路傍の花編

野の花ということでもない。通りすがりの庭の花のこともある。撮ろうと思うことの中に、私の好みと気持ちは生きている。気持ちを花に張り付けて生きている瞬間なのだと思う。


撮影・文  林  桂


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擬宝珠の花(2004・8・13撮影・於群馬県新治村)

 慎ましい趣だが、紫の美しい花だ。野の花の風情と気品を合わせもっていると言ったら褒めすぎだろうか。どうもこの擬宝珠には何種類もあるらしい。これは沢近くに咲いていた小ぶりな株である。この葉は小生の田舎ではうりっぱと言って立派な山菜である。前橋ではうるいと言う。しかし、写真の擬宝珠の葉を摘んだ記憶はない。摘んだのは、水辺ではなくもっと山地であり、株も大きかった。ここにも二種類あって、葉の裏が白みがかったものとそうでないものがある。子どものころには、白みがかったものは美味しくないから摘むなと言われた記憶がある。真偽のほどは知らない。
 実はうりっぱが美味しいと思ったのは、前橋に来て「きさく」で酒の肴に酢味噌和えを食べてからである。これは山歩きが趣味のおかみさんが摘んできたものである。いまインターネットで調べたページでは、山菜料理としては栃木と群馬のものが紹介されているだけである。ほかの地域では食べないのだろうか。それともうりっぱでもうるいでもない名があるのだろうか。


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稲の花(2004・8・13撮影・群馬県新治村)

 丁度稲の花の季節であった。わずかな花の時期の天候次第で、その年の豊作凶作が大きく左右される。こんな地味な花に農家は一喜一憂するのである。今年はいい天候続きの中での稲の花である。豊作の年になるかもしれない。遠目にも、稲穂に白い色が続いていた。


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花茗荷(2004・8・13撮影・群馬県新治村)

 農家の庭先の茗荷竹を勝手にかき分けて撮影。木漏れ日のようになった斑の光の中に無数に点在していた。淡い黄色の花は、直ぐにも萎れそうな風情である。花が咲いては食用としての価値は半減以下だが、花として見れば、それなりに美しいと思う。いかにも日陰の花である。しかし、この茗荷生命力が強い植物だ。根絶やしにすることは思いの外難しい。いつの間にか復活して、青々と繁っているのだ。その中に、黄色い日陰の花を大事に育てるのである。


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昼顔(2004・8・13撮影・群馬県新治村)

 昼顔はなぜ園芸品種化されないのだろう。朝顔よりは小ぶりだが、ピンクの色は美しい。花が咲くのも日中で、消夏の気分の助けにもなりそうだが。あまりにも生命力逞しく、人間は特別な人口エリアである庭に持ち込む価値を見いだせなかったのだろか。それとも品種改良が難しいのだろうか。いま「歳時記」を引いてみたら結実しないとある。種がないのは品種改良に厄介かもしれないと勝手な素人判断。いや人間に取り込まれないで、逞しく生きる道を選択したことを褒めそやすべきかもしれない。


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立葵(2004・8・13撮影・於群馬県新治村)

 「トトロ」の夏の風景にこの立葵が描かれていたのが印象的だった。元は栽培されていたのであろうが、今や放し飼い同然の花になっている。農家の庭や庭先、道沿いに自然に立っている。どこに生えても、雑草と一緒に刈り取られるようなことはなく、それなりの敬意をもって遇せられているようである。「トトロ」の立葵はそんな田舎の風情をこの花で表現していた。摘んで活けるには、丈も高く大振りで茎が硬い。放し飼いが一番似合う。その大きさも夏らしい趣だ。花びらを摘んで、元を二つに裂き、鼻につけて鶏冠にして遊んだが、今思えば鶏冠は頭でなければいけないはずだが・・撮影の花は小高い道の端に咲いていた。バックに青空が映り込んでいるのはそのためである。


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夏水仙(2004・8・13撮影・於群馬県新治村)

