シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


12月14日

<久しぶりの日本>

「おいしい話」というのも、たまにはある。東京出張。しかも気を利かせてスケジュールは「月・火」とくれば、金曜日の夜行便で日本に向かうのは「当然」というものである。

航空機はマイレッジの関係でやっぱりJALを選んでしまう。SQ(シンガポール航空)には個別のビデオ画面が付いているし、新型ジャンボはエコノミーでも座席間隔が広いと聞けば一度はANAに乗ってみたいとか思っていても、あと少しで日本往復が「無料」になる魅力には勝てず、スチュワーデスにめっきり「おばちゃん」が増えた日本航空となる。

夜の11時過ぎにチャンギを飛び立つ飛行機は、湿気の多い熱風を掻き分けて寒気が張り詰める東京上空へ向かう。思えば一年ぶりの日本。つまりはシンガポール赴任以来初めて東京の土を踏むのである。手元にあるのは会議の資料ではなく、A4の用紙にびっしり書き連ねられた「買い物リスト」。そう、「主目的」は「日本にしか売っていないもの」の買い出しに「変更」されていた。

しかし、機内で一眠りして翌日は元気に街へ繰り出すというもくろみは、甘かった。全然時間が中途半端なのである。安定飛行になってすぐに「軽食」。寝付け薬にとビール2本にブランディーを飲み、「一休み」体制になったのが夜中の2時ごろ。着陸1時間半前に朝食だなーと思いながら「うとうと」していたら、突然「おはようございます」とジュースを差し出された。

時計を見るとまだ2時間しか経ってないじゃないか。でも待てよ、6時半に着くという事は5時に朝食、つまりシンガポール時間の朝4時に起こされるということになる。そうか、だから乗った直後から眠ろうとしていた人が多かったんだ。こうなると1時間といえども「時差」は大きい。しかたなく食事も早々に残りの睡眠をむさぼる。

順調に成田到着。朝が早すぎて「成田エクスプレス」も「京成スカイライナー」も運行していない。仕方なく発車時刻の近い京成特急で上野に向かう。土曜日のこんな早朝に乗る人も少ないんだろーなーという考えは、一駅目で覆される。中高校生や会社員の姿がホームに溢れている。みんな一様に黒っぽい服で身を包み、空いている席をてきぱきと埋めていく。ついこの前までの自分の姿がそこにある。座れれば眠り、吊革につかまれば新聞を読む。無駄にする時間などないのである。

「今時のファッション」を満載しながら、やがて電車は上野の地下ホームに流れ込んでいく。こんな時間帯の上野など見た事なかったが、ほとんど景観は変わらない。当たり前か、一年で駅前が大幅に替わるわけないか。スーツケースを預けてモーニングコーヒーでも飲もうかとも思ったが、今の内に電車でホテル近辺まで向かう事にする。JRの初乗りが130円になったことを確認して、「最寄り駅」からはタクシー。

ボーナス支給日の10日過ぎからは客足も戻ってきたが、チケットや遠距離はめっきり減ったと運転手が言う。去年も聞いた台詞だなーと思いながら、これから4日間の「東京探索」を思い浮かべる。ぼーっとしている暇はない。まずは買い物である。



<東京街事情>

時刻は9時過ぎ、街が眠りから覚めて稼動する時間である。これだけの物を買うには人込みを避けなければならない。でも、午前中の新宿なら大丈夫であろうと、今年オープンした高島屋へ向かう。この大型店舗のノウハウは「高島屋シンガポール」で養ったものだろうなーと思いながらエスカレータを上る。

第一目的地は「J-PRESS」というトラッド系紳士服ブランド店。ここのカッターシャツを新社会人以来愛用しており、残念ながらシンガポールには出店していない。去年8枚ぐらいストックを持って行ったのだが、連日の洗濯・アイロンでだいぶ痛んできている。ここはまとめ買いで在庫補充と思いきや、そのサイズのその色・その型は1枚しかない。こんなことならあらかじめ電話注文しておけばよかった。

こうなれば仕方が無い、山の手線内のショップに連絡して商品を押えてもらう。ただ、どの店も事情は同じで、結局4個所の売り場に向かう羽目になる。どうせいろいろな場所で買う物があるからちょうどいい「チェックポイント」になると考えて、今日中に行きますと言い残し、ちょっと新宿の街を流してみる。そうか、西口には安売り大型電化店が犇めいていた。下手に秋葉原に行くより効率よく電気製品が買える。

「ヨドバシカメラ」「さくらや」「ビックカメラ」などを渡り歩き、友人に頼まれていたものなどをほとんど買い終えて、まずは一息。道のりはまだまだ長いから、移動の電車で休むことにする。これから池袋西武・有楽町そごう・新橋さくらや・銀座松屋等々チェックポイントは沢山ある。まだ11時を過ぎたばかり、なかなか順調な出だしである。

ただちょっと気になるのが、未だに行動が「楽」なことである。ボーナス直後でクリスマス前の土曜日だというのに、どの店も人込みが少ない。もうそろそろ身動き取れないくらい人が繰り出してきても不思議ではないと思いつつ、まだ「座れる」埼京線で池袋へ向かう。「各駅停車」の山の手線を尻目に一駅の旅を終えると、すぐに駅前巨大デパートにつながっている。駅前にある自分の会社の「ATM」で日本円を引き出して、軍資金は十分?とし「買い物バトル」を繰り広げる。

こんなことの連続で、夕方ホテルにチェックインするころには両手に持ち切れないぐらいの手荷物。こんなことするのは何年ぶりかなーと感慨にふける間もなく、なつかしい友人との飲み会。夜はまだまだ長い。おいしいお寿司や鍋物、日本酒、焼き鳥、焼魚...これが典型的な「帰国パターン」なんだろう。

