シンガポール滞在日誌

毎週日曜日更新 (SINCE 30 MARCH 1997)


1月25日

<星人識別法>

昔、中国の軍隊に潜入した「日本人スパイ」を見つけ出してやろうと、中国軍の幹部はいろいろなテストを部下たちに課したが、どうやってもわからない。そこで、ある暑い日に部下を連れて海岸に行き船にペンキを塗る命令をしたら、その暑さにも関わらず一人だけ綺麗に塗ろうと努力している者がいた。完璧に塗り上げたその者が「日本人」であると見破られたのは言うまでもない。

こんな逸話ができるほど、国民性というのは本人が意識している以上に周りにはよくわかる。ならば、ここシンガポールの国民を「識別する術」をご紹介。

<STEP1>
椅子が埋まっている待合室で、リラックスしてしばらくお待ち下さい、という。
→シンガポール人ならミニスカートを履いていても地べたにあぐらをかいて座る。

<STEP2>
レストランに連れて行きチャーハンを注文する。
→右手のスプーン、左手にフォークを持って食べはじめてしまう。

<STEP3>
プールに連れて行く。
→コンタクトを取った目元には平べったい感じの銀縁眼鏡。しかも講釈ばかりで泳がない(泳げない)。

<STEP4>
チップと称して「赤色に金色文字の袋」と「白地にかわいい絵の付いたお年玉袋」の両方を差し出す。
→迷わず「赤い袋」を選ぶ。

<STEP5>
「ファッション雑誌」と「安売り情報紙」を差し出す。
→「ファッション」に手が伸びる...既に日常会話で安売り情報は頭に入っているが、ファッション雑誌は買ったことがない。

<STEP6>
食事の支度か後片付けを手伝ってもらう
→どちらもメイドがやっているので、自分ではできないし、やろうともしない。

<STEP7>
街中でチューイングガムを差し出す。
→驚いた顔をして隠そうとする。

<STEP8>
歩道を一緒に歩く。
→信号が赤だと「日陰」で立ち止まる。そして車の流れがなくなれば信号に関係なく歩き出す。

<STEP9>
バス停や地下鉄の駅へ連れて行く
→整列せずに「我先」乗車をする

<STEP10>
「H」の発音をさせる。
→堂々と「ヘイチ」と答える。

この他にもいっぱいあるが、今日はここまで。皆さんも周りのシンガポール人でお試しあれ!



<女性歌手>

女性パワーの方が目に付くシンガポールで暮らしていると、図々しいおばちゃんや口うるさい年増に対して「寛容(?)」というか「意に介さなく」なる。そして、その逆に「素直」で「初々しい」女性の存在が気になり出す。

もちろんそんな「女性像」をシンガポーリアンに求めても無駄だし関心もない。ふと目をやると日本の歌手に「そうゆう」のがたくさん登場しだしたから、何ともうれしい気がする。

「広末涼子」「華原朋美」などはその代表。その外にも「肩に力の入っていない」ナチュラルな女性歌手が増えている。「PUFFY」当たりから流れが変わりだしたと思う。女性歌手と言えば、その前は「プリンセスプリンセス」とかの「女性バンド」や、「ユーミン」などのニューミュージック系、もっと前は「松田聖子」などの「ぶりっ子」路線が定番だった。

でも、「PUFFY」前後では大きく三つの変化が見られる。一つは、必ずしも「ミニスカート」にはこだわらずジーンズを中心とする「普段着」がファッションの中心になっていること。二つ目は、男性より女性のファンが多くなってきていること。そして最後に「化粧」がナチュラルなことである。

「化粧」は「しゃらんQ」や「GLAY」、解散した「X-JAPAN」にしても、よっぽど「男」の方が凝っている。化粧っけのない男性歌手は、昔から活躍している歌手や「小沢健二」などだけで、今や少数派の感がある。「綺麗」が女性に対する誉め言葉でなくなって久しい。

「音」もそう。男のバンド系はともすれば「うるさい」ばかりで、お世辞にも「聞きごたえのある」歌手が多いとは言えない。その点「広末」「華原」などはもっと「素直」で「わかりやすい」歌詞が主流。歌も「意外と」上手なケースが多い。少なくとも裏声で弱々しく歌う男性ボーカルより、本人にナチュラルな声域で勝負している感じがする。

この「ナチュラル音域」は「スピッツ」など男性陣にも台頭してきている。「音域の広い」プロは必ずしも必要な存在ではなく、自分の「詩」を自分の音域で「語り掛ける」音楽が好まれる。悪く言えば「言葉を連ねただけ」の歌や、「イメージビデオ」がなければ「何もそもそ言ってるの?」と言いたくなる歌がすごく多い。こういうのに限って一度「はまる」と抜け出せないよさがあるのも事実だが...

