を始めるような家電の購入と、本棚やカーペット、それに車の手当て。結局 HONDA ストリームを新車で買ってしまい、目の飛び出るような出費の山。

テレビは小型の中古を実家からもらってきて、ビデオデッキも10年以上前から使っているもので我慢し、ラジカセもほとんど壊れかけのもの一台のみ。それでも子供の幼稚園の運動会があるとなるとなると、やっぱり新しいデジタルハンディーカムを買ってしまった。そうそう、もちろん新しい横浜の幼稚園を始めるのは入学金や制服などこれでもかこれでもか、という請求書の山。

進んでいる日本の通信事情に少しでもキャッチアップしようと、ドコモの携帯電話でiモードを申込み、家族にはPHSやKDDIの携帯も購入。5人家族で4つの電話番号と7つのe-mailアドレス。もちろんFAX付き。インターネットは早速、SO-NETの8メガADSLを申し込み、ブロードバンド時代を射程圏に。

クレジットカードからレンタルビデオの会員証まで、いわゆるメンバーものの手続きは20近く、銀行口座手続きや公共料金、新聞購入の手続きなど、住所・氏名を何回書いたことか。ついついインターネットやiモードバンキングも3つの銀行で始めてしまい、暗証番号もとても覚えきれない状況に。

忘れてならないお役所手続き、住所変更にはパスポートや会社の証明書を持ってこさせられるなど、日本の国内引越しとは面倒臭さが格段に違う。電話ひとつでもマイライン・マイラインプラスなんて初耳だし、そんなの日本に居る人には当たり前みたいで今更何のことか理解するのに一苦労。

BSはデジタルになっているし、CS放送など見たことなし。久しぶりの居酒屋では「はい、よろこんで」と叫ばれて目が点になってしまうし、しかもレジでは「J-DEBIT使えます」などと見慣れないステッカー。フライデーは「最終号」なんて表紙に掲げているし、「新生」「あおぞら」などと、ぬけぬけ外資顔して売り込んでいる銀行広告も目に飛び込んでくる。

まだまだ久しぶりの日本。この流れを完全にフォローするには今しばらく時間がかかりそう。でも、もちろん、フォローだけでは意味がない。だって久しぶりの東京「滞在」なのだから。5年前とは違う自分が、この東京に新しく「滞在生活」を始めるのである。

今までとは違った価値観・視点、そして感覚。そのアンテナで生活してみたい。あの夏目漱石がちょうど今から100年前の1900年にイギリス留学日本人第一号としてロンドンへ渡り、ネコの視点(?)まで身に付けたように、自分の中に蒔かれた種を大切に発芽させていきたい。

東京滞在日誌。はじめます。















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