自動ドアのタクシーやシンガポールより切符が「先まで運ばれる」自動改札、いろいろな硬貨や紙幣が使える自動販売機、そこら中にあるコンビニやキオスク。無料の公衆トイレや街角のティッシュ配りまですべてが懐かしく、そして当たり前に存在する。

一年のシンガポールで忘れるはずもない東京生活だが、どちらの生活も「違和感がない」状態はいつまで続くのであろうか。



12月7日

<床屋>

ファッションには無頓着でも、月に一度ぐらい散髪には出かける。小学校高学年から高校までほぼ一貫して体育系のクラブに属していたこともあり、昔から長髪より「短髪」。しかも「Very Short」が好みである。もちろん以前の様に「スポーツ刈」とはいかないが、「刈り上げ」は当然している。

海外生活で一番困ることは間違えなく「病気になった時」や「歯が痛くなった時」であろう。いくら英語に堪能な人でも、冷静かつ的確に病状や痛みの説明をできる人は少ない。自分がその立場に置かれていたらなお更である。それには異論がないとしても、その次あたりに「床屋」を上げる人も多いのではなかろうか。もちろん自分もその一人である。

まずは、どの店を選ぶか。日本にいた時でも「近いから」とか「雑誌が多いから」「安いから」「空いているから」等々、考えてみれば「技術がいい」とか「センスがいい」といった「本来的理由」とはかけ離れた「視点」で店を選んでいた。そんな自分が今更どんな店がいいかと聞かれてもさしたる好みもなく、「短くしてくれればいい」とか「肩ももんでくれればありがたいねー」などとまたまた性懲りもないことを並べてしまう。

そもそも「美容院」「ヘアサロン」と名のつく店と「床屋」「理容店」とはどう違うのであろうか。日本でも10年程前までは、男は「床屋」で女は「美容院」が通り相場であったと思う。パーマーを固定させる為に「ヘルメットのお化け」みたいな器械を頭に被りながら雑誌をめくる「おばちゃん族」が「美容院」の一般的光景なら、待ち合いコーナーで黙々と週刊誌や漫画を読み漁り、順番が来るとベルトコンベアーに載せられるがごとく髪の毛を「機械的に」刈り込まれていくのが「床屋」であった。

ついでにもう一つの大きな違いを上げると、シャンプーしてもらう時に「前かがみ」で洗うのが「床屋」で後ろにリクライニングした状態で洗ってもらうのが「美容院」でもある。しかしその「区分け」も、パーマーや色染めなどのサービスを要求する男性陣の増加によって明確なものではなくなってきた。それと同時にサービス内容や料金体系も店によって大きく異なってきて、男女というより「目的」によって店を選ぶスタイルが定着してきた。

そんな流れの中で、さしたるポリシーもなく転々と店を変えてきた人物にとって、「異国の地の床屋」は「めんどう」以外の何物でもない。この場に及んで「美容院系」にくら替えするつもりはないし、かといってわけのわからない「場末の床屋」に運命を託すには勇気が要る。しかもそういった店では英語が通じない可能性まである。

ところが、シンガポールには自分をはじめとする「ずぼらなサラリーマン」の救世主のような店がある。日系の「床屋」で、売り物は「日本の雑誌・肩揉み・刈り上げ」の三拍子である。その待合室には最新の週刊誌や漫画が所狭しと並び、散髪台に通された後も「刈り上げ?」「YES」の会話で日本にいた時と同じサービスが期待できる。もちろん肩揉みやフェースマッサージまで付いている。

シンガポールの一般的なローカル店に比べて値段が多少高いが、ローカル店には日本人はじめ外人には高目の料金体系があることや、新年前などには値段が上がることを考慮すれば、予約さえすればいつでも同一料金同一サービスは気持ちいい。日本では当たり前の気もするが...

まあともかく、こと「散髪」に関しては何の疑問もなく「日系床屋」のお世話になっている。いくら季節がないとか旧正月は1月末と言われても、「日本人の新年」を迎える前には床屋に足が向いてしまう。そのことにも疑問はない。



<日系デパート>

今日たまたま用事があって日系デパートの開店時間に中に入たら、従業員が直立不動でお客さんを迎えている。近づいたらお辞儀しながら「GOOD MORNING」なんて言われてしまった。日本ではお馴染みの光景だが、シンガポールでもそういった教育がなされているのには正直驚いてしまった。

普段そのデパートを見渡すと、中国系のデパート程ではないものの「お客を客とも思わないような態度」や、全く無視して「私用電話」「仲間内の会話」に華を咲かせる光景をよく見かけていたから、同じブランドでも「所替われば...」と思っていた。所詮同じ制服を着せて、同じ配列・同じ品揃えにできても、現地人が長年培った「マナー」まで変えるのは至難の技である。

デパートなどの「立ち仕事」の辛さはよくわかるし、私語を交わしたくなるのもよくわかる。何を隠そう、以前某デパートで2ヶ月程年末商戦のアルバイトをしたことがあるから、裏舞台も含めて結構理解しているつもりである。「ライオンのブロンズ像」がお客を迎えるそのデパートでも正規の職員はごく少数で、ほとんどがテナントの派遣社員かアルバイト・パートのたぐいであり、もちろん基本的接客教育すら受けていない人が大半である。

そんな構成メンバーでも、その高級デパート・ブランドが保たれるのは不思議な感じがしていたが、今思えば自分がそのイメージに染まっていた気もする。つまり、自分がそのデパートに期待する態度を自分もしてしまうのである。個人差もあるだろうが日本人全体的に「お祭り」騒ぎで「なりきる」のが好きだから、「ボーナス商戦」とか言うと歩合給の派遣社員を差し置いて、アルバイトの身でも熱心に売り捌いてしまう。