こんな比較をしていると、「世情」が確実に「ミュージック界」にも反映されている。一発当ててやろうとか、ぎらぎらして歯を食いしばるタイプ、かわいいだけや歌がうまいだけの歌手は減って来た。代わりに増えたのが「あくまでこだわり派」と「あくまでナチュラル派」。自分のスタイルに固守すると言う点で両者は矛盾するどころか、しっかりと「共存」している。

自分の歌が受け入れられることもあるだろうし、そうならない時期もある。そんなことこだわらずに、自分のやりたいようにやってうまくいけば「ラッキー」、と聞こえてくる。世に「絶対」が存在しないことを「体感してきた」世代の「人生観」なのかもしれない。

「素直」「初々しい」と感じるのは「作られたイメージ」に騙されているのか、自分が「おやじ」化したせいか定かではない。でも、肩に力いれてもどうしようもないなら、ごろりと横たわってリラックスできる曲がいい。自分より「娘」の方に年齢が近い歌手が増えてきたブラウン管を観ていて、そんなふうに感じる。



1月18日

<外貨預金>

「世も末」という言葉がよく馴染む今日このごろ、巷では自分の「通貨」を敬遠する風潮が、特にここアジアでは日増しに強くなっている。もちろんその中には日本も含まれている。

そんな時代に注目を浴びているのが「外貨預金」。一口に「外貨」といってもブラジルやインドネシアの通貨を好む人は希であり、自ずと限られた一握りの通貨が対象となる。金利が高いという点では、日本に比べればどこの国を選んでもはるかに高金利だが、定期預金で6%、普通預金でも3%はつくシンガポールと比べるとそれほど魅力のある通貨は少ない。

だが、少しでも「外貨預金」を真剣に検討したらすぐに分かると思うが、実は金利など大した問題ではないのである。もちろん例えばオーストラリアに旅行する計画があって、将来オーストラリアドルを使う予定があるのなら、早いところ交換しておいて高金利を享受するのも一考の余地がある。ところが、大部分の「預金者」は円で預金したものは円、シンガポールドルならシンガポールドルで受け取りたいのである。

つまり、永久に自国通貨に「おさらば」するつもりはないが、少しでも「有利な運用」をしたいというのが「外貨預金者」にほぼ共通する「ニーズ」であり、その時一番問題になるのは「為替レート」すなわち通貨交換の比率である。しかも「自国通貨→外貨→自国通貨」と二回も通貨交換するとなると、その交換条件や手数料、相場の変動が「利回り」に大きく影響してくる。

そこらへん各銀行がどんな条件を提示しているか興味深いところである。シンガポールで給料をもらって生活している身には身近な問題であり、自分の仕事にもほぼ直結しているのでいろいろ調べたり話を聞いてみたし、自分でもいくつかやってみた。その結論は...ふふふ企業秘密...なんちゃって。

正直いって結構差がある。しかも専門的に考えるとそれぞれの銀行が「何を考え何をアピール」していこうとしているかがわかって面白いのだが、「手数料」を考えるより相場を当てる方がよっぽど重要である、というのが結論。利便性が自分にとってよく、当面つぶれる心配がないのならどこを利用しても同じ。そもそも「外貨預金」や「提携商品」を取り扱っているような銀行は業務上関係する「提携銀行」からも信頼されているのだから、それ以上心配してもしょうがない。

日本ではいわゆる「外銀」人気が高まりつつあり、実際「外銀」に勤めている友人に聞くと「要ネコの手」状態。処理能力を上回りそうなので宣伝も控えているらしい。まあ、アメリカでもヨーロッパでもかつて経験した現象だから、アジアの銀行もようやく「洗礼」を受けているだけであり、イギリスみたいになるかアメリカみたいになるかは今後の邦銀の努力しだいである。

シンガポールは、と言うと、もともと「金に目敏い」国民性と「小国ゆえの危機意識」を反映して「外貨預金」はすごくポピュラーである。一説にはこのごろの定期預金の半分以上が「USD建て預金」らしく、しかもお年寄りのほとんどは中国を信じて「中国銀行」に預金しているらしい。「シンガポーリアン」と言えども所詮は「中国人」なのである。若者は有利な条件を捜し求めて「国籍」に関係なく銀行を選ぶみたいだが。

どの銀行でどの通貨にどれくらいの期間「外貨預金」するのが有利か、誰でも知りたいところ。でも「楽して儲かる話」はないのだから、自分で研究して行動し、失敗しても自分で「納得できる」状態にしておくのが「精神衛生上」も一番だと思う。



<マイレージ・バンク>

同じ「銀行」でも「航空会社」が主催する顧客サービスの「マイレージ・バンク」。利用した航空会社の「乗車距離」がストックされて、その距離に応じて「特典航空券」などが手に入るわかりやすい制度である。

海外に生活していれば何回でも飛行機に乗るチャンスがあるので、この制度を利用しない手はない。もちろん自分でも「JAL」で利用しているのだが、これが意外なほど「航空会社選び」に影響を与えるのである。間単に言えば「病み付き」になる。

それなりの金額を支払って利用しなければ「特典」を得られないし、「バンク会員」になるのにも手数料を払わなければならないケースもある。それでも一度なりとも「日本往復無料航空券」などが手に入れば「元はとれる」計算。「割引航空券」が一般的になったが、団体旅行にでも参加しない限りマイレッジがカウントされるケースが多いし、カウントされるのなら例えば「シンガポール・東京間」で約6往復に対し一往復が無料となる。四人家族なら「1往復半」で一人が無料になる。