 畦道の畦の中に咲いていた。茎を撓わせてもう花の終わりに近い風情である。人家近く咲くが、野草の部類なのであろう。曼珠沙華を庭植えしないように、この花も庭植えをあまりされない花のように思われる。しかし、農家の人は、草刈り作業でこの花を刈り取られることも希だ。曼珠沙華などのように、農家の人が刈り残す草花というものが存在する。なぜ刈り残すのか調べたことはない。美しいものは残しておくのだろうくらいに考えていたが、あるいは何か禁忌の言われがあるのかもしれない。野草にしては凄味のある美しさだ。小学校の頃、友達と二人で球根を掘り出して、学級花壇に寄付したが、担任は植えてくれなかったように記憶している。

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女郎花(2004・8・13撮影・於群馬県新治村)

 盆花として、山野に吾亦紅と一緒に摘んだ花だ。もちろんオミナエシが女郎花と表記するなどとは想いもしない幼い頃のこと。「粟花」ともいうそうだが、この方が花の感じに近い。確かに粟の粒を載せたような花だ。撮影したのは農家の庭先に植えられていたもの。故郷の山野を暫く車で流したが、遂に目にしなかった。逆に農家の庭先にはあちらこちらで見かけた。もう野の花ではなくなっているらしい。




吾亦紅(2004・8・10撮影・於群馬県高崎市)

 昔ながらの御盆棚で「ご先祖様をお迎え」していたのは、いつくらいまでだったろう。「盆花」を摘んでくるのが子どもの私の仕事だった。1キロほど離れた草刈り場で花を探すのである。ワレモコウもその中の一つだった。花らしい花ではないので、子どもの心にはどうでもいいようなものだったが、数を確保するには是非とも必要な花だった。それほどありふれた花だった。好きになったのは大人になってからだ。どうも大人味の花らしい。高崎市染料植物園で撮影したものだが、「バラ科」の札が添えてあった。思わず「えっ」と声をあげてしまった。この地味な花のどこがどうしてバラ科なのだろう。一緒にいた息子は「調べた人はすごいね」と一言。




ヤブカンゾウの花(2004・7・27撮影・於群馬県片品村)

 土地の言葉では、カンソウと濁らないで発音していたと思う。若葉は食べられると聞いたが、食べたことはない。むしろ子どもには、花嫁人形を作るためのものであった。一度くらいはその方法を伝授された記憶があるが、現在その技能保持者ではない。それは女の子の遊びであったからだ。これが「忘れ草」であると知ったのは、ずっと後のことだ。
 山里では道の端に必ず見かける花だ。百合ほどではないが華やかだ。アブラムシをはじめ虫も付きやすい。この写真の花も道の端。すでに佳境は過ぎている。ありふれた存在の花が、憂さを忘れる「忘れ草」とされるのは、この世の憂さがありふれているということなのだろうか。しかし、花の季節以外の憂さはどう晴らすのだろう。

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葛の花(2004・7・27撮影・於群馬県片品村)

 もう十年以上も前になる。山梨の吟行会で「葛の花立ちあがらんとして斜め」と詠んだ。参加者の一人の評で、葛の花は「立ちあがらないだろう」と言われた。「トンでも俳句」と見られたようだ。もちろん、点が入ることもなかった。しかし、写真のように葛は、条件が揃えば房を立てて咲く花である。房を下にする場合は、言うに言われぬ事情があってのことであろう。あの葛の蔓の絡みの中である。さまざまなドラマが予想される。私が目撃した「立ちあがらんとして斜め」氏も、その中のひとりであったろう。
 大正期、昭和前期の俳句で、植物の生態を描いて見事な句に出会うことがある。しかし、こうした見事さはもう読みとってもらえない時代になってきているだろう。言葉の宝石のような輝きだが、なんのための輝きだと問いたくなる趣なのだ。言葉の細工品を思わせる。しかし、輝きが分からなければ、珍重されることもない。葛の花氏も、こんな咲き方はしないと言われるのではなく、その句の志しの如何を揶揄してもらいたかったのである。その不憫さから、他の句はすっかり忘れても、この句だけ脳裏に残ることになった。そして、葛の花の時期には亡霊のごとく蘇る。
 葛の花の名吟と言えば、「男老いて男を愛す葛の花」(永田耕衣)が思い浮かぶ。しかし、葛の花の咲き方もあやふやな理解の現在では、葛の花に「官能のにほひ」(塚本邦雄『百句燦燦』)を読み解くことはできなくなるだろう。
 葛の葉をかき分けて花を探すと、葉隠れに花は起立していた。ここはまだ好条件の内なのである。
 