でも、そんな状況は日本人独特の感覚であると、海外ではつくづく感じる。特に歩合でなければ「いかにサボるか」がテーマであり、お客よりボスの目を気にしている。売り上げがどうであろうと知った事ではない。特に中国人は、お金に直接結びつかない行動を「慎む」のが原則みたいである。

でも今日の開店直後みたい光景を見ると、ちょっとは「日本の伝統的デパートの風景」が出ているようで何となくうれしく感じる。「いいもの」を輸出している気がするからなのだろう。



11月30日

<金融再編>

大手金融機関が現実に倒産する世の中になってきた。この「動き」自体は「自然」な方向と言える。そもそも金融機関の数は多すぎるし、ある程度の競争関係の中で「淘汰」があるのは致し方が無い気がする。だが、今の日本で見られる「金融再編」はその方法とタイミングがあまりにも悪すぎる。

日本の金融機関がおかしくなりだした原因は、もちろん「バブル時代の所業」によるところが大きい。今更列挙しなくても「周知の事実」である。それに対して、程度や方法の差はあれども、その「禍根」を断つべく「鋭意努力」してきたのもまた事実である。それは会社として存続する為の「生存本能」であり、この本能が「欠如」していたり「劣って」いたりした金融機関は「淘汰の波」の餌食となる。

ところがここには「厄介な問題」があった。金融機関の「公共性」である。淘汰されるのは「勝手」でも、ただ預金を預けているだけの「庶民」や健全な経営資金を必要としている「会社」まで「広範かつ甚大な」被害が及ぶのはおかしい、という論理である。それはごもっとも。過去数十年・数百年に渡って「銀行はつぶれない」という前提で成り立ってきた社会なのだから、「そんなこと聞いてないよ」となり、混乱が伴う。そこで「政府の介在」が必要となる。

では、どのような「介在」が適切なのだろうか。言い換えると、「健全な納税者」はどのような行動を政府に期待するのだろうか。それは明白。「勝手に金融機関がつぶれた」時に「自分の預金が保護される」ことであり、「必要な運転資金を継続的に供給してくれる」ことである。でも、そこには「一線」が必要である。何もかも保護されるのなら、最初から政府が銀行をやればいいのである。民間にその役割が委ねられている以上、何らかの「メリット・デメリット」が存在して当たり前だからである。

例えば、以前ある金融機関が常識的に考えて「高すぎる金利」を提示していて倒産したが、他に比べて「異常に有利」な条件提示されて「おかしい」と思わないのは、それこそ「おかしい」。「おいしい話には落とし穴がある」のは「世の常」である。それまでさんざん他の人より有利な取り扱いを受けていながら、いざ危険が目の前に現れた時に政府に「保護」を求めるのは「身勝手」が行き過ぎている。

つまり、「倒産寸前の金融機関」に群がって「火事場泥棒」的な行動をした人には「元本のみの返還」といった「ペナルティー」が必要である。それは本来なら借入れ条件を満たさないような企業が融資を受けていて「期限前弁済」を求められるのも同じこと。「まとも」な企業ならどこからでも「肩代わり融資」の話が舞い込むはずである。そこに「特別な配慮」が必要とは思わない。これが、政府があらかじめ明示すべき「一線」である。

ただこれだけの「決め事」で「金融機関の倒産」も一般企業の倒産と同じ「明瞭なシステム」で扱われることになる。これなら文句がつくはずない。政府は一般企業が倒産した時と同じように解雇された従業員の「再就職斡旋」とか、生活保護を施せばいい。それが納税してきた国民に対する「当然の義務」なのだから。

ところが現実は、ようやくその結論に「向かいつつある」状態である。なんでこんなに遠回りをしてしまったのだろうか。政府内には当初からこの「正論」を述べてきた人もいるだろうが、こうしないと「傷口」を広げるだけだと「認識」して、断固とした措置を「決断」するのは「政治家」の役割であり、それが「できる政治家」が日本には存在しなかったということである。少なくとも権力の中枢部には、自分の保身と利権にのみ関心を寄せる人物しかいなかった。

しかもその「回り道」が異常に長かったせいで、それまで健全だった金融機関まで極度な「体力の消耗」を強いられた。例えば「銀行は倒産させない」のお題目のもと、他の金融機関が「一般常識では考えられないような負担」を大蔵省に要求されたり、わけのわからない「枠組み」の中に入れられたりした。近頃になって「株主代表訴訟」を「盾」に、ようやくそのような「理不尽」を拒絶できるようになったが、今でも「株式会社」ではない「生保」などにその「とばっちり」が向いている。

その外いくらでも「歪められた常識」やそれに対する「押さえ切れない感情」もあるが、それは過去のことと「きれいさっぱり忘れる」なり「一時的に棚上げ」して、今はこれからの日本、その将来のために一刻もはやく「明瞭な社会システム」を作り上げるべきである。そして、景気後退し地盤沈下しつつある日本の「再生」に向けた国民パワーが、「前向き」に活かされる状態にすべきである。「日本の危機」は「自分たちの危機」なのだから。



<賢すぎるOFFICE97>

「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのは「普遍の真理」である。世の中にパソコンが急速に普及して、今まで「字が綺麗」とか「計算が速い」とかで「一目」おかれてきた人々にとっては「パソコン」自体が「過ぎたる」ものに写っているかもしれないし、携帯電話など通信機器が進歩しすぎて、常に行動を監視されていることに不快感を感じだしている人も多いと思う。

「過ぎたる」次元は人それぞれである。「こんなことができるといいなー」とか「こうなれば便利だなー」という「理想」が「現実」となることに不快感を示す人はいなはずだが、「ここまでやらなくても」とか「こんな機能あっても使いこなせないなー」という次元は「過ぎたる」状態といえる。だが、巷のパソコンについてのみ語れば、こんな機能付いていなくてもいいからもう少し安くならないものか、そんな「声」がだんだん増えてきた気がする。