年に1〜2回ぐらい「家族そろって帰省」するのは普通だから、年に一回ぐらい日本へ「ただ」で帰れる。「海外出張」の多い人はもっと有利なはず。残念ながら自分にはあまり関係ないが、数少ないプライベート利用でさえ今度も「この航空会社」と決めてしまう。

各航空会社もその点よくわかっているらしく、厳しい競争にさらされている路線を多く持つ会社ほど「有利な特典」が示されている。だが、そういうところほど「機内サービス」が悪くなるのも事実らしい。「カップ麺」がだされたり「おしぼり」すら配布されない「倹約航空会社」も増えてきているみたいだが、そこまで行くと「コスト」を取るか「旅情」を取るかの選択になる。

自分も含め大抵の「日本人旅行者」の楽しみの一つに「快適な空の旅」がある。それほど乗る機会がないのなら、せめてその時ぐらい「きれいで気の利いたスチュワーデス」に「豪華な食事やサービス」をエンジョイしたい。今まで「エコノミークラス」しか利用した事がないが、それでもJALやシンガポール航空はまだ期待できる。しかもJALはこのごろ安くなったので、結構有利だと思っている。

ただ「安い」ばかりでは味気ない。安くなっている上に「マイレッジ」のような「楽しみ」は、庶民の「ささやかで身近な夢」として自分の生活に溶け込みつつある。



1月11日

<ヤモリくん>

「幸福を招く」というヤモリくん。我が家にも幸い(?)数匹が住み着いている。

時たま顔を出して「挨拶」に来るのだが、我が家の女性陣の「歓喜の雄たけび」で逃げ惑うはめに陥る。しかも、じっと静かに「害虫」でも食べていてくれればいいのに夜な夜な大声で鳴く。

迷惑だ、邪魔物だ、と思って「キンチョール」を手にしても、その愛くるしい表情を見てしまうと「殺虫剤」をぶちかます気持ちは萎えてしまう。

たまたま縄張りに自分の何千倍も「大きく獰猛な動物」がいて、おちおち安心して生活出来ないのはヤモリ君の方である。決して人様に危害を加えようなどと思ってもいないのに...

虫も寄り付かないような野菜は農薬が付着しすぎていて人体に有害だ、なんていうが、ヤモリ君も寄り付かないような家は人間が住む環境ではないのかもしれない。

でもいまだに、大蛇が道路でとぐろ巻いているところを捕獲されたとか、雨が降り出すと1時間もしないうちに2メートル四方はある側溝が濁流で溢れそうになるような「過酷な生活環境」で、ヤモリ君が平然と生きているのは何とも興味深い。

人間様が作り出した快適環境を「拝借」しているからだよ、とヤモリ君。これでも「愛される表情づくり」をして「殺されない」努力をしているんだよ、そんじょそこらの「ゴキブリ」野郎とはそこんとこ違うんだぜ、と続けた。

うーん、なかなか。ほとんどの人に「殺意」を抱かせるゴキブリほどの生命力がなくても、君たちなら繁殖できる。こんな「虫嫌い」の家庭にも住み着くことができるのだから。



<Mrs.& Miss.>

シンガポールの郵便事情は思ったほど悪くはない。日本と同じで郵便局や「切手を扱っている店」も結構あるし、郵便ポストはいたるところにある。集配も正確で、配達間違いはほとんどないのだが、その郵便物の一部に今一つ気に入らないものがある。

日本にいる時と同じで、地場銀行に口座を作ったりクレジットカードや各種会員などにもなっているのだが、宛先に「敬称」が付いていないものが多いのである。さすがに日系企業にはそのようなことはないのだが、シンガポールローカルの物は Mrも Mrs 付けずに郵送されてきて、しかも勧誘のダイレクトメールだったりする。そのくせ「担当者」には Mr.やMrs.をつけて「男女」の区別をしている。

担当者が男性か女性かというのも重要かもしれないし、Drではありませんと宣言したいのかもしれない。でも、顧客の「男女・既婚未婚・Dr or not」も重要な区別であり「○○様から××へ」と書いていてよく何とも思わないものである。

でも不思議なのが、Ms. より Mrs.や Missの方をよく見かけることである。そこまで一種の「合理的」な考えで「お客様」の敬称を省き、自分たちの性別を強調するのなら、「既婚・未婚」などどうでもいい問題のような気がするのだが。子供の学校の先生が Mrs.と呼ばせるのは、特に子育て経験があるかあることをアピールしたい場合何となく納得がいくが、銀行の「苦情受付担当」まで区別する必要はない。そこまで配慮するならもっと顧客に配慮しろと言いたい。

その点日本ではこの「敬称」、だんだん「なおざり」になってきているように見えて未だに「息づいている」から面白い。この年末年始に日本直輸入(?)の「トレンディードラマ」を観る機会が多く、久しぶりに日本的感覚の世界にどっぷり漬かって見ると「呼び方」があまり変化していない事に気が付く。

「ラブゼネレーション」「不機嫌な果実」「Mrs.シンデレラ」「青い鳥」「失楽園」等々、ここ一年にヒットしたものを一日6話づつぐらい観ていると「やっぱり日本のドラマは面白い」と素直に思いながら、夫婦や親子がこんな風にお互いを呼び合っているのかと、自然な会話の中でシンガポールとの違いを感じる。

「題材」が「不倫」に偏っているのは世相を反映してか「異常現象」であるが、両親との会話が異常に丁寧に感じる一方、夫婦間は「ちゃん」付けや「呼び捨て」で友達感覚なことにまず改めて「新鮮さ」を感じた。妻の友達も旦那の親友も同じ感覚で「同次元」、それは自分も同じだが「親しき中にも礼儀あり」なのも変わっていない。そこに「肉体関係」が加わることと、その描写が多いのは多少の「違和感」を感じるが...