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山百合(2004・7・27撮影・於群馬県片品村)

 「山百合に向ひ恋ひする如きかな」(「銅の時代」)と書いたのは、高校生の時だ。山百合は特別な山野草だ。これほど花が大きくて美しい野草は他にないからだ。百合根掘りを随分した。庭に植えるためである。ある年、叔父が大量に百合根を掘ってきたことがある。食べるためである。なんとも言えぬ美味であった。球根の芯の部分を残し、近くの畑に植え付けた。大きくして再び食べようという魂胆である。しばらく百合畑の様相を呈していたが、これを再び食べた記憶がない。土竜にやられたのではなかったろうか。写真は、農家の庭の片隅で見つけたもの。小さい部類だ。食べ残しの球根のものかは定かでないが、植え付けられたものには違いない。


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フウセンカズラ(2004・7・25撮影・於群馬県群馬町)

 植物好きで知られた歌人・土屋文明が最初に育てたのが、風船葛だった。文明を植物好きにした原点だ。少年の日、何の種かも知らずにもっらたものを育てていたら、やがて風船葛になったのだった。風船のようにふくらんだその実は、文明にとって夢のような植物だったのかもしれない。決して華やかとは言えない植物だが、どこか現実離れした趣である。中にある白黒の種にはハートの形が浮いている。文明の誕生の地に近い群馬町の畑の脇にあった。強くない風に風船が弾んでいた。



オモダカの花(2004・7・24撮影・於群馬県群馬町)
 田んぼの隅に咲いていた。旱で乾ききった田の中で、例年より小ぶりの株、花である。それでも可憐な白い花は目を惹く。田んぼの雑草にこんなに美しい花があることに、ずっと心惹かれ続けてきた。 



烏瓜の花(2004・7・4撮影・於群馬県新治村)

 撮影したのは午後。花の先は既に勢いを失い丸まってきてしまっている。夜や早朝ならば、花の先まで伸びた美しい姿であったろう。農家の小屋の壁に這い、花を咲かせていた。烏瓜は野草だが、人目につくところに花になり、実になる植物だ。野道の端の木に絡んでいたり、崩れかけた土蔵の壁にあったりする。花の美しさ、そして秋の実の紅の鮮やかさで、子ども心にも印象的な草木だ。ひとりのお使いの帰り道での紅の実が、心細い思いのままに残っている。実を集めて遊んだまでは記憶があるが、その先が定かでない。


 

蛍袋の花(2004・7・4撮影・於群馬県新治村)

 子どもの頃、確かトッカンボと言っていたと思う。花を掌に載せ、叩いて破裂させて遊んだ。そこから来ている名前だと記憶している。これも身近なところにあった花だ。田のあぜ道や入会地には当たり前のように咲いていた。しかし、最近は数も減った。園芸店で野草として売られているのを見た。野におくには惜しい花になってしまったのだろうか。でも、他の草の葉の緑に混じって咲いている姿がやはり美しい。



ユキノシタの花(2004・7・4撮影・於群馬県新治村)

 農家の石垣に咲いていた。日陰になる石積みや、築山に咲いていることが多かった花だ。その葉の質感は不思議な存在感がある。子どもの頃、怪我などすると、血止草として使っていた草の一つだったが、その効果は知らない。その葉の印象と違って花は繊細である。一つ一つは小さな花だが、石垣が白くなるほどの数になると、目に止まる。