もとは「BASIC」からはじまり、「PASCAL」やワープロの「オアシス」、NECの「LANシリーズ」、一太郎、LOTUS1-2-3との出会いを経て「EXCEL・WORD」へ足を踏み入れてきた者として、パソコン機能の進歩は、そのまま「快適環境」へのステップに感じてきた。特に今はほとんど使わなくなってきたものの「一太郎」の進化は「快感」であったし、ようやくマスターした LOTUS1-2-3から EXCELへ「驚くほど違和感なく」移行できたのは、今でも不思議である。このホームページ作成に使用している「秀丸」もすごくユーザーフレンドリーで、使い初めて1年弱だが自分の「作業能力」に適した次元の製品と感じる。

ところが、どうもその「快適ステップ」が終わりを告げつつある気がする。自分の進化が追いつかなくなった面もあるのだが、こんなこと「要求していない」という機能が増えすぎていると感じるのである。しかも、今までの「不要機能」は本人が使う意志を示さなければ「黙って眠っていてくれた」のに、このごろは「用も無いのに登場」する。

具体的には「OFFICE97」の「WORD 97」が最たるもの。「WORD 3.1」から「WORD 95」へは比較的スムーズなステップに感じたが、「WORD 97」には世界制覇したマイクロソフト社の「エゴ」が見え隠れする。なぜなら「95」で作成した文章を「97」では読めても、その逆は「不可能」なのである。以前のステップでは多少のハンディーがあっても「可能」であったのに、今回は全く「不可能」。しかも「97」には「WORD 95 として保存する」というセーブ方法を示しながら、実際に「95」で開くと「わけのわからない記号」の羅列となる。

百歩譲ってこういった状況を「バグ」と片づけても、「WORD 97」の機能自体が「うっとうしい」場合もある。例えば「箇条書き」の文章を作りたくて文の最初を10文字程下げて「*」といったマークを付けると、改行したら勝手に「*」を付けてくる。箇条書き文が2行に渡るのか、次の文に移るのか、そんなことお構い無しに、「改行=次の文」と「勝手に判断」して用意してしまう。しかも、それを修正するのもいろいろな「過剰サービス」によって時間がかかる。

考えてみれば、普通文章は「上から下」か「右から左」に書くということ以外、例えば段落の取り方や箇条書きの方法も千差万別のはずだから、その途中で「余計な手出し」は無用である。「アドバイス」してくれるのは構わないが、それで「余分な時間」や「余計な気」を遣わされるのなら「ありがた迷惑」である。こういった例は「枚挙に暇」がない。

まあ、「OFFICE97の悪評」を広めるつもりで言っているのではなく、「WINDOWS 98」でこういった「声」を反映してくれるとありがたい、という気持ちである。世の中には「今のところ自分はこの機能で十分」と思いながらも、周りで新しいパソコンを購入されると必然的にレベルアップしたバージョンを「使わされるはめ」に陥るケースも多い。その時進化した機能を使うか使わないかを「選択する余地」を残して置いて欲しい。それだけの要求である。

これから先、こういった「理想」が「現実」となる時、どんな分野でも必ず直面する「課題」である。その時次のステップを望かどうかを必ず「聞いて欲しい」と思う。企業戦略などで難しい面もあろうが、例えば消費者が昔懐かしいと感じるお菓子はいつまでも売れる様に「長く愛される」為には「変わらない」という側面も必要だと思う。



11月23日

<JB決戦前夜>

えー本当かよ。入ったよ、旗も揚がってないぜ...勝っちゃったよ...日本がとうとう勝っちゃったよ!!やったー!!!

一瞬固唾を飲んで、そしてもう一度確認してから、会場は歓喜の渦に包まれた。マレーシア時間では23時と0時の間、日本では17日に日付が変わって30分ほどした時の出来事である。日本が初めてワールドカップ本戦への切符を手にした瞬間、同じスタジアムで、ほんの数十メートル先のゴールに、そう、まさに目の前のゴールネットに転がる一つの「サッカーボール」。両手を挙げてベンチに走っていく選手たちの姿と、うな垂れるゴールキーパー。その様子が目に焼き付いた瞬間でもある。

JBと書いてジョホーバル。マレーシア南部、シンガポールとの国境の街である。ちなみにこの国の首都クアラルンプールは「KL」と呼ばれており、共に地元の人間からアルファベット2文字で示され、馴染まれている。そのJBに集まったものすごい数の日本人、しかも青色の服を着た集団が、朝からそのスタジアムを埋め尽くした。1997年11月16日、日曜日。天気は雨季らしく、時折雨が降ったり止んだりしていた。

この日までの一週間、スタジアムに如何にたどり着き切符を入手するか。日本にいるサポーターはもとより、隣の国であるシンガポール在住の日本人にすら大きな課題が横たわっていた。日本が3位決定戦に進出できることもつい10日程前にわかり、対戦相手も決まらないうちに会場が決定された。JB?、KLのはずじゃなかったの?、日本代表もKLに向かったんじゃなかったの?