ちょっと待てよ、Ms.より「Mrs.とMiss.」の区別を付けるべきなのは日本人の方なのかも知れない。職業上名乗るにしろ「既婚か未婚か」は社会的ステータスとしても重要な情報である。「夫人」と名乗るものにわざわざ近寄る独身男性は少ないし、分かっていて「プライベート」でも接触したいやつもいるかも知れない。つまり「顧客にとって」も重要な情報だから、シンガポールでそれを「顧客サービス担当者」に適用して区別するのは、気の利いた「サービス」を既に実施しているのかもしれない。

まあ、そんな分けないと思いながらも「習慣の違い」を未だに感じている。



1月4日

<謹賀新年>

一年の計は元旦にあり、と意識するのは日本人の世代に関係ない気持ちだろう。元旦の一日、「少量なら自分で作るより安い」というもっともらしい理由で近くの日本食スーパーから調達した「おせち」に、ちょっと前の特売で購入した日本酒を御屠蘇代わりとして一家そろっての朝食。

好物の「数の子」に「昆布巻き」、「たづくり」から「栗きんとん」などなど、ほとんど日本にいた時と遜色ない「御節」の数々に、切り餅に軽く焦げ目をつけて作った雑煮まで食卓に上ると、ここがシンガポールであるとは思えなくなる。ほろ酔い気分で箸を持ち、お猪口片手に「温かい」正月をゆっくり味わう。

これから一年間、予測もつかない出来事が公私に連続しそうで今からワクワクする。一年後にどこで何をしていても不思議はない。こんな時代に相応しい生活とは...そんな意識でその一日やったことは、錆付いた体を動かし汗をかくことと、読書すること。目新しいことは別に必要ない。自分で考え自分で行動する、その為の下地を作る事が大切である。

ふと気が付けば朝からの飲みすぎで、本を抱えたまま一眠りしてしまった。空は今日も青く、そして雨季の雲が漂っている。夕食は外でおいしいものを食べに、一雨来る前にちょっと出かけるか。思ったらすぐに行動し、高島屋の和食レストランに向かう。考えることは同じで行列となっている店の前の最後尾に並ぶ。

しばらくして列の3人前にどこかで見た顔。まさかと思いながらも声をかけると当の本人であった。彼は大学卒業後5年以上「中東」に勤務し、先月転勤で「一人増えた」家族とともにシンガポールに移り住んできた。こんな形でほぼ3年ぶりの再会をするとは新年から縁起がいい。

そうか「ご縁」もあるものだ、と改めて認識した。周りあっての「自分」でもある。みんな「お金持ち」になるのは無理でも、すべての人が「幸せに感じる」ことは可能である。そんな意味で、みんなに「気持ちいい年」になるといいな。柄にもなくそんなことを考えてしまった。



<これから一年>

名実ともに二年目のシンガポール生活が始まった。この一年は「シンガポール」にとっても「激動」であり、これから一年はこの国にとって「正念場」である。

昨年は史上最悪の「ヘイズ(煙害)」に見まわれ、オイル流出事故に、シルクエアー(シンガポール航空の子会社)開業以来初めての飛行機墜落事故まで飛び出した。隣国マレーシアとは昨年1月2日の総選挙に絡んだ裁判で関係がこじれた為に 100% 輸入に頼る「飲料水」を止めると脅され、タイを起点とする通貨不安から進行した経済危機はシンガポールの国内景気にも大きく影響を及ぼした。

客観的に観てシンガポールが深刻な経済的スランプに陥るのは時間の問題である。シンガポール人自身も既に肌で感じているようだが、まだ認識が甘い気がする。そう感じるのは、自分が体験したバブル崩壊時代と今のシンガポールがあまりにも似ているからである。時代の変わり目にはいろいろな「事件」が付物であり、去年の事件いづれもそう頻繁に起きることではないだけに、今後もよほどの身構えが必要である。

思えば一昨年の年末に足を踏み入れたときの「悪い予感」がそのまま当たってしまった。なぜアジアでこの地域だけ、こんな経済と賃金の「高度成長」が保てるのかという単純な疑問もあったが、「バブル末期の匂い」を感じ取ったと言った方が適切である。

そのことを周りの日本人やシンガポール人に問い掛けると、決まって「そう言われて久しい」という答えが返ってきた。確かにその後半年は「思い過ごし」と感じられる状況だったが、7月のバーツ危機で状況は一変する。

一番身近に感じた「変化」は会社を辞めるシンガポール人が激減したことである。それほど定着率がよくないはずのシンガポーリアンが、より高い給料を求めて転職することを控えるのは、明らかに「身の危険」を感じていると言える。そして2大財産の「HDB(政府供給分譲住宅)」と「自家用車」の値下がり。いづれも大きさや年代で差があるものの、既に流通価格が2割は下落している。

その上シンガポールドルの通貨価値は下落し、金利は高止まりしている。しかもそれがこの半年の変化である。もちろん周りの諸国に比べれば「軽度の怪我」であるが、これが今年も加速して進行するようなことがあれば、急激に国がおかしくなる可能性もある。

どうおかしくなるか。最も危惧することは「治安の悪化」である。犯罪率は低く「低いことは、無いということではない」という内容のコマーシャルを警察が放映するほど安全な国であるがゆえに、いざ犯罪が急増するとダメージが大きい。実需のある周辺国でなく「ここ」に東南アジア地区の拠点を置く大きな理由の一つに「治安」を上げる外資系企業も多いはずである。

また、この国の「報道」は政府によって管理されているので目に触れることは少ないが、事務所を閉鎖したり縮小する外資系企業が後を経たないみたいである。特に欧米の金融業界は、日本版ビッグバンの煽りを受けてシンガポール拠点を東京に移す動きが加速している。これはもちろん「失業率上昇」につながる。

今までの日本人以上に政府によって「保護」されているシンガポール人は、政府の指導通りに夫婦共稼ぎをし労働人口を増やし、高い経済成長率を維持してきたが、それは各世代の役割を歪なものにしてきた。家事も育児も放棄し両親かメイドに任せきるという新世代のライフスタイルが定着する中、その世代が職を失った時、いったい何が残るのか。その「不満」はどのような「かたち」で社会に現れるのであろうか。

新年からあまり悲観的な「想像」をしても仕方ないが、地域の「エリート国」がどのようにこの「荒波」を乗り越えていくのか、お手並み拝見。今後が楽しみである。



12月28日

<今年の「ベスト5」>

新聞や雑誌でもやたらとこの手の特集が多くなるので、ついつい影響されて自分でも「カウント」したくなる。ざーっと思い浮かべるだけでも、こんなに話題に事欠かない年も珍しいほどいろいろなことが起きた。

個人的にも昨日でシンガポール赴任「一周年」となり、「連続海外生活最長記録」を樹立(?)するなど、身辺の環境変化も前代未聞であった。例年以上にニュースに敏感になっていたとはいえ、歴史に刻まれる「世紀末の一年」であったことは間違いなさそうである。

さて、「迷政治家」の「新定義」である「過ぎたるは及ばざるが如し」で、ちょっと前の出来事すら忘れ去ってしまう日本国民の例に漏れず、「これ今年の出来事だったの?」と思うものも多々ある。まずは「日本の景気に影響したもの」をベスト・ワーストそれぞれ5つ上げてみたい。

<ベスト5>
@サッカー日本代表のW杯本選進出
A日本映画の躍進
Bたまごっち
C小室ファミリー
D愛知万博・W杯サッカー日韓共同開催

やっぱり最初に掲げてしまうのはサッカー日本代表のW杯フランス大会本選進出。全くの幸運で目の前で見ることができた出来事であることも然る事ながら、その前後数々の暗い話題を中和してくれた効果は大きい。日本は「やっぱり」駄目かと愚痴こぼす材料が多いなかで、奇跡的に「踏みとどまる」ことができた「事実」は、サッカー少年少女も含めて手放しに明るい話題であった。

そして、「HANA-BI」「うなぎ」「Shall WE ダンス?」「もののけ姫」「失楽園」等々日本映画の国際舞台での活躍や国内ヒット。実はここに挙げた映画で「ダンス」以外一つも自分で見ていないのだが、日本映画の知名度がもっと上がってくればシンガポールで上映されるチャンスも増えることと期待したい。

「たまごっち」が国際的ブームになったが、もともと「どらえもん」「セーラームーン」などのアニメキャラクターやファミコンなどのゲームソフト、プリクラなどなど、こういう「子供分野」を得意とする国民なのかもしれない。政治的にリーダーシップを取れない国だから、「日本の存在」を海外の小学生にも認識させる上で貢献度が大きいと思う。

小室も「小室一家」としてアジアに進出するみたいだが、安室やTRF・GLOBEなどの典型的なヒットメーカーとして君臨している。ちょっと前なら作詞作曲家としてのユーミンやサザン、山下達郎、安全地帯が支えていた分野である。今後の活躍も期待したい。

さて、今年は政治経済で景気の良い話がほとんどなかった気がするが、そんな中でも愛知万博や 2002年のワールドカップサッカー日本・韓国の共同開催決定は明るいニュースであった。来年早々の長野オリンピックと合わせて、国際イベントが身近なところで開催される意義は大きい。経済波及効果はもちろんのこと、異文化と触れ合う機会が増えることは日本にとっていいことだと思う。

<ワースト5>
@佐藤孝行代議士の入閣
A大型倒産(三洋証券・北海道拓殖銀行・山一証券・東食など)
B神戸・小学生殺害事件
C消費税5%・雇用保険法改正
D行政改革