JBが確認され、夜9:00キックオフが知らされ、行けることがわかった時点から、いろいろな情報が交錯し、そして解決して行った。シンガポール出発は当日の 2:30。大渋滞が予想される国境(コーズウエー)を想定し、また会場でのいい席確保の為にツアーバスは当初予定の 4:00から時間を早めて、しかも 5台のバスから 14台まで増やしての出発である。同じようなツアーがシンガポール発で 3つ以上はあったようである。

ところが優先道路を通れるバスは順調に国境を越え、会場のスタジアムに4時過ぎには到着。売店が一個所しかないから夕食等の食料は持参するようにという大使館からの事前連絡とは裏腹に、スタジアムの内外を問わずそこら中に「にわか売店」ができて、おいしそうな弁当をたくさん売っていた。でも、そこは「従順な」日本人。ほとんどの人が弁当持参らしく、購入するのは地元民の一部のみで、試合後にみかけた時にも山ほど残っていた。ちなみに、ここのチーズバーガーはおいしいことで有名らしいが、それを知ることができた「観客」もほとんどいない。

開場は 6:30。それまで乗ってきたバスの中で「雨宿り」しながら「将棋」と洒落込んでいた。でも、6時過ぎにゲートに向かうと「時既に遅し」の状態。最後尾まで10分程歩かされる羽目に陥った。それでも、なかなか動かない中央ゲートへの列を7時ごろにあきらめて、駐車場横にあるスタジアムの電光掲示板と反対側のゲートへ走るとガラガラではないか!。

すかさずゲートを抜け、階段を駆け登りスタジアムの全景を見渡す。意外ときれいで整備されている。そこそこのサイズだからどこからでも選手の顔が見えそうだが、陸上のトラックがあるので正面スタンドに近い事に超したことはなさそうである。そう思ったらひたすら走る。中央ゲートから入場している人たちがこちらに向かって溢れてくる。

ようやく確保した席は電光掲示板から見て右奥コーナーの延長線上であり、上から6番目だったのでグランド全体も問題無くよく見渡すことのできるポジションであった。そして、まさか決勝Vゴールを含め両軍全5点のうち4得点をまじかで見ることができるサイドとは、その時点で誰も知る由がない。

さて、試合開始時間は夜9時。今はまだ暗くなりきらない7時過ぎである。これからどう過ごすか、何も考えていなかったが、その心配も無かった。すごい応援である。見る見る間に埋め尽くされた「青色の民」はスタンドを360°取り囲み、日の丸が所狭しと連なる。周りでは「青色のポリ袋」が配られそれを膨らませて掲げると、もうスタンドには日本のカラーしか見えなくなる。そして登場したのが「どらえもん」。

スタジアムの掲示板とほぼ同じ大きさの青い布地に、フランスへ飛び立つ笑顔の「どらえもん」が突然現れ、しかもスタンドを右へ左へ人出伝いに動いていく。ここが日本の「ホーム」であることに間違えないと確信させる光景である。そして沸きあがるウエーブ。スタンドのどこにも途切れるところなく3周以上して消えていく。

そうこうするうちに選手のウオーミングアップが始まり、イラン代表に続き日本代表がグランドに登場する。そこですかさず「ピースマーク」を真ん中に「WELCOME TO BLUE HEAVEN」の、これまた特大横断幕が浮かび上がった。

ここまで来ると、会場のほんの一角を占めて応援しようとしているイラン・サポーター 200名弱が本当に霞んでしまう。地元民と思われるマレーシア人も「寄らば大樹」の応援をはじめる始末。この調子が途切れることなく展開し、9:00まであっと言う間の出来事となっていた。



<フランスへの光>

ホイッスルは 21:00を少し回って鳴らされた。手前がイラン、日本はこちらに攻め込んでくる。でも、どこか日本代表の動きがぎこちない。予想していたとはいえ 95%まで日本サイドのサポーターに囲まれると、どんな人間でも嬉しさを超えてプレッシャーになるのが普通であろう。

しかも、ひいき目に見てもイランと日本では明らかな体格差がある。少しの観戦で「個人技」にも数段の差があることに気が付く。もちろん日本代表もすばらしい個性が集まっているのであろうが、ドリブルやパスワークの正確性はイランが上。周りで見ている観客も想いは同じらしく、「おー、そこ守れ、早くクリアーしろー、危なーい」という声援とも悲鳴ともつかない声が多い。

それでも、開始すぐにイランのヘディングクリアーミスで「オウンゴール」かー、という場面が目の前のコーナーで起きる。思わず喜びの雄たけびを上げたが、ラインズマンの旗が高々と揚がりノーゴール。でもこの行為、テレビではどう見えたかわからないが、どうもオフサイドとわかっていてやった気がした。イランのヘディングした選手の顔が、事前に線審の旗へ向いていたからである。「ぬか喜び」をさせて日本代表を浮き足立たせようとの作戦に思えたのである。

その心理作戦がふてぶてしいイラン側ゴールキーパーの行為で明らかになっていく。ゴールキックのボールをゆっくり蹴ることに始まり、必要もないのに手袋を付け替えたり...リードもしていないうちからの「遅延行為」である。すぐに我々観客もその行為を「ブーイング」で批判しはじめた。キーパーにプレッシャーをかけるとともに主審にアピールする為に。

もちろん、はるばる「スタンドに駆けつけたもの」として時間稼ぎ的な行為は許せないが、それより日本代表がいらいらすることで、じわじわディフェンスラインを上げてしまったり、むやみにボールに飛び込みマークをはずしてしまうことを恐れたのである。その行為は、両軍にとって「同じ時間」なはずのに、イランには「余裕」を日本には「焦り」を与え続けているように思えるから不思議である。しかし、「予想外」にも初得点は「ゴン中山」のゴール。ほんとに数少ないチャンスを活かして蹴り込んだのである。これで五分五分の戦いができるな、と感じた。

前半はそのまま終了し、ハーフタイム。それにしてもこのスタジアムのトイレ事情はひどい。もともとトイレットペーパーを使わない国民だし普段こんなに込合うことはないのだろうが、どこも汚く特に♀は長蛇の列。♂はスムーズだが、♀は30分以上前に席を立った前列の女性と「♂トイレ内」で出くわした。周りが日本人ばかりだから安心して借用したのだろう。この状況を予想して「遠征」を諦めた在シンガポール日本人女性も多かった。