「政治は三流以下」を具現したような人物の登場で、リハビリ中の日本経済が再び「絶対安静」を強いられる羽目に陥った。いろいろな経緯はともかく、それまで国民の高支持を背景として順調にリーダーシップを発揮していた「橋本首相」及び「日本再建の夢」を、ことごとく叩き潰した「私利私欲の傲慢政治家」を許す事ができない。

今年の前半はかろうじて経済回復の見込みもあったが、この「事件」を契機にすべての「歯車」が噛み合わなくなった気がする。橋本首相が「火だるま」になっている間に、日本のみならずアジア全域が「悪循環」に陥りだした。中曽根元首相も、個人的に現役時代(?)の政治手腕を尊敬していた者として、静かに隠居してこれ以上イメージダウンしないでほしい。

大型倒産が景気に水を差すのは自明の理であるが、「つぶれ方」が悪すぎるのが今年の特徴でもある。三洋証券は無担保で資金を融通しあう銀行間市場で「史上初めての債務不履行」、つまり「借金の踏み倒し」を行い、それまで互いの信頼関係でのみ成り立っていたマーケットを「疑心暗鬼」に塗り替えてしまった。

「信用創造」ができない金融機関は国内のみならず国際的に不安定な立場に追い込まれる。その後の山一や北拓、東食倒産の「直接的原因」となったのは間違えない。その上、なぜか「潰さない」と大蔵大臣が明言していた「大手20銀行」をいとも簡単に消滅させて、行政に対する不信感を増幅させたのも頂けない。「四大証券」も死語と化し、商社しかも不況に強いと思われた食品関連の大手ですら生き残れない状況は、想像を絶する信用収縮が進行していることを示している。

中学生の「冷血犯罪」は日本中を震撼させたし、相次ぐ「増税」はサラリーマンや庶民の懐を寒くした。このふたつ、一見全く別の事件にみえて恐ろしく共通している。それは「弱いものいじめ」と「他人への無関心」そして「極端な行動」。障害者など弱いものを平気でいじめる若年層が急増しているみたいだが、「取り易いところ」から税金を取る政治も発想に大差がないと思う。

弱者を過保護する必要はないが、適正に配慮し全体のバランスを取ることが日本の社会全体で出来なくなってきている。その結果自分のことしか考えず他人への関心が欠如し、行動に脈絡がなくなってきている。本人には脈絡があるのだろうが、「既存の」常識では不可解な行動が多くなり、それが「極端」に映るのである。これらが政治家にも青少年にも、そして自分にも当てはまるのが恐ろしい。

「行政改革」は佐藤孝行代議士によって葬られたが、官僚たちのすべてのエネルギーが「生存をかけた戦い」に費やされた結果が「行政の空白=政治の空白」となり、日本の景気に立ち直るきっかけを失わせた。「腐っても鯛」の永田町や霞ヶ関で考えられないような「失政」が続いたが、これがその最大原因である。

<印象に残った男性TOP5>
@サッカー日本代表・中田
Aフジモリ・ペルー大統領
B野沢・山一社長
C酒鬼薔薇聖斗
D橋本首相

岡田監督でもなく、KAZU・城・ゴン中山でもなく、Vゴールの岡野でもなく、この男「中田」が気になる。そのプレーをしっかり見た事はほとんどないが、いろいろなインタビューで明かされるその「素顔」が面白い。繊細そうな面を持ちながらも、自分の足場を固めた考え方を突き通し、常識的な行動をしながら不遜な発言を繰り返す。久々に新種の「日本男児」を見た気がする。

その逆に古来の「日本男児」がペルー大統領のフジモリ氏なのだろう。もちろん本人はそんなこと意識していないだろうし、彼の行動はペルー文化の中で育まれたものなのだろう。しかし、ペルー人質事件で見せた彼の態度は「武士」の姿である。「敵を欺くにはまず味方から」を実践し「人命より名誉を重んじる」考え方に、我々祖先の態度を彷彿させてのは自分だけだろうか。

そして、ちょっと古い世代の「典型的日本人」が野沢社長。一万人以上の従業員とその家族を路頭に迷わせた張本人でありながら、彼個人を批判する文章をほとんど目にすることがないのは、それだけ人望のある人格者だったのであろう。しかし「一企業の小さな世界で生きてきたので ”世界の山一”のことは知りません」という態度は、それが事実としても社長として許されない姿である。潰れるのは「一企業」でも影響を受けるのはすべての「日本企業」なのだから。

「酒鬼薔薇聖斗」と書いてみて「目に触れる文字」と「自分で書く文字」には大きな差があることに今更ながら驚いた。この事件を起こした中学生も自分の現実の姿、つまり「透明な存在」の自分とは違う「もうひとりの自分」がいると言っているが、そういう世界は誰にだって昔からあると思う。古くは「力道山」から「SHALL WE ダンス?」の主人公まで、「こうありたい願望」はどこにでも転がっている。

しかも、夢と現実のギャップがなくなることも、それほど珍しいことではない。それが今まで「理想」であり「前向き」な夢に対して同化することがほとんどだったから問題なかっただけである。今回の彼が違うのは「マイナス思考」の延長であること。これはプラスに導くものが周りに無かった裏腹でもある。ここはごちゃごちゃ言わずに「日本人のあるべき姿」を真剣に考え実践し、「プラス軸」を作ることが大切だと感じた事件でもある。

最後に「橋本首相」。それこそ「武道の達人」として、迷える日本人を導いて欲しい。首を挿げ替えるだけでは政治は何も変わらないし、今は取り替える首すら見当たらない時代である。ここは性根を据えてがんばってもらいたい。

<印象に残った女性TOP5>
@ダイアナ妃
Aマザーテレサ
B黒木瞳
Cアムロ
D緒方国連高等弁務官

ダイアナ妃の死は痛ましい事実であった。マザーテレサと共に福祉の世界では「希望の明星」のような存在であった二人が相次いで亡くなったのは全くの偶然ながら、強いメッセージを我々に投げかけた気がする。それは我々自身が「福祉」を考えるべき時代が来たということである。

ダイアナ妃は元英国王室のプリンセス、マザーテレサはノーベル平和賞受賞という経緯がなければ、世界中での知名度は皆無であった人物である。ところがもうひとつの事実として、ダイアナ妃は貴族の生まれであり、マザーテレサもカースト制では最高位の生まれと、もともと「高貴な方」が「福祉の世界」に「舞い下りてきた」ことにも「意義」があった。それが多くの福祉に携わる人々の「励み」になっているのだろうが、もうそろそろ「草の根」的に広がる時代が来たとも言えるのではなかろうか。

話の次元が急に替わる気もするが、「失楽園」の黒木瞳と電撃入籍のアムロは共に「子供ができていた」ということも手伝って非常に印象的であった。テレビ版「失楽園」で向こうを張った川島なお美も悪くはないが、「二番煎じ・対抗心」の域を出ない気がする。何より仕事面では絶頂期でありながら「妊娠」という「私生活の幸せ」を手に入れた両人には、日本女性に対する一つの道標を示したと思う。もちろん「松田聖子」型になることは期待していないし、この二人はそうなるとも思えない。

もう一人忘れてはいけないのが緒方さんの国連での活躍。とはいっても具体的にどんな仕事をしたのか同僚の明石さんほど定かではないが、国連「副事務総長」のポスト新設にあたり最初に白羽の矢が立つほどであるから、その功績は大したものなのであろう。しかもその申し出を今の職務全うの為に断ったのもすごい。世界の舞台で自分を見失うことなく生きる日本人の代表として、これからも陰ながら声援を送りたい。



<ゆく年くる年>

この暑さでは実感も湧かない「年の瀬」。それでもふと思い付いて子供と「凧上げ」をしてみた。

まずはこの前帰国した時に浅草で買ってきた「日本凧」に、新聞紙で足を付けて飛ばしてみたが、なかなかうまくいかない。そこで、シンガポールのトイザラスで昨日「西洋凧」を買ってきて上げてみると、これがぐんぐん空を駆け上がっていく。

800円した「和凧」と100円ぐらいの「洋凧」。見た目はもちろん日本製に軍配が上がるが、凧としては「洋凧」に軍配。子供の反応は当然「上がる凧」を喜ぶから。どんな人でも安く簡単に楽しめなければ、凧としての価値はない。どこのトイザラスにも日本製品が溢れていながら、「和凧」がないのもうなずける。

がんばってもなかなか飛ばない日本凧と、簡単に浮上するアメリカ凧に両国の経済を連想してしまう。高かったし、綺麗なデザインの和凧をむきになって上げようとする自分の姿と、安かったしうまく飛べば儲け物とリラックスして上げたら簡単にいったアメリカ凧を操る姿。そうか、これが違いか。

大きな資本投下で大きな成果を狙う時代は終わった。目的を明確化して、それを短期間で効率よく達成して、いつそれがうまくいかなくなってもいいように備える。そんな生き方が今の時代には適しているのかもしれない。

来年のこの時期には、コストをかけないで作った「よく飛ぶ」和凧が元気よく空を舞っていてほしいと祈りながら、家族揃って初めて迎えるシンガポールでの新年を楽しみにしている。



12月21日

<東京人間模様>

不景気といわれても今一つピンとこないシンガポールを離れ、日本で過ごしたのべ5日間は、本当の「不景気」ってやつを体感してきた気がする。普段そこで過ごしていても肌に感じるみたいだから、一年も遠ざかっていればすごくその違いが分かる。

まず最初に驚いたのがタクシーの長い行列とその応対。この時期にいつでもどこでも捕まえられることも然る事ながら、どのドライバーもスーツケースなどの荷物をトランクから上げ下ろししてくれない。聞けば、そんなことしてもチップをくれるわけでもなく、下手に手助けして腰でも痛めたら仕事出来なくなるから、とくる。その代わり挨拶だけは「ばか丁寧」である。

少し遠回りする時は必ず理由を説明しながら運転するし、降りる時言わなくても領収書が差し出される。「失業したらタクシー運転手」と発想する人はすごく多いらしく、運転手の募集にも「年齢制限」がつくようになったらしい。以前はドライバーより車の数の方が多かったが今はその逆。事故などしようものなら車の修理が終わるまで仕事できないから、運転も慎重である。