さて、いよいよ後半戦である。「ドーハーの教訓」を生かして落ち着いたプレーをして欲しいものである。選手もそのつもりだったのだろうが...うーんやっぱり。早くクリアーすればいいのにDFがキープしすぎて、それをイランに奪われてゴール。しかも、立て続けに2本も。GKの川口の泣きそうな顔がオペラグラスを通してよく見える。その気持ちは同じだよ。個人技の実力差は歴然としている。3人でチェックに行ってもひょうひょうとボールを裁いてパスを出すイラン代表は「大きな壁」に見えてきた。

KAZUの動きに「切れ」がないのも目に付いたし、早めのチェックでイランからボールを奪おうとするあまり、いつもゴールの反対サイドが甘くなるのが手に取るようにわかる。岡田監督を連れてきて「マークをしっかりつけさせろよ」とか「右サイドの上がりが遅い」、「攻撃に厚みがない」...いろいろ注文つけたい気持ちでいっぱいだった。

考えてみれば、監督もわかっていたにちがいない。他のスポーツみたいに「タイム」がとれるわけでもないし「声が届く」範囲に選手がいるわけでもない。しかもこの声援である。一生懸命プレーに集中していると、「周りが見えない」のはしかたがないことか...と思う矢先に選手交代。ロペスと城の登場である。

これが大当たり。見違えるぐらいに選手の動きがよくなりだした。つまらない「クリアーミス」が「反撃へのパス」に変貌した。「あそこの選手がフリーだー」と気が付いた時にはそこにパスが回っている。これが自分でコントロールしている「テレビゲーム」でも満足行くような動きである。これが日本代表のサッカーか!

見る間に城のゴールで同点。延長戦に縺れ込む。休憩タイムに突然グランドを突っ走る「野人」がひとり。おー岡野が起用されるのか。イランの選手もいぶかしげな顔で岡野のウオーミングアップを見ている。「速い」と感じたはずである。岡田監督、やるじゃない。足に鈍りが出ているイラン選手には驚異だし、今まで見せなかった日本の「速攻」を見せてやれ!!

延長戦は 23:00過ぎに始まる。日本はもう日付けが変わっているのか、と思ったら日本から持参の自分のカメラも17日になっていた。Vゴールのシャッターを切るためにスタンバイさせたのである。追いついたのは日本で、しかも動きがよくなっている。日本の勝利を確信させる条件が山ほどある感じである。この目で「フランスへの光」を確かめる瞬間が刻々と近づいている気がしていた。

開始早々から日本が攻めまくる。電光掲示板下へ日本代表は攻めている。そっちのサイドで決められてはよく見えないなーなどと考えながら、それでもPK戦まで進むとどうも分が悪そうで、どうでもいいから早く決めてくれー、などとも考えている。おい!イランのGK、今更時間稼ぎの芝居をしているんじゃなーい!さっきイエローカードが出ているだろう。あーあ、もう延長前半終了。

それにしても今日の主審は冷静である。すごくフェアーで見ていて安心。決して日本側に流されるわけでもなく、イランのひいきもしない。今度こそこのGK野郎をちゃんと裁くと思っていたら、なんだか芝居ではなさそうである。控えのGKが心配そうに声をかけている。憎らしいほどふてぶてしく強そうなイランのGKの動きが、明らかにおかしくなっている。よし、チャンスだ。あれだけブーイングしてやった甲斐があった。行けー日本代表!

再三のチャンスを逃しながらも「その瞬間」が、ついに来た。イランGKがこぼしたボールを野人・岡野がスライディングシュートで冷静に送りこんだのである。ほんとに、本当にその時がきたのである。歓声とともにあちらこちらで抱き合う人々。あーよかった。万歳ー!

大騒ぎをして席に戻ったら、ふと、ほったらかしてしまったカメラが目に入った。それを手に、グランドに向けシャッターを切った。そう、この光輝くグランドに浮かび上がった「フランス」へ向けて...。



11月16日

<Jリーグ>

1998年ワールドカップサッカー・フランス大会のアジア地区最終予選三位決定戦が、今夜 9:00に開催される。ジョホールバルというマレーシアとシンガポールの国境街で、シンガポール在住の日本人には「ゴルフのメッカ」として有名である。シンガポール島内のゴルフ場の利用料が年々上昇し予約も難しくなる中、コーズウエーという国境の橋を渡るだけで「半額」にていつでもプレーできるのが魅力である。

そこに今日、日本中の注目が集まる。もちろん自分も今からスタジアムまで応援に出かけるが、ふと、東京のオフィスにあるテレビで「ドーバーの悲劇」を観戦していたのを思い出した。その少し前に「Jリーグ」が始まり「野球」に取って代わるプロスポーツとして爆発的な人気で盛り上がっていたころであり、「にわかサポーター」として仕事そっちのけの状況であった。

あれから4年。日本のサッカーはどう変化したのであろうか。技術的な面で向上しているとか、そういったことはよくわからないが、「プロ」であるなら一流のものが備わり、かつ、切磋琢磨されていて当然である。しかし、残念ながら「人気」は衰退の一途をたどっている気がする。というより、人気が定着する前に「にわかサポーター」が急速に減ってしまったという方が正しいかもしれない。

日本を離れてしばらくになるが、日本の新聞や雑誌での「Jリーグ」の扱いは日に日に小さくなるばかりである。これはどうしてなのか。ただ、自分でも関心が薄れてきているから違和感はない。そもそも今いくつのチームがあって、年間何試合しているのかもわからない。最初は10チームでスタートし、翌年J1リーグで活躍した2チームが加わったぐらいまでは記憶しているが、どこからどこまでがJリーグチームか区別がつかない。

プロ野球が日本に定着しているのは、「野球」そのものの魅力も然る事ながら、多少チーム名が入れ替わっても基本的に12球団でその特徴もほとんどかわらないのが面白いのではなかろうか。そのチームで活躍した「往年の名選手」が記憶に残る一方、新しい選手が続々登場する。その連続性がファンの「愛着」を生み、そして選手も育つ。互いに「想い・憧れる」気持ちが大切なのではなかろうか。

ところが「Jリーグ」は「地元密着」を優先すればどれだけチームが増えようとも人気は衰えないと「勘違い」している。そのコンセプト自体はすばらしいのだが、それは「光輝くメジャー」があってこそ、その「愛着心」が高まることにも気が付かなければならない。

つまり、ほんの少数しか「スポットライト」が当たらないから「価値がある」のであり、そこに「緊張感」が保たれるのである。それを地元がサポートすることによって初めてその「構想」がすばらしいものとなる。

ここシンガポールにも「プロ」のサッカーリーグがある。いくつのチームがどんな試合をしているのか全くわからないし関心もないので詳しいことはわからない。それでも「Sリーグ」と称してその試合を熱心に取り上げている「地元夕刊紙」があるくらいだから、そこそこシンガポール人にも浸透している。もともとスポーツの中ではサッカーが好きな国民だから、ヨーロッパのクラブチームサッカーの試合はよく放映されており、結構な人気だそうだ。

しかし悲しいかな、Sリーグのレベルが余りに低すぎて、せっかく「サッカー好きで娯楽の少ない国民」がたくさんいるのに、日常の話題になることはほとんどないぐらい「盛り上がり」に欠けている。Jリーグもそうならないとも限らない。

そこで、「Jリーグ」の改造計画を提案したい。「Jプレミアリーグ」の創設である。今のJリーグ正規メンバーの上位10チームを「プレミア」扱いして、毎年その入れ替えを行う。つまり、「Jプレミア」←「Jリーグ」←「J1リーグ」...と階層をつくり、それぞれの最下位チームと優勝チームがシーズン終了後に入れ替わるシステムにしてはどうだろうか。「Jリーグ」認定は20チームまでとして、そこがプロとアマの境界線とする。

イメージ的には「相撲」の「幕内」←「十両」←「幕下」である。十両以上にのみ認められる「白い化粧まわし」がJリーガーであり、その中で勝ち抜けば「幕内」となる。これなら多少チームが入れ替わろうともファンには「連続性」があり「わかりやすい」。たとえ十両や幕下へ転落する憂き目に遭おうとも、しっかりしたプレーをしてきたチームならそれこそ「地元」がサポートし、次への復活を目指していけるはずである。

まあ、その前に今日の試合で「ワールドカップ」への切符を手にしてもらうことが何より大切である。日本の実力が「世界レベル」であることを「証明」すれば、それも「人気復活」につながる「近道」であることに間違えない。



<失いそうなもの>

本当はこんなことではいけないのだろうが、でも失いそうなものがある。今こうやっている間にも...

そんなに卑下すべきことではない。だって周りもそうなんだから。そんなに自分が「完成」した人間でもあるまいに、ちょっとぐらいどおってことないじゃないか。

でも、どこか寂しい気もする...失いつつあることが。なんとなく、このまま流されてはいけない気がする。失うということは、今まで不快に思っていたことと同化すること。

つまり、ここから先「不快」に思う「権利」自体も失い、自分がその「不快」の媒体と化してしまう。そんなことでいいのか...。

シンガポールで自分が失いそうなこと、それは「礼節」。日本人同士や西洋人と対する時は、まだそれでも「礼節」のある世界が普通に思える。しかし、シンガポール人、中でも中国人と話すとそんなもの「必要ない」と思ってしまう。

「寝食足りて礼節を知る」というなら、街中に「食べ物」が溢れ、ほとんどの国民が「家」を所有し、「ベンツ」が走り回り、女中を連れ歩くシンガポール人は、「足りている」。問題は「礼節」を教える人がいないからだろうか、それともすべてがあって「当たり前」と錯覚しているのだろうか。

「通路を譲る」とか、エレベーターから「降りる人」を待って乗り込むとか、整列して待つとか、横入りしないとか、何かしてもらったらお礼を言うとか、どうしてそんなことができないのであろうか。

そして、そんな状況に慣れてしまいつつある自分も、また恐い。「郷にいれば郷に従え」してしまっている自分が情けない。本当は自分が教えてやるべきなのである。ただ単に知らないのかも知れないのだから。

気づかせてやればいいんじゃないのだろうか。お互い声を掛け合って笑顔を向け合う事がいかに気持ちいいことであるのか。その人が気づいた時、きっと気づかせてくれたことに「感謝」してくれるはずである。たとえそれがどこの誰だかわからなくても。

だって自分も何処の誰からそんなこと教えてもらったか、忘れてしまっているのだから。自分の親や兄弟以外にも、いくらでも笑顔を向けてくれる人たちが日本にはいたのだから。

ちょっと日本を美化してしまっているかも知れない。でも「礼節」を知っている人がよりたくさんいた気がする、少なくともここよりかは。しかも、自分がそれに慣れつつあり、同化しつつあること、そのことも確かであり、そしてそうなってはいけないこともまた、確かなことである。

失いそうなもの、それは周りの問題ではなく、自分自身の問題である。



11月9日

<オイル流出>

ヘイズ(煙害)の被害もまだ解消されないうちに、今度はシンガポール沖でタンカー衝突による「オイル流出」事故が発生している。もうすでにかなりの日時が過ぎているが、未だに事態収束の見込みは立っていない模様である。

日本からも「オイル回収」の為に作業船が派遣されているみたいだが、ここシンガポールではなぜか関心が薄い。もちろんヘイズ見たいに「目にみえる」ものと、シンガポール近海というだけで「漂着」や「悪臭」といった被害が出ていない、という理由がある。

しかし、何となくそれだけではなく、どうも「報道規制」を感じる。あまり騒ぐことなく穏便に解決して、ただでさえヘイズでキャンセルが相次いでいる観光客の足並みを、これ以上乱したくないとしている気がする。