デパートがどこも空いているのには驚かされるが、店員の表情が暗いことがそれ以上に目に付く。まる2日主要繁華街を歩き回り、手渡されたチラシは5枚ほどで、ティッシュ付きは2つだけ。昨年ですら断りきれないくらい配られていた気がする。クリスマスソングとか街角には常に音楽が聞こえてきたはずだが、それも笑顔とともに消えていた。

一様に黒っぽい服で身をまとい、黙々と足早に目的地に向かい、そして去っていく人々。心なしかアベックの割合も少なく、家族連れも見かけない。行列ができている店は「食べ放題」系か新装オープンの店。しかも驚くほど寿司屋が多い。このごろ安い居酒屋系の店も閑散としているらしく、忘年会で騒いでいるグループもほとんど見かけない。

高校生らしき男女30人ぐらいの集団に出会うことがあるが、男女問わず TOSHIKIか小室よろしく茶髪に化粧できめている。その画一性が異様さを際立たせ、内面の繊細さを押し殺しているように見える。誰一人「個人」として存在することを許されていない気がして、傍にいても息が詰まりそうになる。

ふー、描写していても息苦しくなってしまった。恐ろしく深く根差した「不景気」である。

もちろん、儲かっている業種はあるらしい。自宅で食事をするケースが増えたからスーパー・コンビニのたぐいは売り上げが伸びているそうだし、携帯電話の普及もすごい。パソコン熱は急速に冷めつつあるみたいだが、インターネット関連はまだまだ熱気がある。アニメブームも異様なパワーを放っている。

ふと、景気の善し悪しって何をさすのだろうか、と考えてしまった。買いたいものをいくらでも買えるとかいう「消費」に関連するものが当然大切な要素なのだろうが、そう言った意味での「景気」を期待している日本人はどれぐらいいるのだろうか。本当に食べる事すら困っている人が爆発的に増えているというより、欲しいものは見当たらないからただそっとしておいて欲しいという「疲労の蓄積」からくる「不景気」にそれこそ疲れ果てている気がする。

飲んでいて楽しいとか、街に笑顔が溢れているとか、周りを親切にしたら自分も他人から親切にされたとか、そういう「心の景気」が極端に冷え込んでいる気がする。「世知が無い」「寒々とした」「擦り切れた」という表現が殊のほか似合う世相である。「金の流れ」が滞留しだしてからかなり経つが、「心の通い合い」もかなり「滞留」しつつある。

原因はいろいろあるだろう。いや、そうさせるようなものばかり目に付く。そして畳み込むように「大型倒産」や「ポケモン事件」「シンガポール航空機の墜落」...まだまだ年末まで、このままでは済ませてもらえそうにない予感がする。

どこかで「悪循環」が断ち切れないものか。世紀末の次にはいいことがあるかもしれない。ちょうど「平成」になったばかりの日々が楽しかったように...



<クリスマスカード>

もうそんな季節か、というのが正直な感想。そうか、去年より一週間以上早く用意をしなければいけないのである。昨日までに全部出し終えたが、かれこれ3週間ぐらいかけて出し続けることになった。

思えば昨年出した年賀状は転勤の挨拶状を兼ねていたが、こちらの住所を書き込んだわけでもなく、インターネットアドレスも変わっている。まだ Nifty-Serveには加入しているが、アクセスするのも月に一度ぐらい。当然そちらのメールチェックもほとんどしていない。ということは、ここでクリスマスカードを送らなければ多くの人たちとの連絡先が「途切れて」しまうのである。

そのことにようやく気づいて、去年入力した「筆自慢」の住所録を開いてみるとすべて健在。封筒用にディスプレーをアレンジして、ほとんどすべてに 「BY AIR MAIL」と書き入れる。共通の挨拶文を WORDで書いて、封筒への宛名印刷の後にレターも大量印刷。家族の分も含めてクリスマスカードが次々用意されていく。

カードは近くのデパートに特設されたクリスマス関連グッズ売り場で調達。種類で言えば30は下らないカードを大量に購入し、出す人の顔を浮かべながらデザインを選んでいく。これは年賀状では味わえない面白味である。コメントとサインをしてレターと共に封筒に入れて完成。あとは切手を張るだけだが、カードの大きさや宛先の国が結構ばらばらなので料金もまちまち。結局ほとんど全部を別々に計測してもらって投函することになった。

クリスチャンでもないのにクリスマスカード。何でも受け入れて自分のものにしたがる日本人ならではの行動かもしれない。新年に始まり敬老の日、母の日や父の日、雛節句に端午の節句、バレンタインやホワイトデーに勤労感謝などなど、その由来もよく理解せずに行き交わせているものも多い。しかし、由来を正しく知らなければ何もやる必要がないというのは余りにもマイナス思考である。

いろいろなイベント日があるのは、人と交流するためのチャンスをたくさん与える為、と単純に割り切るのが一番すっきりしている。つまり公然の口実が存在すれば、旧交を温め直すことも容易くなる。

そんなチャンスを与えてくれたイエスキリストに「アーメン」。そして皆々様には「メリークリスマス」。平和で心温まる日々が過ごせますように...





「シンガポール滞在日誌 MENU」へ戻る
(フレーム対応でない場合のみ利用)