今回のオイル流出現場は、マーライオンやゴルフ場を含むいろいろな観光施設を盛り込んだリゾート島「セントーサ」からほんの数キロであり、あまり詳しく報道されると必要以上の「誤解」を与えかねない。シンガポールを観光する目玉は「輝く南国の太陽」と「青い海」、それに近代化の象徴である「きれいなビル群」。そのコントラストが大切であり、ヘイズに曇る上に海も期待できないとなると、ここに住んでいる人間でも「脱出したく」なる。

「脱出」と言えば、一部の日系企業でも「ヘイズによる帰国命令」が「新生児や幼児をもつ家族」中心に出ている。もちろんどんな状況でも「働く戦士」が避難させてもらえるわけがないが、欧米系の企業などはもう二ヶ月以上前から家族の「避難勧告」が出され、航空券が手配されたみたいである。

それに比べると日本の企業の「危機管理意識」は未だに低い気がする。先日の「カンボジア内紛」でも邦人に被害者が出てなお「自衛隊派遣」を含む適切な処置ができない日本政府はじめ日系企業は、本当に「頼り」にならない。海外で働く者には心細い限りである。

話が少々「脱線」したが、このオイル流出であまり人に知られていない「被害」が一つある。それは「ダイビング」。もちろん、シンガポール近海は一般的に汚染が激しくダイビングに適さないが、一時間ぐらい船で沖に出ると何とか潜れるところがある。先日「ダイビングライセンス」を取得した時の「パラウハンツーン」などのスポットがそれである。

先週「ライセンスを取りたい」という日本人を紹介してあげようと、自分がお世話になったダイビングショップに電話をしたところ、なんと「開店休業中」との話。その前日に、オイル被害がどんな状況か「正確な情報」がどこにもないので、自分の目でと現場まで船をチャーターしたらしい。その結果どこのスポットもオイルでべっとり。

この時期マレーシア東部の一帯は季節的に波が荒く「オフ」中なので、近場で「代替スポット」もなく、シンガポールにある「ダイビングスクール」はすべて「休講」に追い込まれた、とのこと。そのインストラクターも二ヶ月程日本に帰国するそうである。

近年まれに見る「災害」に見舞われたシンガポール。地域経済も折りからの混乱で停滞気味であり、まさに「泣きっ面に蜂」状態である。



<シングリッシュ初中級編>

はい、皆さん「景気後退」など気にせず明るく生活していますか? ネバーマインドでお馴染みの「シングリッシュ講座」、今回は初中級編です。

前回シングリッシュの特徴とその実例を幾つか取り上げました。今回は少し視点を変えて「シングリッシュ」の実態を皆さんに紹介したいなー、などと考えております。まあ、「先生」と呼ばれる程よく理解できているのかはなはだ心もとないのですが、シンガポーリアンと接触する時間が長くなるに連れて「わかってくる」ものがあります。そんな一つ二つをご紹介!

当地でテレビを観ていると必ずと言っていいほど「字幕スーパー」にお目にかかります。インドやマレーシアのテレビ番組に英語や中国語の字幕が付くのはよく理解できますが、シンガポールで作成の番組でも会話が「英語」なら「中国語の字幕」。「中国語」なら「英語の字幕」がほとんどの場合存在しています。

そこで面白い現象がたまに出てくるそうです。もちろん中国語はさっぱりわかりませんから複数のシンガポール人による「証言」ですが、その「訳」が時々全く「的を得ていない」というのです。

例えば「Confidence Trickster」という言葉を中国語で発音すると[low gian]となるらしく、それを「表意文字」で表せば「詐欺師」となるのでしょうが、「表音文字」では「老千」(「ローセン」と日本語読みしても、なんとなく通じるみたい)となり、「字幕のみ」みているシンガポーリアンには想像力を働かせないと何のことだかわからなくなるそうです。

この問題、日本人には比較的理解しやすいですねー。例えば「鷺氏」と字幕に書かれて「サギシ」...「詐欺師」と連想するのは少々無理がある。つまり「Confidence Trickster」という英単語を聞き取り、理解出来る人にはすぐにわかる「字幕」なのでしょうが、そもそもそういう人は「字幕のお世話」にはなりません。

日本人から見れば、「教養あるシンガポール人」の英語力も中国語力も同等に「ネーティブ」と感じるのですが、全国民が等しく両言語をマスターできるわけがなく、世代によってどうしても「得意分野」に違いがあるようです。

50歳を超えるような世代は「中国語」の方に馴染みが強く、当然漢字もよく知っています。「英語」は必要最低限しゃべれる場合がほとんどですが、自分の子供には「中国語」で会話することを好みます。

もう少し若い世代は「英語教育」の徹底で「発音」はともかく「語彙力」や「構文能力」はネイティブ並みですが、「中国語」は「日常会話」程度。学生時代に得意としていた人以外は「漢字」をほとんど書けず、読めるのも限られています。自分の名前の漢字すらうまく書けない姿は可哀相な気もします。

そしてもっと若い10〜20代は、「中国語回帰」の動きも手伝って両言語ともきちんと話し、読み書きできる人もいるみたいですが、大体「シングリッシュ」のみしか満足に話せないみたいです。つまり口語の「中国語+英語」で意志疎通はできますが、読み書きは英語の方を好み、そのレベルはどんどん「個人差」がついています。

自分のアイデンティテーを守るには「中国語」が必要だけど、「英語」がわからなければ既にシンガポールでは生活できない状況。うーん、何となく辛いですねー。好む好まざるに関係なく両言語を操らなければならない。この国の中に住んでいればそれでもいいのでしょうが、これだけ限られたスペースと人口ではそれも不可能。

あっ、すいません、ついつい話が暗くなってしまいました。これも「世相」なんですかねー。とやかく言っても大丈夫です。この地域には「ネバーマインド」の神様がいますから...?



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